第一章・第十八話 入口
会議は、長くはならなかった。
広間の空気が硬いまま、机の上に木札が配られ、班の色が決まり、撤退線の鈴と杭の位置が決まる。細部の詰め方は荒い。けれど、ここにいるのはそれで足りる面子だった。
「——じゃ、行こう」
レオフィーナの一言で終わる。
椅子が引かれ、鎧が鳴り、武器が擦れる音が連なって、私たちはそのまま王都の外れへ流れ出た。
△▼△▼△▼△
結界の手前は、夜明け前から動いていた。
杭を担ぐ兵士。鈴を束ねる後衛。担架を並べる治療班。そこに冒険者が混ざる。
数は、想像していたより多い。
二十、三十――いや、四十はいる。耳や角の形も、鎧の色も、武器の癖も違う。獣王連邦の王都が本気で人を集めた、という圧がそこにあった。
「……こんなに」
アルティナが小さく息を漏らす。
カムイは目だけで人数を追って、短く言った。
「全員実力者だ。……空気が違う」
“違う”で片づけるのが乱暴なくらい、違った。
明らかに“慣れてる”人たちがいる。
レオフィーナは中心へ歩いていって、班の先頭に立った。
その周りに自然と人が寄る。寄せられているというより、中心がそこにあるから円ができる――そんな感じだ。
ルネアも隣にいる。いつも通りの笑みを浮かべているのに、足の置き方だけが戦場のそれで、軽さが嘘にならない。
リトリーが私の肘をつついた。
「ね、見て。あの人たち……」
目線の先に、槍の一団がいる。獣人の若い兵士じゃない。国の槍だ。穂先が普通の鉄じゃなく、鈍い灰色で光を吸っている。
隣には、盾を持った大柄な熊系の獣人。盾の縁に刻まれた紋が、擦れるたび淡く光る。
さらに奥には、短い呪符を指に巻いている狐耳の術者が数名。呪符の端が風に震えるのに、音はしない。
「……やっば」
リトリーが、息だけでこぼす。
「やばいね」
私も同じ温度で返した。
“やばい”の意味は二つある。
頼もしい。怖い。
そして、その両方が同時にあるとき、現実はだいたい容赦がない。
「あれはガゼル王直属騎士団。……隣のは妖狐の一族、強力な能力者だけで構成された実力者たちだ。」
「へえ、詳しいじゃん」
リトリーが軽く言うと、アルティナが間髪入れずに被せた。
「カムイ、昔は騎士団入り目指してたんだよ。……まあ、途中でやめたけど」
「……二人はもう仲直りしたの?」
「ぜんぜーん、でも今は喧嘩なんかしてる場合じゃないからね」
頬を膨らませるアルティナを見てカムイの耳がしゅんと垂れた。
がんばれ、カムイ。
私は心の中で、小さく言った。
△▼△▼△▼△
鈴の付いた杭が、結界の外側に等間隔に打たれる。
風が吹くたび、乾いた音が鳴った。
「鈴が鳴ったら戻れ。前の判断はいらない」
誰かが復唱する。兵士の声。命令を単純にするほど現場が生きると知っている、硬い声だ。
レオフィーナが結界を見上げた。
薄い膜。霧の層みたいな光。
そこから先は、森の匂いが別物になる。
湿った土、青い香草、獣の毛――そこへ、影の冷たさが混ざる。
「入るよ」
その声で、列が動く。
主力が中心、左右に翼。後衛と治療班が鈴の内側に残る。
私たち――私、リトリー、アルティナ、カムイは主力の少し外側。中心に近すぎると巻き込まれる。遠すぎると核を潰しきれない。ちょうど“手が届く”距離。
結界に踏み込む瞬間、空気が一段薄くなる。
音が遠い。鳥の声も、人の息も、水の底みたいに鈍る。
森が、世界を包む。
木々の影が重なって、朝のはずの光を削る。
そして――
入った途端に、羽音がした。
重い羽音。
骨が擦れるみたいな、不快な滑り。
「前方――!」
誰かの声が途中で切れる。
木々の間が裂けるように暗くなって、そこから影が落ちてきた。
影龍。
一体じゃない。
二体、三体、五体。
空の暗さが“数”で増える。
影でできた胴。光を吸う翼。ところどころ元の龍の部分が残っていて目だけが淡く光っている。枝を折り、葉を黒い雨に変えながら、地面へ叩きつけるように降りてくる。
「……盛大なお出迎えだな!」
誰かが吐き捨てた。
その声に答えるように、影龍が吼える。
空気が震える。骨の内側を叩かれる。
恐怖が、足首から這い上がってくる。
「——散るな!」
レオフィーナの声が、それを踏み潰す。
「私たちが斬り刻み続けて影を剥がす。その隙に核を見つけて潰せ、作戦通りにいくぞ!」
彼女の言葉には力があった。
だから――。
△▼△▼△▼△
最初の影龍が主力へ突っ込んできた。
翼の一振りで、樹の幹が裂ける。
尾が薙いで、地面が抉れる。
土が跳ね、そこに影が染みて、影霊みたいな細い手が伸びる。
「盾——前!」
熊系の獣人が一歩踏み出した。
盾が地面を叩く。
ゴン、と低い音が森に落ちる。
次の瞬間、盾の縁の刻印が淡く光って、目に見える“面”が生まれた。空気が硬くなる感覚。
影龍の爪がその面に叩きつけられる。
ギ、と嫌な摩擦音。
面がひび割れるように波打つが、割れきらない。
「今だ、刺せ!」
槍隊が走る。
三本、五本、七本。
穂先が影に沈む。
沈んだ影が、じわっと“固定”される。戻ろうとする動きが鈍る。
そこへ、左右から刃が叩き込まれる。
上級冒険者らしい剣士が二人、違う角度から影を刻む。派手じゃない。でも一太刀ごとに“戻る場所”を奪っていく。
影龍が首を振る。
首が斬れているのに、影の糸で繋がって戻ろうとする。
「——細切れになってろ!」
レオフィーナが前へ出た。
速い。
速すぎて、足音が遅れて聞こえる。
金髪と獅子の尾が弧を描き、剣が影の関節を細かく裂く。
“太い一撃”じゃなく、“戻れない細切れ”。
影龍の上半身が斬撃だけで消える。
再生中は動きが鈍い。
「シルア!」
私の名前が飛ぶ。
私は息を吸った。
風。
刃じゃない。流れ。
影を“めくる”ための風。
剣先を影龍の胸へ向けて、空気の層をずらす。
葉が舞う。
影が薄くなる。
その奥に、硬い光――黒い結晶が一瞬だけ覗いた。
核。
「見えた! 足の奥!」
叫ぶ声が震える。でも、届かせた。
「光の粉——撒け!」
リトリーが空へ手を伸ばす。
何もないはずの場所から、白い袋が指先に“落ちてくる”。
彼女は走りながら袋を裂いた。白い粉が、核の周囲へ降りかかる。
粉が影に触れた瞬間、影が縮む。
戻ろうとしていた影が、きゅっと固くなる。
「露出した——潰せ!」
アルティナが踏み込んだ。
圧縮。
剣を振るというより、空気を叩き落とす。
核へ向けて、圧が落ちる。
硬い石が割れる音。
核にひびが走る。
槍が、斧が、短剣が、同時に叩き込まれる。
多面攻撃。影を剥がし、核だけを確実に潰す流れ。
核が砕けた瞬間、影龍の輪郭が崩れた。
黒い霧みたいに散り、地面へ落ちる前に消える。
「一体、落とした!」
誰かが叫ぶ。
叫びが終わる前に、次が来る。
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影龍は、上から降ってくる。
木々の隙間から、影が滑り落ちる。
群れというより、雨。
「多すぎる——!」
「落ち着け! 隊形維持!」
指示が飛ぶ。騎士団長の声だ。声ひとつで周囲の足が揃う。
左翼で術者が札を切った。
狐耳の術者の指先から、薄い火花が散る――火じゃない。光だけの刃みたいなものが空へ伸びる。
影龍の翼が触れた瞬間、影が“裂ける”ように薄くなる。
そこへ光の矢が刺さる。
矢先に付いた刃が影に食い込み、影の流れを止める。
止まった影を、剣士が刻む。
刻まれた場所はすぐには戻れない。
核が露出しやすくなる。
右翼では、大斧の獣人が地面を蹴った。
斧を振るうたび、風圧が走って影を散らす。派手じゃない。だが“空間”が作られる。圧が一瞬抜ける場所が生まれて、そこに槍が入る。
主力はその“空間”に沿って前へ進む。
計画通りだ。――融合体を処理しながら、少しずつ奥へ。
でも。
計画の“入口”を、森が許さない。
「——来る!」
影龍が一斉に低空へ落ちた。
十、いや、もっと。
木々が一度に黒くなり、翼が折り重なって空気を潰す。
地面が震える。
隊形が崩れかける。
その崩れかけた中心へ、レオフィーナが走った。
「中心、持て!」
彼女の声が、全員の背骨を立てる。
レオフィーナの剣が、影龍の首を刻む。
一太刀で落とさない。落とさない代わりに、戻れない刻みを入れる。
翼の付け根が裂け、脚の関節が細切れになる。
影龍が吼え、噛みつく。
噛みついた牙が、彼女の肩に食い込む――ように見えた。
次の瞬間、レオフィーナの身体が“捻れる”。
避けた、というより、衝撃の線から身体だけが抜けた。
それでも布は裂ける。血が飛ぶ。
でも彼女は止まらない。
止まらないまま、喉の奥へ剣を突っ込んだ。
核を探る。
「核、喉!」
その声が飛んだ瞬間、主力が動く。
風が影をめくり、粉が影を縮め、槍が影を固定する。
露出した核へ、アルティナの圧が落ちる。
核が割れる。
影龍が崩れる。
この流れが、連続する。
息を吸う暇がない。
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ルネアは、派手なことはしない。
術式も、光も、爆音もない。
ただ、中心のすぐ横で、影龍が“崩れる場所”に立っている。
影龍がルネアへ噛みつこうとする。
噛みつく寸前、ルネアの足が一歩だけずれる。
ずれたはずなのに、影龍の喉元が裂ける。
刃の軌跡が見えない。
なのに、影は確実に切れている。
ルネアは影の端に、軽く靴の先を置いた。
それだけで、暴れる影が一拍止まる。
止まった一拍で、槍が入り、核が露出する。
「……助かる」
隣の上級冒険者が、思わず漏らした声。
ルネアはにこっとした。
「うんうん。もっと褒めてもいいよ?」
ふざけた口調のまま、横目で噛みついてきた影龍を見る。
――次の瞬間、彼女が指先を軽く払った。
見えない刃が走ったみたいに、影龍の胴が“抜ける”。影の大半が霧になって吹き散り、核だけがむき出しになる。
「ほら、今! 潰しちゃって!」
上級冒険者が露出した核を真っ二つに叩ち割った。
「いぇーい!」
動きながら、二人が短く手を合わせる。ハイタッチというより、合図みたいな一拍。
「おいそこ、ふざけるな!」
レオフィーナが三体の影龍を相手取りながら怒鳴る。
上級冒険者は、ばつが悪そうに咳払いして戦いへ戻った。
ルネアだけが、悪びれもせず笑う。
「真面目だなぁ。こういうの、雰囲気も大事なのに」
笑っているのに、彼女の足元だけは乱れない。
その強さが、妙に不気味だった。
△▼△▼△▼△
カムイは短い言葉を落とす。
「止まれ」
「遅れろ」
「向け」
命令というより、世界の向きを少しだけ変える。
影龍の動きが完全に止まることはない。
それでも、一拍遅れる。
遅れた一拍に、槍が入る。
遅れた一拍に、風壁が吹く。
遅れた一拍に、核へ圧力がかかる。
その連鎖が、戦線を保つ。
アルティナは不機嫌なまま、黙って核を潰す。
言葉を交わさない代わりに、仕事だけが正確になる。
核が露出した瞬間に圧を落とす。
露出していない核には無理をしない。
その慎重さが、手首を守り、戦線を守る。
リトリーは後ろから物資を“落とす”。
粉、布、簡易杭、予備の短剣、治療用の糸。
必要な時に、必要な場所へ。
出す場所は前じゃない。視線が散るから。彼女はちゃんと分かっている。
それでも、足元に影が伸びてきたとき、彼女の顔は一瞬だけ青くなった。
影龍の“影”だけが地面を滑る。
胴体は遠い。影だけが速い。
足首に絡みつき、冷たさが骨に刺さる。
「——動くな」
カムイの声。
影が固まる。
固まった影を、斧の獣人が踏み砕くように刻む。
「核がない、こっちは繋がりだ!」
上級冒険者が叫ぶ。
私が風をぶつける。
影がめくれた。
地面の下、根の間――黒い結晶が埋まっている。
「下! 地中!」
「了解!」
槍隊の一人が穂先を地面に突き刺した。
槍が巨大化し“杭”になる。影の流れが止まる。
その止まった場所へ、アルティナが圧を落とす。
地面が鳴る。
核が跳ねた。
跳ねた核を、短剣が拾うように刺して砕く。
影が、しゅっと引き攣って消えた。
「……今の、連携うま」
リトリーが息を吐く。
褒める余裕があるのが、逆に怖い。
怖いけど、必要だ。
息が続かなければ死んでしまうから。
△▼△▼△▼△
影龍の群れは、なおも降ってくる。
影龍だけじゃない、普通の龍も混じっている。
数が減らない。
――いや、減っているはずなのに“空が暗い”まま。
森が影を抱えて、次を吐くのが早い。
「隊形、前へ!」
前へ。
計画通り、少しずつ奥へ進む。
入口で足踏みすれば、後衛が詰まって潰れる。左右翼も疲弊する。撤退線の鈴が鳴る前に、崩れる。
だから、前へ。
レオフィーナが中心で刻み続ける。
刻んで、止めて、核を露出させる。
露出した核を、周囲が多面から潰す。
上級冒険者の斬撃が、影の関節を正確に裂く。
槍隊が影を固定する。
術者の光刃が翼を薄くする。
射手の矢が影の流れを止める。
盾が面を張り、尾の薙ぎを受ける。
治療班が鈴の内側で縫い、薬師が粉を投げる。
人数が多い、というのは――ただの数じゃない。
役割が揃っている、ということだ。
揃っているから、中心が生きる。
中心が生きるから、核が潰せる。
そして、核が潰れるから――前へ行ける。
「——上から来る!」
影龍が一斉に降った。
さっきより多い。
十数体の影が、木々を割って落ちてくる。
空気が潰れる。
隊形が押される。
盾の面がきしむ。
槍が弾かれる。
誰かが転ぶ。
転んだ瞬間、影が喉へ伸びる。
「っ——!」
息が詰まる。
その影を、ルネアが掴む。
掴んだだけ。
影が止まる。
止まった影を、剣士が切り、核の繋がりが断たれる。
転んだ冒険者が息を吸い直す。
「……ありがとう」
かすれた声。
ルネアは頷くだけ。
その横で、レオフィーナが笑った。
薄い笑み。戦場の集中の笑い。
「ルネア、捌くよ。——ついて来い!」
レオフィーナが影龍の群れへ突っ込む。
剣が鳴る。
影が裂ける。
翼が落ちる。
首が刻まれる。
戻ろうとする影が、刻みで迷う。
迷った影を、槍が固定し、風がめくり、粉が縮める。
核が見える。
「今!」
アルティナが潰す。
核が割れる。
一体、二体、三体――影龍が連続で崩れる。
上級冒険者の斧が影の塊を砕き、術者の光刃が翼を削ぎ、射手の矢が核の位置へ道を作る。
何十人もの動きが、一つの“手順”に揃っていく。
揃った瞬間、影龍の群れが“捌ける数”になる。
捌ける。
信じられない言葉が、現実になる。
早くてよく見えないが、少し奥でレオフィーナとルネアが私たちよりもはるかに多い数の影龍を相手にしている。
ルネアの笑い声が龍の雄叫びに混じる。
それが少し不気味だった。
△▼△▼△▼△
そしてレオフィーナを中心に、私たちは龍の群れを捌き切った。
空が、ほんの少しだけ明るくなった気がした。
森が一瞬だけ黙る。
黙った森の奥で――もっと大きい羽音がした。
終わっていない。
でも、入口は越えた。
レオフィーナが息を吐き、剣先を下げずに言った。
「隊形、立て直せ。——このまま奥へ行く」
私たちは頷く。
喉が乾く。
手が冷たい。
それでも足は、前へ出た。
どうかこのまま無事に終わって欲しいと、私は願う。




