表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
24/50

第一章・第二十二話 誰のものでもないんでしょ?

レオフィーナの刃が黒を裂くたび、霧みたいに影が散って――また、戻る。


戻る前に斬っている。なのに、戻る。

戻らないのは、私たちだけだ。


リトリーの重さが腕に残っている。浅い息が、胸の奥で引っかかる。カムイの声も、もう掠れてきた。


それでもレオフィーナは前に出る。死んで、戻って、また前に出る。


その繰り返しが、じわじわ怖くなっていく。

怖いのに、あの人が止まった瞬間に全部が終わることも分かってしまう。


「……おい!」


斬り合いながら、レオフィーナが叫んだ。声が金属音に混ざる。


「ルネアは? あいつはどこ行った!」


喉が乾いて、言葉が引っかかる。答えるのに、ほんの一瞬だけ迷った。迷う理由なんてないのに。


「……森の奥に」


やっと声が出た。


「吹き飛ばされて……さっき……背中から」


言い終えた瞬間、レオフィーナの歯が見えた。笑顔じゃない。怒りと焦りが噛み合った顔。


「クソ……!」


吐き捨てて、また“死に”に行く。

影狼の黒い塊が、刃になって伸びた。


レオフィーナの頭が、また飛ぶ。


飛んで――戻る。


「……あんた、ほんとに」


息の途中で言葉を切って、レオフィーナが斬る。


「獣王様の顔してるくせに……!」


返事はない。あるのは黒の圧だけ。


影霊の手が地面の影から伸びる。伸びて、引いて、絡んで――ほどけない。


レオフィーナが斬る。斬っても霧になって繋がる。


カムイが、掠れた声で吐いた。


「……鈍れ」


影狼の首が、一瞬だけ遅れる。その刹那にレオフィーナが刃を通す。


通すのに――黒の奥は、空っぽのままだ。


無駄だとわかっている。

核は、どこにもない。


終わらない。

終わらないまま、こっちが先に尽きる。


そう思った、そのときだった。


影狼の動きがぴたりと止まった。


爪が止まる。影の手も、空中で固まる。風が凪いだみたいに、殺意だけが残って、動きだけが消える。


「……え」


誰かの声が落ちた。


止まった影狼が、首をわずかに振る。それはまるで選び直す仕草ようで――。


次の瞬間、影狼はレオフィーナを見なくなった。見ないまま、身体を反転させる。


祠の前から、森の外へ向かう方向――神域の入口へ。


走り出す。

王都へ繋がる道へ。


「あ……まずい」


カムイの声が低く震えた。

私も同じ言葉が腹の底で鳴った。


王都に出る。あれはきっと出ることができてしまう。


抑えきれなかった、の一言で、国ごと崩れる。


レオフィーナが遅れて気づく。


「……おい、待て!」


追いかける。金色が黒い背を追う。

追いながら斬る。けれど、黒はほどけない。


影狼は振り返らない。


レオフィーナを無視して走り続ける。

速すぎる。追いつけない。


「これじゃあ……追いついても、止められない」


そんな予感が舌を噛ませた。


レオフィーナは死んでも前に出られる。でも相手は、“止まらない”ことを選んでいる。


彼女に止められないならこのまま終わるしかないのか。


そのとき――何かの影が私たちを包んだ。


△▼△▼△▼△


空の上から、彼女の笑い声が聞こえる。

それと一緒に質量が落ちてくる。


風圧じゃない。光でもない。ただ、巨大な何かが空を押し潰してくる感触。


思わず見上げる。


そこに、白銀がいた。

ルネアが、空にいる。足場なんてない場所で、当たり前みたいに身体をひねって――


両手の剣を振りかざしていた。


剣。


剣、という言葉で済ませていいのか分からない。

お城みたいに大きい。空を半分覆うかのような刃が雲を切っている。


なのに、ルネアの手は軽そうだった。いつもの軽い笑いが、そのまま顔に貼りついている。


「やっほ。……遅くなっちゃった」


声はいつも通り。剣だけが、世界の比率を壊している。


影狼が足を止めた。黒が、上を見る。


ルネアは空中で剣を振り切る。


振り切る直前――剣がさらに“届く”大きさに変わった。

一瞬。地面に届かなかったはずの刃先が次の瞬間には届く長さになっている。


そして――巨剣が地面へ落ちた。

影狼の行く先を塞ぐように。


轟音が来るはずなのに、音は遅れて、地面だけが先に砕ける。


影狼が警戒の色を見せる。


「さあ! 第二ラウンドといこうか!」


ルネアが楽しそうに言った。


「素体がいいだけの分際で、舐めた真似してくれちゃって。背中痛かったんだからね」


影狼が黒い尾を揺らす。苛立ちでも笑いでもない。ただの反応。


レオフィーナが息を切らしながら並んだ。


「……あんた!」


怒鳴りたいのに、声が掠れている。


「どこ行ってたんだよ!」


ルネアは肩をすくめる。


「飛ばされちゃったら迷っちゃって。森って広いね」


「もういい!」


レオフィーナが一歩出る。目の紋様が揺れる。


ルネアの巨剣が縮む。瞬きの間に大剣の形に戻る。


戻っても、まだ常識より大きい。


影狼が動いた。今度は逃げじゃない。二人を殺し切る勢いで飛びかかる。


飛びかかった先には、レオフィーナがいた。


金の刃が走る。黒が裂ける。


裂けた黒が戻る前に、ルネアの剣が落ちる。


落ちる直前に、また巨大化する。刃が“そこまで届く”距離に変わる。


影狼の動きが、影が抑えられる。


レオフィーナが笑った。疲れてるのに、嬉しそうな顔。


「はは……やっと、ちゃんと殴れるな!」


散々切り刻んでいたのに、今まで殴れていなかったみたいな言い方。


二人の動きが噛み合う。


レオフィーナが影狼の注意を裂く。ルネアの刃が、影を貫く。

黒が向かう先々、そこに刃が現れる。


圧倒。


本当に、圧倒している。


それでも――黒は消えない。


裂けた黒が霧のように散って、また戻る。戻る前に踏み潰しても、底が残る。


核がない。終わらせる“芯”がない。


レオフィーナの息が荒い。


戻るのは傷だけで、熱は戻らない。


ルネアは笑っているのに、目だけが笑っていない。刃の動きが、少しずつ乱暴になっていく。


「……ねえ」


ルネアが、ふっと言った。戦いの最中なのに雑談みたいに。


「これ、どうやって終わらせるつもり?」


レオフィーナが舌打ちする。


「知るかよ。……自由にさせるわけには――」


言い終える前に、影狼が黒を伸ばして、二人の間へ刃を差し込んだ。


レオフィーナが受ける。受けた瞬間、嫌な音がした。


折れて、戻る。


また、戻る。


その繰り返しが、限界を示しているみたいで、胃が冷えた。


私はリトリーを地面にそっと下ろした。外套を丸めて枕にする。


リトリーの目が、ほんの少し動く。けれど意識はまだ遠い。


アルティナも、まだ動かない。


カムイは立っているのに、肩が揺れている。


他の人たちも剣を握る力もなく、ただ見ていることしか出来ない。


怖い。


その怖さが胸の奥で、別の形になっていく。


逃げたい怖さじゃない。


「このままじゃ足りない」って分かる怖さ。


私は目を閉じた。閉じた瞬間、森の匂いが鼻の奥に刺さる。


土。樹液。葉の青さ。生きてる匂い。


それと――血の匂い。


死にかけの匂い。死んだ匂い。


祠へ来る途中で倒れた槍隊、騎士団、術者、冒険者の人たち。この場で裂かれた人たち。


落ちた剣が、あちこちに転がっている。折れて、欠けて、持ち主の手から離れた剣。


この世界では、剣は命だ。


なら――命が、ここに残っている。


でも、あれはきっと風なんかじゃやられてくれない。今は、それじゃ足りない。


他の人が見てる。

それでもやらなきゃいけない。


だから――。


目を開けて、二人に叫んだ。叫ぶのが苦手なのに、声が勝手に出た。


「レオフィーナ! ルネア!」


二人が、ほんの一瞬だけこちらを見る。


影狼はその隙を狙う――けれど、ルネアの剣が道を塞いで止めた。


「少しだけ! 抑えて!」


命令じゃなく、お願いに近い声。それでも二人は分かったみたいに動く。


ルネアが剣を振る。

刃を横に構えて振られたそれは、影狼を覆う大きさに変わって地面に叩きつける。


叩きつけられた影狼の頭、手足。

とにかく動きになるところにレオフィーナの斬撃が降る。


私は息を吸った。吸った息が痛い。でも痛いのは、今じゃない。


私は願う。


「……風じゃない」


声が震える。震えてるのに、止めない。


「ここで、終わらせたい」


終わらせる。そのために対価がいる。


目の前の森を見る。枝先の葉が揺れる。鳥の影が遠くを切る。生きてるものが、ここに満ちている。


私は剣を見る。地面に落ちた剣。折れても形を保っているもの。欠けて、もう武器にならないもの。


その全部が、持ち主の願いを抱えたまま黙っている。


もう誰のものでもない。


口じゃなく、心の方で言った。


「……ごめんね。だから……全部ちょうだい」


もう戻れない。でも今は罪悪感なんかどうでもいい。


地面の剣が、かすかに震えた。音じゃない。気配だけが集まってくる。


森の息が変わる。葉の色が、ほんの少し落ちる。枝の先がしなだれる。土の匂いが、青から黒に寄る。


生き物の気配が、一瞬だけ遠くなる。


私は手を前に出した。手のひらが冷える。


でもそれは影狼の冷気じゃない。光が集まる前の、静かな冷たさ。


「……お願い」


言葉にした瞬間、空が裂けるみたいに光が立った。


光の柱。


一本の光柱が、森の中に生える。影を掻き消す、まっすぐな白。


眩しいのに目が焼けない。焼けるのは影だけ。そんな光。


光柱が、影狼を貫いた。


黒が、縫い止められる。


縫い止められた黒が、初めて声を出した。


吼え声じゃない。苦しみの声。


喉の奥で擦れるような、獣の声。


黒がもがく。もがくほど、光が黒を削る。


影が霧になる。霧が煙になる。煙が、何もないものへ変わる。


影霊の手も同じように溶けて消える。


「――! なんだこの力」


レオフィーナが目を見開く。


ルネアは突き刺さる巨剣の上で光に焼かれる黒を見下ろす。


「……すごいね。――でも」


足りない。


たぶん、このままじゃ焼き切れない。

そしたら今度こそ”勝ち”がなくなる。


もっと――もっと対価を。


……でも他に何を?


息を吸う。


「世界よ。神域の半分を捧げる。ガゼルの影を祓い切って」


無意識に声が出た。声に出して我に返る。

今、私は何を――。


森が、ぐらりと傾いた。


消えた。掻き消えた。

木々が、道が、匂いが、ざくりと“半分”だけ失われる。


同時に、影狼を貫く柱が太くなる。


影狼の全てを包み込んで、深い黒が煙になって――。


森が息を止めたみたいに静かになる。


そして――黒が、消えた。


最後に残ったのは、光の中で一瞬だけ見えた白い輪郭。


狼。


白い、神狼ガゼルの形。


光柱がゆっくり細くなっていく。糸になって、ほどける。


ほどけたあとに残るのは、沈黙だけだった。


△▼△▼△▼△


白い毛並みが地面に広がっている。倒れ込んだ身体が土を押している。


真っ白な神狼。


黒ではない。濁っていない。


あれが元の獣王。


レオフィーナが走った。血で滑りそうな地面を気にする余裕もなく。


「獣王様!」


声がひっくり返る。泣きそうな声。


神狼の首元へ膝をついて、レオフィーナが呼吸を確かめる。


白い毛に、血が少し滲んでいる。でも黒はない。影の絡みつきがない。


「……生きてる」


レオフィーナが息を吐いた。吐いた息が震える。


「……よかった。ほんとに……」


その背中が、小さく見えた。


カムイが遅れて私を見る。


目は私を見ているのに、私の“外側”を見ているみたいな目。


怖がってる。怒ってない。責めてない。


ただ、理解できないものを見たときの目。


私は何も言えなかった。言えたとしても、きっと足りない。


ルネアが、ぱちぱちと手を叩いた。拍手の音が、やけに軽い。


「すごいね〜」


いつもの調子。

いつの間にか巨剣は消えていた。


でも、その目が私の奥を測っている。見定めるみたいに、ゆっくり瞬く。


「……ほんとに、すごい」


そう言いながら、ルネアは手元の剣に力を込めた。さっきの巨剣じゃない。普通の大きさの剣。


刃に淡い光が溜まる。


「それ、さっき死んだやつのだろ」


レオフィーナが神狼から目を離さずに言った。


ルネアが笑う。


「うん。ちょっと借りてきた」


軽い言い方のまま剣を持ち上げる。


「今、必要な力だからね」


言い方が、ほんの少しだけ雑で。

雑だからこそ、余計に怖い。


ルネアが剣を地面に突き立てる。


刃から光が溢れた。溢れた光が、地面を這うみたいに広がっていく。


倒れている人たちへ、やわらかく触れていく。


触れた場所の血が止まる。裂けた肉が、ゆっくり閉じる。折れた腕が、あるべき位置へ戻ろうとする。

途中で止まりそうになる痛みを、光が押し戻して形を整える。


「……死んでる人は無理だけどね」


ルネアが、あっけらかんと言った。


その言葉の裏の現実が、胸に落ちる。


返事ができないまま、光が広がるのを見ていた。


リトリーの肩の裂け目が閉じた。血で濡れた髪が、少しだけ軽くなる。


まぶたが震えて、リトリーが目を開く。


「……え」


かすれた声。目が私を探す。


「シルア……? いま、なんか……眩し……」


笑いそうになって、笑えなかった。


「……もう、大丈夫」


言った瞬間、自分の声が震えてるのが分かった。


リトリーが眉を寄せる。でも、いつもみたいに突っ込めない。余裕がない顔だ。


少し遅れて、アルティナも動いた。


尻尾がぴく、と揺れてから、だらりと落ちていた力が戻る。


まぶたが開いて、焦点が合うまで時間がかかる。


「……カムイ」


名前だけが出る。


カムイがすぐに顔を近づけた。


「ティーナ……大丈夫か」


「……うん。たぶん。……痛いけど」


痛いって言えるなら、生きてる。


アルティナがゆっくり起き上がろうとして、カムイの肩に手を置く。


震える手。でも離さない。


カムイも離さない。


レオフィーナが神狼の白い毛に額を押し当てた。一度だけ深く息を吐いてから、顔を上げる。


「……今回の件は」


言いかけて、言葉を飲む。飲んで、ルネアを見る。


ルネアはにこにこしてる。その笑顔が、森の静けさの中で浮いて見えた。


「うん」


ルネアが頷く。


「ひとまず、完全に終わったね」


終わった。


その言葉が胸の中で転がる。


終わったのに、半分になった森の青さが少しだけ死んでいる。地面の影が薄いままだ。


私の手のひらが、まだ冷たい。


何も言わずに指を握った。ほどけなくなるのが怖くて、また握る。


ルネアがこちらを見て、少しだけ首を傾げる。


笑顔は変わらない。


でも――目だけが、静かだった。


まるで私の中にあるものを、もう知っているみたいに。


その視線を受け止められないまま、私はただ、倒れている白い神狼と、目を覚ました仲間たちの呼吸音を聞いていた。


生きている音。


それが戻ったことだけを、今は信じたかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ