表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/11

フェイズ00「予習・歴史上の変化」

 今回の平行世界では、まず1920年代から30年代中頃ぐらいまでの我々の住む世界とこの世界との違いを、我々の世界からの視点で箇条書きで見ていきたい。

 

 最初に見るのは、発端とその後の流れを作る「第一次世界大戦からロシア革命にかけての変化」で、その後各国の歩む経緯を簡単に触れて本編に入りたいと思う。

 


ターニングポイント


・ドイツ帝国によりスイスから送り込まれたレーニンなど共産党幹部達を乗せた封印列車が、爆破事故で破壊。

 レーニン以下多数が死亡。

 (※最初のターニングポイント)

・ドイツは焦り、ロシアの諸々の反政府勢力への援助の強化と自らの攻勢の強化を実施。

 

・ロシアの革命政府は統制が取れなくなり、結果として最低限のまとまりを維持した社会革命党が消去法の形で支持を伸ばす。

 

・ロシアのボルシェヴィキ(多数派=共産党)は、無理矢理さらなる革命を実施するが、内輪もめと求心力のある人物がいないため内部崩壊の形で失敗。

 共産党の残党はペテログラードから逃亡。

 ヴォルシェビキ幹部は壊滅。

 

・共産党は、その後反政府組織、民衆の敵として壊滅させられる。

 ロシアの各勢力も、仕方なく革命政府支持。

 

・ロシアに集まりつつあった世界中の共産党及びその関係者も散り散り。

 

・一方では反対派による混乱続く。

 このため共産党は弾圧され、共産党の生き残りはロシア国外に逃亡。

 他国の共産党も、それぞれの国によりすぐにも壊滅させられる。

 史実でソ連成立前後にできた共産党や共産党に関連する運動は全て不発となる。

 

・社会革命党は社会民主党と名を変えて政権を握る。


・しかしロシア人に戦争継続の意志なし。

 

・ドイツは、敵の抵抗が極端に弱まったので首都陥落を目指すようになり、もはや共産党はどうでもよくなる。

 

・ケレンスキー政権は、ペテログラード陥落でドイツに降伏。

 

・独露の講和は1918年4月にペテログラードで締結。

 

・「ペテログラード条約」 ロシアはドイツに広大な領土を割譲し、軍備を制限され、多くの国や地域の独立を認めなくてはならなくなる。

 

・ドイツ軍、ペテログラード、モスクワなどの占領によりロシア駐留軍が史実より1個軍程度増加。

 その分西部戦線に兵力が回せなくなる。

 

・史実よりドイツの反撃カイザー・シュラハトが遅延。

 

・アメリカ軍の増援など連合軍の動きは史実と同じ。

 

・1918年の戦争推移は、ドイツの攻勢が遅れた以外は大きな変化なし。

 

・終戦時期に変化なし。

 

・なお、この間にアドルフ・ヒトラー伍長戦死。

 残された遺族に、勲章が授与される。

 (※二つ目のターニングポイント)



・各国の変化


ロシア


・社会革命党を中心としたケレンスキー政権が存続。

 

・以後ロシアでは、不安定ながらも多党制の社会主義的性質の強い議会制民主主義国家へと向かう。

 

・社会主義、民主化が政策の柱となり、敵対した共産党は弾圧される。

 

・当然、ロシアでのコミンテルン(国際共産党)大会も成立せず、他でも開けないので、世界中の共産党勢力も小さいままとなる。

 

・共産主義政権でないためシベリア出兵はほとんど発生せず。

 

・各国の干渉が少ないので、失った領土回復気運がロシア内で急速に台頭。

 

・1920年、ポ=ロ戦争でロシア大敗。

 トハチェフスキー中尉戦死。

 

・1922年、ロシア連邦共和国として成立。

 国際的にも承認され、翌年には国際連盟にも加盟。

 


・ロマノフ王家は、辛うじて暗殺や処刑を免れるも、諸外国からの干渉を恐れて腫れ物にさわるように国外追放。

 

・貴族は追放されるが宗教は残る。

 資本主義経済も存続。

 

・強力な指導体制が生まれず、軍の権限が強くなる。

 

・重工業の躍進、軍備の革新は起きず。

 ドイツとの密約もないのでドイツからの軍事技術輸入もほとんどなし。

 

・軍の近代化は進まず、フランス軍と似たような状態になる。

 

・産業の国有化は起きず。

 社会保障面などでの社会主義化が中心。

 

・無軌道な資本主義路線の拡大により新たな貧富の差の拡大。

 

・その代わり、アメリカ、フランスの資本が進出。

 資源開発、市場化を進める。

 しかし資源はアメリカに買いたたかれて、これをドイツなどが購入。

 

・ロシア人の欧米諸国への不満は徐々に強まる。

 

・国家全体としては、緩やかな前進のみとなる。

 

・国威、国力も停滞したまま。

 

・近隣諸国との関係は常に一般外交程度。

 

・アジアへの進出は行いたくてもできず。

 

・北満州の開発も低調のまま。

 

・北満州には、一定数の亡命者は発生。

 


ドイツ



・ナチス(国家社会主義労働者党)は、勃興こそするが小政党の間に消滅。

 

・仮に多少勃興しても、資本家は一番堅実な社会民主党を支持して自然消滅。

 

・共産党も存続。

 ただしロシアでの共産主義勢力が壊滅した影響を受けて、勢力が大きく縮小した状態となる。

 世界的に見ても一種のカルト政党で、民衆の支持も得られず。

 

・社会民主党を中心とした不安定な連合政権が続く。

 

・大恐慌の影響をモロに受けて社会不安となるが、民衆の不満の受け皿となる政治勢力(政党)がないため、景気が少しずつ回復すると共に全体主義に向かいそうなうねりも消える。

 

・ユダヤ人差別は欧州一般程度のまま。

 

・1935年頃から経済は多少上向くが、国威、国力は停滞したままとなる。

 

・経済向上と共に東欧、ロシアへの市場進出が盛んになる。

 

・中華への武器輸出と軍事顧問派遣は外貨獲得のため継続。

 

・日本との関係は希薄なまま。

 

・イタリアのファッショとの連携も起きず。

 

・1930年代に入ると領土回復運動が盛んになり、国連管理地域の返還、非武装地帯の解除の交渉に外交の力点が入れられる。

 

・軍はベルサイユ体制のまま。

 戦車も空軍もなし。

 海軍も小規模なまま。

 

・史実の「ラッバロ条約」がないので、ロシアでの兵器開発も小規模もしくはなし。

 

・ただし産業の発展に従い、1930年代半ば以降は陸軍の自動車化と制限内での重武装化は進む。

 諸外国も装輪の装甲車程度の保有は容認するようになる。

 


イギリス・フランス


・共産主義を掲げる国家がなく団体の勢力も小さいままなので、国内の社会主義、無政府運動は小さく、相応の社会保障政策だけでそれなりに安定する。

 

・元々世界的に見て社会主義運動が盛んだったフランスでは、社会主義勢力、政党は一定の勢力を持つ。

 

・国内の共産党は、存在しても弱小勢力でしかない。

 

・ドイツが大人しいままなので、特にリアクションなし。

 

・フランス、必要以上にロシアと連携しようとはしない。

 市場進出のみ。

 

・イギリス、ドイツと軍事面での妥協はほとんどしない。

 する必要もないため。

 

・イギリスは、日本、アメリカにつき合って少しだけ海軍拡張を実施。

 

・イギリス、フランスが連携してファッショ化したイタリアを押さえ込む以外での具体的行動は行われず。

 

・ドイツとの関係も、大恐慌が落ち着いてからは経済面を中心に少しずつ深まるようになる。

 

・チャーチルはともかくド・ゴールの出番はなし。

 


イタリア


・孤独なファッショのまま。

 

・エチオピア併合で国際孤立。

 

・スペイン内乱で一人フランコ将軍を援助。

 勢力拡大の努力が行われる。

 

・しかし日本との連携という選択肢には至らず。

 

・以後、資源問題もあって停滞が続く。

 

・ムッソリーニの人気は徐々に低下。

 

・国威も低下。

 


スペイン


・反乱軍をイタリアが援助。

 

・政府軍は国際義勇軍が援助。

 

・両者決定打に欠けるため戦乱が長引くも、諸派分裂に陥った人民戦線のおかげもあって結局フランコの勝利。

 

・内戦終了は1940年代半ばまでずれ込む。

 


結論:

 ヨーロッパは緩やかな停滞の中にあり、出過ぎた膨張主義を取る国もなく、二度目の世界大戦なき世界が続く。

 



チャイナ


・国民党の勢力拡大せず、各地で軍閥の跳梁続く。

 

 (※コミンテルンの影響による農工扶助(小作農の救済)とソ連型軍隊の採用がないため。)

・中華での共産主義勢力は、周恩来が世界的な共産主義運動停滞の影響を受けてフランスから帰国しないため、活動そのものの時点から成立せず。

 

・周恩来は、フランスで多少の運動を行った後に、再びパリの街で料理店経営に戻って相応の成功を収め平穏な人生を送る。

 

・毛沢東は周恩来(共産主義思想)に出会うこともないまま、匪賊として相応の活躍を示すも、基盤となる力がないため極端な台頭は出来ず。

 

・当然、第一国共合作、上海クーデターは成立せず。

 

・広州国民政府も成立せず。

 

・国民党は、力を付けるために一層浙江財閥とのつながり深める。

 連動して、徐々にアメリカ資本とつながり勢力を拡大。

 

・北支で日本の支援を受けた張作霖が勢力拡大。

 

・張作霖は、勢力を拡大しすぎて中華地域中央部から疎まれ権力掌握に失敗。

 

・張作霖は圧倒的勢力とはならず。

 

・結局、戦乱の中でスポンサーを見つけた国民党が台頭して、中華民国政府として国際承認される。

 日本は反発。

 

・国民党による北伐も実施される。

 

・日本も軍部の暴走が始まる。

 

・大恐慌でのドイツの頼みは中華地域への武器輸出。

 

・軍事顧問もずっと居続ける。

 

・しかしドイツに政治的意図がないため、国民党への傾倒や独中合作にまでは至らず。

 純粋な商売のみに終わる。

 

・ロシアも中華への武器輸出と支援に力を入れる(日本牽制も目的)。

 しかし、たいした武器(航空機、戦車なし)は送れず。

 

・ドイツ軍事顧問の力もあり、国民党勢力は順調に拡大。

 華北の軍閥も国民党に降る。

 

・華北(北支)の不安定化で、日本は1933年頃から資本、邦人共に撤退。

 満州開発に傾倒。

 

・国民党は、万里の長城を越えない日本をとりあえず置いて、軍閥討伐に力を入れる。

 

・1930年代は、国民党による軍閥討伐が続く。

 

・国民党、イギリスの援助で国内通貨の統合を実施。

 イギリスの影響力拡大によりドイツ、ロシアとの関係が不安定化。

 

・中華民国内での日本の経済的影響力はさらに低下。

 

・1930年代後半からは、内政安定と共に排外主義に転向。

 

・軍備も増強。

 

・まずは一番与しやすく多くの領土を奪った日本をターゲットにする。

 

・満州国問題で、日中関係が悪化。

 


日本


・シベリア出兵は、事件そのものが発生せず。

 その分の浪費と経済の混乱は回避。

 

・ソ連もなく国内の共産主義勢力も社会主義などイデオロギーの弱い方に流れているので、ロシアはあまり脅威とは認識されず。

 

・史実シベリア出兵で出費された分の予算は、1920年の戦後不況の対策に投入される形になるが、景気対策の効果は限定的。

 

・国内の不景気の連鎖は、関東大震災以後はほぼ同じ。

 シベリア出兵がない分だけ、若干緩和される程度。

 

・軍部の暴走に至る経緯は、共産主義勢力がないだけでほぼ史実通りの流れとなる。

 変えるだけの要素が存在しない。

 

・満州事変から満州国建国と一連の軍部の台頭に変化なし。

 

・国民党の勢力拡大に従い華北への拡大は途中から中止・撤退。

 

・満州での開発を重点的に進める。

 

・満州問題で国際的に孤立したまま。

 

・孤立しても、イタリアとの連携という選択肢には至らず。

 

・日本の貿易は、米中への輸出、英米からの輸入という形のため、何かがしたくても何もできず。

 

・第二次ロンドン海軍軍縮会議に出席せず。

 

・1937年からは一定の軍拡開始。

 


アメリカ


・ソ連が成立しないので、ロシアにも経済進出。

 

・大恐慌は史実通り発生。

 フーバーモラトリアム、リセッション、ニューディール政策と同じように続く。

 

・ドイツが邪魔で対中華向け武器輸出が伸びず。

 

・日本が、史実に比べて比較的おとなしいままなのもあり自国の軍備拡張も史実より低調となる。

 

・中華民国への武器売買や援助での特需も無し。

 

・軍拡によるニューディール政策補完ができず。

 

・ルーズベルト政権、景気回復に失敗。

 

・1938年から再び小規模な恐慌に突入。

 

・ルーズベルト政権は、政策失敗を糾弾される。

 

・軍拡を公共事業としての役割で拡大しようとするが、造船・鉄鋼以外の産業界、市民から反発を受けて実現できず。

 

・景気回復に失敗。

 

・1940年の選挙で共和党候補ウィルキーが勝利。

 

・経済は自由放任主義に、政治は不干渉主義に回帰。

 

・政権の変更で対日強硬姿勢も緩和。

 

・対中華傾倒の外交も減少。

 

・なお、史実で蔓延した共産党スパイ及びシンパが最初からいないので、その点での変化はロシアへの傾倒政策がなくなり、日本、ドイツなどに対する風当たりが緩む事になる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ