第四章 不可思議な三人の子供、予兆 そのニ
朝の終点町はいつもと同じ活気に包まれていた。
鉄道車両基地の隅でアミは三人の少年達と向かい合って座っていた。まだぎこちなさの残る三人のスキーピーはまるで教官からの指示を待つ兵士のように、ぴんと背筋を伸ばしている。
「三人共、聞いてほしいことがあるんだ」
「了解、命令をお待ちします」×三
スキーピー達は無表情のまま、淡々と答える。
アミは困ったように頭を掻いてため息を吐いた。
「あのね、今日は命令じゃないの。これはただのお願い」
その言葉に、三人は困惑したように互いを見つめ合った。
「お願い……?」×三
「うん。これからは命令がない時も、自分のしたいことをしてほしい」
「したいこと?」×三
スキーピー達はまるで未知の言語を聞いたかのように、再び互いの顔を見比べる。
アミはにこりと微笑み、優しく言った。
「あたしは命令しない。貴方達は自由! 誰に言われなくても、自分がやりたいことを大事にしてみて」
「自由とは、何をすればよいのでしょう?」
長男格のスキーピーが首を傾げながらアミに問う。
「それを考えるのも自由なんだよ」
三人は明らかに戸惑っていた。まるで命令以外の生き方を知らない機械のようだった。もしかしたら残酷なことをしているのかもしれないとアミの胸に不安が広がった。だがスキーピー達が幸福を掴むなら今はこの痛みを受け入れてもらう他にない。
「まずは試しに、好きなことを探してみよう?」
「好きなこと……」
次男格のスキーピーが呟くと、他の二人も同じく小さく口を動かす。
それから二日後、アミは朝早くからスキーピー達を誘ってみた。
「一緒に朝ごはん食べよう。今日はパンとスープだよ」
三人は食卓の前でじっと直立不動の姿勢を維持する。
「命令がありません……。困惑します」×三
次の日もアミは諦めず、三人を誘った。
「皆、洗濯物を干すの手伝ってもらえないかな」
「了解、命令を受けます」×三
「だからね、そうじゃなくて……。ああもう!」
ある時は鉄道車両基地の広場で子供達と遊びに誘った。
「一緒にボール遊びしようよ!」
「……それはどういう訓練ですか?」
三男格のスキーピーが困惑しながらアミに問う。
「違うよ。訓練とかじゃなくて、ただ楽しむためのものだよ」
「楽しむ?」
三人はボールを前に、困惑して動きを止めてしまった。
どの日もスキーピー達は自分から動くことはなく、結局アミが諦めてしまうことが続いた。自由というものを理解できず、指示のない時間はただ立ち尽くすか、座ってじっとしているばかりだった。
スキーピーが来てから数日が過ぎた。アミはスキーピー達と共に廃車になった貨物列車の整理作業に出向いた。
「もし手伝ってくれたら嬉しいな」
三人は瞬時に反応する。
「それは命令ですか?」×三
「違うよ。お願いなの。『手伝いたい』っていう気持ちがあったら、で良いんだよ」
その言葉にスキーピー達は困惑した表情で固まった。しばらく待ったが、やがて三人は揃って首を横に振る。
「何をすべきか判断できません……」×三
アミは思わず苦笑した。
「そっか……まだ難しいよね。でもゆっくり慣れていこう。貴方達のやりたいことがきっと見つかるから」
「やりたいこと……。見つかる、ですか?」
長男格のスキーピーが難しい顔をする。
「うん、絶対見つかるよ!」
アミは穏やかな表情を崩さず、スキーピー達の肩を優しく叩く。三人は困惑した顔でアミを見つめ、再び動きを止める。
スキーピー達の表情には「自由」という未知の概念に対する恐れがわずかに見え隠れしていた。それでもアミは焦らず、いつかスキーピー達が自分自身の意志で動く日が来ることを信じていた。そしてそんなアミをイオとカーバティは離れた場所から見守っている。
「ただ見守る。それが一番大事だと、イオは判断します」
「アミなら、アノ三人を導ケル」
三人のスキーピーは依然として消極的なままだった。だがその瞳の奥には微かにではあるが、何かが生まれる兆しがある。
スキーピーが来てから三週間が経過した。アミは終点町の外れにある古びた浄水場を訪れていた。
ここ数日、町の住民達の間で飲み水の確保が切実な問題になりつつあった。そこで廃棄されたこの浄水施設を直せば、水の問題を解決できるかもしれないとアミは考えたのだ。
浄水施設の内部は湿気と錆に覆われていた。天井や壁には緑色のコケがびっしりと広がり、剥がれ落ちた塗装片が床に散らばっている。施設の奥には巨大なパイプや錆びついた機械が乱雑に並び、壊れた配管からは水が滴る音が静かに響いている。空気はひんやりと冷たく、カビ臭さが鼻をつく。
長く放置されていたことが明らかな、寂れ果てた廃墟だった。
「イオ、状況はどう?」
「アミ様、浄水設備はかなり損傷していますが、修理すれば復旧できそうです。部品の調達の可否次第です」
「良かった……。あたし達の手で直せるかもね!」
アミは慎重に施設内を歩きながら破損した装置を手探りで確認していた。
「皆、手を貸してくれないかな?」
スキーピー達は相変わらず戸惑った表情を見せる。
「それは命令では……ないんですよね……」
次男格のスキーピーは狼狽える。
「うん。あくまでもお願いだよ」
「どうすれば……」×三
アミは深く息を吐いたが、すぐに笑顔に戻る。無理に勧めることはしなかった。スキーピー達はまだ自主的に動くことが難しい。無理をしても逆効果だ。
その時だった。
廃墟の奥から、低く重々しい唸り声が響いた。
「何? この音……」
「危険です! アミ様、生体反応があります! 敵性存在の可能性大です!」
次の瞬間、施設の奥の闇から巨大な熊のミュータント、青熊が姿を現した。青熊の成体の体重は三百キログラムに達するそうで、目の前にいる青熊もかなり大きい。青がかった体毛はまだらで薄汚れ、赤く輝く目は獰猛な獣の狂気を孕んでいる。
凶暴な唸り声にアミは凍りついた。
「カーバティは!?」
「現在飲料水の調達に行ってます!」
イオがそう答える。
「逃げるしか……」
アミが振り返って出入り口に向かって駆け出した瞬間だった。足元の瓦礫に躓き、鋭利な金属片がアミの脹脛に深く刺さった。
「っ!」
激痛が走り、アミは床に倒れ込む。
青熊が狩りを楽しむように、悠々と迫ってくる。その瞬間、三人のスキーピーがアミと青熊の間に割り込んだ。青熊がスキーピー達に猛然と飛びかかる。長男格のスキーピーは地面に転がっていた鉄パイプを素早く拾い、青熊の攻撃を必死に防いだ。
鋭い爪がパイプを削る。その音が耳をつんざく。
「グッ……、あああアアア!」
だが長男格のスキーピーは怯まず、全身の力を込めて叫ぶ。
「速くアミさんを安全な場所に! 僕がここを抑える!」
次男格のスキーピーと三男格のスキーピーの二人は一瞬躊躇ったが、その言葉に動かされて負傷したアミの下へ駆け寄った。
「二人共! あたしを置いて逃げて!」
「い、嫌だ!」
三男格のスキーピーはアミの命令をはっきりと拒否した。そして次男格のスキーピーがアミを背負うと素早く施設の出入り口へ向かった。
「お兄さんのスキーピーが!」
「すぐ行きます! 先に行ってください!」
長男格のスキーピーはパイプを振り回して青熊の攻撃を懸命に防ぐ。その瞳には初めて強い意志が宿っていた。しかし青熊の攻撃が激しさを増し、長男格のスキーピーが圧し潰されそうになる。
「引けッ!」
アミを背負う次男格のスキーピーと入れ替わるように、施設の入り口から影が飛び込んで来る。カーバティだ。大きな手には野太刀が光を帯びて煌めいている。
「退ガッてろ!」
「カーバティさん!」
長男格のスキーピーが後ろに下がると同時に、カーバティの野太刀が空気を切り裂いた。青熊が吠える。激しい闘争の中、野太刀の切っ先が青熊の巨体を追い詰める。
「ヌンッ!」
カーバティが気合いの声を上げ、野太刀を一閃。青熊は深手を負い、悲鳴を上げて逃げ出していった。
その場にいた全員が施設の外に出る。すぐにアミを地面に寝かせた。
「アミさん! 平気ですか!?」
「お兄さん……」
長男格のスキーピーはアミの脹脛の傷口を見る。すると背負っていたリュックサックから救急セットを取り出して即座に応急処置を始める。布を脹脛に力強く巻いて止血し、慣れた手つきで消毒し、すぐに包帯を巻いた。手先が不器用なカーバティにはできない作業であった。
「見事な手捌キダ」
カーバティは舌を巻く。
「僕達は兵士でした。医療処置の術も叩き込まれています……。でも、それよりも……」
長男格のスキーピーは自分の手を見つめ、驚いたように目を丸くした。
「今、命令はありませんでした……。僕は、自分で判断して動きました」
「ありがとう、お兄さん。貴方のおかげで助かった!」
アミは穏やかに微笑んでみせた。
長男格のスキーピーはその言葉に目を見開く。
「命令はなかったんだ……」
そう呟いた長男格のスキーピーのその瞳は、今までにないほど強く輝いていた。他の二人のスキーピーもアミの「逃げて」という命令を自分達の意思で拒否できたのだ。自分と仲間の変化を目の当たりにして、驚きと共に何かを感じ取った様子だった。
時が流れる。三人のスキーピーがやってきて一か月が経過した。
鉄道車両基地の廃列車の隙間には雪解けの痕跡の水たまりが残り、子供達は春の訪れにそわそわしていた。スキーピー達は相変わらずよく似た顔と体つきをしていたが、命令がなければ何もできないという雰囲気は薄れていた。
アミはスキーピー達を少し離れて見守る。
カーバティ(余談であるがカーバティは終点町の住人に認知され、体を隠さなくても通報されなくなった)と長男格のスキーピーは、一緒に町の外の森で木材の切り出し作業をしていた。長男格のスキーピーは最初はぎこちなく斧を握り、力任せに振るっては丸太を傷だらけにしてしまう。
「僕、もっと上手くやりたい」
長男格のスキーピーは自分から道具を手に取り、カーバティにコツを聞き、繰り返し挑戦した。
「危ナイ、気ヲ付けろ」
そのようにカーバティが声をかける度、長男格のスキーピーは自分の腕の細さや力の加減に悩んでしまう。しかしどこか誇らしげだった。
「僕、強くなったらカーバティさんみたいに誰かを守れる?」
長男格のスキーピーが尋ねると、カーバティは苦笑いしつつ「きっト」と返した。
次男格のスキーピーは廃棄された発電機の修理に夢中だった。イオの説明に耳を傾け、配線やコイルの名前を一つ一つ復唱しながら、時にはメモ帳に絵を描いて整理していた。
「この回路は何のための物?」
次男格のスキーピーがイオに問うと、イオは即座に電子音声で解説を始める。
「面白い!」
次男格のスキーピーは目を輝かせながら小さな部品を磨き、修理が終わる頃には工具の扱い方を覚えていた。
「イオ先生、今度は何を直したら良い?」
「次はイオとここのポンプを見てみましょう」
イオは満足げに目の光を瞬かせる。
三男格のスキーピーは子供達と一緒に基地内探検をしていた。最初は付いて行くだけだった。しかし次第に子供達を先導して倉庫の鍵を見つけたり、古い地図を使って秘密の宝箱を作ったり、冒険ごっこのリーダー役になりつつあった。
「スキーピー兄ちゃん、ここに罠を仕掛けたい!」
子供達がそう言えば、嬉しそうに廃材を組み合わせて新しい仕掛けを考える。
「すごい、兄ちゃん頭良い!」
「もっと面白いこと思いついた!」
三男格のスキーピーは声を上げて喜んだ。
ある昼休みのことだ。スキーピー達はアミとイオとカーバティと共に鉄道車両基地の広場に集まり、それぞれ今日の出来事、楽しかったことを話し合っていた。
長男格のスキーピーは泥だらけの手を皆に見せ、丸太を割ることができたと誇っていた。次男格のスキーピーは真新しいメモ帳を掲げ、発電機が少しだけ動いたことを自慢した。三男格のスキーピーは秘密基地が完成したことを報告した。
三人は同じ顔なのに、それぞれ違う考えを持ち、違う仕草をするようになっていった。
「皆、全然違うね!」
コピー人間だと思っていた三人のスキーピーが個性を獲得しつつある。そのことにアミは気付いた。そしてそのことを大いに喜んだ。
「三人共、頼モシクなっている」
カーバティはそんなことを小声で漏らした。
「成長過程の観測ができ、とても嬉しく思います」
イオも満足そうだった。
夕暮れ時、スキーピー達は列車の屋根に並んで座る。夕陽の光に照らされながら、思い描く未来を語っていた。命令ではなく、自分で動き、選び、そして「楽しい」「やってみたい」「もっと知りたい」と思えるようになった日常は輝いていると三人は語り合った。スキーピー達はそれぞれが自分の世界を歩き始めている。そうアミは確信した。




