第4話 管理局視点
午後のオフィスは、いつもより重苦しい空気に包まれていた。
「……黒瀬、だと?」
窓際のモニターに映し出された映像を見つめる局員が、声を震わせた。
「5年前に姿を消した、あの“黒影の英雄”が、今……現れたってことか?」
周囲の同僚たちは一斉に視線を集め、誰も口を開けずに硬直する。
黒影――世界を救った伝説の探索者。
その名を聞けば、誰もが背筋を伸ばす存在だった。
しかし、消息不明になってからというもの、現場でその名を口にすることはタブーに近かった。
「映像……確かに彼だな。一撃で災害級を片付けている」
ある局員が分析デスクのモニターを指差す。映像には黒フードをまとった人物が、圧倒的な速度と正確さでモンスターを制圧する様子が映っていた。
「もし本当に黒影なら……なぜ今、現場に?」
「分析する限り、標的は災害級だ。明確な悪意は見えない。だが……」
「社会的影響を考えれば、黙って見過ごすわけにはいかないな」
会議室に集められた全員が、各々の立場で動揺を隠しつつ分析を始める。
「まず、現場から報告をすぐに集めろ。映像の入手元、日時、災害級の種類――すべてだ」
主任局員が冷静に指示を飛ばす。だが胸中では、驚きと緊張が交錯している。
「5年ぶりの再出現……完全に予想外だ」
小さくつぶやいた局員の声に、誰も否定はできなかった。
デスクでは別の局員が映像をスロー再生し、攻撃の速度や魔力の動き、剣の軌跡を分析している。
「こんな攻撃パターン、現行のSランク探索者でも再現不可能だ……」
全員が黙って映像を見つめる。誰も口を開かず、ただ事実を噛み締めるしかなかった。
黒影の英雄――。
かつて災害級を次々と葬り去った最強の探索者でありながら、5年前、局の指揮命令から離反し、忽然と姿を消した存在。
その裏には仲間の犠牲や、当時の上層部との軋轢があったと噂されるが、公式記録には一切残されていない。
「我々は過去、彼を国の管理下に置こうとしたが、結局は失敗した。力を縛ろうとすれば反発を招き、最後には……彼は姿を消した」
主任局員の声は低く、重苦しい。
「もし今、同じ轍を踏めばどうなる? 国や局の権威が問われるどころか、逆に世論の非難を浴びかねない」
「だが、自由に動かせば混乱は拡大する。配信に映り込めば、英雄待望論や局批判が一気に広まるだろう」
沈黙が落ちる。
英雄を制御できなかった過去。
そして、再び現れた圧倒的な力を、どう扱うべきか答えが出ない現実。
「とにかく、被害は最小限だったのか?」
主任局員の問いに、報告を受けていた若い局員が答える。
「はい。深層災害級に鉢合わせした配信者は、現在病院で治療中です。重傷ですが、命に別状はありません」
「……そうか。最悪の事態は免れた、というわけか」
「ええ。ただ……もし“彼”が現れなければ、死人が出ていた可能性が高いかと」
「……これが、かつての英雄の力か」
誰かが小さくつぶやき、誰もが同意する。恐れと尊敬が入り混じる複雑な心境。
「今後の対応方針をまとめる。黒瀬陸――正確には“黒影の英雄”の動きは、全局員で監視対象とする。各現場への注意喚起と配信管理を徹底」
主任局員は冷静に指示を出すが、胸中では誰もが感じていた。
――彼の登場により、再び均衡が揺らぎ始める。
午後の光が差し込む管理局の会議室で、局員たちは沈黙の中、黒影の英雄の存在を改めて噛み締めていた。
恐怖と驚き、警戒と尊敬。すべてが混ざり合い、静かな緊張感だけが残る。