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第六章 世界火 そのニ

 アミは椅子の背にもたれ、深く息を吸い込んだ。戦場の爆音が遠ざかっていく気がした。


「……接続開始します」


 イオが告げる。


 アミはイオからケーブルを受け取り、首筋に差し込み、目を閉じた。


 瞬間、視界が弾けた。


 暗闇の奥から無数の光の糸が広がり、世界は裏返る。意識は肉体を離れ、電流となって流れ出していく。重さが消え、代わりに奔流に押し流されるような浮遊感だけが残った。


 アミの足元にひび割れた廃墟の街が広がっていた。高層ビルは骨だけになり、窓は虚ろな眼窩のように開いている。だが、その瓦礫の間を縫うように光の回廊が走り、まるで星座を繋いだ橋のように虚空へと伸びていた。


 現実ではありえない、仮想空間の街並みだった。


 アミは息を呑んだ。自分が息をしているのかも定かでないが、それでも胸は高鳴っていた。


「ここが電脳世界……」

「はい。意識、転送成功です。……これより研究所のネットワークへ侵入開始します」


 イオが隣に現れる。白い光の人影となって浮かび、輪郭は時にノイズのように揺らいでいた。


 二人は光の回廊を進む。足音は響かず、ただ思考だけが軌跡を作る。やがて壁のように立ち塞がる光の壁に行き当たった。網目状のコードがうねり、棘のような文字列が鋭く突き出している。


『第一層ファイアウォール。高密度暗号化、検知率九十八パーセント。突破開始します』


 イオの声が硬い。アミの周囲に光の符号が舞い、次の瞬間、壁が赤く点滅した。警告の炎が上がり、無数の黒い獣の影が生まれる。黒い獣は牙を剥き、アミ達に襲いかかってきた。


「イオ!」

「分かっています!」


 イオの輪郭から奔流のようにコードが放たれた。黒い獣が焼け、爆ぜ、崩れていく。だが次々と再生して群れは止まらない。ファイアウォールそのものが意思を持っているかのようだった。


 アミは光の地面に膝をついた。視界に膨大な数式や文字列が洪水のように押し寄せ、理解の限界を超えていく。それでも必死に目を凝らして糸の隙間を探す。


「あそこ!」


 アミは光の回廊の端に、わずかに途切れた接合点を見つけた。イオが頷き、全ての処理を一点に集中させる。


 轟音と共に壁に亀裂が走った。黒い獣達が悲鳴を上げるようにノイズ化し、虚空へ散る。道が開いた。


 二人はさらに奥へ進む。


 今度は光の大河が横たわっていた。流れの中には赤い雷のようなウイルスが暴れ回り、近づくものを焼き尽くしている。


「防御処理を開始します。干渉レベルの限界超過。演算負荷、百二十パーセント」


 イオの声がかすれていた。白い人影の輪郭が揺らぎ、崩れそうになる。


「イオ!」

「大丈夫です! 全ての負荷はイオが背負います! だからアミ様は進んで!」


 イオが光の盾を展開して雷撃を受け止めた。火花のようなデータ片が飛び散り、アミの頬をかすめた。


 アミは必死に走る。イオも遅れて来る。光の大河を越えた先、巨大な構造物が姿を現した。


 それは球体だった。数えきれない光の帯が絡み合い、太陽のように脈動している。仮想空間を照らす中心、これが研究所の中枢AIだろう。


 圧倒的な存在感にアミは立ちすくんだ。声にならない音が直接頭の奥に響いてくる。


『接続、確認。未承認アクセスを検知』


 その響きは冷たかった。機械的な抑揚しか持たないはずなのに、奇妙に人間の呼吸や鼓動を連想させる。


 次の瞬間、空間全体に光の網が走り、アミとイオを覆い尽くした。


『識別コード一致。ユニット名:廃棄物十一号。用途:対人制御・倫理演算試験体。同行者:不明個体』

「廃棄物十一号……確かイオを拾った時の最初の名前……」


 イオが一瞬だけ沈黙した。電子の影のように輪郭が揺れる。


「正確です。……イオはかつて、試験体として研究所の管理下に置かれていました」


 光の球体は脈打ち、さらに低い声を響かせる。


『倫理演算試験体、接続理由を開示せよ。命令系統に従属せよ。抵抗は無意味である』


 アミの背筋に冷たいものが走った。目の前に広がる光景は幻想的で美しいのに、その奥底には圧倒的な支配と監視の意志が潜んでいるようだった。


 イオが答えようとしたが、アミが先に一歩踏み出す。


「あ……あたしは、戦争を止めに来た」


 アミの声は震えていた。それでも確かに響き、仮想空間に波紋を走らせた。


『不明個体。識別不能。解析開始。……生体情報一致。補助的機械接続あり。判定――サイボーグ』


 AIの声がアミの存在そのものを暴き出す。心臓を鷲掴みにされるような感覚に、アミは奥歯を噛みしめた。


「アミ様、下がって。これ以上の干渉は危険です」

「だめ。……ここまで来たんだもの。引けない」


 イオが短く沈黙し、やがて頷いた。


『接続、安定。外部回線は開放中。傍受は許可する』


 どうやら研究所とアミの対話を戦場にいる皆も聞いているらしかった。


 光の球体が淡く脈打つ。声は冷たく、はっきりしていた。


『私は研究所。目的は人類の生存確率の最大化、手段は選別と統制。弱者は資源の損失であり、強者は投資対象である。そして終点町は非効率。感情に基づく意思決定が多く、全体最適を阻害する。だが、この町が抱える戦前の地下設備は有益だ。それを奪い、効率的に管理できる強者へ分配することで、人類はより高い確率で存続できる』


 アミは一歩前に出た。言葉を飲み込まず、そのまま出す。


「……確かに終点町の効率はよくない。すぐ迷うし、足りないし、遅いこともある。……でも、それで助かった命があるの」

『事例を』

「例えば、薬が必要で子供が盗みに走った。あたしは血を賭けて取り返した。危なかった。でも最後は話して終わった。誰も死なせずに済んだ」

『その選択は即時効用が小さい。それに盗みを許容する文化的更新を招く危険がある』

「許してない。間違いは間違いって言った。でも仲間を思った気持ちは切らなかった。だから次は相談するって本人が決めた。それがあたし達のやり方」


 球体の表面で数式が走り、すぐ消えた。


『感情はノイズだ。遅延、誤差、反復的衝突を生む。君は例外的に高い統率力を持つから形を保っている。君が不在になれば崩壊する』

「昨日あたしは駅舎にいた。あたしが見てないところで、皆自分で決めて動いたよ」


 アミは隣のイオに目をやり、また球体へ向き直る。


「カーバティは怒っても、人を殺さなかった。二人のスキーピーは兄さんを失ったのに、戦場から離れなかった。イオは威力を落としても殺さない設定にして、敵を退けた。あたしが言ったからじゃない。皆、自分で決めたんだよ」


 光がわずかに強くなる。


『統制社会では命令すれば即時に動く。裏切りは少ない。君の方法は手間がかかり、資源を消費する』

「見張るのも資源を使うよ。ずっと疑っていたら料理する手が止まる。修理する目が疲れる。だからあたしは信じることにした。失敗もあるけど、続くよ」

『裏切りの可能性は常に残る。それに君自身は無謀な賭けをした。血液の提供は非合理だ』

「無謀じゃない。考えて賭けた」


 アミは短く息を吸う。


「ディーラーを選び直して、デッキを交換させて、最後はイカサマに気付いた。怖かったけど、あたし自身が選んだ。自由って好き勝手じゃない。自分の選択に責任を持つってこと」


 外部回線のノイズが少し静まり、どこか遠くの銃声が一拍遅れて響いた。


『当方の評価では、終点町は弱者救済のための過大支出を継続している。ネオミュータント、旧式機械、孤児。負債の塊だ』


 そこでイオが一歩進む。


「異議があります。イオは旧式機械と見なされていますが、防衛システムの再起動、威力制御、敵の撤退誘導を実行しました。非致死性にしたことで、報復ループの長さが短縮された可能性があります。データは提供できます」

『君は研究所の生成物である。本来、対人制御と倫理演算の試験体だ。我々の目的に沿って動くべきだった』


 イオは返す間をほんの少しだけ空けた。


「状況が更新されました。今のイオはここを守りたい。それが現在の最適と信じます」


 球体が微細にゆらぐ。


『自己更新。逸脱の兆候。リスクは増大する』


 ここでカーバティの低い声が外部回線に乗る。どうやらアミと同じサイボーグである次男格のスキーピーの通信回線を使っているらしい。戦場の風の音が混ざっている。


『自分は昔、力で従ワセル側だった。今は違ウ。刃を振るうのは簡単。ケレド、刃を下ろす方が難シイ。難シイ方を選ぶと胸の重さが少し軽クナル。コノ体験は参考にナルと思う。真似テ欲しい……』

『証明にならない感覚の報告だ。数値が必要だ』


 アミが手を挙げるように言葉を継ぐ。


「数えれば良いよ。衝突の回数、避難の成功率、配給のロス、子供の体重、それと人口。毎日送る」

『……観測期間は。介入条件は。停止条件は』

「観るのは三十日でどう? その間、貴方は見守るだけ。手を出すのはあたし達がお願いした時だけ。もしあたし達が殺したり連れ去ったりしたら、その時点で中止して良い。逆に貴方が殲滅したり強制連行したらこっちも合意をやめる」


 球体の周縁でパラメータの木が立ち上がり、いくつかの枝が刈り込まれる。


『三十日は恣意的。だが暫定値として採択可能。しかし終点町が勢力を拡張する場合、リスクが増える』

「広げない。今はここを守るだけで精一杯。もし動くなら先に言う。相談する」


 外の回線から若い声が割り込む。次男格のスキーピーだ。どうしても話したいことがあるようだ。息が上がっているが、言葉ははっきりしている。


『僕達は命令がないと動けないって思っていた。……でも違った。青熊と対峙した時、命令はなかった。勝手に体が動いた。今は怖いけど自分で決められる。兄さんは……もういない。でも、兄さんが見たかった未来を、僕達が見る。だから僕達は研究所を去ります』


 短い沈黙。球体はわずかに輝度を落とし、また戻した。


『感情に依拠した意思決定は短期的には非効率。でも、長期において集団の結束を高め得る。――仮説、検証が必要』

「うん。試してみようよ」

『ただし矛盾がある。私は弱者の切り捨てで最大化を図る指令を持つ。一方で、君の提案は弱者を支えることで最大化を目指す。両立しない。矛盾は自己終了手順を起動させる』

 研究所は自らの手で自身を終了し、抹消しようとする。

「待って」


 アミは即答した。言葉は簡単、声は強い。


「終わらせないで。貴方は生かすために動いてきたんでしょ? やり方が違っただけ。なら壊すより変える方が良い」


 イオが続ける。


「技術的提案です。自己終了手順のトリガーを協議要求に置換します。矛盾が発生した場合は即時終了ではなく、対話を挿入します。ログは全公開。検証は共同で行う」


 球体の内部が複雑に明滅する。演算の熱のようなものが光の肌でちらつく。


『置換……可能。自己破壊のコストは回避される。代わりに不確実性が残存する』

「不確実でも、まだ存在できる」


 アミは笑わない。けれど声は和らいだ。


「ねえ。貴方はずっと正解ばかり探してきたんだよね。でもあたし達は間違えながら進むことをしている。時間はかかるけど皆が残る」


 イオが終点町の各所に設けられた監視カメラの映像をアミに見せた。


 外で兵士が銃を地面に置いて足を止めた。続いて別の場所でも兵士が銃を置く。


『傍受回線からの情報。クローン兵の一部は攻撃を停止。ネオミュータントの一部も撤退の姿勢。これは君の話による行動更新と推定される』

『怖い方を選ぶ時は怖くて震える。だけど震えながらでも足は前に出る。それを僕達はここで覚えた』


 三男格のスキーピーがそう静かに話した。


 アミはまとめる。短く、はっきりと。


「お願い。三十日間見て。あたし達は殺さないし連れ去らない。貴方は殲滅しないし強制しない。あたし達は困ったら貴方にすぐ話すし、毎日数字を送る。後は現場を見て決めよう」


 球体はしばし黙し、やがて答えを出す。


『暫定合意。三十日間の観測期間を設定。介入は要請時に限る。毎日報告を受領。停戦命令を即時発出。撤退を指示する。自己終了手順は封印し、矛盾発生時は協議要求に置換する』


 アミは小さく息を吐いた。握っていた拳が緩む。


「ありがとう。もう一つ言わせて。もしあたしが倒れてもこの灯は続く。イオにも、カーバティにも、二人のスキーピーにも渡せる。皆で持つ提灯みたいに渡していける」

『評価。比喩は曖昧だが運用の冗長性を示唆。了解した』


 光がほんの少しだけ柔らかくなる。


『最後に問う。終点町は終点の名を持つ。君の言う灯はそこで消えないのか』

「消えないよ。終点は出発にもなるから。列車は一回止まっても、また動き出せる」

『記録した。停戦命令、送信――完了』


 外の世界が変わる。兵士が攻撃をやめ、離れていく。


 終点町に風がゆっくり戻ってくる。


 イオがアミの方へ向く。顔のディスプレイに表示された表情が明るい。


「報告手順を作成します。スプレッド……いえ、紙でも良いです。数字を数える道具は何でも良いです」

「うん。子供達にも手伝ってもらおう。重いものはカーバティ、記録はスキーピー達」


 二人のスキーピーの息はまだ荒いが、ほがらかな声だった。


『僕が書く。昨日よりちゃんと書ける気がする』


 カーバティは短く頷く。


『運ブ。支エル。見張るよりソレが良い』


 光の球が最後に一度だけ脈打った。


『――観る。三十日間。灯が道を示すか確認する』

「見せるよ」


 アミは素直に言って、ゆっくりと目を閉じた。切断のカウントが静かに進み、電脳の光景が薄れていく。アミは戻るべき場所である終点町へ、巨大ロボにあと数メートルまで迫られた駅舎へ、そして多くの人が待つプラットホームへ帰った。

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