表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/50

第一章・第二十三話 ペットっていいな

王都の門が見えたとき、嬉しさより先に、変な現実感が押し寄せた。


石壁。旗。見張り台。

神域の暗さとは違う、ちゃんと人が暮らしている気配。


門番たちがこちらを見つけ、外で待機していた人たちが慌てて駆け出してくる。


リトリーが小さく手を振ってみせた。


「ただいまー……って言うには、ボロボロすぎるね」


「喋らなくていい」


そう返してから、言い方がきつかったかも、と思って口をつぐんだ。

リトリーは「うん」とだけ言って、目を細める。


レオフィーナが治療班に短く状況を伝える。

言葉は少ないのに、周囲が一斉に動き出すのが分かる。


「お前ら」


レオフィーナがこちらを振り返る。


「今日はもう帰って寝ろ。……あたしは報告に行く」


「レオフィーナさんもちゃんと寝ないとだよ」


リトリーが言った。


レオフィーナは一瞬だけ黙って、それから肩をすくめる。


「報告しねぇと寝れねぇんだよ。……こういうのはさ」


それだけ言って、背を向けた。

歩き出した背中が、いつもより少し小さく見えた。


△▼△▼△▼△


解散は、あっけなかった。


アルティナとカムイはギルドの詰所へ向かうと言って、歩いていった。

アルティナの尻尾が途中で一度だけぴんと立って、すぐへたる。疲れているのに、頭の中はまだ止まっていないらしい。


リトリーは私の隣を歩く。

歩くたび、まだ痛いはずの肩を気にして、わざと明るく息を吐く。


「宿のご飯……食べられるかな」


「寝てから」


「えー……」


それだけで、泣きそうになるのを誤魔化せた。

生きている。こういうどうでもいい会話が、ちゃんと出来る。


角を曲がった先――白に近い銀髪が、王都の喧噪をすり抜けていくのが見えた。


ルネアだ。

歩き方だけがやけに軽い。

“帰る”というより、まるで“去る”みたいな。


私は反射で呼び止めた。


「ルネア」


声が思ったより大きく出て、近くの人が振り向いた。

ルネアは振り返って、にこ、と笑う。


「なあに。君たちの宿は、あっちだよ?」


「……分かってる」


言いながら、どう続ければいいか分からなかった。

ずっと引っかかっていたことが、今なら口から出そうだった。


「その……ずっと気になってた。あなたとルギアどういう関係なの。家族?」


ルネアは瞬きして、それから笑みを少しだけ広げる。


「そだよ〜。私たちは血で、深ーく繋がってるの」


軽いのに、言葉が重い。

“深く”のところだけ、妙に耳に残った。


「……ルギアが、お兄さん?」


そう聞くと、ルネアは目を丸くした。

次の瞬間、腹を抱えるみたいに笑う。


「ええ!? そう見えるの? ルギくんめ、大人ぶりやがったな〜」


笑いながら、指で自分の胸を指す。


「私がお姉ちゃんだからね」


嘘を言っているようには見えなかった。

でも、全部を言っている感じもしない。――いつもの、あの人たちの距離感。


「……そう」


それしか返せない私に、ルネアは首を傾げた。


「シルアちゃん、真面目だね。疲れてるのに」


「……疲れてる」


本当だ。身体が鉛みたいに重い。

けれど、聞かなきゃいけない気がした。


「ルギアも、あなたも……私について何か知ってるの?」


ルネアは一瞬だけ黙った。

笑顔はそのままなのに、目の奥だけが別の色になる。


「知らないよ。……知ってたとしても知りたくなかった」


ルネアは声を落とす。


”知りたくなかった”って何を?


「それって……」


「それよりさ、もうこの国にいない方がいいよ」


ルネアが言葉を遮る。


「……あんな力を見せたんだ。フィーナちゃんもさすがに報告するだろうし、そのうち国に囲われちゃうよ」


私は喉が詰まった。

“囲う”という言葉が、さっきまでの影霊の手と重なる。


「私、みんなを救おうと――」


「知ってる」


ルネアが、さらっと遮った。


「シルアちゃんは、いつだって誰かのために行動する。……でも国は、そんなことは気にしない」


言い切らない。断定しない。

なのに、妙に真実味がある。


リトリーが少し離れた位置で、何も言わずにこちらを見ている。

聞こえないふりをしてくれているのが分かって、余計に胸が痛んだ。


ルネアは手をひらひら振る。


「ルネアちゃんからのちょっとした忠告。……気まぐれの、おまけ」


「……なんで」


私がそう言うと、ルネアは笑った。


「面白いから、って言ったら怒る?」


「……怒る」


「じゃあ、言わなーい」


ルネアは一歩下がって、背中を向ける。

歩き出す前に、ちらっと振り返った。


「生きてね、シルアちゃん。どんな困難が立ちはだかっても」


その言葉だけ置いて、ルネアは人混みに紛れた。

淡い白銀が、最後まで浮いて見えた。


△▼△▼△▼△


その夜は、何も考えられなかった。


宿の部屋に戻って、靴を脱いだところで膝が崩れた。

リトリーが「寝よ」と言って、毛布を引っ張ってきてくれる。


「それよりもご飯にする?」


「明日。絶対、明日」


「あはは、そうだよね」


目を閉じた瞬間、音が遠くなる。

影霊の気配も、剣の金属音も、もう届かない。


“ぐっすり”という言葉が似合うほど、深く落ちた。


△▼△▼△▼△


目が覚めたとき、外がやけに騒がしかった。


窓を開けると、旗が揺れている。

色とりどりの布が通りに渡されて、太鼓みたいな音が腹に響く。


「……なに」


リトリーが寝ぼけた声で起き上がる。

髪が跳ねているのに、それを直す元気はないらしい。


廊下に出ると、宿の主人が腕を組んで笑っていた。


「祭りだよ。神域の不安が晴れたってね」


「晴れた……?」


私が呟くと、主人は肩をすくめる。


「神域の影が消えたってさ。結界が落ち着いた。外から見ても分かるって。ほら、街の空気が軽いだろ」


軽い、という言葉は正しい。

でも、私の手のひらはまだ冷たい。


リトリーが背伸びして、目をきらきらさせた。


「屋台! 屋台だよ、シルア!」


「……元気だね」


「元気じゃないよ。元気なふり。だから食べないと」


その理屈が、リトリーらしい。


しばらくして、アルティナとカムイも合流した。

アルティナは顔色が戻っていて、尻尾も元気に揺れている。――揺れすぎている。


「ほらほら、行こう! 昨日は地獄だったし、今日くらい甘やかされよう!」


「……ほどほどにな」


カムイが短く言う。

でも、その視線はどこか遠い。屋台より、もっと先を見ているみたいだった。


四人で、人の波に乗る。


焼けた肉の匂い。香草の匂い。甘い果実の蜜。

笑い声が近くて、剣の光が祭りの飾りみたいに見える。


リトリーが串焼きを両手に持って、口いっぱいに頬張った。


「ん〜! 生きてる味!」


アルティナがそれを見て笑い、尻尾がぱたぱたと大きく揺れる。


「分かる! 食べてると“戻ってきた”って感じする!」


私は小さく頷いた。

美味しい。――生きている。


カムイだけが、少し遅れて歩いている。

何度か耳元を気にする仕草をして、すぐやめる。何かを触っているような、触っていないような。


「カムイ?」


アルティナが横から覗き込む。


「なに考えてるの」


「……別に」


短い返事。

その短さが、逆に“別に”じゃないことを言っていた。


祭りの通りを曲がったところで、金色がこちらへ向かってくるのが見えた。


レオフィーナだ。

今日はちゃんと髪を結い直していて、表情もいつもの“姉御”って感じに戻っている――でも目の奥はまだ眠っていない。


「お、いたいた」


レオフィーナが手を振る。


「シルア。ちょい来い」


私の名前だけ、真っ直ぐ呼ぶ。

胸が、きゅっと縮んだ。


「……何かあった?」


「悪い話じゃない。たぶん」


“たぶん”が怖い。

リトリーが口を拭きながら、私の肩に手を置いた。


「一人で行くの?」


レオフィーナが苦笑する。


「全員来な。むしろ来い」


そのまま、私たちは人の波を外れて歩かされた。


祭りの音が遠くなる。

太鼓のリズムが、次第に心臓の音だけになっていく。


△▼△▼△▼△


神域の入口は、昨日より静かだった。


結界の光が、薄く均一に張っている。

“揺れていない”のが分かる。風のない水面みたいに、ただそこにある。


門の前で、獣人の兵が道を開けた。

その奥――白がいた。


真っ白な神狼。

昨日、土の上に倒れていた姿とは違う。首を上げて、こちらを見ている。


近づくほど、息が詰まる。

あの白を、私は“焼いて”しまった気がして。


アルティナが、声を漏らした。


「……獣王様」


カムイも目を細める。狼の耳が、ぴくりと動いた。


神狼は、ゆっくり尻尾を振る。

それから――口を開いた。


「来たか」


人の言葉だった。


一瞬、誰も声を出せなかった。

驚きが遅れて胸に落ちる。


「しゃ、喋った……」


リトリーが半歩下がって、でもすぐ目を輝かせる。


「え、え、獣王様って喋れるんだっけ!?」


レオフィーナが小さく咳払いをした。


「いいから話を聞け」


神狼――獣王ガゼルが、鼻先を少しだけ下げた。

威圧じゃない。礼みたいな動き。


「シルア。そして他の皆も」


名前を呼ばれると、背筋が伸びる。

私の名前を、ちゃんと“獣王”が呼んだ。


ガゼルは視線を私に合わせる。

白い目が、静かすぎて怖い。


私はルネアの言葉を思い出して、ほんの少しだけ身構えた。

“国に囲われる”。

その鎖が、ここから伸びてくる気がして。


でもガゼルは、低い声で言った。


「礼を言う。影霊に支配された我が身を、お前が引き戻した」


“引き戻した”。

その言葉が、私の胸を刺す。


私は視線を落とした。


「その……私、森を……」


言いかけて、言葉が折れた。

半分、捧げた。もう戻らない。


ガゼルは、すぐに続きを問わなかった。

ただ、短く息を吐く音がした。獣の呼吸音。


「確かに森は傷ついた。だが、死んではいない」


その一言が、救いみたいで、逆に苦しい。


レオフィーナが一歩前に出る。


「獣王様。こいつら――特にシルアに、国が何か言うかもしれねぇ。……あたしは止めるけど」


ガゼルは首を振った。


「我にお前を縛る意思はない」


言い切りが、妙に強い。


「我が恩を、鎖に変えることはせぬ。――この国にも、そうさせぬ」


私は顔を上げた。

“国にも”と言った。ガゼルは、国の上にいる存在として、それを言った。


リトリーが、空気を読まないふりで一歩近づく。


「ねえ獣王様、触ってもいい?」


レオフィーナが「おい」と言いかけたけれど、ガゼルは尻尾をぱたん、と地面に落として見せた。

許可、みたいな動き。


リトリーが遠慮なく近づいて、白い毛に両手を埋める。


「わ……ふわふわ……!」


アルティナも耐えきれず近づいて、指先でそっと撫でる。

尻尾が嬉しそうに揺れて、耳もぴこぴこ動いている。


「すご……あったかい……生きてる……」


ガゼルは少しだけ目を細めた。

笑っているようにも見える。


私は遅れて近づいた。

怖いのに、触れたい。確かめたい。


手を伸ばすと、白い毛が指に絡む。

温かい。確かに、温かい。


その温かさが、昨日の冷たい光の感触を少しだけ薄めた。


「……ありがとう」


小さく言うと、ガゼルが鼻先を私の手に寄せた。


「礼は、こちらだ」


その言葉に、胸の奥がほどける。

少しだけ、息がしやすくなった。


△▼△▼△▼△


カムイは少し離れて立っていた。

皆が戯れているのを見ているのに、視線が落ち着かない。


シルアとリトリーと一緒に獣王様を撫でていた私は気づいて、振り向く。


「カムイ? どうしたの。来ないの?」


カムイは一瞬迷って、それからアルティナを手招きした。


「……ティーナ。少し」


手招き。たったそれだけなのに、尻尾が勝手に跳ねた。

耳もぴんと立ってしまう。自分でも分かる。分かるから、余計に恥ずかしい。


神域に入る前の夜――あの時のことを思い出してしまった。

あれの続きが、今ここで来るの?


期待と、警戒が、同じ場所でぶつかって熱くなる。

変な顔してないかな。尻尾、揺れすぎてないかな。

……でも、止められない。


「え、な、なに……?」


情けない声が出た。自分で自分の声にびっくりする。

カムイは、言葉を探すみたいに口を閉じて、それから開いて――


「……近いうちに、あの二人はこの国を離れると思う」


……え。


思ってた方向と、全然違う。

胸の奥が、ぱちん、と拍子抜けした音がした。


でも次の瞬間、その拍子抜けの奥に、別の感情が湧いてくる。

シルアとリトリーが、旅立つ。ここじゃない場所へ行く。


「……目立った。お前は見てないかもしれないが。……獣王様はああ言っていたが、ここに居れば、少なくとも自由はないだろうな」


言い方はぶっきらぼうなのに、内容は優しい。

優しさが、いつも遅れて出てくる。


私は喉を鳴らす。


「それで……?」


カムイは一瞬だけ視線を逸らした。

狼の耳が、ぴく、と動く。


「俺たちも……一緒に行かないか」


……え。

そういう話?


「……嫌か」


「嫌じゃない!」


言葉がすぐに出る。


胸の中で、期待してたものがふっと消えて、代わりに別の温かいものが広がる。

拍子抜け。なのに、嫌じゃない。むしろ、嬉しい。


「……びっくりしたけど。うん、いいと思う」


声が、少しだけ震えた。

だってそれは、“一緒に”って言葉だ。仲間としてでも、旅としてでも。

カムイが、私をその中に入れてくれてる。


「……私、行ってみたい」


言った瞬間、尻尾が勝手に大きく揺れた。止められない。

カムイは短く頷いて、ほんの少しだけ肩の力を抜いた気がした。


「……なら、相談するか」


「うん。相談しよ」


その言葉が終わる前に、私はカムイの手を掴んでいた。

考えるより先に、身体が動いた。彼の手は硬い。温かい。離したくない。


「今! 今言おう!」


「……おい、走るな」


叱る声なのに、引き剥がそうとはしない。

私が引っ張った分だけ、彼もついてくる。手は、ちゃんと握ったまま。


△▼△▼△▼△


「まさかカムイから一緒に行きたいって言ってくるとはねー」


リトリーはガゼルのお腹を触りながら言う。


「早速どこに行くか決めないとね」


私は返事の代わりに、ガゼルの白い毛をもう一度だけ撫でた。

温かい。ちゃんと生きている。


遠くで太鼓が鳴る。

それは、昨日の金属音とは違う。


新しい音。

追いかけなきゃいけない音。


次はどんな出会いが待っているのか、まだ分からない。

でも――分からないまま歩ける足が、今ここにある。


それだけで、少しだけ前を向けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ