第三話『煙の中の警官』
拳銃は撃たれた。
それが、警官の胸だったと知ったとき、
街の空気が変わった気がした。
でも――“おバカ”な警官は笑う。
自分にできることが、ひとつだけ残ってるから。
午前二時、灰門市東部の古い商店街で、警官が一人、撃たれた。
深夜の巡回中だった若手巡査が、路地裏で銃撃され、胸部に一発。防弾チョッキは着用していたが、肋骨が折れて気胸を起こし、意識不明。
発見者は通報者の住民ではなく、偶然その場を通った警官――つまり、俺だった。
――数時間前に戻る。
「……なんか変なんだよな」
夜の交番でコーヒーを飲みながら、俺は真壁部長にぽつりと呟いた。
「三咲 涼子」――あの赤い傘の女だ。名前も勤務先も、調べれば調べるほど“うっすら嘘くさい”。紙の上では完璧すぎる。
履歴書のように並ぶ整った情報は、作られた仮面のように感じる。
「なあ部長、あの女……ただの目撃者だと思います?」
「思わねえよ。あの目の動き、明らかにウソついてた」
「じゃあ……なんでまだ、捜査一課は泳がせてるんすかね?」
真壁は煙草に火をつけた。交番の喫煙ルールなんて、彼には関係ないらしい。
「俺の勘だがな――あいつ、もっとデカい何かに関わってる。背後にいる。下手に捕まえると、出てこない奴らがいるんだよ」
「“奴ら”って……?」
そのとき、無線が鳴った。
「……東部商店街、銃声の通報あり。現場付近に警官が倒れているとの目撃情報。至急、応援願います」
真壁と俺は顔を見合わせ、すぐにパトロールカーに飛び乗った。
現場に着いたとき、路地裏は既にパトランプの赤と青で染め上げられていた。
倒れていたのは、巡査の神田 聡。まだ23歳の若者だ。
片手で血のついた無線機を握ったまま、うめき声を上げていた。
「……人影が、ふたつ……銃を、持って……」
俺は神田の手を握りながら、背中の下に手を差し込む。
「大丈夫だ、相棒。お前は、ここで死ぬ人間じゃねぇ」
「日向、戻れ!」真壁が怒鳴る。
次の瞬間、足元で何かが爆ぜた。発砲音――じゃない、火花だった。
現場の電線がショートしたのか、一瞬、視界が白く霞む。
その向こうに、逃げ去る二人の影。
俺は無意識に走り出していた。後ろで真壁が叫んでいる。
「追うなバカ! お前ひとりで何ができる!」
「ひとりでも、やらなきゃ気が済まねえんだよ!」
路地を二本抜けたところで、犯人の片方が振り返った。
……目が合った。
サングラス、短髪、左耳に銀のピアス。年は20代半ばか。妙に冷たい瞳。
「……あんた、警官か?」
低い声だった。銃を構えていたが、俺の顔を見たとたん、動きを止めた。
「……へぇ。笑ってるのかよ」
「笑ってねえよ。これ、素の顔だ」
「……バカそうな面してやがる」
「だろ?」
――そのまま、犯人は逃げた。俺は追えなかった。体が、硬直したままだった。
俺の中の直感が叫んでいた。
“あいつ、警察の人間を見慣れてる”
しかも、俺の顔を知ってるような、そんな反応だった。
神田は一命を取り留めたが、言葉はしばらく出せそうにない。代わりに、現場に落ちていた銃弾から、拳銃が米軍製のグロック19だと判明。
日本じゃ、まず手に入らない。警察すら制限付き。
そして決定的だったのは、逃げたもう一人の方――目撃情報によると、「赤い傘を差していた」らしい。
真壁が吐き捨てるように言った。
「三咲 涼子……いや、名前はどうでもいい。あの女、最初から事件の中心にいたんだ」
俺の中で、何かがひっくり返った。
あの夜、公園で見た女の“震えた指先”――あれは、演技なんかじゃなかった。
恐れていたのは、俺たちじゃない。
彼女は、誰かに追われていたんだ。
銃弾が一発、街の静寂を貫いた夜。
それが警官の胸を撃ち抜いたことで、
真実の引き金が引かれた。
街にはもう、平和なふりをする余地なんてない。
次回、日向が追うのは――“消えた女”の足跡。




