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 ④

 


 まったくこいつはと思った。

 話のどさくさに紛れて変な種を渡してきたかと思ったら、人目に付くところで育てちゃダメだからな。犯罪者になっちゃうから。なんて言ってくるから、勘弁してくれよという気持ちで一杯になった。ただそれと同時に、同じくらいの興味が湧いたのも事実だった。

 一年草だから、普通に植えるならまだ育たない。時期は四月か五月から植えればいいから、もう植えても大丈夫だろう。その時期からでなくても育てる方法はいくつかあるから、どうするか、あとはエイジに任せるよ。部屋でも育つし、外でも育つ。強い植物だからさ。そう言いながら猿山が煙草の煙を吐き出す仕草が目に浮かんできた。見つかってはいけないのなら、いくら強い植物でも育てる場所が無いんだけども、と僕が言うと、五月までだとしても時間はまだあるからしばらくその方法を考えてみ。とだけ答えた。それからいくつかの会話をして、これから創作的活動を行うから今日はもう帰るよと、いつもの自転車に乗って去っていった。

 僕は寂れたアーケードの一角にある、くたびれた木製のベンチに座って煙草に火を付けた。遠くを走る車のヘッドライトが夜の雲を右から左に流れ照らしている。この一粒の種をどうやって育てようか。遠くの川原か林に埋めて育てるべきか、家のベランダで育てるべきか。あまり人の目に触れないところだとしても、外で育てることはとても危険なことのように思える。家のベランダといっても、母親が茶々を入れてくることは目に見えているし、それによって栽培の協力を得ることが出来るだろうが、実際に花が咲くのか実が生れば、植物に詳しい母親は異変に気付くだろう。一人暮らしの時であれば、そんな気苦労は無かったのだが、これから一人暮らしをするほどの金銭的な余力はないし、今はすぐに就職をする気にもなれない。ダンボール箱か何かにでも入れて育てることが出来るならまだいいが、実際この種から生まれる植物の背丈がどんなものか分からない。どういった類の種かということは分かる気がするが、実際はいったい何なのか分からない。よくよく考えれば、もしかしたら単純に遊び半分に猿山があんなことを言って渡してきただけかもしれない。

 まだ時間はある。とにかく図書館やインターネットでこの種について調べることから始めるべきで、今日答えを出さなくてもいいだろう。そう決めて立ち上がった。路地に目をやると一人の女性が歩いていた。僕はすぐに気が付いた。

 「この間、会ったね」僕はさっと駆け寄り声をかけた。「今日はマッチはいらない?」

 彼女は少し驚いたようだったが、軽く笑って言った。「なにそれ、全然センスのない声のかけ方ですね」僕も合わせて笑った。

 「今もバイトの帰り?」

 「そうですよ。お友達はもう帰ったんですか?」

 「帰ったけど……あの店にいたの?」

 「やっぱり気付いてないんだ」彼女が悲しそうな素振を演じる。

 「いやいや気付いてるよ。あれだよね、あれ」

 「あれって何ですか。もう、いいいですよ」今度は少し怒った素振だ。僕はもっとからかうつもりだったがやめた。

 「今日も居酒屋のバイトお疲れさん。人の入りが多かったから疲れたでしょ」

 彼女は大きな目を丸くした。「本当に気付いてたんだ」

 「まぁね。いつもいつも気になってたんだよ。かわいい人がいるなぁって」

 「よく口が回りますね」バックを後ろ手に上目使いで僕の目を見てくる。

 「口は回るけどウソは付けないんだよ。帰り道はあっち?」僕は駅に向かって指を向けた。

 「ううん、自転車」彼女は駐輪場に指を差した。

 「じゃあ地元なんだ。俺もここが地元なんだ。帰ってきてのは最近だけどね」

 「地元じゃないんですが、ここに住んでるんです」と彼女は言う。「じゃあ今まではどこかに行ってたんですか?」

 「遠くの街まで出稼ぎにね」

 「それで帰ってきたの?」

 「稼ぐだけ稼いでね」

  目を細めて僕のことを見る。その目はなにか見透かしたようだった。「ってことは、もう辞めちゃったんだ。いまは就活中ですか?」

 「うん、就活中」そう答えてから、なんだか色々と突っ込まれそうな気がしたので、間髪入れずに「学校ってなに専攻してるの?」と聞いた。

 「園芸ですよ。ほとんど肉体労働ですけど」

 「ガーデニングみたいの?」

 彼女は頷く。

 「うちの母親も好きでね。庭をバラ園にするんだって言ってがんばってるよ」

 「バラは難しいんですよね。すごいお母さんですね」

 「温かくなると虫が大量発生するけど」

 「でも素敵じゃないですか」

 「そうなったら素敵は素敵だろうな。夏場になると、汗だくだくでなにか作業してるよ」

 「雑草を抜いたり、肥料をまいたり、してるんじゃないのかな」

 「玄関のところにアーチがあってね、そこにバラを巻こうとしてるんだけど……」

 「たしかにそれじゃ汗だくになっちゃいますね」

  彼女はそう言いながら駐輪場に向かって歩き出した。

 「俺もなにか育ててみようかな」

 「植木鉢でなにか育ててみればいいじゃないですか。一年草でも、今から準備すればぜんぜん間に合いますよ」

 「そういうのあるんだ。まったく詳しくないんだ」

 「一年草と多年草っていうのがあるんですけど……。話聞きます?」

 「いま聞いても覚えてなさそう。酔っぱらっちゃってるから」僕は笑った。彼女も、ですよね、と笑った。

 「なにを買えばいいのかわかりますか?」

 僕は少し右斜め下を見て考えた。考えたが、思いつかない。思いつかないというよりも、知らないだけだろうとすぐに気が付いた。

 「植木鉢と土、それとツタが巻いていく棒、かな?」

 「アサガオでも育てるんですか」とアサガオのように、ぱっと笑顔になった彼女を見て、僕は少しだけどきっとした。

 「なにを育てるのか決めてないんだけどさ。じゃあとりあえず植木鉢と土だね」

 「植木鉢の下に細かい軽石をひいたほうがいいですよ」

 「わかった」なぜひくのかは分からなかったが、ひいたほうがいいのが分かったという意味で答えた。

 「付き合いましょうか?」

 僕はまたどきっとした。「いいの?」

 「構わないですよ。うちのお店の常連さんだし」

 「そゆことか」僕は小さく呟く。

 「なんですか?」

 「なんでもないよ」

 「いつ行きますかあ?」

 「時間だけは持て余してるから」笑ったつもりが、苦い笑いになってしまった。

 「今週の日曜日いこうよ」彼女は思いついたように顔を上げて言った。

 「うん、お願いします」僕は頭を下げて言った。「ところでさ、名前はなんて?」

 「わたしの?」

 僕は、そうだよと言った。

 「名前、知らないですよね、そういえば。顔だけは見慣れちゃってるから、知ってるものだと思っちゃった。わたしはサキっていいます」

 「俺はエイジ」

 サキは微笑んで、「知ってますよ」と言った。「お友達がいつも大きな声でエイジエイジって言ってるから、うちのホールのメンバーみんな知ってますよ」

 「それ聞いたらなんだか、行きづらくなっちゃったよ」

 「また来てくださいよお」

 「なんだかんだ行くと思うけどね」

  駐輪場に着くと、ちょっと待っててくださいねと言い、サキは中へ入っていった。僕はジャケットの内ポケットから携帯電話を取り出して見てみるが、今日も誰からも着信はなかった。履歴を追っていくと、前の仕事での取引先の番号がまだ残っている。以前ならとっくに消えてしまってるだろうなと思った。前に一緒に美術館に行った子は元気でやってるだろうか。僕は素敵な女性だったなと思い返す。仕事を辞める少し前から連絡を取らなくなってしまったが、久しぶりに電話でもしてみようか。付き合うことにも体の関係もなかったのは多分、僕が臆病者だったからなのだろう。タイミングというのはきっと重要で、いまはもうそのタイミングは逃してしまったのだとは思っているが、それでもまた会ってどこかに行ければな。

「おまたせです」折り畳み自転車だろうか、小さくてかわいらしい自転車を引いてやってきた。

「帰り道は?」

「あっちだよ」と僕の道とは反対の方向を指差した。

「じゃあ逆だ。ここでお別れだね。サキちゃんの番号教えてほしいな」

うん、と言って、小さな前カゴに入ったバッグの中から携帯電話を取り出した。

「日曜日はお昼くらいで平気?」

「平気ですよ」

「またメールするよ。気をつけて帰ってね」

 サキは、はーいと言って手を上げて自転車を進めていった。

 僕は、サキが小さな自転車をこいでいく小さな後ろ姿を見て、素直にかわいいなと思った。日曜日が楽しみだ。買い物の帰りにちょっと素敵な店で飲んでもいいな、収入はないが、まだ金はある。頭の中にある、嫌な不安の部分には触れないようにして、気分が良いまま鼻歌でも歌いながら帰ろうか。そうしようとポケットに手を突っ込むと、指の先に慣れない感触を感じて、思い出した。

 小さな透明なビニールパックに入った、一粒の種。種を見るだけで、なにが育つか分かるものだろうか。図書館で調べようと思ったが、もうどうにでもなれ。日曜日に買って、月曜日に植えてみよう。



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