第ニ章 少女と平和主義なネオミュータント その四
終点町の外れにある牧場は枯れ草の広がるだだ広い空き地だった。
遠くには瓦礫とゴミ山が見える。近くには錆びた鉄柵や傾いた小屋が立ち、朽ちかけた給水タンクが目立っている。柵の中にはがっしりとした体つきのコマラクダ(ラクダのミュータントでラクダより一回り体が小さい)がのんびりと草を食べ、時折風に舞う砂埃と一緒に首を振っていた。
「コマラクダって本当にすごいんだよ。草や水が少なくても生きていけるの。ガソリンなしで沢山の荷物も運べるし、お肉も食べられてミルクも出るの。他にも皮や毛や糞まで全部使えるんだ」
アミがそう説明すると、カーバティは感心したようにコマラクダを見つめていた。
これから出荷用のコマラクダをトラックへ乗せなければならない。
用意されたトラックは改造を施した大きなウォークスルーバン(荷台と運転席が繋がっているタイプの車両)で荷台の屋根が開けられるため家畜も乗せることができた。
一頭目のコマラクダはカーバティが「そこに乗ッテ、下サイ」と丁寧に声をかけてもプイッと顔を背け、その場にドサリと座り込んでしまう。カーバティが一生懸命話しかけて説得してもコマラクダはまるで地面に根を張ったようにピクリとも動かない。カーバティは「困った……」と情けなく呟く。
二頭目は一転、やたら元気でトラックのスロープを登る途中で突然踵を返し、全然違う方へトコトコ歩き出す。「待テ待テ、そっちジャナイ!」とカーバティが慌てて追いかけるが、コマラクダは面白がっているように牧場の隅へ逃げていく。周りの羊やヤギ達まで釣られて大騒ぎ。
三頭目は順調かと思われたが、荷台に乗る直前にカーバティの腕の中で突然暴れて首を振る。
カーバティが本気になれば、力ずくでコマラクダをトラックに押し込むこともできるのかもしれない。だがカーバティはその優しい性格ゆえに、コマラクダが可哀想だと思って強引にできない。
「アミ! 助けて!」
アミはそんな様子のカーバティを見て大笑い。アミは一匹ずつコマラクダを触り、優しく抱き締めて丁寧になだめる。ようやく観念したコマラクダが「フン」と鼻を鳴らし、しぶしぶトラックに収まった。
「お疲れ様。動物の世話は根気がいるでしょ」
汗だくでへたりこむカーバティの後ろで、アミはカーバティの肩を揉んで労った。
そうしてアミとカーバティはコマラクダを乗せたトラックに乗り込んだ。運転席にはカーバティ、助手席には義眼のバッテリーを温存するために眼帯をして盲目となったアミが座っている。
「本当に自分の運転で良イノカ……? ギヤを変え、アクセルやブレーキ、クラッチを巧ミニ踏ミナガラのハンドル操作に自信がナイ……」
運転席のビニールシートは冷たく、エンジンの振動が足元にじんじん伝わる。窓から入る風は、乾いた草と油の匂いを運んで心地よい。隣のカーバティからはごつい手でハンドルをぎこちなく握る気配がする。カーバティの息を呑む気配が伝わってきて、アミは思わずくすりと笑った。
「大丈夫大丈夫。ギヤやクラッチなんて元々無いし、ブレーキもとっくに壊れて外してあるから」
アミは助手席を倒し、リラックスしながら話した。
「ナルホド……。確かにペダルが一ツシカ……ンン? ブレーキが、ない……?」
カーバティが怯える。「滅茶苦茶危ないのデハ?」とカーバティがアミに問いかける。
「行きは下り坂じゃないし、問題ないって! もし止まりたくなったら、その辺の岩か何かにぶつければ良いから」
カーバティは小さい声で「それ絶対、問題アル……」とツッコミを入れる。だがアミはあえて無視した。
カーバティは諦めてアクセルを慎重に踏み込んだようだ。トラックは大きくガタガタ振動し、車体が左右に踊る。そのままゆっくりと牧場を後にした。
「頑張ってミル」
「うん、頑張れぇ」
アミは呑気に応援モードに徹する。
ペラリと、カーバティが何かの紙を広げるような気配を、アミは感じ取った。どうやら地図を確認しているようだった。地図にはペンでくねくねと荒野や廃墟を通るルートが書き込まれているはずだ。
「ドウシテ道は真っすぐデハなく、迷路のヨウに曲がりクネっているノダ?」
「辺り一帯が地雷原だからかな。皆、怖いから同じ所しか通らないんだよ」
アミは眼帯を外し、見えない目でカーバティにウインクする。
「地雷……」
車体の下でミシっと不吉な音がした気がした。カーバティがビクッと、アクセルから足を離したようでトラックは緩やかに減速する。
「コラコラ、前に進みなさい。大丈夫、大丈夫だよ。轍の通りに進めば――」
アミがそう言い切る前に、ドォオオオンと轟音が響き渡った。トラックの左の方で地面が跳ね上がり、黒い土煙が上がる。土くれがフロントガラスをバラバラと叩く。
「い、今ノハ……?」
「多分、野良のミュータントが踏んだんだよ。よそ見運転はいけません!」
カーバティの息遣いが荒くなり、ハンドルを握る手に力が入りすぎているのが気配で伝わってきた。カーバティは念仏のように「安全運転……安全運転……」と繰り返していた。
そうしてしばらく進むと、車の後方からドスンドスンと地響きが近づいてくる。
「……アミ、後ろカラ砂煙が、その中からトテモ大キナ犬のミュータントが……」
「来たかぁ、まぁ貴重な食事の機会だもんねぇ……」
どうやら影狼と呼ばれる大きな(体重は百キログラムほど)狼のミュータントが数匹、砂煙を巻き上げながらこのトラック目がけて走って来ているようだった。今は冬、食べ物が不足する季節だ。腹ペコで目は血走り、涎を垂らしてすごい形相で迫っているだろう。
「コマラクダが食ベラれたら困ル!」
カーバティがガンとアクセルを思い切り踏み込んだようだ。アミとカーバティが後ろに仰け反るように、トラックは急発進する。だがそれでも数匹の影狼は振り切れない。そのうちに影狼たちはトラックの右側に取り付き、その巨体で荷台にガンガンと体当たりを始めた。
興奮したコマラクダ達が車内で「ブモォォォォ!」と一斉に暴れ出し、荷台が大騒ぎになる。
「ど、どうしヨウ! コノママだと村まで来てしマウ」
カーバティの悲痛な叫び、それに対しアミは冷静だ。
「ちょっとだけ寄り道して振り落とせば良いよ。……あ、でもあんまり轍から外れると地雷原だよ?」
「ぬぬぬッ!」
カーバティは覚悟を決めて進路を轍から少し外した。そしてトラックの窓を開けたようだ。身を乗り出して影狼に向かって叫ぶ。
「いい加減にシロ!」
だが影狼は「ギシャアアアア!」と応えるばかりで離れない。
カーバティはトラックを蛇行させて振り落とそうとする。荷台のコマラクダはパニックになり、「ブモオオオオ!」と大合唱で叫ぶ。荷台と運転席が繋がっているため、コマラクダの臭い唾が車内に飛び込んでくる。焦ったカーバティは、最終手段としてトラック内にあった物を影狼めがけて思い切り投げつけた。
「よし、当たッタ!」
カーバティの剛力で投げた重たい物が、影狼の一匹に当たったようだ。
次の瞬間、ズドォオオオオン! と本日二度目の爆音が響き渡る。物を当てられた影狼が転んだ拍子に地雷を踏んだもよう。影狼は粉々に吹き飛んだであろう。
「ほらね、やっぱり道を外れると危ないでしょ?」
アミはニヤリと微笑む。カーバティはショックで放心したようだ。
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トラックを追ってきていた残り数匹の影狼は、カーバティが安全な場所でトラックを降りてから駆除した。カーバティは「地雷原を早く抜ケタカッタ。最初からコウすれば良カッタ」と言っていた。
影狼達は大きくて素早くて鋭い爪や牙もあって仲間同士で高度な連携もするが、カーバティはそれを問題にしなかった。アミはその現場を見ることはできなかったが、やはりカーバティの戦闘能力は極めて高いようだった。
そうしてトラックは目的地に辿り着いた。ここでアミは眼帯を外し、少ないバッテリー残量の義眼を起動させた。そうして「デンチ村」の門をくぐる。
頭上には無数のプロペラがゆっくりと回り、電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、建物の屋根にピカピカの太陽光パネルが敷き詰められている。ここはかつての発電所と工場の廃墟を再利用し、独自に電池を生産することで名を馳せつつある新しい集落だ。
「ここがデンチ村。電池だけは、どこの町よりも豊富なんだ」
デンチ村の広場は工場だったコンクリートの空き地をそのまま利用している。広場の周囲には錆びた鉄骨や壊れた機械の残骸が並び、その隙間を縫うように村人達が露店を広げている。そして色んな場所で商品の値段交渉が絶え間なく行われ、村の人々は取引の度に手慣れた様子で電池を取り出して並べていた。
正面に大きな掲示板があり『単三・単四電池=一デンチ』『リチウムイオン充電池=十デンチ』『大型バッテリー=百デンチ』『大容量小型電池=二百デンチ』『大容量小型充電池=五百デンチ』『原子力電池は応相談』と書かれている。
カーバティは物々交換しか経験がなく、お金とは縁がないとのことだ。だから初めて見る光景に興味津々だった。
トラックの助手席でアミが更に話を続ける。
「終点町や周辺の村では昔のお金じゃ何も買えないけど、電池なら食べ物も日用品も全部買えるの。他にも床屋で髪を切ったり、お医者さんに診てもらったりするのにも電池が必要なんだ」
「分カルような分カラないヨウな……」
カーバティは新しいお金として使われる電池の理解が及ばない。
ひとまずアミはそんなカーバティを置いて、トラックからコマラクダを降ろす。村の若者達が手伝いに来て「でっかいなあ、良い家畜だ」と感心しながら牧舎へと連れていった。
アミと粗布をまといお面を被ったカーバティが、広場の中央にあるプレハブ小屋の交換所の前に立つ。すると窓口の係のお婆さんがやってきた。
「コマラクダ三頭なら新品のリチウムイオン充電池十本か、大型バッテリー一台分での取引になるけど、アミちゃんどうする?」
「大型バッテリー一台で!」
アミと係の人はお互いにっこり笑って頷く。
「危険を冒してまでコマラクダを連れてくれて、本当にありがとうね」
「あたしは付いて来ただけ、お礼はこの人に言ってあげて下さい」
そう言ってアミは係の人にカーバティを紹介した。
「貴方も本当にありがとう。また電池がなくなったらいつでもおいで」
係の人はアミとカーバティの前でテスターを使って電池残量を確認し、バッテリーの端子や残量表示計の調子も確かめた。そしてカーバティにバッテリーを手渡す。カーバティは新品のバッテリーを受け取り、その光るような銀色のボディをまじまじと見つめていた。
そしてアミは先ほどの、新しいお金として使われる電池の説明を再開した。
「つまりね、取引は一旦電池に置き換えてするんだ。電池が物やサービスと引き換えに使える価値の基準になるの。電気ってあたし達の生活に必要不可欠だから、その信用で成り立っているんだ」
「ん……なる、ホド。ツマリ……その、電池が本来の用途以外ニ、皆共通の『取引の価値を測る財』にナッテいるというコトか?」
カーバティは持ってきていたリュックサックに大型バッテリーをしまう。
「そう! カーバティが命懸けで連れてきてくれたコマラクダの価値が評価されたってこと。バッテリーはその報酬ね。だから帰りに終点町の商店街に寄って、このバッテリーを美味しいご飯とか沢山の食料と交換しようね」
「評価、報酬……」
カーバティはすれ違う村人達が持つ電池を見つめていた。
「どうしたの?」
「今マデは暴力を背景に、力ずくで奪うか恐れられて貢ギ物ヲ受け取るかしか財を得る術がナカッタ……。ダガ今日、初メテ正当な報酬トシテ電池を受け取ッタ……」
その事実がカーバティには嬉しかったようだ。カーバティはバッテリーを入れたリュックサックを大事そうに抱き抱える。
「これが労働というものナノダナ。評価サレ、感謝され、こうして手に入れル電池ハ本当に素晴らシイ物だ」
「ふふ、そうだね」
少しずつだがカーバティは人に寄り添い、人から信頼され始めている。カーバティは立派に人と共生できているとアミは思った。
そうしてアミとカーバティがほっと息を吐いた頃だった。
広場の向こうから、車両のクラクションの音が突如響き渡る。
村人達が振り向く中、一台のバイクが速度を落とさず埃を巻き上げながらゲートを突き抜けてきた。バイクにはアミの見知った終点町のスラムの仲間、タイジという名の少年が乗っていた。バイクの後ろの荷台には、触手のような足でしがみ付いているイオがいた。
バイクが広場の真ん中で急停止すると、イオがバイクから転げ落ちる。イオは触手のような小さな足を使って辺りをぴょこぴょこ駆け回る。最後にサイレンを鳴らしながら大音量の機械の音声で叫び始める。
「アミ様! カーバティ! 応答ヲ求メマス! ドコデスカ!?」
アミはびっくりして、コマラクダの乳を入れたコップを落として慌てて立ち上がった。
「イオ、どうしたの!?」
アミは大きく手を振って、遠くから応える。
するとイオがくるくるとレンズを動かし、アミの方向を認識する。音声がさらに大きくなった。
「アミ様! カーバティ! 緊急事態デス!」
カーバティも驚いて立ち上がり、アミとカーバティはイオとタイジの方に駆け寄った。「どうしたの?」と声をかける。
バイクから飛び降りたタイジの顔は青ざめていた。イオは少し途切れがちな電子音で、必死に伝える。
「助ケテ下サイ! 子供ガ、拉致サレマシタ! 直チニ支援ヲ要請シマス!」