第五章 それぞれの戦場 その三
【サイド、カーバティ】
カーバティはまだ終点町の外れの、崩れた廃ビルが並ぶ廃墟地帯にいた。
崩れかけた高層ビルが骨組みを剥き出しにして並んでいる。窓ガラスはほとんど割れ落ち、コンクリートの壁には無数の亀裂とツタが這っている。瓦礫の積もる路地には風が吹き抜け、かつての街の喧騒は遠い記憶のように静けさだけが支配していた。
カーバティは深い傷を負いながら、這うように路地を進んでいた。振り向けば二人のスキーピーが怯えた顔でカーバティの背にすがっている。長男格のスキーピーを失ったばかりのスキーピー達の瞳には悲しみと戸惑いと、それでも決して消えない小さな勇気の光が宿っていた。
「大丈夫ダ、絶対に離れナイ」
「はい」
「ありがとうカーバティさん」
カーバティが低く囁くと、スキーピー達は頷く。
目の前の路地を軍用ミュータント犬が三頭、這うように忍び寄って来ていた。牙をむき、唸り声を上げながらカーバティ達と相対する。
カーバティはスキーピー達の前に出て野太刀を抜いた。
ミュータント犬一頭が飛びかかってきた。カーバティはその突撃を野太刀の刃で受け止め、逆に一閃して排除する。しかしすぐにもう一頭が横合いから襲いかかり、カーバティの肩に鋭い牙が食い込んだ。
「ぐッ」
カーバティは痛みに耐え、力任せにミュータント犬を引き剥がす。離れ際に左腰の小太刀を引き抜き、ミュータント犬の腹部に刺してこれも排除した。
カーバティの肩から流れる血が泥と混ざり、雨に洗われて地面に落ちていく。
スキーピー達もアミに持たされた拳銃でミュータント犬一匹を狙って何発も発砲し、これを排除して、カーバティを援護した。
「助カッタ。ミュータント犬は全て片付イタ」
カーバティがそう言うとスキーピー達はほっと胸を撫で下ろす。
ある廃ビルの上に影が見えた。
「チリヌのリ号か……?」
廃ビルの上に立っていたのは、かつて同じ部隊で生死を共にしたネオミュータントの一人、チリヌのリ号だった。
カーバティはチリヌのリ号が自分と同じくらいの巨体であると分析した。身長は二メートル五十センチくらいで、肩幅は人間の子供の身長くらいある。口から鋭い牙が見えている。トカゲのような硬い鱗と厚い皮膚に覆われている。そしてどこかで見たような白い布を腕に巻いていた。
チリヌのリ号の背後から、かつては仲間だったネオミュータント達が八人ほど現れた。皆腕に研究所を表す白い布を巻いている。
チリヌのリ号は口角を上げる。
「まさかお前がこんなところにいるとはな、イロハのハ号」
カーバティは苦々しげに頷く。
「……昔の呼び方はヤメロ。今の自分にはココデ守るべき者カラ与えられた名がアル」
「守るべき者?」
チリヌのリ号は皮肉を込めて笑い、周囲を見回す。
「この町の人間共か? それともそこの量産型の子供か? くだらねぇ。結局、お前も人間に媚びて生きる道を選んだのか?」
背後のスキーピー達が不安そうに身を縮める。だがカーバティは動じず、かつての仲間を真っすぐ見つめた。
「違う。自分は……誰カヲ守るためにココにいる。昔ミタイに、ただ上からの命令に従って殺し合ウダケノ存在には戻ラナイ」
チリヌのリ号は冷たく目を細める。
「くだらねぇ理想を語るなよ。……強さだけが全てだ。この世界は力のある奴が生き残り、弱者は食い物にされる。弱肉強食、それが自然の掟だろう?」
その言葉を聞き、カーバティの脳裏にかつて聞いた人間の歴史がよぎった。
奪い合い、殺し合い、最も破滅的な手段を選んだのは人間自身だ。目の前にいるチリヌのリ号が口にする弱肉強食は、かつて人類が自らを滅ぼしかけた愚かな歴史の繰り返しに過ぎないのではないか。そうカーバティは思った。
「違ウ」
カーバティはゆっくりと頭を振った。
「奪い滅ぼすだけが自然の掟デハナイ。支エ合イ、共に道を探すことも進化ノ形ダ」
適者生存、そうカーバティは言い放った。
チリヌのリ号は鼻で笑った。
「綺麗事だな。俺達はより強くなるために研究所と手を組んだ。あいつらの兵器と技術を使えば誰にも負けない。……お前も意地を張らずに戻ってこいよ。弱い者に縛られるな。再び強者の側で生きろ」
「ソノ道は選ばナイ」
雨が強くなる。チリヌのリ号の周囲にいたネオミュータント達がざわめき、両者の間に緊張が走る。
チリヌのリ号は廃ビルから跳び下りた。そして一歩、カーバティへと踏み出した。
「弱者を守ることに意味はない。そんなのは自己満足だ」
カーバティは傷だらけの体で野太刀と小太刀を鞘に収める。
「守る者がいるカラ自分は強くナレタ。支エ合ウことで初めて生きていると実感シタ。奪い合うだけでは何モ残ラナイ」
チリヌのリ号は嘲るように牙を剥いて笑った。
「その答え、力で証明しろ。俺が正しいか、お前が正しいか、この場で決着をつけよう」
チリヌのリ号は誰にも邪魔をされない一対一の決闘を望んでいた。
「自分が勝てば、戦場カラ撤退してモライタイ」
「あり得ないが、良いだろう」
雨の音が廃墟の静寂に重く響く。
周囲のネオミュータント達やスキーピー達、皆が固唾をのんで見守る中で二人の間の空気が張り詰めていく。
カーバティはちらりと後ろのスキーピー達を見て、小さく息を吐いた。
「……負ケナイ。弱さを知った自分コソ、本当に強くなれたと証明シテミセル」
「ならばかかってこい。イロハのハ号、いや、カーバティ・カーバティ!」
カーバティとチリヌのリ号は二十メートルほどの間を開けて対峙する。
カーバティは腰に下げた野太刀に手を置く居合の構えを取った。それに対しチリヌのリ号は野太刀を地面に垂直に掲げ、野太刀を持った右手を耳まで上げる一撃必殺の蜻蛉の構えを取った。
「必殺の一ノ太刀、見せてやろう……」
チリヌのリ号はニヤリと笑った。
遥か遠くで雷が落ちる。
地面がわずかに揺れた。
突風が二人の間を吹き抜ける。
「疾ッ!」
「勢ッ!」
カーバティとチリヌのリ号が同時に駆けた。距離は十五メートル程あった。
両者は刃を前にしても決して臆さず、減速せず、むしろ感情の昂りで増した脚力と瞬発力でぐんぐん加速する。全力で駆け抜け、間合いに入った瞬間に切る。そういう勝負のはずだった。
「!」
「な!」
ここでチリヌのリ号は驚愕の表情を浮かべた。
両者の距離はまだ八メートルほど離れている。この間合いで振っても刀は当たらない。だが、カーバティは左腰の野太刀を右手で素早く抜刀した。そしてそのまま腰の回転力を使って地面と水平に一閃、斬りつける。……のではなく、そのまま右手側に野太刀を放り捨てたのだ。
「なんだと!」
カーバティはあえて自分の一番の武器を捨てることにより、チリヌのリ号の視線を捨てた武器に誘導したのだ。
刀隠しの秘剣『逆抜き不意打ち斬り』
居合は二度放たれた。
居合術の抜刀は右手一本で行われる。その時、左手は左腰にある鞘に添えられている。そしてカーバティの左腰には野太刀の他にもう一本、小太刀があった。カーバティは左腰にある小太刀を左逆手で抜刀した。
史上最速の居合術であった。
だが左腰にある得物を左逆手で抜刀して斬り付ける場合、通常の居合とは違い腰の回転力は使えない。更にその居合は斬り上げるため重力に逆らう形となる。勢いもなく、純粋に腕力のみで斬らなければならない。だからカーバティはチリヌのリ号の急所を狙わなければならなかった。
チリヌのリ号の一撃必殺の振り下ろしに迷いが走り、鈍った。
カーバティはその隙を逃さず、チリヌのリ号の懐に果敢に跳び込み、そのままチリヌのリ号に体当たりして倒した。カーバティは馬乗りになり、上からチリヌのリ号の喉に小太刀を押し当てた。
「ぐっ」
「……満足シタか? もう良いダロウ……引け!」
カーバティは止めを刺さないで小太刀をチリヌのリ号から離す。そして立ち上がると野太刀を回収し、スキーピー達と共にアミの待つ駅舎へ帰ろうとした。
「待て! 約束通り、俺だけは身を引こう! だがそれがどうした! 俺には八人の仲間がいる! この戦力をどうするのかって聞いているのだ!」
カーバティは振り返り、チリヌのリ号を睨む。互いの間に殺気が漂う。呼吸の一つ一つがまるで相手の心臓の鼓動を測るように重く、遅くなる。
その時、雨音の向こうから妙な音が聞こえた。
遠くで低く振動したような音だった。風の唸りでも獣の咆哮でもない、金属を震わせるような異様な轟音が空から迫ってくる。
そして機械の音声が響く。
『防衛システムを起動します』
その音声は終点町に配備されたスピーカーを通して、町全体に響き渡った。空気が震え、雨粒までもがその振動に押し流されるように揺れた。
カーバティもスキーピー達もチリヌのリ号もネオミュータント達もその声に動きを止めた。全員が空を見上げる。厚く垂れ込めた雲の隙間から、点のような影が次々と現れる。最初は雨粒の錯覚かと思えたそれが、急速に大きくなる。
銀色に光る機体だった。腹部には黒く塗装された球状の塊があった。蜂のような羽音を響かせながら無数の小型無人ドローンが雨を裂き、大地に突き刺さるかのように降下してくる。
「なんでしょうか、あれは……」
三男格のスキーピーの当惑した声が、カーバティにも聞こえた。
次の瞬間、先頭のドローンが敵陣の真上で鋭い閃光を放った。それと同時にドローンの腹部の塊が炸裂した。雷鳴のような轟音が廃墟の街並みを揺るがす。爆風が破壊されたビルの骨組みを軋ませ、瓦礫を巻き上げ、強化外骨格兵やネオミュータント達を吹き飛ばす。
それは一度では終わらなかった。
次から次へと数十機単位で降下してくるドローン達が、地表すれすれで自爆を繰り返す。爆発の度に空気が押し出され、火花と煙、爆風が入り乱れる。
「撤退しろ! 全員撤退だ!」
チリヌのリ号の怒声が混乱の中に響き渡る。
ネオミュータントも強化外骨格兵も、指揮系統を失う。なぜか死んでいる者はほとんどおらず、無事な者は負傷した仲間を背負って瓦礫の路地を駆け抜けて行く。濃い煙の向こうに姿を消していく。
カーバティは頭上を低空でかすめるドローンの編隊を見上げ、ようやく理解した。戦前の自動防衛兵器だ。それも高度に統制された攻撃プログラムを持っているが、辛うじて生存を許して命までは奪わないものだ。だが、これを今、誰が……? そんな疑問がカーバティの中に沸き上がる。
「……イオか」
カーバティは小さく呟く。
チリヌのリ号が歯を食いしばり、低く唸った。
「どうやら今日はここまでのようだな、カーバティ」
その声には苛立ちと、わずかな悔しさが滲む。
「だが覚えておけ。これで終わりじゃない」
吐き捨てるように言い、濃い煙と瓦礫の向こうへ消えていった。
「和解は無理カ……」
カーバティは深く息を吐いた。そして二人のスキーピーの肩に大きな手をそっと置く。
「行コウ。アミ達が待ってイル」
スキーピー達はゆっくりと頷き、ぬかるみを踏みしめながらカーバティと共に駅舎への道を戻り始めた。
背後では、まだ遠くで鉄の羽音と爆炎が交錯していた。




