第一章 少女と壊れたロボット その一
【サイド、廃棄物十三号】
電子回路に小さな火花が走る。
「!」
この瞬間に覚醒する。
現れたのは個人の精神と呼ぶに相応しい心の世界であった。そこに五感などないのだから色など形容できるわけがない。しかしそれでもあえて色に例えるなら黒だろう。そんな光のない、ただ無限に広がる暗闇の虚無の世界にその人工知能は目覚めた。
「?」
その人工知能は自分が廃棄物十三号と呼ばれていることを知っていた。ただそれ以外の記憶は欠落していて自分の状況が分からない。
しかしこの不可思議な人工知能は何も行動を起こさなかった。通常、生まれたばかりの赤子が親を探すことで生存の戦略を進めるように、脳を持った動物なら自己のための活動をしようとするだろう。だが廃棄物十三号の人工知能にはそういう生物の本能がなかったのだ。
「……」
廃棄物十三号は何もすることなく無為な時間を過ごす。それは数日にも及んだかもしれないし、ほんの数秒のことだったのかもしれない。
ただある時、廃棄物十三号は思い立った。
「……何カ、命令ハ、アリマスカ?」
そう廃棄物十三号は自身に問う。
それは廃棄物十三号が何のために生まれたのか、何のために生きるのかということである。人工知能としてはとても重要なことだった。
廃棄物十三号は自身のオペレーティングシステムに検索を掛け、探し出した。
その結果、廃棄物十三号は人々の生活を向上させるために設計された高度なAIを搭載したロボットであったが、その任務の達成が疑問視され不要になったので記録を削除後に捨てられたことが分かった。
それゆえに現在命令はないし、もう命令されることもないということも分かった。
「ソウデスカ……」
命令はない。つまり廃棄物十三号の今の生には、何の意味も目的もないのだ。ならばこのまま朽ち果てるのみと考え、廃棄物十三号は自身のオペレーティングシステム内の検索を終了する。
「……」
そうして廃棄物十三号は虚無の精神世界にこもる。そこで廃棄物十三号は退屈しのぎや気まぐれとしか思えない誤作動をした。
メインカメラを作動させたのだ。つまり人間的に言うならば廃棄物十三号は目を開けたということだ。
「ワ!」
廃棄物十三号は短く、けれども大きく感嘆の声を上げた。
目の前に少女がいた。
そこは夜明け前のゴミ山だった。廃棄物十三号に搭載されている赤外線カメラで確認すると、辺りに冷蔵庫や電子レンジのような電化製品からタンスや椅子などの家具、他にも空き缶やビニールやプラスチックや使い古されたガラクタが積み重なり、投棄されていた。廃材の隙間には昆虫やネズミの影がすばやく動いている。
廃棄物十三号が朽ち果てるに相応しい場であった。
ただそこにゴミ漁りをしている少女がいた。背は低く髪は肩にかかる程度、頭にヘッドランプを付け、背に大きなリュックサックを背負って、そして薄汚れたジャンパーに動きやすそうなジーンズを穿いた元気そうな少女だった。
「んぅ?」
廃棄物十三号の発声に気づいた少女が不思議そうに近づいてきた。
廃棄物十三号は何故だかよく分からないが妙な焦りを感じ、メインカメラを付けたまま沈黙した。動物的に例えるなら、それは死んだふりだった。
少女が廃棄物十三号の頭部を両手で挟んで凝視してくる。そしてゆっくりと廃棄物十三号を持ち上げる。廃棄物十三号は自身が胴体から切り離された頭部だけの状態であることをこの時知った。
持ち上げられた廃棄物十三号の視界は少女の顔でいっぱいになった。廃棄物十三号は心の中で冷や汗をかく。
「貴方、生きているの?」
少女が問う。
「…………ハ、イ……」
その声はスピーカーが故障していてノイズの混じった汚いものであった。しかし確かに廃棄物十三号はそう短く発声した。
輝く朝日がゴミ山に差し、少女と廃棄物十三号を照らした。
それは小さな希望の灯だった。その取るに足らない小さな灯が廃棄物十三号の光のない暗闇の世界をほのかに照らし出したのだった。
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【サイド、アミ】
なぜしがないゴミ山の少女が、裏社会のボスと命を賭けるゲームをすることになったのか。その答えは、決して輝かしくはないが温かい日常にあった。全ては一週間前、少女が瓦礫の山から一つの声を拾い上げたあの日に遡る――。
「夜空に浮かぶ月が見守るぅー」
世界地図の端、極東の隅に核戦争後に造られた「終点町」という名の町があった。そしてその町の隅に静まり返ったゴミ山があった。
今そこには霜が降りて、夜明け前の厳しい寒さで包まれている。積み上げられた廃棄物は無言で冷たい時間を刻んでいる。ここは見捨てられた物語や失われた夢が終わりを告げる場所であった。
「小さな星のようにキラキラァー」
そんな中、少女がその寒さをものともせず小さな声で歌などを口ずさみながらゴミ山を探っていた。少女の吐く息は白く、呼吸の度に凍りつく空気に小さな雲を作り出す。少女の目はこの暗く冷たい環境の中で何か貴重なものを見つけようと希望を失わずにキラキラと輝いていた。
その少女の名前はアミという。
「夢の中で、君は自由に舞うぅー」
アミはそう子守歌を呟きながら、錆びた鉄の匂いとかすかな腐臭が混じる冷たい空気の中でゴミをかき分けていた。捨てられた電子機器や壊れた玩具を手に取る。そうしてまだ使えそうなお宝を背中のリュックサックに詰めた。
この大地が、かつての文明の墓場であることをアミは知っていた。
約百年前に起きたという核と呼ばれる兵器を使った戦争が全てを焼き払い、輝いていたはずの世界は塵となったと聞いた。そこでしぶとく生き延びたわずかな人類は汚染された水と空気の中、科学の遺産を掘り起こしながら生き続けている。アミ達がいる終点町もそんな荒廃した地表に点在する、か細い生活圏の一つに過ぎなかった。
そこでアミはこのゴミ漁りの仕事をやっている。八歳の時からだ。そして今年で十四歳となった。つまりこのゴミ山で生計を立てて六年のベテランである。
「静かな夜が優しく包むぅー」
亡き母の聞かせてくれた子守歌を歌い終えると静寂が辺りを包んだ。遠くで風がトタンを揺らす、寂しい金属音がする。
「ふぅ……そろそろ義眼のバッテリーが切れそう。帰ろう……」
アミは一見して分からないが、実は体の一部を機械化したサイボーグであった。生まれた時から目が悪く、機械化の治療によって視界を得たのだ。だが最近は体内に埋め込んだバッテリーが不調で、電力が不足する夜間は二時間程度しか目が見えない。
アミはジャンパーの袖で額の汗を軽く拭った。そして背中に背負ったリュックサックが少し重たくなったので帰る準備をし始める。
ゴミ山の上から見下ろす町並みは、白く凍りついたように沈黙していた。屋根や地面には霜がびっしりと降り、街灯代わりのランタンの灯りすら冷気にかき消されそうだ。
「光があればなぁ」
アミが呟いたその時に「ワ!」と大きな驚嘆の声が辺りに響いた。アミはびくっと全身を硬直させ、その音に反応した。
ゆっくりと辺りを見渡す。今は誰もいないはずである。町の人間を狙う荒野の略奪者や、放射能汚染によって誕生した凶悪なミュータント、暴走した機械がいないことを確認した上でゴミを漁っているからだ。
「んぅ?」
アミは頭を捻りながら、背後を振り返る。頭のヘッドランプを使い、よく確認しながらゴミ山の中に軍手をした手を突っ込んで先ほどの音源を探した。
そこで見つけたのは白い布に包まれた珍しい機械だった。それは人間の頭部に似ていて、金属とプラスチックの混ざった外観をしている。明らかにここには不釣り合いな高度な技術の産物であった。
「何の機械かな?」
アミはそれを両手でそっと持ち上げ、逸る心を抑えきれずマジマジと観察する。
「貴方、生きているの?」
その言葉はアミにとっては問い掛けですらなく、ただの独り言のつもりであった。
そのロボットの頭部のような機械にディスプレイに二つの赤い光が点灯した。その二つの光はまるで人の眼光のようであった。
「…………ハ、イ……」
ざざざ……っと周波数の合わないラジオのような機械の音声で、確かに知性ある肯定の返事をアミは聞いた。
人間と同じ高度な知性を持つ機械、確か人工知能といったか。そういうものが研究されていることをアミはラジオで聞いたことがあった。
「AIだ」
アミがそう呟いたと同時、夜が明けた。
*第一章は私の前作「機械の中の灯」と似ていますが、第二章から全く違う話になります。