表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
!!!!!下  作者: 七瀬
第四章 非細工
3/12

用意されなかった場所




あれから三日。俺は真知を店まで送ってきた。お袋に店の手伝いをしろと言われる前に実家の自分の部屋に引きこもる。


持ってきたのは勿論、じいさんから貰った紙袋だ。俺はドアに背を向けてベッドに座り込んだ。ベッド脇の窓の側の壁には、一年半以上前に時夫が開けた穴がそのままになっている。


どうする事も出来ないな、なんて思いつつ袋の中身を出した。乱暴に出したせいで重いそれが胡座をかいた足に直撃して、言葉にならない叫びが出る。


「っ、いっ……!」


あのクソジジイ、今度会ったら文句言ってやる。テレビがない無音の部屋に俺の言葉にならない叫びが響いているのにも腹が立ちながら暫し悶えていると、中から出てきたアルバムの表紙が見えた。紙袋の中身は、四冊のアルバム。


一つ一つ確認していくと、幼稚園のものと小学校(初等部と書いてあって絶句)のものと中学校(中等部と書いて…以下略)のもの、最後に学校関係じゃ無さそうな臙脂色のものだった。


目についたその臙脂色のものから開くと、何だかやけに高そうな白い布に身を包まれた赤ちゃんが写真に写っていた。これ、真知か?


次のページを捲ると、少し成長した真知が写っていた。高そうなソファーに座った真知の父親と母親、それに小さい小さい真知がにっこりと笑ってこっちを見ている。


「…真知、一歳の誕生日」


ぼそりと呟いてしまったのは、そこに直筆で書いてあったからだ。俺とは比べ物にならない程の、小学生の頃に無理矢理やらされた漢字ドリルにプリントされた字のように綺麗な字だった。


それが誰の字なのか、俺に知る術はない。ちっこい真知の顔を見ながら、ページを捲る。次は二歳で、ちっこい真知が高そうなワンピースを着て豪邸だと思われる広い庭を駆けずり回っている写真だった。


俺は中三の頃にたまたま見たアルバムで、ガキの頃の俺はガキの癖に眉間にシワを寄せてこっちを見ている写真しかなかった事を知った。


どういう教育を受けたらあそこに毛も生えてないガキがガンを飛ばすようになるんだ。俺は真知と自分の違いを見比べて、親父とお袋の教育方針を疑った。疑うしかなかった。


俺と出会う前の真知が、時空を超えて今の俺に写真の中から笑いかけている。この頃、真知はきっと想像もしていなかったと思う。俺も想像していなかった。


普通に生きていたら、きっと道ですれ違う事もなかった。俺達はそんな二人だった。


俺の記憶にあるテレビの中にいた仏頂面の政治家は、今の俺の家にある仏壇の遺影と同じように笑っている。真知を抱き締めて笑うそのおっさんの顔は、俺の親父とは全然違うのに、親父と被った。


「……馬鹿だな」


真知と真知の両親が笑っている写真に、そう言った。


「お前ら、本当馬鹿だな」


こんなに幸せそうなのに、自らそれを手離すなんて、馬鹿だ。その上、一人娘は俺みたいな馬鹿に口説き落とされて、馬鹿だ。


俺は、悔しかった。心底、悔しかった。


この二人がいるだけで、真知はこんなに簡単に笑う。なのに俺は、まだ、真知の本当の笑顔を見た事がない。


親なんてポジションは絶対に嫌だ。絶対に嫌だけど、真知がこんなに笑ってくれるなら、悪くないような気もする。


今のラフな格好とは違う、ワンピースや制服を着た写真の中の真知は小さくて幼い。でも、いつも笑っていた。


ページを捲ると、真知がピアノを弾いている写真があった。その横に一緒にあるのは、真知が何かの賞状を持って笑っている写真。ピアノの時と同じワンピースで同じ髪型だから、同じ日の写真だろうか。


賞状の文字に目を凝らすと、一位の文字があった。徒競走では一位になれなかったけど、ピアノでは一位になれたのか。


その時思い出したのは、真知に触られると鳥肌が立つ事だった。俺は詳しい事は分からないけど、ピアノが上手い人間は指先が凄いとか聞いた事がある。俺が真知に触られて鳥肌が立つのは、あいつが一位になるくらいピアノが上手かったからかもしれない。


やっぱり、それでも真知は笑っていた。ページを捲っても、真知はいつでも笑っている。


アルバムの最後にあった写真の日付は、七年前の5月29日。何を理由に撮ったのか、写真の中からは読み取れなかった。親父さんの膝の上に乗った真知がお袋さんの手を握ってにっこりと笑っている。


親父さんが死ぬ、ほんの二週間前の写真。二週間後に親父さんは死に、その数日後にお袋さんが後を追って死ぬとは到底思えないような、幸せそうな写真。アルバムはその写真で終わっていた。


その後を思ってしまうと途端に苦しくなって、慌てて中等部のアルバムを開く。俺が通っていた公立の中学の卒アルとは違う高級感が溢れる素材の表紙の手触りが落ち着かなくて、ページを触った。


真知が何組だったのかも分からないから、ひたすら個人写真を一つずつ確認していく。俺の中学の個人写真とは、大違いだった。


校則が緩かったし、まず校則を守る奴すらいなかった俺の中学の個人写真は、髪の色が様々だった。でも、真知の学校は髪を染めてる奴なんて一人もいない。皆生真面目に控えめに笑っている。


一クラスをやっと見終わると、次のページには一人ずつ将来の夢が書いてある欄がずらりと並んでいた。医者、弁護士、検察官、研究者、外交官、目指す夢は俺にとっちゃ遠いものだったけど、こいつらにとっては手に届く範囲にあるのだろう。


漢字ばかりで頭が痛くなりそうで、ページを捲る。また個人写真で、一人ずつ確認していくのは、気が遠くなりそうだった。


仕方がないから、俺は遠目からさらっと見ることにした。だって、この中で真知は絶対に目立つ筈だ。あの容姿であの髪の色だと、確実にいい意味で浮く。


このクラスにも真知はいなかった。次のクラスに移ると、月岡真知はすぐに見付かった。


今すぐ、一階で働いているあいつを抱き締めてやりたいと思ったのは、その現実が、どうしようもなく重かったからだ。


真知の写真は、黒く塗り潰されていた。黒く塗り潰されて、その上穴まで開いていた。


きっとこれは、真知が自分でやったんだ。


一人で、前に行ったあの無菌室みたいな離れで、一人でこれと向き合って、自ら黒く塗り潰したんだ。


過るのは、真知の言葉。『私なんて要らない』。聞きたくなかったと俺は思った。俺はあいつがどうしても必要だったから、いてほしかったから、嫌だった。


でもこれが現実だった。俺と出会う前にこれをしたのか、それともその後なのか、そんな事はどうでもいい。


あいつは本気で、自分が要らないと思っていた。


真知が忘れた記憶はサチコが俺に伝えてくれたけど、きっとそれが全てじゃない。そう分かっているからこそ、苦しい。


泣いて、しまいそうだった。


突き付けられた、真知が俺に話そうともしなかった苦しみが、ここに詰まっているような気がした。


じいさんが俺にこれを託してくれたのは、じいさんが俺を認めてくれたからかもしれない。


俺はこれを、死ぬまで絶対に大事に隠し持とうと思った。棺桶に入れて一緒に焼いてもらおうと思った。


これは、消そうと思っちゃいけない苦しみだった。真知の中に残る苦しみは消したかったけど、俺はこれを一生抱えて生きていくべきだ。


それが、あいつを好きになって、死にたがっていたあいつを繋ぎ止めた俺の責任。


震える息を吐きながらページを捲ると、将来の夢のページ。一つずつ欄を確認していく。やっぱりあるのは俺からは遠い夢ばかり。


「……あれ?」


全部隈無く確認した筈なのに、真知の欄はなかった。もう一度確認してみても、ない。


それに、鳥肌が立った。周りの人間は、それが当然のようで、それが、怖い。


嘘だ。そう思って何度も確認しても、ない。次のページかもしれないと思ってページを捲ってみても、次のクラスの個人写真が始まってしまう。


慌てて初等部のアルバムを開いた。エスカレーター式の私立は小学生でも制服姿で、俺は個人写真を一つずつ確認していく。その次のページはやっぱり将来の夢のページで、他人のものに興味がない俺は、飛ばして見た。


やっぱり、真知は簡単に見付かった。中等部と同じように、『月岡真知』の文字の上にある写真は黒く塗り潰されていたからだ。


慌てて次のページを捲る。将来の夢の欄で真知の名前を探したけど、ない。何度探しても、ない。


俺はその落胆と、突き付けられた残酷さと同時に、じいさんがこれを託した意味を、初めて理解する。


隠喩と言えばいいのかは、分からない。でも、真知にこの欄が用意されなかった意味はきっと、未来を望むなと言われているのと同じだった。


「っ、くそだ、こんなの、」


こんなの、クソだ。制御不能だった涙が溢れるのは、真知に用意されなかった未来を描く場所。当たり前のように書かれた残酷な金持ちの未来予想図の中に、真知はいない。


改めて思い知ったのは、この状況の中に真知が一人でいた事の苦しさだった。俺がそこに居てやれたら、俺の欄を無くしてでも真知の欄を作ってやったのに。ページ全部をぶち抜いて、真知だけの為のページにしてやったのに。


そしたら真知は、今でも笑えていたのだろうか。


後悔したって、遅かった。庶民の俺がそこに居られる訳もなく、時間を巻き戻せる訳でもない。


俺と真知が今一緒にいるのは、真知がこの場所を通って来たからだった。紛れもなく、そうだった。そんな事なら、真知が苦しむくらいなら出会わなくても良かったと思えない俺は、自己中心的過ぎるのかもしれない。


あいつに俺は、出会いたかった。どうしても、あいつを好きになりたかった。理由はない。なんとなくでしかなくで、でも、強く思う。


苦しいから、あいつが今すぐここにきて抱き締めてくれたらいいのに。泣いてる所はあまり見られたくないから、あいつを抱き締めて誤魔化したい。


用意されなかった未来の先に真知が考えていたことを、俺は知る事が出来ない。やっぱり、真知は死ぬことを考えていたのだろうか。


止まる気配のない涙を無理矢理拭って、俺はまだ目を通していなかった幼稚園のアルバムを開いた。


すると一番最初のクラスの個人写真の中に、真知がいる。真知は笑っていた。名前はまだ『長原真知』で『月岡真知』になる前の真知だった。


『長原真知』の真知はいつだって笑っている。でも、『月岡真知』の真知はいつだって無表情だった。


じゃあ今の、『緒方真知』の真知は?


俺がこれから真知と歩む未来で、『緒方真知』は笑ってくれるのか?この前だって、あいつは俺に笑おうとしてくれた。いや、笑っていた。


あれ以上を望む俺は、間違ってるのか?でも、俺は望む。望まない限り、一生具現化しないような気がするから、無謀でも望むしかない。


茶色い髪を三つ編みにした幼稚園児の真知が笑う。もう十年以上も前の真知に、俺は救われた気がした。昔笑えたなら、もしかしたら俺の未来で笑うかも、しれない。


次のページに移ると、また将来の夢のページがあった。真知はどうやら幼稚園の頃からエスカレーター式の私立にいたらしい。俺は『長原真知』を探した。


絶対に、ここにはあるはずだった。真知が望んだ、望めた最後の夢がある。


小中とはうって変わって、やっぱり幼稚園児らしい夢が並んでいた。花屋、ケーキ屋、お嫁さん、学校の先生、サッカー選手、野球選手、宇宙飛行士。


その中にはちゃんと、真知がいた。今よりずっと下手くそな字で、でも俺の字よりも綺麗な字だった。力強く鉛筆で書かれた文字が印刷されていて、俺は、息が詰まった。


真知の字を撫でた時、一階から叫び声が聞こえた。それは紛れもなくお袋の叫び声で、俺は舌打ちをしながらアルバムを袋に戻す。


叫び声が止まったと思ったら、俊喜俊喜と俺を連呼する声が聞こえる。なんだあのババア、人が泣いてる時に呼び出しやがって。


仕方なく部屋から出て玄関でブーツを突っ掛けると、ドアを開いた。その途端に、さっきよりも叫び声の音量が大きく聞こえる。


「俊喜!俊喜!」


「んだよババア!今行くっつーの!」


あんまりうるさいとグレるぞクソババアと心の中で文句を言いつつ階段を降りたけど、厨房には誰も居ない。客席に出ると、お袋と沙也加が真知を囲んでいた。


「んだよ。叫び声上まで聞こえてんぞ。うるせーんだけど」


お袋の背中にそう言った瞬間、お袋が俺をキッときつく睨んでくる。怖、と一瞬たじろぐと、お袋が俺の胸ぐらを掴んできた。


「まっち!まっちがピアスっ!まっちの耳に穴!」


「は?それが何?」


「あんたが開けたの!?」


ねぇ!とお袋が馬鹿でかい声で言ってくる。真知の耳を沙也加がじっと見つめていて、真知は居心地が悪そうに視線を泳がせていた。


「そうだけど」


と、鬼の形相をするお袋に苦笑いで言うと、お袋が俺を揺らしてくる。


「あんたっ、まっちの耳に穴開けてどうすんのっ!」


揺さぶられ過ぎて脳ミソがかき混ぜられるような気がする。俺もどうすんの、このままだと死んじゃうよ、とお袋に心の中で叫んだけど、それは当然お袋には聞こえない。


「あたしはあんたをそんな子に育てた覚えはないよっ!」


そんな事言われたって、頼まれたんだから仕方ない。毎日消毒までしてやってるのに、何でこんな悪者扱いされなきゃいけないんだ。


「お母さんっ、」


真知がお袋の体を俺から引き剥がして、やっと俺は解放された。ふらりとバランスを崩して壁に頭をぶつけた。痛い。マジで痛い。


お袋が真知の体を抱き締めて、痛かったね、ごめんね等と真知の頭を撫でる。俺との扱いの差はなんだ。まあ、お袋にそんな事をされると想像しただけで吐き気がするけど。


「お母さん、違うんです。私が俊喜に開けてくれと頼んだのです」


「え?」


「祖父に、私の祖父にクリスマスプレゼントだとピアスを頂いて、どうしても付けたくて、俊喜に強引に開けさせたと言っても過言ではなくっ、」


なんか物凄く自分が悪者のように聞こえるような言い方をする真知に申し訳ない気持ちになった。俺が無理矢理開けた、とでも言えば良かった。


お袋が嘘でしょ、と叫ぶ。いいえ事実です、という真知の耳を沙也加が見て、お袋に笑う。


「智子さん、でもめっちゃ綺麗に開いてるよ?大丈夫だって!」


沙也加がスッピンだという事に気付いた俺は化粧をしている時とのギャップに気が遠くなりそうだった。毎回そうだ。沙也加のスッピンは何度も見た事があるけど、化粧をしている顔に慣れているせいで違和感がある。


「俊喜君超頑張ったじゃん」


「そう言ってくれんのはお前だけだよ」


溜め息と一緒に沙也加にそう返すと、お袋が真知をきつく抱き締めた。


お袋は途端に大人の階段がどうの、なんて有名な歌を馬鹿でかい声で歌い出して、俺は正直引いた。店のど真ん中、ここはスナックじゃなくてただの定食屋の筈なのに、お袋はカラオケにでも来たかのように熱唱する。


大人の階段を上る歌を真知に歌う前に、まずはお前が常識を持て。それ以前にお前が大人だということを忘れないでくれ。息子の俺が恥ずかしい。お袋にそう言いたかったけど言ったら殴られそうだから言わなかった。


何故かノリノリの沙也加にも引いた。沙也加は俺の背中をバシバシと強く叩いてきて、痛い。


そういえば、妊娠してから少し太った気がする。まあそれは当たり前でそうでなければならないのだろうが、そのせいで心なしか平手打ちが重い。痛い。


強烈な女軍団にはもうついていけない。沙也加の隙を狙って部屋に戻ろうとしたけど、昼間なのに素面だとは考えられない弁護士の豊橋さんに肩を無理矢理組まれて左右に揺れてノリノリになる羽目になった。


ジャケットについた弁護士バッジが泣いてるぞ。


元ヤンじゃなくて、もっと頭が正常な人間で、お袋の歌にノリノリになったりしない弁護士に付けて貰えたら、この弁護士バッジも報われただろうに。


豊橋さんに付けられる羽目になってしまった弁護士バッジに心底同情した。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ