表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

 ②

 

 今日も強い朝の光がカーテンを貫き、どんよりと部屋を満たしていた。

 起き上がり、パンをかじり、服を脱ぐ。それからシャワーを浴びて寝汗を落とし、シャツを羽織る。家を出て駅へと歩き、改札を通る。

 今までで千回以上通ったこの通りも、あと数十回で終わりだ。ホームで人の固まりを乗せた地下鉄を待っていると、前髪が禿げてきている男性が並んできた。手馴れた様子で新聞を小さく畳み、読み始める。年は五十歳くらいか。彼は何回この道を歩いてきたのだろう。往復で考えれば一万回に近いのかもしれない。まさかとは思うのだが、その否定できない可能性を考えるだけで背筋がぞっとする。

 後ろの壁際にあるベンチにはスーツ姿の小太りの男性が座っていた。大きな鞄を胸に抱えるようにして眠っているようにも見えたが、今はラッシュ時だ。駅員もちらちらと彼のほうを見ている。

 地下鉄構内に風が吹いてくる。電車がホームに入る前に吹く風だ。僕は彼の方を見ると立ち上がるような気配がしたが、気のせいだった。少なくとも今入ってきた電車の時は立ち上がらなかった。電車がホームへと入ってくる。目の前を通り過ぎていくどの車両にも、これまでかというほどに人が乗っている。人々の営み。その本質が今この目の前にある姿となって答えを出しているのだとすれば、これ以上ないほどに辟易としてくる。

 僕がそう感じる一方で、そうしているほうが安心できる人もいることは事実だろう。物事の全てを否定することは出来ない。少なくとも大した学歴もなく能力も無い僕には、何かを決め付ける権利も何もない。これは社会人になってまず会社から教え込まれたことの一つだ。もちろん他の多くのことを学び、前向きにも後ろ向きにでも、今までの自分を壊し、創り、虚勢を張り、立ち向かい、追い詰められ、でも自らで、またこの道へと戻ってきた。その狭い世界の中でも、多くの人が多くの考え方をしていることを僕はぼろぼろになりながらも身を持って経験をした。だから僕は出来うる限り自分が感じた裏側のことを考えるようにしている。それが何かに繋がるかどうかは分からないし、それはまた別の問題だ。

 電車のドアが開き、くるりと背を向けてなんとか乗る。この駅は乗る人も降りる人も少ないから、僕が一番ドア側になる。そして鼻先を掠めるようにしてドアが閉まる。億劫そうに電車が揺れてから、ゆっくりと動き出した。隣の女性が少しだけふらついた。

 暗く狭い線路から見える光景は、湿ったコンクリートと配管くらいだ。窓を眺めていると半透明の僕の顔が映りだしてきた。

 無表情。表情を作る気にもなれない。例え車内に僕一人しかいないとしてもだ。その運転免許証の写真にすらもならないような顔をまじまじと見ていると、地下道の電灯が辺りを照らし出し駅へ着くことを知らせる。明るくなると同時に窓に移る僕の顔が消えていった。反対側のドアが開き、今度は人たちが流れ出る。そして出た人数の半分くらいの人が乗り込んでくる。

 ここにいる人たちは何を考えているのだろうか。今日の仕事の段取りだろうか。それとも奥さんの作ってくれた朝食についてだろうか。隣り合った男性か女性のことを考えているかもしれないし、目の前に座っている人が早く降りてくれないかということかもしれない。僕は何を考えてこの道を通ってきたのだろうか。僕が学生の頃、大学へはバイクで通っていた。身なりはスクーター型で大きいのだが、排気量はといえば車検がいらない程度の小さなバイクだった。運転は好きだった。朝、晴れていると気持ちが良かったし、雨だと憂鬱だった。あまりにも酷い天気のときは電車で通った。暖かな季節は風が心地よかったし、寒い季節はこれまでかというほどに厚着をして、厳しい寒さを微塵も感じなくしたときはにんまりとした。上手く書けたレポートがあるときは提出するのが楽しみだったし、嫌いな講義のあるときは、行かなければならないかどうか出席日数を頭で計算していた。だからつまり、その当時の僕は日頃感じたいたことはほとんど天気かサボるかくらいだったわけだが、日常というものの端にある、小さな何かを感じていたことは間違いない。いまはそれすらない。

 ドアが開いた。何人かが人と人の間をすり抜けるように降りていく。僕も続いてすり抜けていく。また今日が始まったんだなと思った。

 就職して正社員になるということは、なにか会社に身売りする感じがした。もちろん会社によってマチマチなのだろうが、僕の会社は土日出勤も残業も基本的には会社への忠誠の度合いを測っているだけのように感じた。そこには社会貢献だとか経済の活性化だとか、そういう概念は無い。全部とは言わない。自分のことで手一杯で、せかせかと働いているフリをして人にその姿を見せて、こんなに頑張っているんですよとアピールしているだけに過ぎない人たちがただ大勢いた。生活があるのでクビにしないでくださいと懇願しているようであった。それがその人本人にも他人にも社会にも何らかの生産性を生むようにはとても思えない。見ている人間もそれに気付かないフリをするのが暗黙のルールだった。

 綺麗ごとだけを言いたいわけではない。俺が食わせてやってんだ。誰が食わしていると思ってるんだ。そういうことを平気で言う人間は会社に食わせてもらっていることに後ろめたさを感じているのかもしれない。すでに軌道に乗ってしまっている仕事の中で必要なのは我慢と忍耐力と没個性化で、決してやってはいけないのは夢を見ること。芸能プロダクションでもないのに海外でダンスを習って会社に貢献したいというわけでもなく、ごく全うな新事業に関してもそうだと言えるし、既存の改革についても同じだろう。当たり前だが誰もが責任を取りたくもなく、平和に暮らして生きたいと願っている。それに確かに家族を路頭に迷わせるわけにもいかないと言うことは分かる。だが路頭には迷わしてはいないのかもしれないが、そう言うそばから家にも帰らず遊んでばかりの人を見ると少し腑に落ちない。完璧な人間なんてどこを探してもいない。そんなことは分かっているつもりだ。それでももしかしたら、単純に僕がやはりただの世間知らずで、未だに夢見がちなオトコだからそう思うのかもしれない。

 映画やドラマでは、社会の中で破天荒な主役が活躍する物語をよく目にするし、人気もあるようだ。主人公の役柄は学校の教師やサラリーマン、または法律家など他にも数えればたくさんある。要するに多くの場所で、社会全体の多くの部分で閉塞感が満ちていて、そしてそれを誰かに打破してもらいたい。できれば違う場所の違う世界の人間で、それも出来るだけ遠くで。蝶の羽ばたきが世界の裏で異変を起こすようにと願っている。他力本願であるが、すでに本人は気付かずして無意識に願っている事もあるだろう。若いというだけで認められずにその熱を開放することが出来ない少年や少女が大勢いる。自らを自らの意思だけでスポーツや勉学に打ち込むことのできる人は少数だろう。不良少年や暴走族も、それに憧れる少女も、文武に打ち込む青年も映画の破天荒な主人公も、おそらくその根っこの部分は同じなのだろう。閉塞した世界への、その表現方法が違うだけだ。

 僕はそこから抜け出す。映画の主人公のようには成れなかったし、成りたいとも思っていなかった。それは人によっては敗走と指を指されることであって、見方によっては決して逃れることの出来ないスパイラルの中で闇雲にもがいているだけかもしれない。猿山にしても同じことだ。どこかで何かの現実を突きつけられて大きく挫折をすることもあるだろう。それでも自らを突き通したならば、と。本人としては充実感を得て年を重ねることが出来るはずだと彼は言うと思う。

 俺たちは前を進んでいくことしか出来ない。そう言う猿山の声が耳の奥の後頭部の中間辺りで囁いている。

 地下鉄から外に出る階段を上る。外は少しだけ曇りを見せていて、柔らかく辺りを包んでいる。

 最後の出勤を祝福してるんだなと思った。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ