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第六章 世界火 その一

 イオが防衛システムを実行し、敵を退けた翌日の早朝のことである。


 ズシーン、ズシーンと音がした。


 地震のような地の底で巨大な心臓が脈打つみたいな低い衝撃が、地面を通ってアミの耳まで響く。ベンチがわずかに震え、置いていたマグカップが倒れ水が零れた。冷えた湿気と油の臭いが鼻に入る。雨は上がっているのに、屋根の縁からは昨夜の名残りで水滴がぽつぽつと落ちている気配がする。


 アミは跳ね起きて、ポケットから薄い電池を取り出す。そして義眼の側面カバーを爪で外し、古い電池を抜いて新しい一枚を差し込んだ。アミは非常用に一つだけ使い捨ての大容量小型電池を持っていたのだ。それを義眼のバッテリーに切り替えた。


 起動音がする。視界にざらついた光が流れ込み、駅舎の梁、錆びた柱、崩れた天井が見える。ここはプラットホームのベンチだった。外には旧市街の高層ビルが何本も並び、その谷間の奥に巨大な影を見た。


『前方二キロメートル先、全高二十メートルの巨大な人型ロボットの接近を確認』


 イオの声が駅舎の全てのスピーカーから同時に聞こえた。機械の平坦な調子の奥に、わずかな緊張が混じっている。


 それは崩れたビルの影の向こうから現れた。


 鋼板を継ぎはぎした巨大な躯体だった。溶接痕が蜘蛛の巣みたいに走り、太い油圧管と束になったケーブルが黒い血管のように外装を這っている。肩の回転基部が唸り、背中から黒煙と白い蒸気を混ぜた排気ガスを吐き出している。関節は古いが、動きに迷いがない。


 一歩踏み出す度に舗道が割れ、古い建物の壁が崩れ落ちる。肩の砲門が一度だけ黄色く光った。遅れて来る衝撃音で、前線の土嚢の列が一瞬で煙と土砂になって空に舞う。


 音は近づいていた。


「義勇兵を募る! 武器を持てる者は駅舎前へ集合ッ!」


 拡声器が吠える。


 人々が走る。寝間着にコートを引っかけたまま、パイプ銃、古い猟銃、刃こぼれの山刀、針金と鉄棒でこしらえた投擲槍等の寄せ集めの武器が各々の人の腕の中で鳴る。靴底が濡れた床を叩く。


 そうして皆は恐怖を感じたまま、駅舎の出入り口へと集まった。


 カーバティがアミの脇に現れ、無言で頷く。濡れた粗布の隙間から包帯が覗き、腰には野太刀があった。包帯は乾いていたが、また赤く、じわじわと滲んできている。


「自分も行ク」


 カーバティは短く、迷いなく話した。


 二人のスキーピーも走ってきて、型落ちのライフルを抱えた。昨日より大人びた顔になっている気がした。握りしめる手の震えは残っているが、足は前を向いている。


「イオは?」

「駅舎に残留するヨウだ。防衛システムで全力支援とのコト」


 そうカーバティが短く答えた。


 アミは頷き、ヘルメット代わりの厚手の帽子をきゅっと被り直す。


 そしてアミを含めた義勇兵は駅前の広場に出た。


 湿った朝の匂いに焦げた油と金属の粉っぽさが混ざっていた。旧市街へ伸びる道は夜の雨でできた浅い水たまりがまだ残り、歩く度にぴちゃぴちゃと音がした。遠くで巨大ロボが光る。遅れて鼓膜を叩く重い破裂音がする。


 広場に出ると第一線の土嚢列はもう穴だらけだった。義勇兵が走り、倒れ、誰かに引き戻される。赤が泥に混ざってすぐ薄茶色に溶けていく。空気は湿っているのに喉は乾く。


 巨大ロボは真っ直ぐ駅舎へ向かってくる。


「第二線へ後退! 散開!」


 怒号が飛ぶ。


 アミ達は崩れたビル、廃棄された車、倒れた看板へ、遮蔽物から遮蔽物へ移りながら距離を詰める。カーバティはスキーピー達を腕でぐいと庇いつつ、道路のガードレールを跳び越え、自販機の陰へ滑り込んだ。


 巨大ロボの肩の副砲が吠えた。土嚢の陰にいた義勇兵の青年が横に弾かれるように吹き飛んだ。近くにいた仲間の一人が叫び、泥を蹴って身を投げ出す。アミが滑り込むように寄って、止血帯を肩の上で締め上げた。


「吸って吐いて。……大丈夫、ここを押さえて」


 アミは医療ポーチからガーゼを抜き、青年の指を包帯の上から傷口に押し込ませる。別の破裂音が近くで鳴り、粉塵が視界を妨げる。


 巨大ロボの胸部が開いて追撃姿勢に入る。


『ミサイル、発射』


 巨大ロボの攻撃を遮るように、終点町中に置かれたスピーカーからイオの声がした。駅舎裏の発射筒が白い噴煙を噴き、ミサイルの影が弧を描いて飛ぶ。狙いは膝の関節、外装と油圧管が重なる節だ。


 アミの目にもミサイルの鈍い爆発が見えた。巨大ロボががくんと膝を折り、前のめりに崩れ、終点町の廃棄された列車の車両をなぎ倒した。


 背部スラスターが唸る。巨大ロボが掌を地面に突いて腰を持ち上げようとする。油と水が混ざって飛沫になり、地面に黒い液体を撒く。


「今ダ!」


 カーバティが飛び出した。


 カーバティは背からロケットランチャーを抜き、肩に担ぐ。一呼吸だけ間を置く。巨大ロボの股関節がわずかに開閉しているが、そこに照準を絞っているようだった。引き金に指がかかる。


 轟音。白い煙尾。弾頭が膝の内側で爆ぜ、留め具がもぎ取られた。油圧が悲鳴を上げて噴き出し、巨大ロボの持ち上がりかけた胴体がまた地面に落ちる。ビルのガラスが順番に割れ、光の破片が雨に濡れた地面に散らばった。


「もう一発やって!」


 アミが叫ぶ。二人のスキーピーが左右に散り、胸部の迎撃口が開く度に抑えの射撃を浴びせる。カーバティは斜めに走って位置を変え、二発目を装填した。今度は反対の脚の膝裏だ。


 発射。


 巨大ロボの脚がまた沈む。四つん這いのまま体勢を作れず、肩から横に倒れ込んだ。鉄骨の折れていく音が遠雷みたいに長く尾を引く。粉塵が視界を妨げる。


『命中確認。目標は転倒。再起立推定八分から十二分』


 イオがそうはっきりと告げた。


「時間を稼げる!」


 アミは思わず叫び、肺に冷たい空気を一口入れた。ほんの一口だ。


 だが、戦場は待ってくれない。


 横倒しになった巨大ロボの影から、強化外骨格兵達とネオミュータント達が前に出てくる。強化外骨格の肩口が光を吐き、散弾が土嚢や壁の角を削っていく。


 義勇兵がまた一人崩れ、別の誰かが引きずり戻す。その腕も赤く濡れている。叫び声は短く、すぐ次の音に飲まれた。


 スキーピー達は互いの背をカバーし合い、短い号令で射撃と移動を繰り返す。命令ではなく、自分達で判断している。カーバティの包帯はじっとりと血を吸っている。カーバティの息は荒いが、歩みは乱れない。


 空にはイオのドローンが数機、低く滑空している。昨日はあった自爆機の勢いはもうない。閃光を落として敵の足を止め、その隙に義勇兵が遮蔽物の間を移る。だがドローンの機数は目に見えて減っている。間隔も開いた。


『ミサイル残数一、発射すれば駅舎周辺の被害、不可避です』

「撃って!」


 アミが叫ぶ。迷う余地はない。守るものは、もう背中にある。


 最後のミサイルが飛ぶ。狙いは肩関節、起き上がりに必要な軸だ。直撃した。軸が捻じ切れ、巨大ロボは再起立の手順をまた失う。


「下がれ下がれ!」


 敵の強化外骨格兵とネオミュータントの攻撃を受け、第二線も崩れる。命綱になる遮蔽物は倒れた自販機、潰れた車体、折れた案内板ぐらいしかない。一つ一つが薄く、心許ない。


 アミは怪我人を治療しながら下がる。医療ポーチを抱え、膝を突いてガーゼと包帯を押し込み、次の悲鳴へ身体ごと向き直る。掌は血で濡れ、泥で冷える。息が細切れになる。


「息をして! ここ押さえて。そう、数えるよ! 一、二、三」


 少年兵の瞳がこちらを焦点にしようと揺れ、また遠のく。アミは軽く頬を叩いた。


 巨大ロボは倒れても前へ前へと進もうとしていた。倒れてもその腹面からキャタピラ状の補助装置を出し、這うように地面を掻いて駅舎に近づく。その横で強化外骨格兵達が遮蔽物を蹴散らし、ネオミュータント達が瓦礫を飛び石みたいに渡ってくる。


 駅舎の外壁がひびを広げ、古い時計は衝撃の瞬間の時刻を示したまま止まった。義勇兵が抱き合い、息を潜め、祈る声とすすり泣きが混ざった。


 火と煙と鉄の臭いが肺を刺し、アミの舌の上に苦い鉄の味が乗る。義勇兵は次々倒れ、カーバティは膝をつきかけては踏みとどまり、スキーピー達は肩を寄せて短い言葉だけで意思を繋ぐ。


「カバーお願い!」

「応! 今だ!」


 次男格のスキーピーが動き、寸分の狂いもなく三男格のスキーピーが合わせた。


 対して、巨大ロボが立てる地鳴りは止まらない。巨大ロボは這いながらでも前へ来る。駅舎までもう百メートルもない。


『これ以上の出力増強は、不可――』


 終点町の放送設備も壊れたようで、イオの声がプツンと途切れた。終点町には弾薬の残量も電力の残量もない。


 アミは銃把を握り直し、歯を食いしばった。カーバティは血で重たくなった包帯を気にも留めず、野太刀の柄を握り込む。二人のスキーピーは互いの肩を拳で一度だけ叩いた。皆、言葉は要らない。劣勢の中で懸命に抗い続ける。


 対する巨大ロボは這って進む。


 終点町の人々の退く場所が無くなっていく。終点町は崖っぷちで踏ん張っていた。


「希望はまだある……」


 アミは踵を返し、泥を蹴って戦場から離脱するように走った。胸の奥ではさっき聞いたイオの言葉が繰り返されていた。


 イオは確かに「研究所にいました」と言っていたのだ。


 アミは駅舎に入り、改札を通り抜け、プラットホームに向かった。そしてイオのいる待合室に辿り着いた。


 待合室の扉は片方が外れていて半壊していた。押し込むと金属がこすれる音を立てた。中は薄暗い。非常灯が赤く明滅し、粉塵が舞っている。床には安全な場所と危険な場所を区切るチョークの目印と、担架が置かれていた。毛布に包まれた人影がいくつか身を寄せ、誰かが静かに祈っていた。


 イオは待合室の一角の椅子の上に置かれていた。フル稼働しているせいで、イオの筐体は熱を帯びていた。待合室にいた子供達や他の人々が、ファンの代わりに団扇で扇いでイオを冷やしていた。


「イオ!」


 アミは息を切らしながら前へ進む。


「インターネットで研究所に繋いで、あたしをそこへ送って!」


 短い沈黙。イオは困っているようだった。


「それは、反対です……」


 イオの声は低く、はっきりしていた。


 アミは首を横に振った。肩で呼吸を整え、言葉を押し出す。


「外はもう限界だよ。あの巨大なの止めないと!」


 外壁が小さく震え、天井から粉塵がふわっと落ち、遠くで何かが倒れる音がした。アミは一瞬だけ目を閉じ、また開く。


「イオは研究所にいたんでしょ? だったらアクセスできるはず。道はそこにしかない」


 イオのレンズがわずかに揺れた。


「確かにイオは研究所の認証コードを持っています。扉を開けられます。けれどそれはアミ様を罠へ誘導する可能性もあります」


 アミはイオに近付き、イオの筐体に手を置いた。掌に熱と振動が伝わる。


「どんな罠が待っていても、あたしは行く。イオは道を開いて。……怖いけど、止まっていたらもっと怖い」


 アミの近くで避難している子供達が短く泣くが、すぐに抑えられた。誰かが「大丈夫」と言う。その声は全然大丈夫ではなく不安や恐怖を孕んでいた。


「……スキーピーが二人、外で踏ん張ってる。カーバティも傷だらけ。イオが防衛システムを動かしてくれたからまだここにいられるけど……このままじゃ持たない」


 イオは応答しない。だがいつもなら顔を表示しているディスプレイの端で、小さなバーが行ったり来たりしている。負荷試算、帯域の確保、干渉の回避、そういう無数の処理をしている様子が分かる。


「高負荷の双方向リンク状態でサイバー攻撃を受ければ、アミ様の神経を焼く可能性があります。視覚コアの損傷、記憶障害、運動機能の喪失のリスクがあります。……最悪の場合、死にます。成功率は……高くありません。それでも研究所に接続しますか?」

「……やらなきゃ、誰も救えない」


 アミは深く息を吸った。油と埃と、消毒液の臭いがする。遠くでまた砲声がした。時間はない。


 イオのカメラのレンズが細く絞られ、やがて静かに開いた。アミは両手でイオの筐体をそっと押さえ、こつんと自分の額とイオの額をくっつける。そこには確かな鼓動のような振動があった。


「……アミ様、イオもお供します」

「うん。一緒に行こう」

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