第7話『特事対・桜薙瑠が選ぶ未来』(7/13)
日本神話において、須佐之男命が高天原を追われて出雲に辿り着くと、ある老夫婦が悲しみに暮れていた。素戔嗚尊がその訳を聞くと、ヤマタノオロチという龍に自分たちの娘を生贄として捧げなければならないという。
そこで須佐之男命はオロチ退治を引き受け、奇策を用いて見事これを倒して見せる。
そして、その体を解体していると、尾を切り開いた時、自身の剣が何か硬いものに当たって折れてしまう。その部分から、一振りの剣が出てきたという。
この剣が天叢雲剣であり、のちに須佐之男命は姉君である天照大神にこれを献上したという。
そして天孫降臨の折りに、今度は天照大神がニニギノミコトへの餞別として、玉と御鏡を合わせて贈ったという。
(pixiv百科辞典より抜粋)
桜薙瑠にとって異国での三泊四日が人生で最も濃密な日々であったことはまちがいない。
ヤマトヲグナ作戦を一度は拒絶した桜薙瑠だが、上皇陛下の大御心と東城美咲のまっすぐな意志に薙瑠は猶予を与えた。
姫様の血筋、もっと言えば、神と鬼の血筋を受け継ぐ帝がこの日本にはいて、国民に敬愛されている。
そして美咲は言った──友達だと。
確かに寿司も、焼き肉も、カレーも忘れられないが、初日の夜に、戦いを忘れて子元と食べた肉まんの味、あの素朴で優しい味が忘れられなかった。
幻華譚を守るために大国に立ち向かう特務機関。
宰相を経験した物部泰三と青梅一郎の演説通り、この国には鬼である薙瑠を歓迎してくれた。
──できることなら、危害を加えていない限りは、自分と異なる存在を認めることぐらい、してほしかった。
この異国は、その薙瑠の願いを叶えてくれる新天地かもしれない。
そう感じ、薙瑠は今は小物入れに収まる自分の眼帯を見つめる。
子元は言った──
「どんな世界で、どんな姿になろうと、俺が必ず迎えにいく」
春華は言った──
「遠慮しないで、私たちは家族でしょう?」
考えて、考えて、考えに考えを重ねても、答えなんか出せない。簡単に出せる訳がない。
それでも、夜が明けたらその答えを出さなければならない。
荒垣健と司馬仲達の共同記者会見が待っている。
昨夜、舞踏会を終えた子元と薙瑠は上皇と皇太后に招かれ、妖刀の存在が語られた。
その言葉とは──
「三種の神器のうち壇之浦で失われた草薙剣のオリジナルは、桃色の妖刀であった」
*
*
*
ヤマタノオロチの尾から草薙の剣が発見したことはよく知られているが、まさか令和のこの世に妖刀が出てくるとは誰が想像できただろうか……
……原発作業員のごとくアノラックの防護服とフルフェイスの防護マスクを身にまとった高天原博嗣博士と数名のスタッフたちが東京駅丸の内南口前にその巨体を側臥させるオロチを見上げている。
宵闇の中にあってサーチライトに照らされるオロチの体表面は鱗のひとつひとつが岩石のように隆起している。
懐中電灯を裂けた筋肉組織の奥に向ければ、桃色に照る剣。それはまるで紅桜刀のようで。
「これで、ヤマトヲグナ作戦は契約改訂し、タカミムスビノカミ作戦となる」
告知神獣の来たる目的は、ヤマトヲグナ作戦のトリガーとなる新たなる神器の献上であった──
*
*
*
──薙瑠が恍惚とした桃色の瞳に妖刀を映す。
子元はチョコレート色の粉末を二つのマグカップに入れ、お湯を注ぐ。八分目まで注いだところで牛乳を溶かしこむ。
ガキン、と刀を納める音とスプーンをかきまぜる金属音はほぼ同時だった。
紅桜刀が畳の上に置かれ、子元が歩いてくる。
司馬子元は桜薙瑠の待つ縁側に出た途端立ちすくんだ。無数のかがやきが濃紺の星空を宝石箱を散りばめたようにきらめいていたからである。
かくも壮麗なる星々のいとなみであった!
文化的にも物理的にも都心の中枢にある皇居は静謐の森に包まれていて、遠くには夜景が、天空には宇宙の光が照らしてくる。
子元と薙瑠には天皇の計らいで日本家屋があてがわれた。
「口に合うといいが……」
「ありがとうございます」
子元はあたたかいココアをすすり、ほっと一息。薙瑠は小動物みたいに両手でマグカップを抱え、じんわりとあたたかい湯気に包まれながら静かに口に含む。
子元が彼女の左に腰掛ける。
赤紫、若草色の植え込みの中、耳を澄ませば、ししおどしの竹に水が注がれ、小気味良い音色を弾く。
藺草と木の匂いが鼻をくすぐり、植物由来の分泌物が薙瑠の切ない心を癒す。
薙瑠が今傍らに置いた紅桜刀は、人を斬り殺し逍遙樹に生命力を補給するための妖刀。それはまるで戦い続け、誰かに尽くし続け、自分の人生を生きられなくなった彼女そのものに見えて仕方がない。
薙瑠の蒼い髪がはらりと揺れる。
マグカップをちょこんと持って、睫毛を伏せ、眉は下向き。儚い乙女の顔だ。
薙瑠を守ると子元は言った。逆だ。薙瑠を物理的に護ることで子元が心理的に守られているのだ。
──一緒にいたい。
──泣いたり、怒ったり、八つ当たりして、すがったっていいんだ。
護るなんて格好良い振る舞いはできないだろう、だが痛みを、苦しみを共に背負うことならできる。
薙瑠の辛さを全部引き受けて、子元の幸せを全部あげたい。
それが、嫁に迎える以上の礼だと思うから──
子元は薙瑠の肩を引き寄せる。
ココアの水面の薙瑠の顔が歪んだ。
薙瑠は拒まなかった。
ふたりのシルエットがもう一度重なった。
彼らが見つめる先には──黒塗りの高級車が隊列を組んで皇居外苑を走っていた。
それらが向かう先は──首相官邸。
「こんな遅くまで仕事か?」
実際、官邸はまだ明るく、人の気配がある。
「気になりますね。色々と伺いたいこともありますし」
「同感だ。行けるか?」
「勿論です」
淡いルージュのついたマグカップに、やや大きいマグカップが縁側で肩を寄せあっていた……
* *
首相官邸、二階大会議室には印刷機、パソコン、ケーブル、プロジェクター、ホワイトボードが置かれ、コピー用紙の束が運び込まれる。
机を島ごとに分け、関係各省庁ごとの班とする。
「東城美咲です」
「桜香子です」
有り体に名刺を交換しようとした美咲は相手の名前に驚いた。
「国立国会図書館館長……桜……」
「──え、もしかして……秋津総理大臣の奥様ですか!?」
「え、ええ……」
令和の紫式部との呼び声高い三十二歳の才媛だ……そして、洋介が一時だけ目移りした女性でもある。
「し、失礼致しました!」
美咲の蜂蜜色のややカールした髪がふわふわ揺れる。
美咲は慌てて名刺交換の最中の名刺入れを一段下げ相手への敬意を表すが、もっと恐縮したのはファーストレディだった。
「あ、えと、やめてください、私はそんな……」
麗しくシルクのように繊細な黒髪がはらりと揺れる。
「秋津君、あ、じゃなかった、秋津総理大臣の彼女さんですよね。話は洋介から聞いております」
「洋介君、艦長になったんですよね」
「あ、来た来た」
「おう美咲、お疲れ──えっ」
洋介と香子が顔を見合わせる。
「久しぶり、ですね」
「そうですね、香子様」
「え、堅くね?? 私に遠慮してる?」
洋介が振り向いた先には──秋津悠斗内閣総理大臣が荒垣健内閣官房長官と打ち合わせをしていた。
「……あ~、理解理解」
そんな彼らを荒垣が顎で示し、行っていいぞと秋津に微笑む。
総理大臣と官房長官とはいえ、子と親ほども離れた歪な年齢差。それでも奇妙な友情と忠義が成立するのは、国を変えるという壮大な夢を共有しているからだ。
その手元の書類には……
【 東京都千代田区永田町 首相官邸二階大会議室 内閣府特定事案対策統括本部──特事対 】
====================================
~特事対主要メンバー~
秋津悠斗 内閣総理大臣
荒垣健 内閣官房長官 特事対本部長
峯坂優衣 内閣情報通信政策監
立花康平 経済産業大臣
立花沙織 内閣特別顧問
高天原博嗣 医学博士
秋津英子 文部科学大臣、国家教育委員長、特等文化監
矢本シオリ 法務大臣
桜俊一 内閣官房副長官 特事対事務局長
桜香子 内閣総理大臣夫人、国立国会図書館長
桜凪子 内閣総理大臣政務担当秘書官
高倉登 国家安全保障担当内閣総理大臣補佐官、国家安全保障局長
藤原永満 内閣危機管理監
東城美咲 内閣府特命担当大臣、特事対副本部長
東城洋介 海上自衛隊一等海佐
東城幸一 防衛省自衛隊統合幕僚長
岡崎昌也 警察庁警備局警備企画課理事官
====================================
……現在日付が変わろうとしている。全員官邸に泊まり込む覚悟だ。
最も若手である洋介も美咲も三十路。身体的には徹夜はきついが、社会の理不尽も楽しさも知り尽くしている年齢である。だから一日ぐらい寝なかったぐらいで弱音を吐くつもりはない。
部屋にはカップ麺や野菜ジュース、ミネラルウォーターが運び込まれ、毛布やクッションも何枚も用意されている。
「高校の文化祭で遅くまで残った時のことを思い出すね」
美咲は能天気なものだ。
「実際、何日も出られないからな」
「──全ては機密保持のためだ」
その低く官能的な声をかけたのは秋津総理大臣。洋介の背後から歩み寄る。
子元にひけを取らないくらい、眉目秀麗という言葉が似合う秋津悠斗。
高貴さを感じさせる白皙の美顔に、野心に燃える紫の瞳。藍色の長い前髪がはらりと揺れ、漆黒のスーツがすらりとした手足をより端正にひきしめているのがわかる。漆黒の革靴が品のよい音色を鳴らした。
「こ、これは総理!」
「失礼しました!」
しゃっちょこばって敬礼する洋介と美咲に秋津は苦笑する。
素性を知っている日本のふたりですらこうなのだから、魏國に正体を明かしたらどうなるのだろうか────皇室の一族、と。
「学生時代みたいに呼んでくれていいのだぞ、洋介、美咲」
年齢差に比例して身長一七五センチの秋津と一八二センチの洋介の身長差を美咲は認める。
「旦那様、お二人に失礼でしょう?」
「あ……申し訳ありません」
日本国の最高権力者たる、一億三千万人の国民と百万人の党員を従える内閣総理大臣にして保守党総裁が妻に深々とこうべを垂れる。
実際秋津のほうが年下である。
「えっ、本当にお嫁さんに敬語使うんだ……?!」
「いけないのか……」
頭を下げたまま秋津がジト目で顔を向ける。
「せめて先輩をつけるべきよ……」
「畏まりました──東城先輩、美咲姉貴」
「懐かしいな」
「私は姉貴かい」
ファーストレディは楽しそうに笑った。
唯我独尊の秋津に諫言できる唯一の女性だ。野党もマスコミも「奥様からも言ってやってください」と泣きつくのが定番だ。
* *
『デン↑デン↑デン↑デン↑ドン↓ドン↓』
唐突に、山口県三区選出の二世政治家の内閣官房副長官が内閣府特命担当大臣となり日本を救う映画の作戦会議シーンで流された打楽器のBGMが誰が持ち込んだかわからぬスピーカーから流され、一同が吹き出す。
「久しぶりにこのメンツが集まってくれて嬉しく思う。秋津閣下の構想を具現化するため、個性豊かな君たちの力を貸してくれ」
本部長たる荒垣が仕切る。
「それでは各セクションより現状の報告してくれ」
高天原博士が挙手し、妖刀の説明を始めた。一同が唸る。
「失われし草薙の剣、そのオリジナルが紅桜刀とは」
「やはり実在していたか」
「続いて公安警察からの報告ですが、現在国内潜伏中の中国スパイに不穏な動きがあります」
「柏夫人がラスボスと思っていたが、実は中ボスで、真の敵は──」
「──周陣兵。中華人民共和国、国家主席だろう」
突如あらわれた司馬子元と桜薙瑠に驚く特事対一同。
薙瑠が一歩前に出る
「頂いた冊子、そしてこの二千年後の世界でのいんたーねっとという情報の海から導きだした回答です」
「なら話が早い──香子様、明朝俺と明日国立国会図書館にお願い致します。もちろん子元殿と薙瑠ちゃんも連れて」
秋津は子元と薙瑠にこの二千年分の歴史を明かすことを決めた。
「何を感じ、どう考えたのか、あなた方の知った時間を聞かせてほしい──‥‥‥」
* *
東京都千代田区永田町──首相官邸一階記者会見場。
記者がノートパソコンをバチバチと叩く音がうるさく鳴り響く。
機材の配線が張り巡らせ、本社と確認を取る記者もいれば、官僚らがせわしなく動き文書を回す。
『こちら東邦新聞の磯月望子です。帝国ホテルでの日魏首脳会談は異例の全編非公式であり、マスコミをシャットアウトしたことが更なる憶測を呼んでいます。現在首相官邸での記者会見の時間を二十分過ぎていますが、両国首脳は今だ姿を見せず、会談が白熱しているかと思います』
なんでもいいからトークで場をつないで! とアシスタントディレクターがカンペで磯月に指示。
『二〇一八年、当時防衛大臣だった荒垣官房長官は魏國を去る間際、こう言い残しました。我々は、あなた方が刻んだ偽りの歴史をとある小説投稿サイトで知っている。それを知ることができたのは、東城洋介艦長が愛読しているからだと。さながら、戦艦大和は時空の大海原に踊り出すタイムマシンなのです』
やや情緒的に話したことをアシスタントディレクターに目線で諮るが、しっかりと頷いたのでそのまま続ける。
『我々メディアは、今日この日、視聴者の皆様に歴史の証人となっていただきます。偽りの陽の物語が改訂され、二つの國の物語が始まるのです』
頭を深々と下げる桜俊一内閣官房副長官らを尻目に、荒垣健内閣官房長官、司馬仲達録尚書事が入場する。
ストロボフラッシュに目を細める仲達に先に登壇を薦め、荒垣が右隣の演壇につく。
日の丸と魏の軍旗がクロスして誇らしげに飾ってある。なかなかににくい演出だ。
当然、二つの旗に一礼。日の丸が太陽、魏の書の中に鬼がある。それはまるで太陽因子と華を象徴するようだ。
内閣広報官の峯坂優衣が愛する夫に微笑む。広報官は記者会見を取り仕切る立場にある。
『これより、日本国、荒垣健内閣官房長官と魏國、司馬仲達録尚書事による合同記者会見を執り行います。冒頭、官房長官と録尚書事から発言がございます。皆様からの質問はその後でお受け致します。それではお二方、よろしくお願い申し上げます』
荒垣が口を開いた──
『……平成最後の年、二〇一八年、我々は時空断層に迷い込み、魏國と邂逅しました。鬼と人間が確執を抱えながらもなんとか共存し、ここにおられる司馬懿殿が統治する、美しい時間です』
仲達が口を波線にする。荒垣は続ける。
『のちに晋となるその國には、ある日鬼のエレメントがぽとりと落とされ、それは華と呼ばれました。それは、史実の三國志から分岐したパラレルワールドの世界。幻華譚に残された三國ノ華、偽りの陽の物語。そのパラレルワールドが魔界帝国の魔力でさらに分岐したのですから何が起こるか分かりません。連鎖的なパラレルワールドがもたらした時空の狭間、時空断層と呼んでいますが、そこに戦艦大和は迷い込みました』
渋谷スクランブル交差点で若者らが壁面の大型スクリーンを見上げる。
なんという運命のいたずらか、その場に居合わせ、身を以て妖術を体感したのは東城洋介氏。現戦艦大和艦長であり、房総高校にて今のファーストレディである桜香子氏と交流した青年です』
【 テレビ朝陽ニュース速報:東城洋介艦長、桜香子夫人との交流あり 】
記者らがどよめいた。
「桜香子夫人はまさか三華を作った張本人なのですか!?」
「静粛に!」
優衣が制する。
『張本人ではなく、あくまで知り合いだということです』
「知り合い……」
『ええ、あくまで知り合いです』
「しかし、同じ桜という名字ですが」
【 NKHニュース速報:桜香子首相夫人は三華原作者の友人 】
桜俊一内閣官房副長官が顔を引き締める。
『桜。ファーストレディ、そこにおられる官房副長官、総理秘書官、そして誰より薙瑠ちゃんの名字であります。言うまでもなく、日本にはやおろずの神々がおわしますから隣に神様の末裔がいてもおかしくはありませんが、これは決して偶然ではありません。三華世界を創造した神の名、その名は──木花咲耶姫なのですから』
「な、なんだって?」
「じゃあ、日本神話は事実??」
【 産政テレビニュース速報:日本神話はおおむね史実。木花咲耶の存在が立証。天皇陛下は木花咲耶の末裔。】
ここで桜薙瑠、司馬子元が入場する。
薙瑠は荒垣に目線で頷く。
『木花咲耶の姿がこちらのイラストになります。ご覧の通り桃色の瞳に和服ですが……畏れ多くも天皇陛下に対し奉り不敬は承知で薙瑠ちゃんとのDNA鑑定をお願いしましたが、ふたり、おっといけね、お二方のDNAが一致すると特事対から報告されました。これと宮内庁の資料を照らし合わせ、日本国政府は、薙瑠ちゃんの始祖である木花咲耶姫の実在と、天皇陛下がニニギノミコトと木花咲耶姫の末裔であると結論づけました』
制止を振り切り、フリップボードに記者が殺到し、なめ回すように写真を撮りまくる。
『つまり、日本国と魏國は共通の神話を持つ氏族だったのです!』
荒垣は手元の水をあおり、一息つく。
記者は圧倒され、椅子にぐったりともたれていた。ここでひとまず質問を受け付ける。
『それでは質疑応答に移ります。冒頭幹事社から指名致します。』
優衣はフラッシュの煌めく会場を見渡し、平手で差す。
『どうぞ』
最初に手を挙げたのは黒シャツが特徴的な中年男性だ。
『官邸記者クラブ幹事社、産政新聞の石橋です。早速荒垣官房長官にお伺い致します。司馬仲達閣下は魏國を治める立場であり、本来であれば秋津内閣総理大臣が同等同格の職位で共同記者会見に臨むものかと思いますが……今回官房長官が臨む理由をお聞かせください』
実際、幾多もの国難において日本の反撃を主導してきた荒垣だから、彼が取り仕切ることについては異論は皆無と言ってよい。それをわかっていて官邸記者クラブ幹事社は質問したのである。他のマスコミの牽制も兼ねている。
そもそも記者クラブという制度自体、行政がマスコミを統制するための枷なのだ。
悪い言い方をすればやらせになるが、それが政治というものだ。
『お答えします。今回の歴史改変、一連のオペレーションには国民レベルでの合意形成が不可欠と考え、秋津政権は民意を問うため衆議院解散総選挙を実施、政権が代わるからです。後任の総理大臣には私荒垣健が指名する手筈に、与野党合意しています』
──衆議院解散!?!?
ざわめく記者を優衣が制し、荒垣に続けるよう促す。
『都市伝説レベルで秋津悠斗内閣総理大臣が皇室、秋津宮家の末裔であることは国民の方にもご存知の方がおられるとは思いますが、これは事実です。第百代内閣総理大臣秋津悠斗閣下は、秋津宮悠斗親王殿下として第百二十七代天皇陛下にご即位あそばされます』
おおお、と公共放送の記者がメモ片手に本社に速報を入れる。
速報の原案をさっきの衆議院解散と差し替えるよう記者が泡を喰う。
【 NKHニュース速報:秋津首相、衆議院解散の意向。自身の即位に伴い荒垣長官を後継指名 】
渋谷スクランブル交差点、巨大モニターを眺めていた若者らがスマホを向け、ハッシュタグをつけて短文投稿型SNSに書き込んでいく。
お茶の間でテレビを視ていた高齢者が放送局に電話をかけまくる。
『どうぞ』
『朝陽新聞の木下です。歴史改変については、中国当局の強い反発が予想されます。お話を伺う限りは戦闘は最小限にとどめるとのことですが、要はタイムスリップしてクーデターをやらかすようなものではないですかね?』
無精ひげを早しやや粗暴そうな男がボールペンをクリックしながらたずねる。
『タイムスリップしてクーデター、言葉尻はともかく、本質はまさに仰る通りです。これについては明日国連安保理の緊急会合が開かれることになっており、当事国、常任理事国の首脳レベルが参加します』
『どうぞ』
『日本公共放送の綾瀬です。ずばり、これの作戦名は?』
『これは機密ではないので公表いたしましょう、タカミムスビノカミ作戦です』
『どうぞ』
『共通電信の佐藤です。オロチの尾から出てきた妖刀は草薙の剣と同一視してよろしいのでしょうか』
『そう考えていただいて差し支えありません』
『東邦新聞、政治部部長の磯月望子です。日本政府の意志はよくわかりました。しかしながら、この計画には薙瑠ちゃんの同意が絶対条件のはずです。ぜひ薙瑠ちゃんの口から決意表明を賜りたい』
『この異国の帝は姫様のご血筋を受け継いでおいでです。日本の民が、その血筋を繋げようと努力し何千年も歴史を紡いできた帝と民の絆は純粋に敬意を表しています』
『あのね、今はあなたの気持ちを聞いてるのよ?』
『すみません』
『謝らなくていいの、こちらも意地悪な質問だったわね。ごめんなさい』
『いえ』
『失礼だけどあなたのことは皆知ってる。残酷な運命を背負わされて、それでも懸命に生きようとしているあなた自身に、多くの人が感情移入している』
『……わかってます』
『私は──』
たいせつな思い出が走馬灯のように駆け抜ける。
『子元様と生きる未来も、魏の國と民、いえ、魏、蜀、呉のすべての人たちが晋王朝の治世で生きる未来も、私は、失いたくありません……!』
一瞬静まり返るマスコミが怖くなり、目をきゅっと瞑っていた薙瑠だったが──拍手がひとり、またひとりと増えていく。
『……ご覧になっている皆様、これがヤマトヲグナ作戦の全貌です』
『ワラワラ動画の島田です。荒垣閣下、視聴者からのコメントをぜひ薙瑠ちゃんにも見てもらいたいのですが』
『どうぞ、私も妻と見てよろしいですか?』
『喜んで』
島田はパソコンをくるりと回し、皆に見せる。
『キタ━(゜∀゜)━!』
『薙瑠ちゃんお幸せに』
『男を見せろ子元様』
『俺たちも応援するぞ!』
薙瑠は鼻をむずらせ、涙を拭い、嬉しそうに子元を見上げる。子元は薙瑠の手を恋人繋ぎにし、歩きだす。
──首相官邸屋上ヘリポートに政府要人用ヘリコプターが舞い降りる。
開け放たれた扉からストロボフラッシュが焚かれた。
光の洪水に祝福されながら、子元と薙瑠は最後の戦いへ臨む────誰も知らない、その路へ──‥‥‥
ふたりの時計が抗えしえないカイロス時間から、抗えうるクロノス時間へと変わった。
ふたりは歩きだす。
三國世界でやり残した最後の戦いのために……
幕張メッセに見開きで展示されていた幻華譚の文字が消えていくのに気づいたものはいなかった……