阿し無下
連日連夜、灼熱に次ぐ灼熱。このような日和ではございますが、私奴の身の上などご繙読いただき、無聊の慰みにでもしていただければと存じます。
三三様は唯ひと言「阿諛であろう」とだけ仰せられると、私奴を此処に残し、風の如く消え去られました。
このような事情にございますゆえ、私奴には此の地の終焉を見届けるか、若しくは畜生に成り果てる他に道は存しません。
三三様が去られてから幾刻か、私奴は唯茫然自失して佇んでおりました。
天井より出でる光に徒に此の身を舐められ、あらゆる皿が無常に回転し続ける様を目の当たりにし、我が身の不運を慨嘆せざるを得ませんでした。
「如何にして此処から脱するべきか⋯⋯」と、私奴は自問自答致しました。されど答えは見つからず、唯唯途方に暮れるばかりでございました。
嗚呼、何故に三三様は私奴をこのような地獄に見舞われたのでございましょうか。その意図を解しかねるばかりでございます。
私奴は己の境遇を整理すべく、カウンター席に腰を下ろしました。隣席の者は一切の関心を示さず、唯己の握り寿司に耽溺しておりました。私奴の存在がいかに取るに足らぬものであるか、再認識させられる瞬間でございました。
しばし時を過ごした後、私奴はふと、何やら光り輝くものを見つけました。それは、カウンターの隅に置かれた一冊の古びた書物でございました。
私奴はその書物を手に取り、頁を繰り始めました。
その書物には、古の時代より伝わる儀式や祈祷の文言が記されておりました。私奴はそこに一縷の希望を見出し、この儀式を行えば、或いはこの苦境から救われるのではないかと考えました。
「諸々の神々よ、私奴をお救い下さいませ。如何なる試練であろうとも、耐え忍んでみせますゆえ⋯⋯」
斯くて私はその儀式を執行するため、店内の静寂を破らぬよう慎重に動き始めました。
カウンター席から立ち上がり、店内を見渡しながら周囲の目を盗み、必要な道具を聚めました。幸いなことに店内には多くの材料が揃っており、儀式の要件を満たすことができました。
最初に、店内の端にある調味料コーナーへと赴き、醤油、甘だれ、山葵、そして甘酢に浸かった生姜を手に取りました。これらは儀式における浄化の工程に必要不可欠なものなのです。
次に、レーンを廻る皿の上から、特に目立たぬように幾つかの寿司を取り分けました。これらは供物として奉納するためのものでございます。
斯うして必要な物品を揃えた私奴は、店内の一角に陣取り、儀式を開始致しました。
まず醤油と甘だれを小皿に注ぎ、山葵と生姜を少量ずつ加えました。次に、その混合物を店内の四方に少しずつ撒き、浄化の祈祷を行いました。
「何卒、この儀式が奏功致しますように⋯⋯」
その後、供物として取り分けた寿司を横一列に並べ、それぞれに対して丁寧に祈りを捧げました。
「これらの供物をもって、私奴の誠意をお示し致します。どうか我が霊魂をお救い下さりますように」
儀式の終焉に近づくにつれ、私奴の心には次第に不安と期待が入り混じりました。果たしてこの儀式が奏功し、私奴をこの苦境から救い出してくれるのか、それとも全ては徒労に帰すのか⋯⋯
儀式を終えた瞬間、店内の灯火が一瞬、明滅致しました。その光景に驚いた私奴は思わず後退りましたが、その刹那、三三様の姿が再び現れたのでございます。
「何をしているのだ。此のような処で」
三三様は冷淡なる表情で仰せられました。
「三三様⋯⋯! 先ほどは御無礼を⋯⋯何卒お許しを!」
私奴が慌てて跪き許しを乞うと、三三様は深いため息をつかれ、静かに続けられました。
「無下よ、私が其方のどの行い対して、なぜ腹を立てているのか、分かっておるか?」
私奴が三三様にはたらいた無礼⋯⋯
「回想を試みたものの、徹頭徹尾、思い当たる節がございませぬ⋯⋯」
「其方は食事を始める折、『いただきます』の代わりになんと申したか⋯⋯覚えておるか」
「ええ、もちろんでございます」
あの時、机を覆い尽くす45皿の海老アボカド握りの前で私奴は声を大にして申し上げました。
「三三様のご指導の賜物により、私奴はこのような美味を味わうことができ、誠に感謝の極みでございます!!!!!!」
「あとは?」
「三三様のご慧眼とご慈悲は、他の何者にも勝るものでございます! どうか、私奴のような者にもご恩を賜りますよう! よろしくお願い申し上げます! では、いただきまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁす!」
「見え透いた世辞を並べおって。チョー恥ずかったのだぞ! 無理に褒めずとも、私は部下に金は出させぬ!」
「彼は本心でございます。三三様の素晴らしさを広めたく、他の皆にも聞こえるよう、大声で申したまでです」
「だからそれが⋯⋯⋯⋯はぁ。もうよい、此度は見逃してやる。だが、次はないぞ」
斯くして私奴は、三三様の寛大なる御心により、再びその御側に仕えることを許されたのでございます。斯うして私奴の試練は一旦の終焉を迎えました。
私奴は此度のことを心に深く刻み込み、以後、いかなる状況においても三三様の意に背くことは決して致さぬと誓ったのでございます。
⋯⋯おや、あんな所に童が数名。
「やあやあ! この御方こそ天下の三三様にあらせられるぞ! 童どもひれ伏せ!」
次の瞬間、私奴は斃れておりました。後ろから三三様に斬られたのです。
「⋯⋯次はないと言ったはずだ」
三三様はそう仰せられ、私奴を置いて歩を進められました。
やってしまった。
小さくなりゆく三三様の御姿を見つめながら己の浅陋なることを痛感し、深い羞恥と後悔に苛まれ、ガキ共に枝でツンツンされながら私奴は死んだのです。