第一章・第二十話 転がってきたもの
森が濃くなるほど、歩く音だけが現実だった。
踏んだ葉の感触はあるのに、音だけが吸われる。
息は白くならない。代わりに、肺の内側だけが冷たい。
影龍はまだ降ってくる。
上からだけじゃなく下からも。森そのものが吐き出しているみたいに、影が立ち上がる。
レオフィーナが前を切る。
さっきより口数が少ない。笑っているのに、その薄さが刃みたいだ。
ルネアはたまに少し後ろで、落ちている剣を拾い上げては、必要なぶんだけ使って、また元の場所へそっと戻す。
丁寧すぎて、胸がざらつく。
「……最奥までもうすぐだ」
誰かが言った。
みんなもう疲弊しきっている。けれど歩みは止まらない。
木々の間に、光が見えたから。
森の中にあるはずのない、白い光。
薄い膜みたいに揺れて、枝の影を押し返している。
結界の縁。
神域の“奥”の、さらに奥。
△▼△▼△▼△
神域の奥は森の匂いが違った。
湿った土でも、葉の青さでもない。
乾いた石と、古い骨の粉みたいな匂い。
そして――広い。
木々が途切れて、空間が開けている。
広場と言うには整いすぎていた。誰かが削ったみたいに、地面が平らで、石が輪を描いて並ぶ。
その輪の中央に、黒い穴がある。
アルガルドでも同じようなものを見た。
「……ここが、“影の溜まり”か」
槍隊の誰かが呟いた。
呟いた途端、言葉が薄くなる。ここは音が弱い。さっきよりもっと。
レオフィーナが剣先で地面を軽く叩いた。
乾いた音がしない。叩いたはずなのに、叩いた感触だけが手に残る。
「……気持ちわるいな」
アルティナの尻尾が、ひく、と短く揺れた。
カムイは口を結んだまま、目だけで周囲をなぞる。
私も影を見た。
影霊の冷たさが、地面の黒に混ざっている。輪郭を持ちたがっている。
リトリーが空を見上げる。
いつもの調子で――と言いたいのに、顔が硬い。
「ねえ……まだ終わらないの?」
私は答えられなかった。
△▼△▼△▼△
最初に来たのは、羽音じゃなかった。
“重さ”だった。
空気が沈む。
地面が、もう一段深く沈む。
輪の中央の黒が、盛り上がる。
影が水面みたいに揺れて、そこから、角が出た。
角が一本、じゃない。
二本でもない。
――二つの頭が、別々に持ち上がった。
「……うそ」
誰かの声が、笑いみたいに漏れた。
笑えない声だった。
影龍。
でも、今までの影龍の“影”の薄さとは違う。
輪郭が濃い。
鱗の名残が、黒の中で白く光る。牙は、本当に“牙”の色をしている。
そして――二つの首が、同じ胴から伸びている。
双頭。
片方が吼える前に、もう片方が舌で空気を舐めた。
舐められた場所の温度が、落ちる。
「……随分と大きいね」
ルネアが言う。
軽く言おうとして、軽くならなかった。
「ほとんど影だな。……結界を通れても不思議じゃない」
レオフィーナが、前に出た。
出る足取りが、いつもより静かだ。
「あたしが右の頭。ルネア、あんたはもう片方を」
「うん。いいよ」
二人が自然に割れた。
双頭の左右に、金と白が散る。
私たちが残るのは、中央。
“胴”と“影”の厚みに触れる位置。
「なるべく早く核を探せ」
レオフィーナが言った。
私は頷く。
頷いて、息を吸う。
風を走らせた。
△▼△▼△▼△
暴風にはならない。
今は森の木々を対価にして生み出してる。
私の風は、刃を作るための風じゃない。
影をめくるための風。
核を覗かせるための、指先みたいな風。
でも、双頭の影龍の影は、厚かった。
めくれても、すぐ戻る。
影が影を抱いている。影霊が重なって、折り畳まれて、硬くなる。
「……見えない」
私が吐いた言葉は、地面に落ちたまま消えた。
前方で、レオフィーナが頭の片方に斬りかかる。
時が一つ刻まれるたびに何百の斬撃が影を斬る。
でも斬っているのに、切り口が“裂けない”。裂けた瞬間に影が縫い合わされて、元に戻る。
ルネアの方は、白い線が細く走る。
刃が見えないのに、空間だけが切れていく。
それでも、首が落ちない。落ちたとしても、影が首を“拾って”戻してしまう。
「核は……きっと奥だ」
カムイが低く言った。
“奥”という言い方が、曖昧で、でも正しい。
胴の内側。
影が溜まっている場所。
影霊が、守りたい場所。
「ティーナ、いけるか」
カムイがアルティナを見る。
アルティナは一瞬だけ笑って――笑いきれずに、唇を引いた。
「……正確な場所がわからないと、圧が届かない。影が厚すぎる」
圧が落ちる。
影が潰れる。けれど核に当たらない。
当たらないから、影が変形しただけで終わる。影が外皮を捨てて、また厚くなる。
リトリーが空から白い粉を落とす。
落とす手つきが、どこか焦れている。
「縮めて、薄くして……お願い、見せて!」
粉が舞う。影が一瞬だけ縮む。
その一瞬に、私が風を叩き込む。
めくれる。
めくれるけど――見えるのは、さらに奥の黒。黒の中の黒。
双頭の片方が、こちらを見た。
目が合ったわけじゃない。
“見られた”という感触だけが、喉を掴んだ。
次の瞬間、尾が振られる。
風圧じゃない。
“影”が叩きつけられる。
盾が、飛んだ。
槍隊が横へ転がる。人がぶつかって、石が砕ける音がした。
私の身体も、軽く浮いた。
浮いて、背中から地面に落ちる。
肺が鳴る。
息が漏れたのか吸ったのか分からない。
その上を、影霊の細い手が這う。
足首に絡む前に、アルティナの圧が落ちて、手が散った。
「シルア!」
リトリーの声。
走ってくる音が届きにくいのに、声だけが刺さる。
「大丈夫……」
大丈夫と言いながら、立ち上がれない。
身体が重い。影を背負ったみたいに重い。
双頭の影龍が、もう一度尾を振る。
今度は、カムイが飛んだ。
軽くじゃない。空気ごと持っていかれるみたいに、横へ。
「っ……!」
カムイは着地の直前に体勢を捻った。
でも膝が石に当たって、鈍い音がした。
アルティナが一瞬だけそっちを見る。
尻尾が、怒りの形に折れた。
「……カムイ!」
返事の代わりに、カムイが口を開く。
言葉が短く、でも喉を使う。
「……寄るな」
影霊の手が止まる。
止まった瞬間を、リトリーが剣で斬り飛ばす。
連携は揃っている。
揃っているのに、勝てない。
数が足りない。
影龍が大きすぎる。
影が厚すぎる。
核が、触れない。
△▼△▼△▼△
時間が、削られていく。
誰が何回飛ばされたか、分からなくなる。
ただ、起き上がる回数が増えるほど、起き上がる速度が遅くなる。
槍隊の一人が、影霊に足を取られて転んだ。
転んだ場所へ、片方の頭が噛みついた。
咥えたまま、持ち上げる。
持ち上げて――放る。
身体が石に当たって、音がした。
今度は人の方が砕けた。
肉の音じゃない。骨の音。
その人は動かなかった。
剣が、手から落ちた。
落ちた剣が、鈍い色になる。
胸が、ひゅっと縮む。
ヴァルの折れた剣の音が、また耳の奥で鳴る。
「……っ」
私は風を起こそうとして、手が震える。
震えが、恥ずかしい。
恥ずかしいのに、止められない。
リトリーが私の横で、空から杭みたいなものを落とした。
落ちた杭を拾って、影霊の影に突き立てる。
「……これで、少しでも」
アルティナの呼吸が荒い。
圧を落とすたびに、耳が伏せる。尻尾が揺れる。
痛みじゃない。疲労の揺れ。
「ティーナ、無理するな」
カムイが言う。
言った声が、掠れている。
アルティナは笑おうとした。
笑えずに、歯を見せるだけになった。
「……今それ言う? 優しいの、やめてよ」
その言い方が、余裕の形じゃない。
前方で、レオフィーナが一つの頭を押さえ込んでいる。
押さえ込んでいるのに、肩が裂けている。腹が抉れている。
なのに、次の瞬間には傷が薄くなる。
傷は戻る。
でも、戻りきらない疲れだけが溜まっていくのが見える。
ルネアも同じだ。
軽く見える動きの下で、足がほんの少し遅れている。
「……フィーナちゃん、こいつ、しぶといよ」
「知ってる!」
レオフィーナが吐き捨てる。
吐き捨てながら、笑う。
「だから、さっさと核、出せって言ってんの!」
核を出さないと。
出さないと、誰かが――もう、何人かは。
私は視界の端で、倒れた人の剣を見た。
持ち主のいない剣。命のない鉄。
なのに、その鉄が、ただの鉄に見えない。
この世界で、剣は“存在”だ。
剣は命の形だ。
なら――
私の喉が、勝手に鳴った。
いけない、と分かっているのに。
「……シルア?」
リトリーが私を見る。
目が、まっすぐで、怖いくらい優しい。
私は目を逸らせなかった。
「……ごめん」
謝る言葉が、先に出た。
私の足が、勝手に動く。
倒れている人の傍へ。
落ちている剣へ。
指が、柄に触れる。
冷たい。
冷たいのに、熱い。誰かの体温の残りみたいに。
ルネアみたいにその人の力は出せなかった。
だからやっぱりこうするしかない。
胸が痛む。
借りる、とは言えない。きっとなくなってしまうから。
でも――このままじゃ、同じ剣が増える。
「シルア、何を……」
リトリーの声が聞こえる。
でももう止まれない。
剣を握る。
握った瞬間、手のひらの中で何かが“重く”なる。
ただの重さじゃない。線が結ばれる重さ。
私は息を吸った。
「……少しだけ」
風が、胸の奥で鳴った。
△▼△▼△▼△
暴風は、音から来た。
森が静かだった分、風の音だけが世界を満たす。
枝を鳴らさない。葉を揺らさない。
空間そのものを、削るような風。
私は剣を振ったわけじゃない。
剣を握って、願っただけだ。
“全部吹き飛ばして”
影を。厚い影を。
核に触れるために。
風が、影龍の胴を包んだ。
包んで、持ち上げる。
影がめくれる。風が切り裂く。影霊が散る。散りきらずに、吸い上げられる。
双頭の影龍が吼える。
吼え声が、途中で切れる。風が喉を掴むみたいに、音を奪う。
「……なに、今の」
アルティナが息で言った。
驚愕と、怖さが混ざった声。
リトリーは何も言わなかった。
言わないまま、私の手を一瞬だけ見る。
その視線が、剣に刺さる。
剣が――白く、ひび割れていくのが見えた。
ヴァルの剣が折れたときと同じ。
金属の悲鳴。
命の線が、ほどける音。
「……っ」
胃が縮む。
でも、止められない。
風が増える。
増えて、渦になる。
影龍の影が、剥がれていく。
剥がれた影の下から――硬い黒じゃない、赤黒い“内側”が見える。
そして、見えた。
胴の真ん中。
胸の奥。
二つの首を支える根元より、もっと深い場所。
小さな光。
黒の中の、異物。
核。
「見えた……!」
レオフィーナがそれを聞いた瞬間、動きが変わる。
笑いが消える。獣みたいな目だけが残る。
「ルネア!」
「うん、合わせようとも!」
二人が、左右の頭を同時に押さえ込む。
首の動きを止める。完全には止まらない。止まらないから、刃が走る。
二人の斬撃が影龍の双頭を一瞬、霧にする。
霧はすぐに元の形を形成する。
でもその一瞬に、私の暴風が残りの影を剥がす。
剥がして、露出させる。
核が、むき出しになる。
レオフィーナが、踏み込んだ。
踏み込む足が、地面を割る。
剣が、光になる。
――叩き切る。
核に刃が触れた瞬間、音がした。
濡れた布を裂くみたいな、嫌な音。
核が割れる。
割れた光が、黒を押し返す。
双頭の影龍の輪郭が、崩れた。
二つの首が、同時に落ちる。落ちるというより、影に溶ける。
胴が、沈む。
影が霧になる。霧が、輪の中央の黒へ吸われていく。
最後に残ったのは、冷たさだけだった。
肌の上を撫でるみたいに残って、すっと消えた。
そして、私の手の中で――剣が砕けた。
柄だけが残り、刃が砂みたいに落ちる。
鉄の粉じゃない。もっと軽い。
命の粉。
私は息ができなかった。
胸の内側が、空っぽになる。
リトリーが、私の肩を掴んだ。
強くない。
でも離さない力。
「……今は、ありがと」
責めない声が、いちばん痛い。
私は頷いた。
頷いて、空っぽの手を握りしめる。
△▼△▼△▼△
影龍の“波”は、そのあと急に引いた。
双頭を失ったからか。
それとも、森が一度、重たい息を吐き切ったからか。
広場にまとわりついていた“重さ”が、ほんの少しだけ軽くなる。
音が戻ったわけじゃない。けれど、消えていたはずの自分たちの呼吸が、やっと耳に届く。
「……生きてる」
槍隊の誰かが、呟いた。
言った瞬間、自分でおかしくなったみたいに、喉の奥で笑いかけて、すぐ黙った。
笑うのは早い。
でも、黙っていると崩れそうだった。
残っていた影龍たちは散りやすくなった。
核が露出するのが早い。影霊の手が薄い。
レオフィーナとルネアが前へ出るたび、黒はほどけて、霧になって、広場の中央へ吸い込まれていく。
「……これで、ほとんど落ちたはず」
レオフィーナが言う。
言った声が、少しだけ疲れている。
それでも、さっきまでの“張り詰め”が、薄皮みたいに剥がれたのが分かった。
「しばらくは大丈夫だろ。……たぶんね」
たぶん、が刺さる。
けど、今はその“たぶん”にすがれるだけで、少し救われる。
倒れている人を数える時間が来る。
数えたくない時間。
アルティナが膝をついて、倒れた誰かの首元に手を添えた。
尻尾が、動かない。
カムイがその横にしゃがむ。
何も言わない。言えない。
リトリーが、ぼろぼろの袖で目元を一度だけ拭いた。
泣いたのか、汗か。
ルネアが、落ちている剣を一つ拾って、そっと地面に戻した。
私は、砕けた剣の粉を見ないようにした。
見たら、今度こそ足が止まる気がした。
それでも――
「終わった」
そんな言葉が、誰の胸にも、ほんの小さく灯る。
△▼△▼△▼△
「……帰る前に、ついで」
レオフィーナが言った。
剣先で、広場の奥を指す。
そこには、石の階段があった。
森の中に似合わない形。削り出された直線。
階段の先に、小さな建物が見える。
祠。
結界の膜が、薄く揺れている。
「獣王様に会ってくる。寄るだけだ。今回の件に関して何か知っているかもしれないしな」
“寄るだけ”という言い方が、さっきの戦いのあとには不釣り合いに軽い。
だからこそ、みんな少しだけ頷けた。
――このまま引き返せば、きっと生きて帰れる。
その“きっと”を、確かな形にしたい。
私はリトリーを見る。
リトリーも私を見る。
リトリーも知らないようだ。
「……獣王様って?」
私が聞くと、アルティナが顔を上げた。
目が赤い。泣いたのか、汗か分からない。
「獣王ガゼル。ガゼル建国からいるガゼルの守り神みたいな存在。……真っ白な神狼、って言われてる」
言い方が、伝承の話みたいに遠い。
でも、ここまで来る間に見たものが、全部伝承の顔をしていた。
カムイが短く付け足す。
「祠に結界が張ってあって、普段は誰も入れない。神域を囲んでいるものと違って影霊もな」
「……入れないのに、確認?」
リトリーが聞く。
声が、いつもより低い。
レオフィーナが肩をすくめた。
「影霊がここまで来てる。何かお力添えしていただけるかもしれない」
ルネアが、怪我人の方を振り返った。
薄い笑みを作る。
「じゃあ私、怪我人連れて先に帰ろうか? 道中の影龍はもう少ないだろうし」
提案の形。
でも、その目は、レオフィーナを測っている。
レオフィーナの眉がぴくりと動いた。
「なぜそれを今聞いた?却下だ」
即答だった。
ルネアが首を傾げる。
「どうして?」
レオフィーナは一拍置いて、笑った。
笑みの間から、牙が見えた。
「……あんたに目の届かないとこ行かれるのは、怖いからね」
レオフィーナは冗談じみた声で言う。
ルネアが一瞬だけ黙る。
それから、いつもの薄い調子を戻した。
「えへへ。信用ないなぁ、私」
「ないね」
レオフィーナが言う。
言いながら、視線は逸らさない。
ひりつく。
ただ、さっきまでの“死”のひりつきじゃない。
人と人の、もっと生っぽいひりつき。
「……全員で行こう。寄って、その後帰ろう」
レオフィーナがそう決めて、階段へ向かう。
誰も反対できなかった。
反対する理由が、今は見つからなかった。
△▼△▼△▼△
祠の前は、静かだった。
静かすぎる。
森の音がないのは慣れたはずなのに、ここは別の静けさだ。
石の扉。
扉の前に、薄い膜がある。
結界。
レオフィーナが手を伸ばす。
指先が膜に触れた瞬間、膜が波打つ。
水面みたいに揺れて、金色の光が走る。
「……解除する、全員後ろを向いてろ」
「えー、なんで? 見ちゃダメなの?」
ルネアが駄々をこねる子供みたいに言う。
「あんたが一番問題なんだよ。……アルティナ、そいつの目を覆っとけ」
ルネアはアルティナに目を抑えられながら後ろに下がった。
「じゃ、開けるよ」
レオフィーナの声が、短くなる。
その短さに、みんな息を止める。
次の瞬間――
膜が消えた。
消えた、というより、溶けた。
そして――
一斉に森の影が動いた。
私たちの周りの影。
石段の影。
遠くの木の影。
あらゆる影が、同じ方向へ流れ出す。
祠の中へ。
「――!やられた……!」
レオフィーナが舌打ちをする。
黒い帯みたいな影が、扉の隙間に吸い込まれていく。
影霊の手が、無数に見えた。
「……なに、これ」
リトリーの声が震える。
震えるのに、声が出るだけまだ強い。
アルティナが息を呑む。
カムイが、目を細める。
さっきまで散っていったはずの“絶望”が、形を変えて戻ってくる。
そんな感触が、背中を撫でた。
祠の奥から、音がした。
低い。
獣の声。
――雄叫び。
腹の奥が揺れる。
骨が震える。
獣王ガゼル。
伝承の名前が、現実の音になって突き刺さる。
レオフィーナの目の色が変わった。
「……ここで待ってろ」
言い方が、いつもの軽さじゃない。
ルネアが一歩動きかける。
「私も――」
レオフィーナが振り返らずに言った。
「全員待機だ」
レオフィーナはそれだけで、扉の中へ入った。
ルネアが、笑う。
笑って、でも目が笑ってない。
「はいはい」
金色の背中が、闇に飲まれる。
飲まれた瞬間、祠の中で、何かがぶつかる音がした。
石が割れる音。
爪が走る音。
剣が鳴る音。
獣の鳴き声が、何度も響く。
白い獣の声のはずなのに、影が混じったみたいに低い。
そして、レオフィーナの叫ぶ声が混ざる。
ガゼル様と言ったあとに、肉の裂ける音。
「……フィーナちゃん」
ルネアが小さく呼んだ。
呼んだ声が、初めて“軽くない”。
私たちは動けない。
さっきまで“帰れるかもしれない”と思ったぶんだけ、足が縫い止められる。
時間が伸びる。
伸びた時間の中で、音だけが続く。
――続いて。
急に、止まった。
獣の鳴き声も。
剣の鳴る音も。
石の割れる音も。
静かになる。
静かすぎて、耳が痛い。
「……え」
リトリーが息で言った。
アルティナが一歩、扉へ近づきかける。
カムイがその腕を掴む。
掴む手が強い。
「待て」
短い声。
でも、その短さが今は正しい。
沈黙の中で、何かが転がる音がした。
ごろ。
石の上を転がる、軽い音。
扉の隙間から、何かが出てきた。
丸い。
金色の髪。
転がって、石段の上で止まる。
止まって――こちらを向く。
目が、半開き。
口からは血が垂れていた。
声は、出なかった。
転がってきたのは――レオフィーナの首だった。




