試作
寒暖差の激しいある冷えた早朝、もうそこまで春が近づいている頃だった。
はち切れそうな出っ張ったお腹。髪はボサボサで、天辺は薄く、地味なワイシャツを着た男が歩道の隅の壁にもたれ掛かりながら座っていた。
手にはしっかりとお守りが握りしめられていた。
ゆっくりと男の頭が地球の重力に引き寄せられ、
落ちツバキのように倒れた。
男はもう、息をしていなかった。
…数十年前…
卒業式を目前に控えた多くの中学生がちょうど下校している時間、交差点から救急車を呼ぶ叫び声。悲鳴。
辺りは騒然としていた。
高齢者マークを付けた乗用車が歩道に乗り上げ、建物に突っ込んでいた。
ブレーキの跡はなく、何人かが倒れ、靴や鞄が散乱していた。
壁に突っ込んだ乗用車のそばに落ちている鞄には、赤色と金色のお守りが二つ付いていた。
「おーい アリ 一緒にかえろうぜ」
と3年1組の教室で声をかけてきたのは、保育園からの幼なじみ「青葉 希吏」だ。高校は別々の学校に決まったが、中学までずっと同じクラスだった。
希吏は、運動神経が良く、ギターやピアノも弾けて歌も上手くケンカも強い。
ただ、勉強は苦手で、飽き性なところが欠点だ。
小6の時に突然野球をやりたいと言い出し、少年野球に入部した。
僕も誘われたが、もちろん断った。
僕は運動がまったくダメだ。不器用なので楽器もダメだし、歌も音痴だ。
ただ、勉強だけはそこそこ出来るほうだ。
勉強は自分のペースでコツコツ頑張ればいい。
あっ 僕の名前は「土家 有一」
みんなからは「アリ」と呼ばれている。
希吏は少年野球に入ってすぐレギュラーになった。
未経験とは思えない投球ホームでいきなりピッチャーをしていた。
しかし、最後の公式戦前に「飽きた」と言って辞めた。
わずか半年ほどだった。
僕と希吏には共通の幼なじみがいた。
「椿」だ。椿は目が大きく笑顔が素敵で、照れると顔が真っ赤になる可愛い女の子。
僕も希吏も椿が好きだった。
僕たちは小さい頃からよく三人で遊んでいた。
「うん 帰ろうか」と僕は返事をした、
「なぁ アリ」
「どうした?」
希吏が突然僕に宣言してきた。
「俺、卒業式の日に椿に告白するわ」
僕も椿の事が好きなのは希吏もしっている。
僕は動揺して、「そっ そっか」としか言えなかった。
だまって下を向く僕に、希吏はこう言った。
「これがラストチャンスかもしれないからな」
「ラスト?」
僕は下を向いたまま訊きかえした。
「椿とは別々の高校に行くから、今コクっとかないとな」
更に希吏はこう付け加えた。
「お前は高校も椿と一緒だから、これからもチャンスがいっぱいあるからな」
「もし希吏の告白がうまくいけば僕にチャンスなんってなくなるじゃないか」と
心の中で叫んでいたが、実際に声に出す勇気もなければ、僕が椿に告白する勇気も自信もない。
それに、希吏は堂々と告白することを僕に宣言したのに、僕は希吏に隠し事をしていた。
僕は、うつむいたまま返事はしなかった。
教室の窓の向こうから、かすかに救急車のサイレンが聞こえていた。
あれは去年の12月、僕が家で受験勉強している時、いつものように希吏が遊びに来た。
希吏の親と僕の親も仲が良く、交流がある。
昔から、希吏が僕の家に遊びに来るのが普通になっていた。
僕が希吏の家に行くことはほとんどない。
なぜかと言うと、僕は家から出ないで、常に本を読んだり勉強ばかりしている。学校と塾以外はほとんど外出しない。学生は勉強が仕事だから。
だから、昔から希吏が家に来る。
僕の部屋には希吏の私物がたくさん置いてある。まるでセカンドハウスのように私物を僕の部屋に持ってくる。
捨てネコを僕の部屋で飼おうとした時もあった。
流石に家族同士の会議が行われたが、現在「ラッキー」(ネコ)は僕の家の住人だ。
ネコの名前は希吏が考えた。
「俺に拾われ、ここに住めるから」ラッキーと名付けたらしい。
希吏は僕の部屋でギターを弾きながら歌を唄う。不思議と勉強の邪魔にならない。むしろ勉強が捗る。希吏が勉強をしている所を見たことがない。僕から見れば、常に遊んでる。
「そんなんじゃ 後で後悔するぞ」
と、僕は希吏にたまに忠告した。
希吏は、「大丈夫大丈夫」と、いつも憎めない笑顔でかえしてきた。
僕が受験勉強をしていると、希吏はギターを置いて、僕の耳元でささやいた。
「なぁ」
「わぁ なんだよ」
と僕は驚いた。
希吏は、チラッとドアを見て、小声で話してきた。
「聞いた話なんだけどさぁ、校区の端にある神社の巫女さんがスッゲー美人らしいぜ!」