3 食い意地
細かいところを編集しました。
「ガンジロー、まずいことが起きた」
ティナが俺を呼びに来た。
詳しく話を聞くと、近くで階層穴が開いてしまったとのことだった。
階層穴とは、上階層と下階層が繋がっている通路ではなく、一時的に階層が繋がるアクシデントで、そこから別の階層に移動できる穴だ。
「階層穴に、シルビアという十級冒険者が飲み込まれた」
階層穴が開くときに、近くにいた者が時々飲み込まれて、次の階層に移動することがある。
階層穴は、すぐに塞がる。
『シルビア』と聞いて、俺はラーメンチャーハンセットを食べさせる約束をした女の子を思い出した。
三階層までの魔物はほぼ昆虫、小動物。
四階層から少しずつ大きく強い魔物が増えてくる。
五階層では、初心者には厄介なゴブリンが出てくる。
十級冒険者が一人でゴブリンのいる五階層を生き抜くのは困難だ。ましてや、防具はなく、ナイフのみの軽装では。
「ティナ、行くぞ」
「分かった、ガンジロー」
俺は残った19人を、四階層と五階層をつなぐ通路付近に待機させる組と、一部の足の速い冒険者たちに分け、足の速い冒険者たちには、ギルドに事の次第を伝えるよう言い聞かせ、地上に戻らせた
。
そして俺とティナは共に五階層に突入することにした。
五階層では、早く手を打たないと十級冒険者は危ない。
俺たち二人は五階層に突入した。
★★★
シルビアは、突然できた階層穴に取り込まれてしまい、五階層の草原に落とされてしまった。
シルビアは、五階層に落ちた自分がどのような立場にあるかすぐに理解した。
こういうアクシデントが起き得るということは、ギルドから教えて貰っている。
もしも巻き込まれた場合は、大人しく待つか地上への通路を探すかの二つしか取る道はないことも。
自分が今いる場所はどこか、そして四階層への通路はどこか、冷静に考えた。
しかし、五階層の地図を見たこともない。
なぜなら、そこまで潜るつもりはなかったから。
ただ、うろ覚えではあるが、ギルドにいた冒険者が、五階層の通路は森にあると言っていたような気がする。
更に、山にはワイバーンが生息しているとも。
ワイバーンを狩りに行く冒険者が、そう言っていたはず。
今のシルビアにできることは、五階層の魔物から身を隠してギルドの助けを待つことだけ。
頼れるものは、己の他には安物のナイフのみ。
とりあえず厄介なゴブリンからどうやって隠れるかそれだけを考えなければならない。
四階層に戻るためには、ゴブリンの巣窟を抜けなければならないのだ。
近くに森が見える。
草原の遥か彼方には、大きな山が見える。
このまま草原に留まりたいのはやまやまだが、草原に留まった場合、ワイバーンに狙われる可能性が高くなる。
シルビアは、生き残るため森の中に進むことにした。
★★★
「森が静かすぎる」
通路を抜けた俺はティナに言った。
ティナはうなづいた。
森の雰囲気がおかしい。
静かすぎるのだ。
「お~い、シルビア」
俺は大きな声でシルビアを呼ぶ。
地形的な事を考えれば、森を抜けて、草原に落ちたと推測される。
シルビアが、森に逃げたか、その場に留まったかは分からない。
草原に留まったままだと、ワイバーンに狙われてしまう。
しかし、森に入れば、シルビアを見つけづらくなるうえに、十級冒険者には荷が重いゴブリンが生息している。
五階層の適正レベルは、ソロなら六級。
二人以上であれば、八級以上が適正レベルだが、それはゴブリンの群れとの交戦を避け、ワイバーンを相手にしないという制約が付く。
それだけ森に生息する群れたゴブリンと、山に生息するワイバーンは厄介なのだ。
しばらくの間、大声でシルビアに呼び掛けている。
途中、七級冒険者のパーティーに出会ったが、シルビアらしき冒険者とは出会っていないとのことだった。
「ところで今日、ゴブリンを見ましたか」
七級冒険者たちが尋ねる。
俺達はゴブリンと出会っていない。
「そうですか。なんか今日はおかしいんですよね」
七級冒険者たちが言う。
やはり今日の森は何かがおかしいのだ。
大声を出している俺たちを獣が避けるのは分かる。
しかし魔物のような強い存在が、俺とティナのたった二人を避ける訳がない。
ましてゴブリンが人間を襲わない訳がない。
ここまでゴブリンが出てこないのには、何か訳があるはずだ。
「やっぱり俺達は戻ります。ゴブリンが出ないせいで、たくさん採取が出来ましたし、何か起こってからでは、私たちは何もできません」
良い判断だ。
ゴブリンがいない隙に、腰を据えて採取をするという選択肢を選ばない。
「その方が良い。戻るなら頼みがあるのだが」
俺は四階層に残した十級冒険者たちが帰る際の補助をしてほしいと頼んだ。
お礼は、俺の店でのおごり。
「そんな、それだけでラーメンを頂くなんて」
恐縮する七級冒険者。
「おいおい、うちの店、そんなに高くないはずだぜ」
俺は敷居の低さを強調する。
「いや、だって、あの店レベルが高くないと入れないって、もっぱらの噂ですよ」
「俺も一回行ったけど、レベルの高い冒険者に順番抜かされまくりで店に入れませんでしたよ」
頭が痛い。
こんな迷宮で、俺の店の評判を聞くことになるとは。
確かに、朝食事を出している屋台よりは高い金額設定だが、それでも金額を抑えて、誰もが入れる店を目指していた。
そこまでは良かったようだが、レベルの高い冒険者が、順番抜かしをしていたとは知らなかった。
日本では、そんなこと一部の質の悪い客だけが行うもので、俺の店には関係ないどころか、考えもしなかった。
でもよく思い出してみると、客のほとんどは、レベルの高い冒険者ばかりだった。
てっきり、レベルが高いほど、金回りが良いから良く来るのだろう、とばかり思っていた。
実際は、入りたくても高レベルの冒険者に邪魔にされていたとは。
帰ったら対策だ……。
しかし、そんなことよりも今はシルビアだ。
「分かった。店に来た時、順番待ちがいても良いから、店の中の俺に声を掛けてくれ。他の客には文句は言わせないから」
そう言うと第七級冒険者は嬉しそうに四階層に戻って行った。
★★★
視力だけでなく、音を感じながら、森の中を進んでいく。
十級冒険者底辺といえども、シルビアは自分ができるだけのことを一生懸命頑張っていた。
魔物に接触しないように注意を払いながら森を進み、五階層に来ているであろう他の冒険者と合流さえすれば、自分は助かる。
そこまで分の悪い賭けではないはず。
シルビアはそう思って頑張っていた。
五階層の様子がおかしいということに、初めて来たシルビアは気付く訳がない。
魔物や獣と出会わないのも、運の良さと自分の努力の成果だと思っている。
他の冒険者と出会わないのは運がないと思っているが。
五階層の異変を感じ取った冒険者は、いつまでも留まらないだけなのだが。
四階層への通路と他の冒険者を探しながら、シルビアは前に進む。
感覚を研ぎ澄まして周囲の音、匂い、振動の全てを拾いながら進む。
少し離れたところから、鹿の鳴く声が聞こえる。
悲鳴のような声だ。
シルビアは考えた。
冒険者が狩っているのか、他の獣などに襲われているのか。
耳を澄まして、音を探す。
鹿の鳴き声しか聞こえない。
他の音が入ってこない。
「これは」
シルビアは判断した。
冒険者が仕掛けた罠に、獲物が掛かったのだと。
罠の近くにいれば、五階層を猟場にしている冒険者に拾って貰えるかもしれない。
鹿の鳴き声で魔物や獣が引き寄せられるかもしれない。
注意しながら鳴き声のする方向へ進む。
森が突然開ける。
開けた空き地の真ん中には、鹿がロープで繋がれている。
「あれっ」
よく見ると、鹿の足が折れている。
どう見ても罠に掛かった獲物には見えない。
周囲を見回す。
茂みの中に、ゴブリンの目を見つけた。
ゴブリンがこっちを見る。
目がが合った。
シルビアは、すぐに走り出した。
ゴブリンが追いかけてくる。
ゴブリンの一体くらいなら、シルビアでも倒せると思うが、今追いかけてきているのは気配からして三体。
木が生い茂っている森の中。
小柄なシルビアは、障害物だらけの森の中を、かなりのスピードで逃げているが、ゴブリンはさらに小さい。
シルビアよりも森の中を走るのは得意だ。
徐々にシルビアに追いついてくる。
『このままだと捕まってしまう』
シルビアは絶望的な気持ちになった。
このまま逃げても捕まるのは時間の問題。
ナイフ一つで立ち向かっても、三体のゴブリンに敵うとは思えない。
逃げても戦っても、最後には、ゴブリンの食料になってしまう未来しか見えない。
『こんな小さい私でもゴブリンだと食料になるんだ』
泣きたくなるシルビア。
ろくなものを食べていないシルビアが魔物の食料になるのだ。
最後に食べたチャーハンを思い出す。
今まで食べてきた食べ物の中で、一番美味しかった。
こんなところで命を落とさなければ、もう一回食べられたのに。
ラーメンも一緒に。
愛する家族、母親や弟と一緒に。
『絶対に死にたくない』
シルビアは決心した。
多少の怪我は覚悟する。
絶対に生きて帰る。
そして、家族でガンジローの店に行く。
シルビアは、少しスピードを落として息を整える。
ゴブリンが近づいてくる。
ゴブリンとの距離を気配で測りながら、速度を調節する。
ゴブリンがシルビアを捕まえられるくらいに近づいたその時、シルビアが頭上の枝に飛びついてゴブリンを一瞬やり過ごした。
ゴブリンはすぐに止まって後ろを振り向く。
シルビアは木の枝で一回転するとともに手を放し、一体のゴブリンに飛び蹴りを喰らわすと同時に腰からナイフを引き抜き、隣のゴブリンの首を掻き切る。
蹴りを受けたゴブリンが立ち上がろうとする。
そのゴブリンの首にもナイフの一撃を与える。
「エサにはならない」
そう言ってもう一体のゴブリンに向かって行った。
★★★
「何か聞こえる」
ティナが俺の動きを手で制する。
俺も動きを止め、耳を澄ます。
「ゴブリンとの交戦っぽいな」
森の奥から、ゴブリンの喚き声と暴れる音が聞こえる。
時折、人の声のような音が混じる。
「シルビアか」
ティナは頷いて、音のする方角へ駆け出した。
★★★
シルビアは、ゴブリンが振り回す銅剣を必死に躱す。
ゴブリンは二体。
一体は首から出血しているが、怪我の影響がなさそうな動きでシルビアを追い詰める。
挟み撃ちにされないよう、注意しながら立ち回る。
幸いゴブリンにとって銅剣は重いらしく、切れ味鋭く振るう訳ではないので、何とか躱すことが出来る。
しかし、相手は二体、防具のない体に一撃でも貰えば即行動不能となる。
二振りの銅剣の隙をつきながらナイフを振るうが、かすり傷しか付けられない。
踏み込みすぎると、銅剣を体に貰ってしまう。
これが一体だけなら何とかなるのに、とシルビアは思いながら、必死に戦う。
首から出血しているゴブリンが倒れてしまえば、シルビアが有利になる。
いつ倒れるのか分からないが、一体が倒れるまでは、二振りの銅剣を躱さなければならない。
ゴブリンのエサになるか、美味しいものを食べられるか、ここが正念場だと思いながら、シルビアは勝機を必死に探していた。
「シルビア!」
俺は大声で叫びながら、ゴブリンに向かってナイフを投げた。
ナイフは狙い違わずゴブリンの首に刺さった。
ティナが駆け寄り、もう一体のゴブリンに止めを刺す。
シルビアは、ティナによって止めを刺されたゴブリンを見下ろすと、ほっとした表情でナイフを腰の鞘に戻した。
「大丈夫だったか」
救出したシルビアを確認する。
かすり傷はあるものの大きい怪我はないようだ。
「大丈夫です」
そう言うと、俺に抱き着いて泣き始めた。
「よしよし」
俺はシルビアの頭を撫でた。
水筒を渡して水を飲ませ、落ち着いたところで、五階層での足取りを尋ねた。
「……広場で、鹿を見つけて、ゴブリンに追いかけられ、助けられたんです」
「ちょっと待って、ゴブリンが鹿を何かの罠として使っていたの?」
シルビアの足取りの最後、引っかかるものを感じた。
「多分。私がその罠に引っかかってしまいましたが」
申し訳なさそうにシルビアが口にする。
「ティナ、これってゴブリンの異常進化の傾向に似てないか?」
俺はティナに確認する。
「多分そう。ホブゴブリン以上の個体が発生してる可能性が高い」
ティナも同意する。
「シルビア、俺達はこれからゴブリン退治に行かなければならない。ティナ、シルビアを通路まで送ってくれないか。ティナが戻ってくるまでの間、俺が食い止めておく」
純粋な戦闘力はティナに負けるが、隠密行動や、相手をかき乱すことについては俺の方が適任だと思う。
それに通路から戻る時間は、ティナの方が絶対に速い。
「分かったガンジロー。ただ無理するな。お前が死ぬとラーメンが食べられない」
俺が頷くと、ティナはシルビアを連れて四階層の通路に向かった。