プロローグ
その部屋の空気は高価な酒の匂いで満ちていた。
地下カジノの最奥だった。柔らかな絨毯が足音を吸い込み、壁の薄暗い照明だけがテーブルに置かれたカードと山と積まれたチップを妖しく照らし出す。ここは終点町の裏社会を支配する暴力団「銃紅心死」の本拠地、金と暴力が全てを決める法も秩序も届かない場所だ。
そのテーブルの一方に腰掛けるのは、整ったスーツに身を包んだ組長のサエジマだ。
「純潔の血が一番だ。失礼だが、経験はお有りかな?」
まるで天気の話でもするかのように、サエジマは淡々と言った。
対してサエジマの前に座るのは、十四歳の少女・アミだ。ゴミ山で拾ったジャンパーを羽織り、小さな体には不釣り合いな覚悟をその瞳に宿している。アミの隣には緑色の鱗を持つ巨躯のネオミュータントが息を殺して立ち、膝の上では記憶を失くしたロボットの頭部が心配そうにカメラアイを点滅させていた。
寄せ集めの場違いな一行だった。皆がここにいる理由はただ一つ、暴力団に拉致された大切な仲間の子供達を救い出すためだ。
サエジマが指し示したテーブルの脇には異様な機械が鎮座していた。透明なチューブの先端に鈍く光る鋭い針がある。それは人間の腕から血を吸い上げるための、冷酷な装置だった。
「ご安心を、処女です」
アミの声は震えていなかった。膝の上で握りしめた拳が白くなっていることだけが、アミの内に渦巻く恐怖を物語っている。
「それは結構。では君の血液をチップに代えてもらいたい」
サエジマは愉快そうに目を細め、ディーラーに合図を送る。死のポーカーが始まろうとしていた。
仲間を救うには、チップが二百枚必要だ。そしてアミの体から安全に抜ける血液の上限はチップ百枚分にしかならない。勝つのは難しいゲームだ。絶望的な賭け。
……でも、それしか、皆を助ける方法がなかった。
アミはゆっくりと息を吸った。
これは無謀な賭けではない。命懸けの遊戯で相手の仕掛けた罠のそのさらに奥、少女だけが見抜いていたたった一つの勝機を手繰り寄せるための戦いだ。
アミは震える左腕を機械に差し出しながら、静かに強く心で呟いた。
「暗がりを照らして導く灯になりたい」
その小さな灯がやがて皆を導く光になることを、まだ誰も知らなかった。