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第5話 静寂の街角、影の便利屋

午前七時。黒瀬は小さなアパートで目を覚ました。

天井を見上げても何もない。壁も真っ白、装飾ひとつない。

ただ、静寂だけが満ちていた。


コーヒーを淹れ、古びたスマホを確認する。

「荷物運搬」「棚の組み立て」「猫の捜索」

どれも、人助けとも呼べない些細な依頼だ。

だが、彼にとってはちょうどいい。

「……命のやり取りがないだけ、ましだな」

誰に言うでもなく、呟いた。


午前中は屋根の修理の仕事だった。

年配の依頼主の家の瓦を直しながら、黒瀬はふと昔の記憶に沈む。

かつては一振りで災害級を葬った剣。

無数の命を救った影の英雄。

だが今は、釘を一本打つたびに、胸の奥で鈍く何かが疼いた。


「若いのに手際がいいねえ」

「ええ、こういうの、慣れてるんで」

老人の言葉に軽く笑って返す。

戦場では命を繋ぐために鍛えた手先の器用さが、今では屋根の修理に使われている。

それが可笑しくもあり、救いでもあった。


昼過ぎ、商店街の喫茶店で遅めの昼食をとる。

店主の女性が気さくに話しかけてくる。

「黒瀬さん、また誰か助けたんですって? 隣の通りの子供」

「ただの猫探しですよ。助けたのは猫のほうです」

軽口で返すと、店主は楽しそうに笑った。

穏やかで、普通の会話。

この町では、それだけで十分に贅沢だった。


だが、ふとした瞬間に、黒瀬の心は過去へ引き戻される。

風の音。人の足音。

全ての音が、戦闘時の“前兆”として反応してしまう。

何もない平穏ほど、彼にとっては落ち着かない。


夕方になり、帰り道で通りの子供たちが騒いでいるのが見えた。

スマホを掲げ、画面を覗き込んでいる。

「この前のユナちの配信、ヤバかったな!」

「マジであれ死ぬかと思ったよな。でも、また戻ってくるとか、すげーよ」

「やっぱユナち、根性あるわ。普通ならトラウマになるって」

黒瀬の足が止まる。

彼らの画面にはユナの配信が流れていた。


ユナの声がイヤホン越しに流れ出す。

『みんな、心配させちゃってごめん。しばらく考える時間をもらってたけど……やっぱり私は、探索が好きみたい。』

明るく振る舞う彼女。だが、その声には、微かに震えがあった。

笑顔の奥にある、不安と迷い。

彼女が見た“何か”を、まだ完全には受け入れられていないことを、黒瀬は感じ取った。


家に帰ると、部屋は闇に沈んでいた。

黒瀬は照明を点けず、椅子に腰を下ろす。

窓の外では、遠くで笑い声と車の音。

この町の生活音が、妙に遠く聞こえた。


「便利屋か……悪くない肩書きだ」

呟いてから、手のひらを見つめる。

戦いの傷跡はもう癒えている。だが、内側に刻まれた感覚は消えない。

いずれ、また呼ばれるのだろう。

表に出ることのない、“影の力”が必要とされる日が。


だが今は、ただの男として生きる。

街の片隅で、ささやかな依頼をこなす日々。

誰にも知られず、誰の記録にも残らない。

それでいい。


黒瀬は静かに息を吐き、スマホの画面に映るユナの笑顔をもう一度見た。

その目に映る無邪気な光が、わずかに彼の心を揺らす。

「……お前は、あのままでいてくれ」

そう呟くと、部屋の灯りを消した。


闇の中、過去の影が静かに息づいていた。

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