第11話『木花咲耶姫と磐長姫』(11/13)
爆撃に たふれゆく民の上をおもひ いくさとめけり 身はいかならむとも
(昭和天皇御製)
「「降伏勧告だとお!? ふざけるなあああああっ!」」
城の地下での臨時の軍議は荒れに荒れ、辛くも逃げおおせた呉國の将兵たちはもみくちゃになっていた。
わざとではないが皿や机が蹴飛ばされ、巻き添えを食らう。
彼らの怒声を翻訳すれば、
「徹底交戦だ!」「伯言はなにをやっている!」「日本の荒垣とやらを斬れ!」
「「──貴様ら聞けえええっ!」」
古参の武将が怒鳴り、皆が静まる。
「議を尽くすこと数刻。軍議はいまだ結論を出せていません。しかも奴らはこの城を射程におさめるレールガンなる飛び道具で狙いをつけているのであり、事態は一刻の遅延も許さないのであります。ついては甚だ異例で、畏れおおきことながら、陛下のご聖断を拝しまして、結論を出したく存じまする」
「それならば、私が、意見を言おう」
皆が孫権に注目し、暗がりのなか文官が速記録を取る音だけが響く。
「私は我が妹と意見をひとしくする。このまま徹底交戦し、文化を破壊し、民を焼けば、呉の国家体制は崩壊する。しかのみならず、自衛隊は自らの兵糧を民に炊き出したというではないか。さらにこの呉にも百鬼夜行作戦以来司馬懿が自衛隊のすすめで間諜を投じている。異国とも手を組むその奸佞邪智や恐るべし。そんなことをされては我が国の面子は丸潰れだ。民衆の蜂起も時間の問題だろう」
諸将がすすり泣く。
「武官らにとり、占領や併合がこの上ない屈辱であることはよくわかっている。それでも、私自身はいかになろうとも、民のいとなみを守りたいと考えている。耐えがたきを、耐え。忍びがたきを、忍び。我らの妻子を守りその血を後世に受け継ぐために、今日の屈辱に耐えようではないか。それが男だ」
孫尚香が人差し指をビッと示す。
「ならば、司馬昭の即位を認めてやる代わりに、漢室と呉、魏、蜀の諸侯をそのままの領地にて冊封、地位を保障させる!」
「だがその前にやるべきことがある」
「「!?」」
「呉が後世の歴史家に悪役と書き散らかされることは耐えられん。孫尚香よ、これが最後の仕事だ。心して聞け──特使として洛陽に赴いてもらうぞ」
一同が威儀を正す。
孫権は立ち上がり──羽織をひるがえした!
「孫尚香よ、今日までよく私についてきてくれた。これが最期の命令になる────絶対に死ぬな!!」
* *
朝焼けが逍遙樹をてらしあげ、幻想的な桃色が子元の空色の瞳に映る。
「樹に向かって話しかけるなんてな……」
司馬子元は洛陽の城壁内に遷された逍遙樹の幹を撫でた。
薙瑠の肌を撫でるように、やさしくさする。こうしていると自分の心までが癒されるように思えてくる。
子元だって空を眺めたり草花をいつくしむ繊細な一面があるのだ。
ざらざらして、
ごつごつして、
あたたかく、
やさしい、
その手触り。
なつかしい、
その感触。
ふと、媚薬でも飲んだみたいに急に頭がくらりとして、子元は奇妙な行動に出る──桜の花びらに甘い口づけを落としたのだ。
ちゅ、と子元の綺麗な唇が蝶よりも繊細な所作で桜をついばむ。
逍遙樹の花びらは桜薙瑠の唇より甘かった。
ぴと、と一片の花びらが子元の頭にくっついた。
今の口づけのお返しだろうか?
特事対が解析した通り樹木とて立派な生き物だ。地中深くに根を紡ぎ、他の植物と繋がっている。
その命、大自然に自然信仰としての畏敬の念を抱き、子元が息を吸い込み、放った問いは──
「──木花咲耶よ、三千世界を見渡す女神なら教えてくれ! この戦乱の世にあって、父上、母上、子上と生き別れ、日本で薙瑠と逃避行を決め込むことが正しいのか!」
腹の底から叫び、肩を震わせる子元。
だが、木花咲耶姫は答えてくれなかった。
「そこで何をしている」
「!? ……父上」
ふたりの黒髪が揺れ、耳飾りのシルエットがダブる。
青い空、その高みに雲が流れ、桜とのコントラストが幻想的な光景を描く。
「お前が問わずとも、薙瑠に頼れば、簡単に問答ができるはずだ」
「わかっています、ただ……」
上司でもある父親に口答えしていることに気づき、ためらうが、
「構わん。言ってみろ」
仲達は腕を組み、目を細める。
「薙瑠に決断を迫るわけにはいかない。これ以上、薙瑠に重荷を背負わせたくない……!」
堰を切ったように辛抱強く堪えていた情炎が口からほとばしる。
「私は、俺は、木花咲耶が憎いっ……!」
衝撃の一言だ。燃える焔玉のような一言。一人称までもが混乱している。
「憎い、か」
「あんなに繊細で聡明で芯の強い薙瑠が、過酷な人生に押し潰されて笑顔が消えていくことが、許せなかった。自分のために生きられない、人生なんか……!」
──ごはんは食べられているかな。
──ぐっすり眠れているかな。
──泣いたりしていないかな。
気づけばいつも薙瑠のことばかり考えて、どうしたら薙瑠が喜ぶか考えていた。
薙瑠が自分の未来にいないなんて、耐えられなかった。
ただ、薙瑠に隣で笑っていてほしかっただけなのに……
子元はセピア色の書物を仲達に差し出した。
「お返しします」
「読んだのか?」
「信じられないことに、日本に同じものがありました」
「父上には晋帝となる子上を輔弼して頂き、魏國の未来を委ねたい」
「おもはゆいが、その称号はお前が求めていたもののはずだ」
「────私は、薙瑠と添い遂げる未来を選びます。
母上と子上を頼みます───」
うつむきがちに目を開ければ、近付いてくる父の足。
──仲達が子元を抱きしめた!
「すまなかった、子元」
抱きしめる力は、痛いほど強かった。
「!??」
「何も、してやれなかった。寂しかっただろうに、辛かっただろうに」
その瞬間、父親と息子を隔てていた分厚い氷の壁があたたかい海になりふたりを包み込んだ。
「お前から離れることが贖罪になると勘違いしていた。それが、お前をますます傷つけていたとも知らずに」
「……いいのです」
自分は父親に愛されている。
そんなこと神流に言われるまでもなく、子元はわかってて。
目元の傷が心理的にも物理的にも疼き出す。決して不快ではない、あたたかい熱。
逍遙樹が影の領域に包まれる──そろそろ仕事に戻る時間だ。
「(いいのです──‥‥‥)」
逍遙樹が枝を揺らしながら子元の言葉を反芻していた……
……その様子を目を細め眺めていた張春華と司馬子上。ついでに東城家。
「ひょっとしたら、俺たちがこうして顔を合わせるのは最後かもしれない」
遥が子上の華服の裾をつまむ。
「やだ! しじょうおにいちゃんとさよならしたくない!」
信じられない握力で衣を掴む娘に洋介は制する。
「これはご無礼を!」
「いや、いいんだ。子供には夢を見る時間が必要だからね」
洋介と美咲は恭しく拱手し、司馬昭にひざまずくと共に遥と頭の高さを合わせた。
「遥。しじょうおにいちゃんに、いや、皇帝陛下に忠誠を誓約しなさい」
王子様は軽く膝をつき、遥の両肩に手を添えて頬に甘くてやさしく唇をそっと押しあてた。
「ん……」
二千年後の日本の文化に合わせてみたが、遥が将来本当に好きな男子ができた時のために、唇は奪わなかった。
「ありがとう、一瞬でも僕を好きになってくれて。嬉しかったよ」
美咲が手取り足取り教え、遥はスカートの裾をつまみ、少し上に持ち上げ、こうべを垂れる。
「でもね、女の子が好きという気持ちをあまり軽々しく言っちゃだめだよ」
「なんで」
五歳の遥はまんまるでもちもちしたほっぺたをふくらませ、淡い桜色の唇を尖らせた。
「そのうちわかるよ、大人になればね」
子上はその頭をいつくしむようにいつまでも撫でていた。
「幸せになってね」
頃合いを見計らい、ちょっと美咲に雰囲気が似た女が子上に歩み寄り、拱手する。
「子上殿……いえ、皇帝陛下、コノハナチルヒメ作戦の軍議が始まるわよ」
「わかった、赴こう……ところで君は?」
自分の即位は内外に喧伝されているずだが、
「私は──王元姫。今日から子上殿の側近とし仕える女よ」
* *
丁彦靖が天幕を押しあけて、一礼する。子上と春華が思わず腰を浮かせた。
それに対し仲達は頷くにとどめた。警戒心と猜疑心のほうが勝っていたからである。
「日本と盟を結んで以来、私は随分と強硬な意見を申し上げ、司馬懿殿を輔弼するつもりが、御子息にもご迷惑をおかけしました。謹んでここにお詫び致します」
仲達が目を見開き、ここでようやく立ち上がった。
「私の本意は、ただただ、魏を残し、漢室を守り奉ることにありまして、まして他意があったわけではございません。何卒、ご了解くださいますよう」
「俺こそ、お前のように率直に諫言できる臣下の有り難みがわかるからこそ、拝聴してきた。すべてが國を思う情熱だった」
仲達は力強い掌を重ねた。
「俺の血を受け継ぐふたりの息子は、ひとりは異国で心から愛する乙女と添い遂げ、ひとりは皇帝となりこの時代で晋を開闢する。たとえ二千年の時が隔てようと、司馬一族の血は何千年も受け継がれ、民を導くだろう」
「私もそう信じております」
そういう忠臣のまなじりからはこれでもかと涙にあふれていた。
「司馬懿殿、これは西の異国で商人が仕入れた葡萄酒です。私はたしなみませんので、ご家族で召し上がっていただくべく持参致しました」
仲達の視線が葡萄酒に注がれているうちに、緊張から逃れるべく、彼は天幕をあとにした──
「丁彦靖は暇乞いに来たのだな」
……女官が五つの杯に酒を注ぐ。
薙瑠と司馬一家の最期の杯だった。
「薙瑠ちゃんは飲めなかったのでは?」
新人の女官の疑問ももっともではあるが、先輩の女官は含めるように教え諭した。
「一口だけでもこういう儀式は大事なのよ」
* *
呉國の孫尚香がアポなしで訪問したせいで城壁の門番という責任ある仕事を務める兵卒がたじたじになってしまった。
「司馬懿はどこだ!?」
「司馬師殿と一緒です!」
「司馬師はどこだ!?」
「司馬懿と一緒です!」
「……司馬懿は!?」
「司馬師と一緒です!」
「会談に応じぬか、ならばその女々しさにあやかり、女物の服をしんぜよう」
「まて、慌てるな、これは孔明の罠だ」
「旦那様、なにやら汗をかいておられるようですが」
「酔っただけだ」
顔に被せられた女の服を押し退け、仲達は平手で制し、二千年後の日本でSNSのクソリプで使われている三國志漫画のパラレルワールドの自分の台詞を発する。
「言伝を述べよう──呉國は、晋の配下に入る」
もう戻せない偽りの世界を嘆く代わりに孫尚香は走った。
愛する兄が治める祖国を守るために……
* *
「高天原に神留まり坐す 皇親神(かむ)漏岐神(かむ)漏美命以ちて──」
大祓だ。柏木神爾外務大臣のポリネシア系の発音で神々の時代の日本語が紡がれゆく。
そもそも日本民族は東南アジア系の縄文人と大陸系の弥生人の混血であるはずだ。ミャンマー語の発音は上代日本語にかなり近い。
逍遙樹の上空に東京都庁ロボが舞い降り、海水浴を楽しんでいるかのようにふわりふわふわと浮かんでいる。
柊氷牙を奪還した晋王朝開闢陸海空統合任務部隊は最終段階に入る。
コノハナサクヤと対を為す、木花薙瑠姫作戦。
内閣総理大臣夫人、桜香子の筆名と桜薙瑠の名前を冠したこの作戦名はやはり特別な意味を持つ。
その全貌が、晋王朝開闢陸海空統合任務部隊によって紡がるる──
烈火鮮血の如き旭日旗が大陸の風に誇らしげに舞う。
洛陽の砦の奥に眠る逍遙樹の周囲を海上自衛隊イージス艦が車懸りの要領で遊弋する。都に全長百七十メートルもの影がいくつも重なるさまは圧巻の一言に尽きた。
こんごう型護衛艦こんごう、同きりしま、同みょうこう、同ちょうかい、あたご型護衛艦あたご、同あしがら……これら六隻が六芒星の頂点を構成しながら鋼の結界となる。
ひょっとしたらこの偽りの世界のどこかには六華將のように色とりどりの宝石が花弁のように埋め込まれた碑があるのかもしれない。
護衛艦こんごうには神流。
護衛艦きりしまには氷牙。
護衛艦みょうこうには狼莎。
護衛艦ちょうかいには薙瑠。
護衛艦あたごには鴉斗。
護衛艦あしがらには紗鴉那。
六華蔣それぞれがイージス艦なる未来の異国の軍船に分乗し、儀式の役者を務める。
『東京都庁ロボ降着』
『恒河沙とのデータリンク良好! これよりハッシュタグによる全世界同時ツイートを開始する! トレンド一位を目指せ!』
『予定通り、コノハナチルヒメ作戦を開始する──!』
「「「──木花咲耶よ、時空を超えて神と鬼と人が交わした義兄弟の盃を以て、幻華譚を人が為す偽りの陽の物語に改めよ」」」
青くかがやく六芒星が地面に投影され、儀式が始まった。
* *
「や、なんだあれは!?」
光の粒子が集まり、人影を構成していく。
それも人間サイズではない。
飛鳥時代のような白い衣に、緑に光る勾玉を首からぶら下げ、長髪は炎のように赤い。
「ふははははははは! ふはははははははははは!!」
人影はおどろおどろしく高笑いした。
「我が名は、伊邪那岐命。お前たちが畏れる神。木花咲耶姫の始祖だ」
「「!?」」
洋介が負けじと一歩前に踏み出す。
「神様だかなんだか知らねえが、何の用ですか?」
イザナギが両手を掲げると、一万隻のカラドボルグ級殲滅型重戦艦が魔方陣とともに海原に出現したではないか!
「薙瑠を諦めるなら、魏國への攻撃をしないでやる」
「「なにぬかしてやがる!」」
「お前を愛する家族の愛と、お前が恋する乙女の愛……さあ、お前の愛を、選べ!」
「狂っている」秋津天皇が絶句する。
「これが、イザナギの怨み」香子皇后が眉間に皺を寄せる。
「まさに、悪魔の選択……!」荒垣が拳を握りしめる。
たまらず薙瑠が子元の顔色を伺うが、
「俺が決める。俺が選ぶのが神の決めた掟なんだ──!」
ひゅう、と乾いた風が子元の肌を撫で舞わし、鳥肌が立ったのは寒さのせいばかりではあるまい。
子元の青い瞳には澄んだ冬の大空が映し出され、その瞳孔はタールのように黒く濁りどんな景色も見出だせなかった──‥‥‥
参考資料
「日本のいちばん長い日」(半藤一利氏)
「昭和天皇論」(小林よしのり氏)