第三章 少女の異常性、そして少女の器 その三
【サイド、カーバティ】
カーバティはアミの傍らに立ち、いざとなればすぐに逃げたり戦ったりできるよう構えていた。武装した大人数の男達を相手に、どこまでやれるかは不明だった。だがカーバティの心配をよそに、アミは恐怖と同居しながらも落ち着いていた。本当に強い娘だとカーバティは思う。
「では、改めてルールを確認しよう」
サエジマが低く落ち着いた声で言った。
「ディーラーは君がカジノの客から選ぶ。デッキは君の申告のタイミングで未開封の新しい物に交換する。異論は?」
「ありません」
「レートだが、血液十シーシーにつきチップ一枚換算とする。そして子供一人の救出にはチップ五十枚が必要で、血液での救出は不可だ。つまり私のチップでのみ救出が可能という訳だ。どうだい?」
「分かりました」
人間は体内の血液の三分の一ほどを失うと生命の危機に瀕するという。カーバティの見立てではアミの体重は四十キログラムほどなので、体内の血液の総量は三千シーシー程度だ。つまり死線は千シーシーとなり、チップに換算すると百枚となる。子供四人を救うなら二百枚のチップが必要なので、厳しい戦いになるとカーバティは思った。
「最後に、ポーカーで君が勝てばチップを得るか血液を補充するか選ぶ。逆に君が負けたらチップを払うか血液を失うかを選ぶ。間違いは?」
「ありません」
アミは頷いた。
サエジマは微かに目を細める。
アミはカーバティと共に一旦席を外し、部屋を出る。そしてカジノで暇を持て余している人を探した。すぐに適当な人物が見つかった。顔面がロボットのようなサイボーグの男で、特に目が古いデジタルカメラに似ていて特徴的だった。その人にポーカーのディーラーの役をお願いし、皆で部屋に戻ってきた。
「では血抜きの準備を」
アミの血抜きの準備が行われる。部下がアミの左側に機械を置き、拘束ベルトで左腕を駆血しながら固定、拘束する。そして鋭い針が腕の血管に入る。アミの痛そうな声が漏れ、アミの膝の上に置かれたイオが心配そうな声を漏らす。事情を知らないカジノの片隅から招かれたディーラー役の男は、その異様な光景を息を呑んで見つめていた。
未開封のトランプは銀色の紙でぴったり包まれていた。アミは左腕が拘束されているので右腕だけで作業をする。まずイオのカメラで封の異常はないか見て、その次に包装を破って全てのカードをざっと確認する。
その後でカーバティもカードを覗いた。新品のカード特有のわずかな薬品臭と乾いた光沢、全てが均一でカーバティの目からも怪しい細工は感じられない。
「このデッキでお願いします」
「了解……です」
アミとサエジマの事情を知らないディーラー役が、やや緊張した面持ちでカードを切った。
第一戦。
アミに配られたカードをイオがカメラで捉え、アミはそれを食い入るように見る。対し、サエジマはアミの様子をじっと観察している。サエジマの気配は湖の底に潜む大蛇のようだった。
「……交換、お願いします」
アミは一枚のカードを差し出し、ディーラー役から新しいカードを受け取る。そうするとアミは息を止め、イオのカメラを少し動かしてチラッとカードを確認した。そしてアミは悪くないと判断したようだ。
「ベット、続けます」
サエジマは頷き、レイズで重ねてくる。アミも降りない。周囲の息が詰まる。
「ショウダウン……。では手札の公開をお願いします」
アミの手はストレート、サエジマの手札はワンペアであった。
「アミさんの勝ちです!」
イオがスピーカーから拍手の音を出し、カーバティも小さくガッツポーズする。カーバティは自身の驚異的な聴覚で、アミの心臓の鼓動がどくんと高鳴るのを聞いた。アミは汗ばんだ手で二十枚のチップを受け取る。
「……本当に勝てた」
「見事だね」
サエジマは口角をわずかに上げ、褒め称えた。
「だが、勝負はここからだ」
第二戦。
ディーラー役がカードを配ろうとした時、アミが遮った。
「すみません、新しいデッキに交換を」
アミが今使っていたデッキを集めて脇に片づける。そして新しいデッキを要求する。
アミの申告のタイミングでデッキを交換するという約束はしていたが、連続でデッキを交換するとは思ってなかったようで、サエジマの部下達がざわめいた。
「好きなだけ交換させれば良い」
サエジマはそのように淡々と言う。
再び新品のデッキがアミに渡される。アミが封をイオのカメラで確認して問題ないと確認する。そのままアミが包みを破き、新品特有の香りや角のエッジを念入りに確認する。その後、カーバティも注意深く確認して、アミは問題なしと宣言する。
ディーラー役が慎重にカードを切り直し、勝負は再開された。
アミが手元のカードに触れた瞬間、カーバティはアミが小さく首を傾げているのに気づいた。アミは何か違和感を抱いているようだ。
「ベット」
サエジマの動きはどこか余裕があり、ゆっくりとベットが積み上がっていく。
アミは何かしっくりこない様子であったが、勝負に出る。
「コール……」
「それでは手札を公開して下さい」
両者が手札公開する。アミは六と三のツーペア、サエジマはキングと八のツーペアであった。
「負け……」
「支払いだ」
音もなくテーブル脇の血抜きの機械が稼働する。赤い血が針の奥からチューブを伝って機械本体を通り、パックに溜まっていく。アミは三百シーシーの血を失った。
「……ちょっと、ふわっとしたかも」
アミがそう囁いた。カーバティがアミの顔を覗くとアミの額には冷え汗が滲んでいた。対し、サエジマはその様子を観察しつつ、表情を変えずに次の勝負の準備を進める。
第三戦。
ディーラー役がカードを配り終え、イオのカメラ映像を通して自分の手札を確認したアミはそっとため息を吐く。カーバティの目から見ても、アミの手札では分が悪い。チェンジをしても勝算がどんどん薄れていくのが分かる。
サエジマは相変わらず無表情で、淡々とチップを積み上げていく。その所作にまるで隙がない。アミも一度だけ受けてみるが、相手の押しの強さと手札の弱さがじりじりとプレッシャーをかけてきているようだ。
「どうする?」
サエジマが尋ねる。
アミはしばらく黙り込んだ。チップを賭けて無理に勝負に出るか、それとも今は傷を浅く抑えるべきか、そういう迷いがカーバティにもヒシヒシと伝わった。
「……降ります」
消え入りそうな声を発し、テーブルの上にカードを伏せた。そして機械が作動し、また六十シーシーの血液を抜かれた。サエジマはその様子をじっと見つめ、わずかに口角を上げて「手強いな」と短く呟いた。カーバティもほっとして、アミの肩を揉む。
第四戦、第五戦、第六戦。
流れが悪い。アミはデッキの交換も挟んで流れを変えようとするが、上手くいかない。わずかに勝ってはまた大きく負けていく。勝ち取ったチップは少量で、それ以上にテーブル脇の血液パックが冷酷に満たされていった。
「アミ、気にスルナ」
「うん……」
アミは顔には出さないが、甚大な恐怖を抱えているに違いない。そのようにカーバティは思い、アミの背中を撫でて温めてやった。
第七戦。
敗戦が続くごとに集中力が削られていく。アミの表情は曇っていた。一戦目にあったアミの余裕がなくなっていた。こういう時、勝負勘が狂いがちになる。それでもアミは持ち前の勇気でチップを積み上げていく。
だがサエジマは狙いすましたように大きな勝負で確実にアミを仕留めてきた。
またもアミは負けてしまう。血抜きの機械が無慈悲に動く。二百五十シーシーの血液が抜かれアミが頭を押さえる。脳に酸素が足りていないのかもしれない。
隣で見ているだけのカーバティですら胸がざわつき、アミを何とか励まそうと口を開いても息が詰まる。アミはそんなカーバティを見上げ、無理に笑みを作った。そのアミの顔面は蒼白で、唇は紫がかっている。
第八戦。
「……」
ここでアミは久しぶりにジャックのスリーカードという勝負手を引いた。これで流れが変わることをカーバティは祈る。
「ほう、勝負の神様は私に微笑んでいるようだ」
「……ぐ……」
サエジマはエースのスリーカードを引いていた。
アミはこの勝負手でも敗北し、百シーシーの血液と子供達を救うために溜めたチップを十枚失う。
第九戦、第十戦、第十一戦、第十二戦、第十三戦。
「……デッキの交換を」
第九戦目の最初に、アミはようやくデッキの交換を申し出た。そうして仕切り直す。しかし新しいカードになっても手が来ず、アミはフォールドを選択した。血液の代わりとなるチップをまた失う。
第十四戦。
テーブル脇のパックは赤黒く重たく膨らんでいる。
この時点でアミの体から抜かれた血液の量は総血液量の三分の一、生命の危険が及ぶ死線の千シーシーに達している。アミの顔面は蒼白、指は震え、体はフラフラだ。そんなアミをカーバティもイオも息を詰めて見守っている。
チップはわずかに数枚を残すのみ。
「どうやら、いよいよ後がないようだな」
サエジマがそう話す。確かにレイズはもちろん、コールすらも難しい。もう次の勝負に賭ける余力がなかった。カーバティも胸の奥でこれで終わりだと悟っていた。
しかし、アミはふいに静かに言った。
「……上乗せします」
その一言に、その場にいた全員が動揺した。
サエジマが眉をひそめる。
「もう君には賭ける血液もチップも残っていないはずだが?」
アミは震える手で、血抜きの機械に指を添えた。
「……体内に残った血液二千シーシー、全部賭けます。……オールイン」
その宣言に場が一瞬静まり返る。
「アミ、正気か!?」
「アミ様、一回落ち着きましょう!」
カーバティもイオもアミを止めに入る。驚いたディーラー役までもが思わず手を止める。そしてサエジマはじっとアミを見つめ、呟いた。
「命賭けか。確かに、そうしろと言ったのは私だが……」
「これが、最後の勝負です。貴方のチップ、二百枚……全部賭けて下さい……」
アミの声はか細いが、決意に満ちていた。
「良いだろう……」
張り詰めた空気の中、対するサエジマが高らかにコールを宣言する。こうして全てを賭けた最終戦が始まる。
サエジマは自身のチップ二百枚をテーブルに並べ、その目は決してアミから逸れない。カードを開く前、ほんの一瞬だけサエジマの表情が揺らいだ。サエジマも勝利に拘っている。
カーバティが今ならまだ戻れると声をかけようとした。だがアミは首を振り、ぎゅっとカードを握りしめた。
「ショウダウン……。手札を公開して下さい」
「では私の手札だ」
ディーラー役が喉を絞るような声で宣言し、サエジマがカードをゆっくり開く。
「テン、テン、テン、テン、キング、フォーカードテン」
フォーカード、滅多に見られる役ではない。カーバティは思わずカードから目を背けた。イオは完全に沈黙する。サエジマの部下達がざわつく。サエジマは自信満々な様子で、勢いよくグラスに入ったウイスキーを煽った。
「……」
次にアミのカードがテーブルに開かれる。
「エース、エース、エース、エース、クイーン……フォ、フォーカード、エース……」
ディーラー役は凍りついた声で言い、力なく椅子に座り込んだ。
「……?? コレは……勝ッタ、のか……?」
明らかに勝てる流れではなかった。カーバティは頭が混乱し、そんな間の抜けた声を漏らす。イオは思わず機械のノイズを漏らす。アミが倒れかけて、カーバティがアミの背を支えた。
勝負は決した。誰も口には出さないが、アミの勝利をカードが証明している。
その瞬間、アミは大きく息を吐いた。目頭を押さえ、わずかに涙を流していた。積み上げられたチップを取ると、勝利したという実感が沸いてきているようだった。
「アミ様、すごいです! すごいです!」
「アミ、よく最後マデ戦った! よくヤッタ!」
イオの声が震えている。カーバティもアミの肩を抱く。
しかし突然、中立のはずのディーラー役がテーブルを激しく叩いて立ち上がった。
「イカサマだ! これは絶対におかしい!」
顔を真っ赤にして、懐から拳銃を引き抜いてアミに向ける。
「ッ!」
イオが危ないと叫ぶより早く、カーバティがアミとアミの膝にいるイオを抱いて、自分が上になるように床に倒れ込んだ。カーバティがアミとイオをその巨体で庇った。
「やめろ!」
サエジマがただ一言、叱責する。その声音には絶対の威圧がある。
「こいつはイカサマをしたんだ! 間違いない!」
ディーラー役はなおも拳銃を構えながら叫ぶ。
サエジマはディーラー役から拳銃を取り上げると、落ち着き払った手つきでテーブルのカードを一枚一枚広げて観察した。
「なるほど……。確かに、イカサマはしていない。……そう言う他にないな」
サエジマはアミの方を見て、意味深な微笑を浮かべた。
カーバティは困惑する。整理するとこの勝負、アミが何か仕掛けたようだ。サエジマはそれを察したが、それはイカサマではないようだ。カーバティには全然理解が及ばない。
この場が静まり返る中で、アミは最後の力を振り絞って声を発した。
「……血液の補充は不要です。……今のチップで、子供達全員を返して下さい……」
その言葉を最後に、床に伏しているアミの全身の力が抜けた。
「……ちょっと前に生理があって……血が足りないぃ」
カーバティが慌ててアミの頬を叩く。イオが泣き喚く。
だがアミは白目を剥き、口から泡を吹いて、盛大に気絶していた。




