第八話『地下の記憶』
“偽物”の死体。歪められた記憶。そして姿を消した本物の三咲涼子。
残された手がかりは、黒い施設コード“BLK-13”。
日向は、街の地下に葬られた過去と、国家の闇に足を踏み入れる。
署に戻った俺を待っていたのは、課長の湊と、意外な“客人”だった。
「……公安の、御堂洸一です。湊さんから連絡を受けて」
黒いスーツに無表情な顔。その目は、こちらの動きすべてを監視するように冷たかった。
「日向刑事。あなたが今、嗅いでいる“ノクス”の情報――我々公安は、その存在を既に『国家機密指定』に分類している。これ以上の関与は“越権”です」
「ふざけんな。俺の同僚が殺されかけたんだ。越権だろうとなんだろうと、俺は進む」
御堂はため息をついた。
「……実験名“Project NOX”は、2005年、国家戦略局の裏で始動。13人の被験者が“記憶ベース人格変換”の対象となった。あなたの言う三咲涼子――彼女は、そのうちの“成功例唯一の一人”、No.09です」
「知ってますよ。それより、地下施設“BLK-13”について答えてもらいましょうか」
御堂の眉がピクリと動いた。答えは沈黙。だが、それはイエスと同じだった。
「その施設、今はどうなってる?」
「封鎖済み。……表向きはな」
課長がぼそりと呟いた。
「一年前、内部で“暴走”があったと聞いた。研究員が複数死亡。原因は不明とされている」
「なら、そこに何かがある。……俺は行く。あんたらが止めたってな」
御堂は、しばらく黙ってから、小さなUSBメモリを差し出した。
「これが地図だ。BLK-13の地下アクセスコードも入っている。……ただし警告しておく。お前がそれを使えば、“引き返せない”ぞ」
「最初からそのつもりです」
夜、都市の裏側にある廃ビル群の中の一つに、俺は立っていた。
地図の指し示すエレベーター跡地。地下5階までの古い階層にはセキュリティも電源も死んでいる。
6階目からが“隔離区域”だった。
コードを入力。重い音と共に扉が開く。鉄と消毒液の混ざった臭いが鼻を突く。
――地下実験施設BLK-13。
錆びついた鉄製のドア、割れた蛍光灯、黒ずんだ床。すべてが“過去の罪”を閉じ込めた棺のようだった。
「……記録データか?」
廊下奥のサーバールームで、埃をかぶったままの端末が一つ、生きていた。
モニターをつける。パスコードは、“0909”。
――No.09 三咲涼子
映像ログが起動する。映ったのは――彼女だった。白い拘束衣に、感情を殺した目。
『記録ログ:セッション89。対象:No.09。人格補填状態、安定。副人格数、現在3体。主導権保持者:リオナ』
『……リオナ、今日は何が見えた?』
『……刑事の夢を見た。バカで、真っ直ぐで、私のことを信じてくれる人。名前は――』
『――削除。感情形成の芽を抑制せよ』
映像はそこで切れた。
「くそっ……」
拳を机に打ち付けた。その直後、背後に気配。
「……見ないでほしかったわ。私の、いちばん汚い部分」
振り返る。そこに――彼女はいた。
「……リオナ……!」
金髪。白いコート。だが、その目には、もう“あの笑顔”はなかった。
「あなたがここに来ると思ってた。だから、先に来て、全部消そうとした。でも――もう遅いわね」
「どういうことだ。なぜ隠れてた?なぜ……誰にも話さなかった?」
「“私”はね、誰かの記憶の継ぎ接ぎでできてる。楽しかった日も、誰かの借り物。笑えた夜も、愛された記憶も。……すべてが、作り物なのよ」
「違う。あんたが俺と笑った日々は、“本物”だ」
「そう言ってくれるのは、あなただけよ……。でも、もう、戻れない」
その瞬間、施設内に警報が鳴り響いた。
自爆タイマーが起動されている――残り時間、4分。
「行け、日向。あなただけでも生きて。私は、ここで……」
「ふざけんな!」
俺は彼女の手をつかむ。
「この街で、あんたに出会って、あんたと話して、バカみたいに喧嘩して……それを全部“作り物”だなんて言わせねぇ!」
「でも、私は――」
「それでもいい。お前が“作り物”でも、“今ここで泣いてる”のは本物だろ!」
――彼女の瞳から、静かに涙がこぼれた。
「……もう、バカ」
俺たちは走る。崩れ落ちる通路。火花を散らす制御盤。
最後の扉が閉まりかけたとき、ギリギリで飛び出した。
地上に戻ると、夜明けの光が差し込んでいた。
地下施設BLK-13、崩壊。
彼女は、生きていた。ただし、記憶の断片と共に、自らの存在意義を問いながら――
次回、第九話『リオナの嘘』
記憶の向こうで、少女は何を選ぶのか。