エピローグ
風が変わった。
焼けた金属と焦げた油の臭いが、少しずつ土と雨の臭いに混ざって薄れていく。朝の光はまだ弱いけれど、雲の合間から柔らかな光が終点町を照らす。
駅舎の前では皆が黙々と戦争の後片づけをしていた。廃棄された車両を退かし、砕けた瓦礫を一輪車に積み、折れたベンチは板に分解して資材置き場へやった。アミは軍手をきつくはめ直し、七人の子供達と列を作って瓦礫を渡していく。
「次、軽いやつお願い!」
「はーい!」
返事が前より少しだけ明るい。泣くのをやめた子が泥だらけの頬に笑いの筋をつけている。
重いものはカーバティが受け持った。包帯の下からまだ血が滲むけれど、巨体は安定して物を抱え、そっと下ろす。乱暴にしない。壊すための腕が今は支えるための腕になっている。
「無理しちゃダメだよ、カーバティ」
「大丈夫」
イオは駅舎の壁にもぐりこみ、断線したケーブルを一本ずつ繋ぎ直していた。頭部の側面が小さく開いて、細い工具アームが忙しく動く。時々、スピーカーから短い「ピッ」という音が鳴ると、待合室の裸電球が一つまた一つと灯る。光が増える度、誰かが小さく拍手した。
「七号系統、復旧しました。次、時計塔です」
「時計はもう動かないよ」
「動かなくても置いて欲しいとイオは願います」
「わかった。じゃあそのまま置いておこう」
二人のスキーピーは同じ動きで一つの物を持ち上げかけて、ふっとずれて笑った。次男格のスキーピーは慎重派で足場を確認してから運ぶ。三男格のスキーピーは軽く走って先回りして道を作る。姿は同じなのにもう同じじゃない。並ぶ背中に見えない違いがちゃんとある。
アミは義眼のバッテリーが少なくなったので、イオを頭の上に置いて、イオの視界を借りて見る。
昼時、炊き出しの鍋の湯気が上がった。誰かが古い鍋敷きを持ってきて、誰かが椀を盛り、誰かが配る。順番を待つ列の途中でアミはふと立ち止まった。
駅舎の壁一面に亡くなった人の名前が彫られている。アミは一人ずつ、読み上げるように指でなぞる。そこに長男格のスキーピーの名前があり、ひしゃげた針金でこしらえた花輪と子供達が描いた小さな似顔絵も添えられていた。そして「ありがとう」の文字が彫られている。
「……お兄さん」
アミは小声で呟く。泣かないと決めていた。だからもう泣かない。けれど胸の中で息を吸うみたいに名前をもう一度呼ぶ。
食後、皆が作業に戻る。アミは肌に日の光を感じる。風は冷たい。
カーバティが拾い上げた物の中に、壊れた玩具のラジオがあった。手回しの発電ハンドルは折れ、ツマミも欠けているようだった。アミが首をかしげていると次男格のスキーピーがすっと横に座った。
「僕、上手くできるか分からないけど、直してみても良い?」
「うん。壊れてもゼロはゼロだし」
「ゼロはゼロ。でも……ゼロから一は作れる」
三男格のスキーピーが道具を持って走ってきて、イオが配線図の簡易表示を投影する。カーバティは大きな手で固定係のようだ。
夕方、ツマミが回るようになり、スピーカーから雑音が出る。最初はザーザー、次にジジジ、そして微かな音楽になった。戦前の古い曲だ。誰かが覚えていた鼻歌と合って笑顔が波のように広がった。
「やった、鳴った!」
「うまくイッタ」
駅舎の外では積み上げられた瓦礫に番号が付けられ、資材として仕分けが進む。壊れた柵が長いベンチになり、破れた土嚢の土が花壇になる。花壇には花はまだないが、土を寄せて石で縁を囲えば、そこはもう花壇だ。誰かが秋まきの種の包みを持ってきて、誰かが「まだ先だね」と笑う。
空が金色に傾き始めた頃、アミはバッテリー残量の少ない義眼を起動した。そしてアミは手を止めて空を見上げた。ぼんやりした視界がくっきり輪郭と色を得る。輝く薄い雲がゆっくり空に溶けていっていた。あの戦いの朝と同じ空なのに違う。アミはこの風景を目に焼き付ける。
「アミ」
背後で呼ぶ声がした。カーバティだ。大きな掌がぎこちなく差し出される。掌には小さなランタンが乗っていた。拾い物の瓶の中にイオが配線してくれた電球が灯っていて、それに様々な色の毛糸が巻いてある、子供達が作ったと思われる代物だった。
「飾リ。……駅舎の前に付けヨウ」
「良いね」
スキーピー達も数本の瓶を抱えて駆けつける。夜の駅舎に小さな灯が増えていく。列に並べると駅舎の額縁みたいだ。遠くから帰ってくる人の目印になる。
ランタンの傍で、イオが短く報告する。
「外周カメラは八割復旧しました。防衛システムは待機中です。致死設定は継続オフにしています。町内放送は使えます」
「じゃあお願い。今日の作業の終わりの合図」
『本日の作業はこれで終了です。怪我をした人は医療班へ。明日の集合は朝八時です。……ありがとうございました』
駅舎のスピーカーからイオの落ち着いた声が流れた。人の声みたいに最後の一言が少しだけ柔らかかった。遠くで、壊れた時計塔の針がイオの細工で一分だけ進んだ。
「今日の報告書を研究所に送りました」
そうイオが皆に報告する。皆が拍手で応えた。
人影がばらけて灯の数が減っていく。だけど夜になっても駅舎のランタンだけは消えない。アミはその灯を背に広場の真ん中に立った。風は冷たい。でも背中は温かい。
「灯は皆で守る」
言い切った瞬間、胸の中の小さな灯がぱちりと音を立てた気がした。カーバティが隣で頷き、イオのディスプレイの顔の表情が明るくなる。スキーピー達が同じじゃない二つの声で「はい」と返事をする。
誰かがどこかで灯を落としても、別の誰かがそれを囲うことができる。灯は小さくても残るのだ。
それで十分だ。明日はきっと今日より明るい。
完結です!
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