第二話『猫と煙草と迷子の真実』
この街で“当たり前”に見える事件の中には、
誰かの叫びが埋もれてる。
それが子どもでも、猫でも、
一度声を拾った以上、知らぬフリはできない。
……たとえ、煙に巻かれそうになっても。
午後三時の灰門市中央交番は、暇なようで忙しい。
鳴り止まない電話。紛失物の問い合わせ。自転車泥棒の被害届。酔っ払いが昼から暴れて、交番の前で寝ていたのは今朝の話だ。
そんな中、俺は外のベンチで猫とにらめっこしていた。
「なあ、お前。さっきから人の足にスリスリすんのはいいけど、何が目的だ?」
灰色の毛並みに、首輪も名札もない。けど、どこか上品な顔つき。毛並みは手入れされてるし、どっかの飼い猫か?
「日向ぁぁあ! サボってんじゃねえ!!」
ガラッと交番の扉が開いて、案の定、真壁巡査部長が顔を出す。
「違います。これ、捜査です」
「どんなだ!」
「この猫、不自然なんですよ。明らかにどっかから逃げてきた顔してる」
「……猫の顔で判断すんな。動物探偵かお前は」
そのとき、交番の入口に、少女が駆け込んできた。
「おまわりさんっ! 妹が、いなくなっちゃって!」
顔が涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。制服姿からして、小学生。手には小さなぬいぐるみを握りしめていた。
「名前は? 妹さんの名前と年齢!」
「みお……です、5さい……」
真壁が少女を中に入れて事情を聞いてくれると言うので、俺は外に出た。辺りを見回す。
こういうケースの鉄則は、**“犯人探しより先に、目線を下げる”**ことだ。
子どもが歩ける範囲。隠れそうな場所。わかりやすいものじゃなく、面倒くさい角、段差、すきま。
……いた。
交番の裏にあるゴミ置き場の脇、ダンボールの中。ちらりと見えた靴の先に、赤い光沢のリボン。
ゆっくりしゃがみこみながら声をかけた。
「おーい、お姫様? 雨宿り中か?」
5歳くらいの女の子。丸い顔と大きな瞳。驚いたようにこちらを見上げたが、すぐに手にしたチョコを口に放り込んで、ごそごそと箱の中に戻ろうとする。
「おうおうおう。そこ、ネズミ出るぞ? オレ、昨日戦った」
「……ねずみ?」
「うん。警棒で勝った。ギリギリだったけど」
「じゃあ、おまわりさん、つよい?」
「強いよ。おバカだけど強いんだ」
俺はダンボールを少しどけて、ゆっくりとその子を抱き上げた。
体は軽いのに、抱いたとたん妙な重みがあった。
それが“恐怖”の名残だと気づいたのは、交番に戻ってからだった。
「……母親に置いてかれたらしい」
真壁が言った。上の姉とふたりでいたところを、母親だけがどこかに消えたという。
「置き去りですか?」
「いや、どうやら母親、逃げたらしい。借金か何かでな。ガキ連れてっちゃ目立つからってな」
言葉を失う。よくある話だ。でも、“よくある”で流せる話じゃない。
警察の役目は、こういうときこそ問われる。
姉妹を保護し、一時的に児相へ連絡。猫は一緒に来ていたようで、末妹が勝手に拾っていたらしい。
俺は、段ボールから出た猫を、そっと抱きかかえた。
「お前も、迷子だったんだな」
猫は何も答えない。ただ静かに、俺の膝に乗ってきた。
その夜、猫は警察官たちに「シロ」と名づけられ、しばらく交番で保護されることになった。
俺はと言えば、猫アレルギーのくせに、くしゃみを我慢して当番に残った。
誰にも見えない場所で、誰かの小さな物語が折り重なる街。
俺はこの街を嫌いになれない。
笑われても、泥をかぶってでも、守る意味があると思ってる。
その夜遅く、俺のスマホに、非通知の番号から電話が入った。
『赤い傘の女、知ってるわね?』
受話器の向こうの声は、妙に落ち着いていた。
――ただの迷子の事件じゃなかったのかもしれない。
猫と子どもと、嘘と真実。
交番で起きる何気ない事件の中に、
時には街の深い闇が顔を出すことがある。
次回、日向は“最初の警官殺し”と向き合うことになる。
正義も、命も、安くない。
でも、笑ってみせるのが――バカな俺の仕事だ。




