輝剣
花畑は、地平の端まで色で満ちていた。
歩くたび、踏まれた草が湿った匂いを返し、風が花粉を薄く撒いていく。
遠くの雲はゆっくり流れているのに、足元だけが落ち着かない。花びらが勝手に袖へ絡み、ほどけて、また絡む。
「ねえ、聞いてよ。今日だってさぁ……」
彼女が肩を落として、わざとらしく溜め息をついた。
その隣で、同じ白銀の髪の青年が、面倒そうな顔のまま口の端だけを上げる。
「また、あいつらが何かやった?」
「“また”って言わないでよ。うん、やった。五人もいると、ほんっと……ね? 一人くらい静かにできないの?って、思わない?」
言いながら、彼女は横目で青年を窺う。
返事が遅れたら拗ねる。返事が早すぎたら、今度は照れる。
そういうところを、本人は気づいていない顔をする。
青年は花の波を避けるでもなく、足先で軽く押し分けながら歩いた。
「静かにできたら、それはそれで心配だろ」
「……うぅ、ま、そうだけど。そうじゃなくてさ。あたし、今日は、あたしの話を聞いてほしいの」
「聞いてるよ」
軽く言う。軽すぎるくらいに。
でも、目線だけはちゃんと彼女の方を向いていた。
彼女はそれが嬉しくて、口の端が勝手に緩むのを隠すみたいに、花の先を指でつついた。
「今日さ、ノアくんがね。朝ごはんのスープを“剣で温め”ようとして……灰になった」
「器用だな」
「器用じゃない! やるならせめて加減ってものを覚えてからにして!」
怒ってるはずなのに、思い出し笑いが混ざる。
家の台所の匂いが、ここまで飛んできたみたいに胸の奥が温かくなる。
彼女はそういう自分をごまかすように、少しだけ歩幅を早めた。
「それでルドくんはさ、“俺がやる”って言いながら、結局あたしに押し付けてきて。ほんと、ずるい」
青年が、ふっと笑った。
「ルミアに頼めば、できるって思ったんじゃない? 頼られてるじゃん」
「……それがさ。あたし、嫌じゃないんだよね。だって家族だし。だけど、疲れるときは疲れる」
言ってから、彼女は急に声を落とした。
花畑の明るさが、急にまぶしくなる。
「……でも。今日は、ここ。あたしだけでしょ?」
青年は答えない。代わりに、歩みをほんの少しだけゆっくりにした。
彼女の横に、ちゃんと並ぶ速度。
彼女はそれだけで、胸の奥がきゅっと締まって、笑ってしまう。
「独り占めできてる。ふふ」
「言い方」
「だってほんとだもん。家にいたら、あたしの話、途中で切られるし。すぐ“次は誰々〜”ってなるし」
「まあ、あの人数だとね」
青年は肩をすくめた。
その仕草がやけに余裕に見えて、彼女は急にむっとする。
「……ねえ。お兄ちゃんってさ。何でもできるじゃん」
「そう?」
「そう、そう! 剣なんか、もはや意味わかんないし、言い回しだって上手いし。困ってるときに変に焦らないし」
言いながら、彼女の視線は遠くへ泳いだ。
花畑の向こう、見えない家の方角。
見えないのに、そこにいる顔が浮かぶ。
「それに……お姉ちゃんも。あの人、ずるい。全部、“面白そう”って顔して、やってのける」
青年の口元が、少しだけ苦くなる。
でも、声は軽いままだった。
「姉さんはすごいさ」
「でしょ? なのに、あたしはさ。何かやろうとすると、極端なんだよ」
花が揺れる。
風に押されて、色の波が一度だけ大きくうねった。
彼女はその波の中で立ち止まり、腰の刀に手を掛ける。
「ねえ、見てて」
「ん」
抜いた刃は、光を溜めたみたいに白く――いや、白いだけじゃない。
恒星の縁の熱を、そのまま薄い形にしたような輝きだった。
目を細めないと、刃の輪郭が消えそうになる。
彼女は、刃先をひとつの花へ、そっと当てた。
切らない。突かない。触れるだけ。
次の瞬間。
花が、音もなくほどけた。
燃えるのではない。
崩れるのでもない。
花の形が、まるごと“光の塵”に変わって、ふわりと宙へ散った。
夜に舞う雪みたいに静かで、でも熱の名残だけが皮膚に刺さる。
彼女は、刃を少し引いた。
散った光が、頬に触れて消える。
「ほら。これしかできない」
言い方は不満げなのに、どこか怖がっている。
自分の力が、何をするかを知っている目。
青年が、花の光の名残を見上げた。
「……すごいね」
「すごくない。だって、触れたら終わりだよ? 花だって、布だって……下手したら、誰かの手だって」
彼女の声が、ほんの少し震える。
わざと乱暴に聞こえるようにして、震えを隠す。
青年は首を振った。
「触れただけで、どんなものも光にできる。……でもそれを、ルミア、君は選べる。正しく使えている。簡単なことじゃないよ」
「でも、極端すぎるって」
「極端だっていいじゃないか」
青年は、彼女の刃ではなく、彼女の顔を見た。
茶化すみたいな笑いが、今日は少しだけ薄い。
「姉さんが器用なら、ルミアは……ちゃんと怖いくらいに、まっすぐだ」
「……なにそれ」
言い返しながら、彼女は耳まで赤くなる。
褒められたのが嬉しいのに、嬉しいと言うのが悔しい。
その葛藤が、指先の力を変なところで抜かせた。
青年が、さらに続ける。
「それにさ。ルチアと喧嘩して泣いちゃうところも可愛いし」
「泣かないし!」
「はいはい」
笑いながら言うから、彼女は余計に顔を背けた。
花畑の色が、ちょっとだけ優しくなる。
彼女は刀を鞘へ戻し、しゃがみ込んだ。
散らさずに残った花を選んで、茎を折らないように摘んでいく。
指が器用に動く。編むというより、結ぶ。ほどけない場所を探して、結び目を小さく作る。
「……ちょっと、動かないで」
青年は素直に止まった。
彼女は青年の前髪を避けて、こめかみのあたりへ花を添える。
花飾り。
派手じゃない。けれど、花畑の色がそのまま小さく集まったみたいに明るい。
彼女は結び目を整え、最後に指先で軽く押さえた。
「はい。できた」
青年が目を瞬いてから、ふっと笑う。
「似合う?」
「……似合う。あたしが作ったんだから」
「すごい自信だな」
「自信あるもん」
言ってから、彼女は自分で恥ずかしくなって、唇を噛んだ。
青年は何も言わず、ただ“嬉しい”という顔をした。
それがまた、ずるい。
「……じゃあ、お礼に」
青年が手を広げる。
そこに何かがあるみたいに、そう思った瞬間。
手のひらの上に花束が現れる。
さっきまで何もなかった場所から。
嘘みたいに、でも当たり前の動作みたいに。
束ねられた花は、この花畑にはない色も混じっている。
夜の青、朝焼けの薄桃、銀みたいな白。
香りが違う。季節をひとつまたいだ匂いがする。
「ほら」
青年が渡してくる。
軽い調子。けれど、指先は丁寧だ。
彼女は受け取って、目を伏せた。
胸の奥が、少しだけ痛い。
「……やっぱり、敵わない」
「何が?」
「お姉ちゃんみたいに、お兄ちゃんみたいに。なんでも、さらっとできるの」
花束の重さが、優しさの重さみたいに感じてしまう。
嬉しい。嬉しいのに、悔しい。
青年は、少しだけ黙った。
花畑の風が二人の間を通り抜けて、花飾りの花びらを揺らす。
「俺たちに並ぶって、そんなに急ぐこと?」
「急ぐよ」
彼女は、花束を抱える腕に力を入れた。
そのまま顔を上げる。
まぶしいくらいの空の下で、まっすぐに青年を見る。
「いつか。お姉ちゃんじゃなくて、あたしが――お兄ちゃんの横に立つ」
青年は笑った。
からかう笑いじゃない。
でも、どこか遠い。
「うん。楽しみにしてる」
その返事が、少しだけ寂しく聞こえたのは、風のせいだと思うことにした。
花びらが舞う。
二人の足元で、色の波が小さく渦を巻く。
彼女はその中で、花束の匂いを胸いっぱいに吸って、意地みたいに笑った。
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そこは空じゃなかった。
上下も距離も、形を決めた瞬間にほどけてしまいそうな黒。
黒の中には光が詰め込まれ、ぎゅうぎゅうに押し合っている。
艦列の灯り、結界の縁、砲撃の尾、刃の残光。どれも光っているのに、温かくない。
ただ、中心にだけ熱があった。
白銀の髪が揺れ、金の瞳が笑っている。
笑っているのに、目は忙しい。忙しいのに、余裕がある。
光が途切れた。
どこかで艦が裂け、どこかで結界が割れ、どこかで兵が消える。
場所を指させない。指さすより先に次が起きる。
そして青年は――。
死んだ。
胸を貫かれた。
首が落ちた。
圧で潰れた。
なのに、その事実はすぐ薄れて、なかったことになる。
笑い声だけが残る。
軽い。けれど狂ってはいない。ただ、続けているだけだ。
その無数の光の中に、ひときわ強い光が混ざった。
荒々しい輪郭。
長身の影。
両目には、三つの線が中心へ収束するような紋が走り、開くたびに周囲の時間が少しだけ軋む。
男は笑わない。
口角を上げる代わりに、苛立ちを噛み砕くみたいに舌打ちする。
「……おかっしぃなぁ」
口調はやけに荒っぽいのに、全身から立ち上る圧だけは冗談を許さない。
拳が当たるだけで、空間が凹む。
腕で受けるだけで、全身が吹き飛ぶ。
男は吐き捨てる。
「何度もテメェをぶち殺せる未来は見えてんのによぉ。全っ然、殺せねぇんだわ」
言いながら、男は手刀で斬る。
斬って、潰して、貫く。
“確かに殺した”はずの結果が、いくつも重なる。
だが、結果が積み上がらない。
世界が、覚えてくれない。
金の瞳の青年が、軽い調子で返す。
「そんなことないよ。今の、ちゃんと痛かったもん」
「……舐めてんのか」
「舐めてないよ。褒めてるのさ」
返事の直後、青年の身体が爆ぜた。
血が散って――散ったはずの血が消える。
“死んだ”はずの青年が、同じ場所に立っていて、同じ目で瞬く。
男の目が、未来を何本も引き裂く。
見える。見えている。殺せる未来が、確かに走っている。
なのに、現実がその線へ乗らない。
「チッ……!」
男は踏み込み、拳で空間を殴った。
黒が割れて、光が一瞬だけ押し出される。
その隙間に、青年の刃が刺さる。刺さった“結果”が先に置かれ、男の肩が遅れて裂ける。
「結界は張り続けないと。それとも張ってくれる人が死んじゃったかな?」
男は耐える。
耐えながら、笑いそうになってしまうのを噛み殺す。
面白い――と思ったのが悔しいのだ。
だが、認めざるを得ない。相手は、何度殺しても“続く”。
今回もきっと負けてしまうのだろう。次の自分は勝てるだろうか。
でもそれを自分が知る手段はない。
激しい戦闘が続く。
刃が降り、砲撃が走り、結界が割れる。
無数の光が途切れても、黒の奥からまた詰め込まれる。
終わりが来ない場所で、二つの強い光だけが、互いの形を削り続ける。
男は未来を見る。
青年は未来を見ない。
見ないまま、やってくる。
ある瞬間、青年が少しだけ息を置いた。
忙しい瞳が、黒の中の“どこでもない一点”を見る。
男の瞳が、その一点に嫌な空白を見つける。
次の瞬間。
青年が、男の背後へ回っていた。
いつ回ったのか分からない。
「――っ!」
男は腕を固くし、振り下ろされる刃を受け止めた。
硬い。金属が遠く及ばない硬さ。
受け止めた。受け止めてしまった。
やってしまった。
受け止めた“腕”が、刃に触れている。
さっきまで青年が握っていたのは、別の剣だった。
真っ白な刃の剣と真っ黒な刃の剣。
けれど今、青年の手の中にあるのは――眩しい。
恒星の如く輝く刀。
触れたものを、光へ変える刃。
男は思考する間もなかった。
腕の先から、熱が走る。
肉が、骨が、鎧が、存在の境目から順に“光の塵”へ一瞬で変換されていく。
「……は?」
男の声が、途中で途切れた。
言葉が終わる前に、喉が光になる。
荒々しい影が、灼けた粒子みたいに散る。
無数の光の中へ、ひとつの強い光がほどけて混ざっていく。
残るのは、青年だけだった。
青年は、刃をゆっくり下ろした。
剣の光が、黒を薄く照らし、すぐに吸われる。
静かになったわけじゃない。周囲はまだ、終わりのない戦いの音を鳴らしている。
それでも、青年の声だけが、ふと遠くなる。
「君ほどの強さでも……ルミアの前では、他と同じなんだ」
言い方は優しい。
けれど、どこか寂しい。
まるで、遠い花畑の匂いを思い出しているみたいに。
でも彼女はもういない。
青年は、輝く刃を見た。
刃の中に、誰かの笑い声が残っている気がした。
「……やっぱり、ルミアはすごい子だ」
そう呟いて、青年はまた笑う。
「さあ、今日の英傑は死んだ、次は誰が楽しませてくれるのかな?」
光は尽きない。
けれど、そのどれもが――この刃の前では、等しく薄い。
青年の手の中で、彼女は輝き続ける




