第一章 少女と壊れたロボット その三
アミのいる終点町の商店街は廃棄された鉄道のプラットホームと列車の車両をそのまま使った不思議な場所だ。錆びた車両が店へと生まれ変わり、八百屋や修理屋、食堂などが開かれている。そしてホームの上には手作りのランタンが揺れている。
今日は雪が降り積もっていた。
店先では子供達が線路の上を走り回り、雪玉を投げ合って遊んでいる。ホームのベンチには老人達が厚着で腰かけ、白い息を吐きながら談笑していた。人々は寒さに身を縮めつつも本格的な寒波に備え、各店の入り口に置かれたドラム缶の焚き火台で暖を取っている。
アミが八百屋の前を通りかかった時、隣の露店で小さなもめ事が起きていた。店主が背の低い少年に何か叫んでいる。
「それは売り物だ、返せ!」
店主の怒声が響き渡る。
少年は慌てて振り返る。アミはその時に少年の腕に巻かれた白い布をちらりと見た。アミと少年の目が合った瞬間、少年は手に持っていた缶詰を放り出して雪の積もった路地へと駆けていった。
「あの、大丈夫ですか?」
アミは店主に声をかける。
「最近あの白い布の連中を真似たガキどもが、チョロチョロ来やがる」
店主は苦い顔をして言葉を吐き捨てた。
『南の第七集落が昨夜未明に襲撃され、壊滅しました。目撃者は、腕に白い布を巻いた部隊を見たと――』
そんな商店街にラジオのざらついた放送がよく響く。
「またか」
「町の外に出る時は目立たないようにしろ。あいつら町ごと消しちまうからな」
「あいつら、『弱い奴は生きる価値がない』って本気で言ってるらしい」
隣にいる八百屋の主人と客がぼそぼそと囁いていた。
アミも車両の最後尾に自分の店を開き、すぐ傍に置いた焚き火台の近くにいた。そこで目を起動させたまま、心ここにあらずといった様子でぼんやりとしていた。
「……暗がりばっかり、嫌だなぁ」
誰かが灯りを置いてくれたら、歩きやすくなるのに……。そうアミは思った。
ぽつりと漏らした言葉は、雪の音にすぐに消えた。
いつものアミならばゴミ山で見つけた商品を全力で通行人に宣伝しているところだ。だが今日のアミはイオを脇に置いて店の真ん中に座り込みながら深く息を吐き、物思いにふけっていた。
「アミ様、元気ないですか? 悩み事ですか? イオは心配です」
アミの隣にはアミのことを気に掛けるイオがいた。イオは昨日に比べてずっと綺麗な音声が出せるようになっていた。そのことについてイオはアミに音声の最適化が完了したからだと話した。
「んん? んー……。何でもない」
嘘であった。アミは悩んでいた。子供の万引きや、町を消す人の噂話のこともあるが、それが一番ではない。イオが悪いのだ。なぜイオは機械のはずなのにこんなにも人間らしく、こんなにも優しいのだと内心アミは思っていた。
「灯り……ねぇ」
実は少し前に事件があった。
時を六時間ほど遡る。
アミを含めた町の住民は飲み水を商店街で調達することが多いが、財布に余裕がなくなると終点町の施設にある共同の水道まで汲みに行って調達する。これがまた厄介で長い行列に並んで数時間待たないといけない。
そんな不便な生活をしている町の人々の中には悪知恵の働く者も出てくる。そう、水を調達したその帰りを狙う泥棒や喝上げだ。
アミはイオというどんな値段が付くか分からない代物の御披露目ということで、気合を入れていた。だから早く帰って早く店を開きたかったのだ。アミは近道をして治安の悪い道を通り、そこでたむろするチンピラ四人に呼び止められた。
「おうアミか、久しぶりじゃねぇか。そう言えば今月のゴミ山の使用料をもらってねぇな」
そうチンピラ達はアミに話した。
「あの、ゴミ山の使用料はもう払ったはずじゃ……」
アミは焦り、見逃してもらえるはずがないのに時間稼ぎのための無駄な対話をする。
「馬鹿。毎月払うんだよ」
「でも、でも、もう何もないし……」
「水を置いて行け」
「水がないと困る……」
アミは自分の迂闊さに嫌気が差す。アミは頭の上に置いていたタンクを大事そうに抱え、小さく震えた。誰でも良いから助けて欲しかった。
「聞き分けがないな」
チンピラの一人が持っていた拳銃で空に向けて発砲した。パンと乾いた音が鳴る。目が見えないアミの恐怖を煽るという意味では拳銃を直接向けるよりも効果的だった。
アミは縮こまってしまう。
その瞬間である。警報のような、サイレンの音のような目覚まし時計のようなリーンリーン、ジリリリリという耳をつんざくような大きな音がした。
「うるせえな! 何の音だ!」
激しい音にチンピラ達は耳を塞ぎながら叫んだ。
「え? え?」
アミは最初、それが何の音か分からなかった。自分の後方から聞こえるその爆音に驚いたが、自分の背中から発せられたものだと全く気づかなかったのだ。
「音止めろ!」
「あ! あ、あたしにも分からない!」
そこら中から何だ何だと人が集まって来る。色んな所からアミとチンピラ達は視線を浴びる。
「チッ、行くぞ!」
目立つことを嫌がったのか、チンピラ達はアミに舌打ちしてその場を後にした。
アミは呆然と一人で立ち尽くす。そして背中でもぞもぞ動く感触でリュックサックに入れたイオのことを思い出した。水をもらう道中でお喋りできたら少しでも楽しいかもしれないと思って連れてきたのだ。
アミがリュックサックを降ろすとイオが熱を発していた。
「イオ?」
「アミ様、お怪我はありませんか? 迷惑ではなかったですか? イオは不安です」
アミがリュックサックを開けると、イオがそう語りかけてきたのだった。
それが今朝のことである。
アミはぼうっと自分の店の番をしながら、並べられた車両で狭められた空と降る雪を肌で感じる。寒さで体が震えた。そうして何気なしにかじかんだ手でイオの頭部を抱き抱える。イオは微かに温かかった。
「昨日の夜はイオとのお喋り楽しかったな……」
アミはイオの頭を撫で回しながらそんなことを呟く。するとイオは「いつでもお話しします」と返答した。アミにとって、一人ではない夜は久しぶりだった。
「はぁ……」
アミは再び、長いため息を吐いた。ため息は白い小さな雲となり宙に消えていく。
「アミちゃん、それは何だい?」
ぼんやりしていたアミが、はっと我に返る。
沢山の人々が往来するこの町の商店街で、アミの商品に興味を持つありがたい客が来たようであった。アミは顔を上げる。そこにはいつもアミの商品を良い値段で購入してくれるお得意様がいた。その人がイオに興味を示していた。
水を買う余裕すらないアミにとってはイオを売り込む絶好の機会である。アミは慌てて客に応対する。
「凄く優秀なAIを積んだロボットなんだ! 頭だけだけど、とっても賢くて色々お話しできるの! イオっていう名前なの!」
「へぇ……。俺は機械のことはさっぱりだが、そいつはすごいな」
紹介されたイオも「こんにちは。優秀なロボットのイオです」と挨拶をした。
「ふーん、値札がないな。その優秀なロボットをアミはいくらで売っているのだ?」
「えっと……」
アミは言葉を詰まらせる。束の間にアミの頭の中を目まぐるしく思考が駆け巡った。
「えっと……その、この子は商品じゃないの。一緒に店番してもらっているんだ……」
アミはそうゆっくり、慎重に、言葉を紡ぐ。
「そうなのか、イオも店番頑張れよ」
町の上客はイオの頭をぽんぽんと撫でると去ってしまった。
「今のアミ様、嬉しそうとイオは分析」
「ふふふ……まぁね」
頭の中で思考が駆け巡った結果、アミの出した答えは到底正解と言えるものではなかった。だがイオと一緒に居られると考えるとアミは不思議と笑みがこぼれた。少し心が軽くなっていた。