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第2話『日魏首脳会談・東城家と司馬家』(2/13)

壁のかたわらで、わたしはおまえにひとこと話そう。

わたしのいうことを聞きなさい。

わたしの教えに耳をかたむけなさい。


(旧約聖書創世記『ノアの方舟物語』より引用)

 黒塗りの高級車が高層ビルと近代建築を窓に映しながら太陽のかがやきを燦然と受け、中央分離帯に植樹された桜の花びらの一片(ひとひら)にくすぐられる。


「……子元(しげん)君と薙瑠(ちる)ちゃんがもうすぐ着く頃だな」


 家柄の斯波(しば)、老練の(さくら)、勇気の荒垣(あらがき)、軍師の国枝(くにえだ)、情報の柏木(かしわぎ)と各々の強みを生かし秋津悠斗に仕える五奉行(ごぶぎょう)

 その一角を担う功臣の柏木神爾(かしわぎしんじ)電子画面(ブルーライト)の硬さに目頭を揉みほぐしながら考えにふける……あと数分で横浜会場に到着すると側近たる警察庁長官の刺刀一馬(しとうかずま)に告げられ、キーボードを打つ速度を上げる。

 現在時刻──【09:45】


 柏木がにらめっこしているのは公文書である。


 花押(かおう)、なる墨書での署名は今でも内閣にある。国務大臣の名字をくずし漢字一文字に粋にまとめたものだ。署名欄にそれらが整列してひとつの文書となる時、単なる紙媒体以上の価値を持つ一種の芸術品となる。

 古き良き日本の伝統文化だ。

 物部政権ののち、羽賀政権で奥羽太郎(おううたろう)行政改革担当大臣がハンコレスだの頓珍漢なことをほざいていたが、合理化だの自由だの浅はかなことを喚いて先人が何百年何千年かけて紡いできた文化を消し去るのは愚か者の所業であろうが。


 さて、肝心の中身だが……


====================================


【平成最後の年に時空間の歪みで戦艦大和が魏国に迷い込み、〈(はな)〉を狙った異世界軍と遭遇。日魏連合艦隊による【百鬼夜行(ひゃっきやこう)】作戦は日本の一般国民には特定機密保護法に指定されておりサイバー空間含め全て抹消されている】


(物部泰三元内閣総理大臣並びに柏木神爾国務大臣請議、〈幻華譚(げんかたん)〉の機密保持を目的とした特事対(とくじたい)──内閣府特定事案対策統括本部創設を主軸とする特別措置法案の閣議決定書より引用)


 ──当時、荒垣健(あらがきたける)防衛大臣と司馬仲達(しばちゅうたつ)録尚書事のふたりの英傑が手を携え、民を護るため戦ったのだ。全ての戦いを終えたのち、(おとこ)(おとこ)で酒を酌みかわすとちかt|


====================================


 ……柏木はノートパソコンのDeleteキーを長押しし、Wordの新規文書を消去した。素早く指先を這わせ、シャットダウン。蓋を閉じる。


 アーキビストは座席に背を預け、うつろいゆく車窓に心を溶かした。


 坂道の峠を通過すると目にもあざやかなコバルトブルーの水平線、大海原に圧倒される。柏木は気合いを入れた。


     *    *


 ……時系列が若干戻り、戦艦大和から魏国一行が降り立つ歴史的瞬間が刻一刻と迫りくる。


 若手幹部自衛官の指揮でベテラン隊員がきびきびと綱を港にくくりつける。

 日本にも魏にも言えることだが、軍においては二十代の人間が四十路五十路の人間に指図するのは日常茶飯事だ。この場合指揮官にはカリスマ性が求められ、現場には職人としての経験が必要となる。

 将軍として司馬氏を輔弼(ほひつ)する賈公閭(かこうりょ)夏侯仲権(かこうちゅうけん)は采配を振るう立場として思うところがあるのだろう。


 搭乗橋(タラップ)を渡し、艦長たる東城洋介一等海佐の先導で一行が港に降りる。

 段差にやや足元がおぼつかない薙瑠に子元がここぞとばかりに手を差し出そうとするが、先に子上が自然体で手を貸してやり、男子女子でこだわっているうちに弟に先を越された複雑な感情、そしてそれを自覚し顔がやや熱くなるのを感じる。


 だめ押しに薙瑠がたおやかに笑っているではないか。


 ──俺の前で見せる笑顔は本心だろうか?

 

 そんな不安と焦燥に駆られる子元。彼は無愛想に見えて感情をこらえているだけなのかもしれない。


 洋介と美咲はふたりのいじらしい両片想いに目を細めた。


 ……ところで。

 東城洋介(とうじょうようすけ)は高校時代は出版部部長にして剣道部副将であったのだから人並み以上の教養と体力はある。

 ただし直情径行が玉に瑕だが。事実、防衛大学校、海上自衛隊幹部候補生学校でも座学はからっきし駄目だったが戦場で軍を指揮する才能だけはあった。焔より燃えたぎる闘志と、氷より冷静な判断力。

 現在日本の武官の最高峰にある父、東城幸一(とうじょうこういち)の七光りと言われぬよう、ひたすら質実剛健に徹してきた。

 その嫁、東城美咲(とうじょうみさき)──旧姓西村美咲はそれこそ「タピりに行かない?」「ウチらずっ友だょょ」「一期一会」だの言う(たぐい)の女子ではあるものの現代的な中性的なイケメンに飽食しており、ならばいっそと小中高と同級生の洋介と交際。軽音楽部のボーカルを経験し、専門学校東京クリエイター学園音楽科歌唱専攻に進学……

 ……と、ここまではいいだろう。


 ──問題なのは、日本国政府が美咲をマークしていることにある。その透明感ある歌声の中に〈(はな)〉を呼び覚ます波形があることを──!

 そして魏国と接触するまでは仮称〈太陽因子(たいよういんし)〉としていたものが〈華〉だと判明したのだ──!

 やたらと金のかけたヘリコプターのCMで有名な医学界の権威、高天原博嗣(たかまがはらひろつぐ)博士はこれに着目。現在東城一族はVIP並みの扱いを受けている。


《 運命(さだめ)が彼ら彼女らの未来を歪め、国すら壊してしまう──‥‥‥ 》

  

 ……文化系と体育会系のハイブリッドたる洋介にとり、脳内で目の前の情景と文学作品を結びつけるなど容易いことだ。

「──搭乗橋(タラップ)を渡れば、そこは桜舞散る神の国であった──」

「川端康成?」

「確か文豪が拳で抵抗する乙女向けで銀髪のイケメンになってたっけ?」

「まだなってないよ。文豪なのは合ってるけど」

「誰推し?」

「中原中也」

「あ~! うちの(はるか)と同じ名前の繊細な女の子がプロデュースするあのアイドルユニットの背が高い彼に似てる人?」

「夢女子とかに言うと袋叩きにされるからやめとけ?」

「……美咲、まさか俺たちの娘の名前ってそれからとった?」

「……本当は春歌にしたかったんだけどね」

「キラキラネームかよっ!」

 

《 ──“(うみ)(かい)”し、“(うつく)しく()”き、(さまよ)う“(はるか)”なる()── 》


 ……魏国一行を出迎えたのは、二十一発の礼砲と、一糸乱れぬ動きで銃を捧げる儀仗隊だった。あざやかな青の上衣(ジャケット)下衣(ズボン)。紅色の差し色が軍服に走り、黄金の(ボタン)金烏(たいよう)の輝きを預かる。革靴が顔が反射するほど磨かれている。そして肩と帽子には──桜の印。我が軍が桜の鬼の残党だと言いたいのか、と仲達は鼻を鳴らした。


 続いて、秋津悠斗内閣総理大臣と五大奉行が司馬仲達張春華(しばちゅうたつちょうしゅんか)丞相夫妻からの挨拶を受ける。秋津らが拱手し、仲達らが握手を求めポジティブな意味のすれ違いに一同の空気が和む。  


「おとーさーん」


 幼女の笑い声に皆が振り向けば、父を呼ぶ茶髪の幼稚園女児を銀髪の祖父が肩車して黒髪の父親と蜂蜜色の髪の母親に預ける。一般的な三世代家庭だが祖父はきらびやかな黄金の差し色が漆黒の軍服に身を固め、父親も同様だ。

(はるか)! 重くなったな」

「わーい」

 と父東城洋祐が両脇を持ち高く持ち上げる。

「うん? 女の子に微妙に失礼じゃない?」

 と母東城美咲が口を波線にして牽制。若くして産んだ娘として親子を超越した奇妙な友情が芽生えるのだろう。


 最近は緑と黒の市松模様を商標登録している鬼を滅ぼす中で人間讃歌を高らかにうたいあげる国民的アニメに母娘ともどもはまっているらしい。美咲から百分率がインフレを起こしたアイドルユニットプロデュースの乙女ゲームの端末を与えられており英才教育にはらはらとする洋介であった。


「親父、最高指揮官来てるぜ」

 と東城洋祐一等海佐が耳打ちする。

 ──秋津悠斗内閣総理大臣も口を波線にしているではないか。

「げっ!」  

 秋津は手をぴらぴらと振って気にするなと言いたげだが、幸一は権威に弱い。

 これが陸海空自衛隊二四〇〇〇〇人の頂点に君臨する東城幸一(とうじょうこういち)統合幕僚長の憎めないところだ。大雑把に言えば洋介から教養を抜いて腕っぷしを補ったような人物。漁村にて生まれ育ち、荒っぽい男衆に鍛えられ、密漁船には漁船で体当たりして追い払っていた豪放磊落っぷりを見込まれ海上自衛隊にリクルートされた次第。


 幸一は威儀を正し、洋介に敬礼する。父親ではなく武官の統括責任者たる統合幕僚長(とうごうばくりょうちょう)としての顔つきだ。魏で言えば大将軍だろうか? いや、文官と協調しつつ武官の立場で総理大臣や防衛大臣のサポートに徹するため参軍や軍師のほうが近いニュアンスだろう。

 洋介もそれに応え、敬礼で返す。

「DDR140戦艦大和艦長、東城洋介(とうじょうようすけ)一佐、魏国訪問団を連れただいま帰国致しました」

「遠路はるばるご苦労だった。ここからは我々日本国政府が引き継ぐが……」

 幸一は秋津に目線で問う。秋津は頷いた。

「洋介と美咲ちゃんは子元殿と薙瑠ちゃんの案内役だ、任せたぞ」

「わかりましたお義父さん」

「そうこなくっちゃな、親父、このUSBに記録を纏めておいたから荒垣官房長官に頼む」

「確認した。国枝防衛大臣と柏木外務大臣にも見てもらう」

 幸一は昭和の男らしく若者の世話を焼いた。六〇の割にえらく歯が白く輝いたのは水面の反射だけではあるまい。


 美咲に抱っこされたままのまだ五歳かそこらの遥はまだ男女の違いすらいまいちわからないほど幼かったから子元と薙瑠の関係は理解できなかったのかもしれない。しかし美咲から聞きかじった断片的な知識で問いおおせた。

 

「──ねえ、ちるおねえちゃんってしげんおにいちゃんのかのじy──」


 桜の鬼はひどく赤面した。


     *    *


【 令和十二年度日本国魏国首脳会談事前担当者会合主要出席者名簿 】


 ■日本国

 ・秋津悠斗  内閣総理大臣 

 ・斯波高義  副総理兼財務大臣

 ・荒垣健   内閣官房長官 特定事案対策統括本部(とくじたい)本部長(魏国接触者)

 ・柏木神爾  外務大臣兼内務大臣

 ・国枝晴敏  防衛大臣

 ・桜俊一   事務担当内閣官房副長官 (文官トップ)

 ・東城幸一  自衛隊統合幕僚長 (武官トップ)

 ・高天原博嗣 内閣特別顧問 医学博士 (魏国接触者)

 ・東城洋介  戦艦大和艦長 (魏国接触者)

 ・東城美咲  内閣官房参与 歌手 (魏国接触者)

  他、関係各省庁官僚


 ◆魏国

 ・司馬仲達  魏国 録尚書事(宰相?) 大将軍 

 ・張春華   司馬懿正室

 ・司馬子元  中護軍 

 ・司馬子上  中領軍

 ・桜薙瑠   六華將

 ・鷺草神流  六華將 (備考:薙瑠ちゃんを愛でる会会員)

 ・賈公閭   参軍

 ・夏候仲権  車騎将軍

  他、諸将、文武官


 テーブルには主要出席者がつき、後ろの椅子に双方のスタッフが控える格好だ。


 それぞれの国の成り立ちなど既定路線をトレースして議題を消化し、追加議題となる。しかしこれが最も言いづらい案件だった。


 秋津はレジメをジト目で見据え、荒垣にふる。

「ではこの件は省庁横断的かつ重大事項に鑑み、特事対(とくじたい)本部長でもある荒垣官房長官に一任する」

 秋津が荒垣に書類を押し付ける。

「いやいや総理、ここは外交内政を一手に掌握している柏木大臣がふさわしいかと」

 荒垣が柏木に書類を押し付ける。

「あ、なら柏木外務大臣兼内務大臣、話せるか?」

「僕は既に外務大臣、総務大臣、公安委員長、IT科学技術政策担当大臣、マイナンバー担当大臣、行政改革担当大臣と閣僚を六つも兼任している。手一杯だ」

「ほう? 総務省と国家公安委員会が統廃合で内務省になったはずですが」

 会合の速記録に勤しんでいた桜副長官が顎を親指でなぞり片目をつむる。そこへ秋津が助け舟を出してやる。

「生意気な文官を黙らせるためにハリボテの組織を作ってめんどくさいやつをそっちに移したのさ」

「さらっととんでもねえこと言いやがったよこの独裁者! とにかく国枝君、ここは親友として僕を助けてくれたまえ」

 柏木が国枝に書類を押し付ける。

「所管外で~す」

 wwwと文字起こしできそうな口調だ。

「あっ、ひでえ!」

「どう考えても逍遙学園(しょうようがくえん)ってこれ文部科学省案件ですやん」

 

「(──なぜ逍遙(しょうよう)の名を──!?)」


 彼らの口から紡がれたよく知る言葉に、薙瑠は顔をひそめた。


 その青い瞳に映る彼らは何色だろう?


 国枝が斯波に書類を押し付ける。

「いやいやいやいや、なぜ(それがし)なのか、たった今文部科学省案件と申したはずであろう」

 室町時代有力守護大名を務めた武家の当主、斯波が口髭をピンピンと動かす。 

「これは、まさに、まさにですね、財務省がお決めになることなんだろうと、思うわけで、あります」

 国枝が物部泰三(もののべたいぞう)元総理大臣の物真似で茶化す。日本国政府一同が吹き出した。


 ……今こそ、平成最後に永田町を騒がせた問題の真相を明かそう──逍遙(しょうよう)学園建設予定地へ財務省が国有地売却の便宜を図り間の悪いことに物部総理大臣(当時)の夫人が名誉校長を務めていたのだ。政権与党たる保守党と公民党を野党たる民衆党と労働党が追及。当然物部の預かり知らぬ事件ではあった。悪いのはファーストレディである。

 ──だが、それでも、女神からの大切な約束だからばらすわけにはいかなかったのだ。大切な、大切な約束なのだから。

 当時の副総理兼財務大臣たる青梅一郎(おうめいちろう)が財務省高官を更迭し事なきを得た……


「斯波副総理兼財務大臣の髭は巨大な宇宙開拓船団で歌舞伎役者がアイドルと二股かけて戦闘機を乗り回す作品のセクシー系と可愛い系のヒロインのうちの可愛い系の髪型みたいに感情とシンクロしているようですな」

 洋介が東日本大震災で番組編成がガラリと変わり深夜アニメを中学生の時期に見るようになったきっかけを思い出す。ちなみにこのアニメ美咲との共通の話題でもある。

「ああ、それの昔のやつ見たぞ、宇宙人が残した楽譜に歌詞つけたラブソングで戦うやつ……と、まあ、それはさておき」


 幸一が咳払いして自席に戻る。一体彼は何しに来たのか? 

 というより、日本国政府一同何しに来たのか??



「────いい加減にしろ」



 仲達が眼光炯炯(がんこうけいけい)丞相(じょうしょう)首相(しゅしょう)を見る目付きではない。

 街路樹の桜の樹がざわめき、いくばくかの花びらが舞い散る。心なしか空には暗雲が立ち込めているようにも見えなくもない。

 一騎当千の仲達に凄まれ、怯えない男性も女性もいないだろう──春華以外は。

 奇しくも仲達は子元が日本側に発したそれと同じ言葉を詠んだ。


「首相、そろそろいいんじゃないんですかね」

 旧制大学で歴史戦略を体系的な学問として修めた国枝が眼鏡をクイクイと上げ下げする。

 上下関係にこだわる天上天下唯我独尊の秋津悠斗が同性で唯一対等と認める盟友国枝晴敏の諫言(かんげん)を受け彼は腹をくくった。

「わかりました、俺の口から申し述べます」


 桜俊一内閣官房副長官が新たな資料を配る。甲乙柄や文武官の署名捺印が並ぶそのお役所文書の中身には──逍遙学園(しょうようがくえん)の文字。

 そして群青色のハードカバーの表紙には秋津悠斗内閣総理大臣の署名捺印と全国務大臣の連署花押が山盛りに並ぶ。ダメ押しに経団連会長だの連合委員長だの朱のてんこ盛りだ。


====================================


【 ヤ マ ト ヲ グ ナ 作 戦 概 要 】


 日本国政府および内閣府特定事案対策統括本部による策定


 ──司馬子元(しばしげん)桜薙瑠(さくらちる)の現代日本転生を目的とした天皇(てんのう)木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)との血脈を(すべ)とした歴史介入ならびにパラレルワールド創世を主軸とした日本神話を典拠とする草薙剣(くさなぎのつるぎ)大和武尊(やまとたけるのみこと)(あやか)った複合的作戦運用計画概要──


====================================


 当然、狼狽する魏国ご一行。

 本旨に入る前に、と秋津は前置きし滔々と語りだした──


「ある少女の話をさせてください。彼女は幼い頃、とある鬼をその身に宿してしまう。それがきっかけで一度は死に直面したものの、生きながらえた彼女はその後、自分が守りたいもののために刀を振るうようになる」


 張本人たる桜薙瑠が顔を跳ね上げた。


「自分が役に立つのなら、できる限りのことはしたい──そんな一心で刀を振るう技術を身に着けた。しかし、そんな彼女が歩む(みち)は、彼女にとって残酷なものだった」


 きゅ、と薙瑠が唇をかみしめる。


「それは運命(さだめ)──結末が決められているもの。辛くても、苦しくても、逃れる術などなかった。定めとは言え、彼女にもこうしたかった、こうなりたかった、そんな望みもあったのかもしれない。それでも彼女は、自分の心を殺して、自分の行く末を受け入れることを選んだ」


 薙瑠は苦しくて泣き出してしまいそうに見えた。少なくとも子元にはそう見えた。子元は会議の席ゆえ憚りつつも薙瑠の背中を二、三回さすってやる。水色の華服の衣擦れの音が薙瑠の耳を撫でる。その耳は淡い桜色に染まっていた。

 その手がとても優しくて……とても温かくて……薙瑠はすがってしまいそうになる。

 そして薙瑠が子元すがってしまいたいと思う以上に、子元だって薙瑠にすがってほしいのだ。男子にとって女子に好意を遠慮されるのが一番堪えるものだ。


「その行く末、結末はここでは述べませんが……一部の方は既にご存知、もしくは推測されている方もいらっしゃるでしょう」


 六華將たる薙瑠と神流が仲達に視線を送る。仲達は顎を引いて肯定した。

 秋津悠斗は出席者全員をぐるりと見渡して反応を確かめると、まなざしに力をこめた。


桜薙瑠(さくらちる)はあなたです! 夢見た未来や希望に裏切られ、日々何かが失われるのを感じ続けている。生きるため、責任を果たすために、自分の心を圧し殺すことに慣れて、本当の自分を見失ってしまった……偽りの歴史を紡ぐ歯車として生きる運命が自分を食い潰してゆくのを予感しながら、暗く険しい道を歩き続ける。この過酷な時間(せかい)を生きる無名の人間の一人、我々の分身なのです……!」


 薙瑠の苦しみより軽度なれど同種の悩みを抱えた若者は文明の進んだ日本にごまんといるだろう。

 いや、文明が進んだからこそ抱える社会病理なのだ。人間を豊かにするための社会システムがいつのまにか社会システムの維持のために人間を歯車として扱う本末転倒なものとなっている。

 時間軸では日本国は魏国より二千年のはるかかなたの未来にあるが、果たして日本が進んでいると言えるだろうか? いや、言えまい。

 秋津総理大臣は大切な人との出逢いと別れを通じこれに気づいたからこそ二十代でこの国の最高権力者の地位に登り詰めたのだ。


「ですから、どうかご理解頂きたい。もし、彼と彼女を救うことで自分もまた救われると思えるなら。この大それた選択の先に、もう一度、本当の未来を取り戻せると信じるなら。ぜひ私共日本国政府の総意で練り上げた【ヤマトヲグナ作戦】をご覧になってください。国と民の板挟みで葛藤する俺たちだからこそ、自分の心の(こえ)に従って──未来はそこにしかないのですから」


 情に駆られいつの間にか一人称が俺になっていた秋津首相は手元の書類が塩辛い涙で滲むのも構わず、熱い弁舌を振るう。

 魏国一行はぐったりと椅子に背を預けた。唯一仲達だけが威儀を正し、群青色の冊子に手を伸ばす。

 ヤマトヲグナ作戦の感触と重みを手で確かめる仲達。

 そして、息子が背負ってしまった過酷な運命。


 偽りの世界そのものをなかったことにしてしまう──日本国政府の謀略はとんでもないものだった。


       *    *


 横浜の港から二羽のカラスが天高くはばたいた。


 蒼穹に漆黒の羽根がよく映え、太陽に淡く照らされる。 


 カラスはそこらへんの人間より賢く、神武天皇(じんむてんのう)の道案内に高天原(たかまがはら)から遣わされたほどだ。


 やや体格のいい一羽が高みへ登り、もう一羽が一歩下がってついていく。

 兄と妹に見える者もいれば、雌雄のつがいに見える者もいるだろう。





 ──まじわりし二つの軌跡、漆黒の烏が太陽に煌めき、二つの國の物語の黎明(れいめい)を告げた!


 



 

(第一章「黎明篇」)




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