プロローグ 世界の果てで
そこは空じゃなかった。
上下も距離も、かたちを決めた瞬間にほどけそうな黒。
黒の中には光が詰め込まれて、ぎゅうぎゅうに押し合っている。艦列の灯り、結界の縁、砲撃の尾、刃の残光。どれも光っているのに、温かくない。
ただ、中心にだけ温度があった。
幾億もの敵意が、その温度を刺している。
白銀の髪が揺れて、金の瞳が笑っている。
笑っているのに、目は忙しい。忙しいのに、余裕がある。
「あはっ……今日も、いいね〜!」
その声が落ちた瞬間、光が途切れた。
どこかで艦が裂け、どこかで結界が割れ、どこかで兵が消える。場所を指させない。指さすより先に、次が起きる。
彼女の周りには刀が浮かんでいた。
黒い空間に点々と。見上げても見下ろしても、視界の端でも、刃が光っている。
その刃が、次の瞬間には敵の頭を、胴を、心臓を貫いている。
刺した動きは見えない。
距離も角度も関係ない。
「刺さった」という結果だけが先に置かれて、現実があとから追いつく。
光の壁が薄くなる。
薄くなったところへ、また別の光が詰め込まれる。
押し返すでも、逃げるでもない。向こうもただ、数で埋めてくる。
「あー、そうそう! それそれ!」
彼女は楽しそうに笑って、指先を軽く弾いた。
刃の数が増えたのかどうか、もう分からない。
分かるのは、途切れる光が増えたことだけ。艦列が何枚も剥がれて、結界が何枚も割れて、悲鳴が上がる前に消えていく。
けれど、向こうもやられているだけじゃない。
刺さっても沈まない艦がある。
穴を開けられたまま進む影がいる。
半身がほどけても、ほどけたまま突っ込んでくるものがいる。
「うんうん、そういうのも混ざってるよね〜」
耐え抜いたことに驚いた声じゃない。
ただ確認して、楽しんでいる声。
次の瞬間、彼女の身体が抜けた。
「ありゃ?」
一本の光が胸を貫く。
血が散って――散ったはずの血が、消える。
“死んだ”事実が、なかったことになる。
彼女は同じ場所に立っていて、同じ笑みで、同じ目で、瞬きひとつ。
「あはっ。今の、上手!」
褒めるみたいに言った直後、首が落ちた。
見えない刃。切断面がきれいすぎて、遅れて血が追いつく。
追いつく前に消える。
落ちた事実が、なかったことになる。
次は爆発。
次は貫通。
次は圧壊。
死んで、戻って、また死ぬ。
その間に、向こうの光は何万単位で途切れていく。彼女が一度ほどける間に、艦列が何枚も剥がれていく。
「あははっ! いいね、いいね〜!」
笑い声が戦場に落ちる。
軽いのに、狂っているわけじゃない。楽しんでいるだけ。いつもの遊び場みたいに、全力で相手をしているだけ。
彼女は空へ手を差し入れた。
そこから一振りの刀を抜く。
抜いた刃は、眩しく輝いていた。
ひと振り。
触れたところから順に、形が溶ける。装甲が、武装が、結界の縁が、白い熱の流体へ変わって伝わっていく。
伝わる速度が速すぎて、光の線になる。
それでも耐えるものがいる。
溶けたまま形を変え、別の形で残るものがいる。
「しぶと〜い。でも、嫌いじゃない!」
彼女は刃を消して、指を鳴らした。
黒い剣が滑った。
刃があるのかないのか分からないほど黒く、通った範囲で“生きているもの”がまとめて落ちる。
倒れるんじゃない。崩れる。輪郭がほどけて、沈んで、消える。
残るのは、彼女だけ。
「うん。じゃあ次〜!」
彼女はまた空へ手を差し入れる。
今度は抜かない。代わりに、半透明な液体が溢れた。
水みたいで、水じゃない。
光を通して、輪郭だけがぼんやり見える。
流れているのに、押されない。押しても動かない。
液体が板になる。膜になる。柱になる。鎖になる。刃になる。
その形が、同時にいくつも生まれて、同時にいくつも動く。
砲撃が膜にぶつかって止まる。
爆発が咲いても、膜は揺れない。
突撃が柱にぶつかって止まる。
刃が食い込もうとして、食い込めない。
戦場の“道”が消える。
逃げ道も、攻め道も、彼女の気分で閉じる。
その瞬間、背中を槍が貫いた。
が、その事実はもうない。
次は額。
次は腹。
世界はもう、それを覚えていない。
「あはっ! 当てるの上手〜!」
殺しに来ている相手に、楽しそうに言う。
そんな軽さで、また指を動かす。
半透明の液体が、今度は巨大な塊になる。
星みたいな圧の塊が二つ。
ぎゅっ、と閉じる。
間にあったものは潰れる。
潰れたのに死なないものがいる。潰れたまま動くものがいる。
しかし押し返せない。逃げられない。星の軌道は変わらない。
「うん、そう。死に方が変なだけだよね〜」
彼女は笑って、少しだけ首を傾げた。
その瞬間、首が落ちた。
落ちた事実が消える。
「あははっ!」
どこを見ても光。
どこを見ても刃。
どこを見ても、途切れる点。
裂け目がきしむ。
黒い場所が、さらに裂ける音。
次の波が来る。
次の砲列が来る。
次の突撃線が来る。
光は尽きない。
幾千幾万の光が消えるたび、新たな光が戦場へ送られる。
彼女は嬉しそうに息を吸って、両手を広げた。
「うんうん! もっと来て〜!」
そしてまた、死んで、なかったことになって、笑いながらそこにいる。




