残酷物語と震える手
あれから一ヶ月と少しが経った。ドカジャンもようやく要らなくなって作業着姿、仕事帰りに晩飯の買い物をしてからプリンが食いたくてコンビニに寄ると、実家の近所に住むガキ、イチゴに会った。
学校帰りなのか、イチゴの着た有名私立の制服は何度もイチゴで見ているけど、どこかで見た事がある。そう思ってじっとイチゴを見下げていると、イチゴが俺を睨んできた。
「俊喜、なんか偉そうだからしゃがんでよ」
「あー、すいませんねなんか」
久しぶりに会ったら生意気度も増加していた。でもまだ駄菓子コーナーにいるから可愛いものだと思う。
高い位置にポニーテールにしたイチゴの隣にしゃがみこんでイチゴを見上げると、ようやく思い出した。アルバムで見た真知と同じ制服なんだ。後輩か、と思っていたら、イチゴが10歳だとは思えないような目付きで俺を見る。
「俊喜、誕生日プレゼントまだ貰ってないんだけど」
そういえばイチゴの誕生日は3月だ。もう一ヶ月も前だったのか。11歳だとは思えないような誕生日プレゼントの可愛いげのない催促だけど、駄菓子コーナーの前でそれを言うんだからまだ可愛い。
「あーマジ?じゃあなんか欲しいもの買ってやるよ」
「えーじゃあ自家用ジェット機」
「ローン組んでも買えないんですけど。破産どころの問題じゃないんですけど」
苦笑いでそう言うと、イチゴが酷く愉しそうに笑った。すいません、11歳の女の子にこんな笑い方を教えたのは誰ですか。
「嘘、分かってるよ。俊喜ビンボーだもん」
「言い方考えてくんね?」
「だって本当の事じゃん」
返す言葉が見当たらない。俺の繊細なガラスのハートが割れそうになったけどビンボーは自覚済みだから割れなかった。
イチゴに手を引っ張られて立ち上がると、イチゴはレジの前で肉まんを指差す。
「あれがいい」
どう考えても肉まんしか見ていないイチゴを見て、首を傾げた。
「え、誕生日なんだから残る物のがよくね?しかも俺の事どんだけビンボーだと思ってんの、」
「残る物とか云々よりも、今の欲求を大事にするタイプなの。将来上司と不倫するタイプなの」
「そういうの自分で言っちゃう?」
にっこりと笑ったイチゴが怖くなった。どれだけ自分を分析してるんだ。おかしい。心の中で生まれたての小鹿のような俺が震えた。
ちょっと待ってて、とイチゴに言って棚からプリンを二つ取って戻ってくると、イチゴは早くしろよ、とでも言うような視線を向けてくる。
仕方なくレジにプリンを置くと、イチゴが店員の赤茶髪のギャルに言った。
「肉まん一つください」
無愛想なギャルはそれに返事をする事もなく肉まんを取る。イチゴを見ると鬼の形相で礼儀はきっちりしろよ、と小声で言っていた。これは将来上司と不倫するとかいう問題ではなく、ヤクザと結婚して姐さんになるタイプだと思った。
「あ、袋入れんのはプリンだけで」
と俺がギャルに言うと、ギャルは俺を見て目を見開く。どこかで会った事でもあるんだろうか。
「緒方さん、ですよね?」
「そうだけど」
「あたしカズん家にいたんですけど、覚えてますか?」
カズ?カズって誰だ、とまで思ったけど、津田だということを思い出した。正直このハスキーボイスの赤茶髪ギャルの事は覚えていなかったけど、ああ、とだけ言った。別に嘘は付いていない。否定も肯定もしなかっただけだ。
俺の返事に何故か顔を赤らめてから視線を逸らしたギャルは値段を提示する。俺はそれにぴったり金を払った。
プリンの入った袋を取って肉まんをイチゴに渡す。
「本当にこれだけでいいのか?」
確認するように聞くと、イチゴは頷いた。
「私がこれだけで我慢してあげるんだから、真知ちゃんになんか買ってあげてね?」
笑ったイチゴが先に歩き出す背中を見て、思わず呟いた。
「超ハードボイルド…」
今まで散々将来の不倫を仄めかすイチゴを心配していたけど、その必要はなかったようだ。あいつ、絶対いい女になると思います。
まあ、あの台詞が『私は箱根で我慢してあげるんだから、奥さんにはもっといい所に連れていってあげてね?』という愛人の台詞に早変わりしない事を祈るしかない。
イチゴを追ってコンビニを出る。片手に肉まんを持って手を出してくるイチゴの手を握ってやると、イチゴが笑う。
「人生で初めての不倫」
「やめろ」
外も結構暗いし、家まで送っていこうと思い、イチゴの家に向かって歩き出した。まあ、まだ手を繋いだくらいで不倫だと思う所が純粋で可愛い所だ。他はもう全部どす黒いけど。
「送っていってくれるの?俊喜いつからそんな紳士になったの?」
「バカヤロー、俺はずっと紳士だろ」
親が両方エリートで共働きのイチゴはやっぱりどこか少し寂しい思いをしていたのかもしれない。イチゴは俺の手を握り直して嬉しそうに笑った。
ホストクラブが建ち並ぶ道を二人で歩いているのは変な感じだったけど、悪くなかった。イチゴの歩幅に合わせてゆっくりと歩く。イチゴはナガレへの愚痴を垂れ流すけど、それにも愛情が籠っている気がするのは俺だけだろうか。
イチゴの言葉にただ相槌を打ちながら歩いていると、後ろから視線を感じた。また、だ。
これだけ頻繁にあるという事は、わざとだ。俺の気のせいじゃない。立ち止まって、イチゴの前にしゃがみこんだ。
突然の俺の行動に首を傾げるイチゴの体を抱き上げると、イチゴが俺の作業着を掴んだ。
「イチゴこれから走るけど捕まってろよ?」
「え、」
「あと、絶対に後ろ見るなよ?分かったな?」
見られたと追っ手に思われたら、イチゴに危害を加えられる可能性がある。イチゴが俺に押されて頷くのを確認してから、走り出した。
地元だから抜け道くらいはいくらでも知っている。イチゴは俺の作業着を片手で掴みながら肉まんを食っていて、どれだけ腹が減ってたんだと心の中で突っ込んだ。
左腕にかけたビニール袋が腕に食い込んで痛かったけど、それどころじゃない。俺が一人なら適当に撒いて済むけど、イチゴの家を知られたら困る。
イチゴは背も小さい方だし細いけど、やっぱりそれなりの重さがある。息も切れるし腕も限界だけど、小中と警察ごっこで鍛えた脚は止まらないのが不幸中の幸いだった。
ビルとビルの間を三つ抜けて左折と右折を繰り返す。すると後ろの視線は感じなくなったが、イチゴの家はすぐそこだ。見えた大きな家の前まで走って、イチゴをすぐに降ろした。
「どうしたの俊喜、」
「っ、いいから早く中に入れ」
「うん、」
運よくイチゴの親が家にいたようだ。門扉を開いて玄関のドアの前に立ったイチゴは俺に手を振ってすぐに中に入っていった。空気を察するだけの能力はあるらしい。
まだ荒れた息は直らないけど、いつ追い付かれるか分からないから早々とイチゴの家を離れた。今日真知は休みで家にいるから、実家に迎えに行く必要はない。
裏道を通ると遭遇するかもしれないと思い、いつもの表の道から走って帰った。俺みたいなガキに尾行に気付かれるなんて、どれだけ尾行が下手くそなんだ。
うまく撒けたとは思うけど、どうだろうか。後ろを確認しながら走るけど、視線も怪しい奴もいない。
腕時計を見ると、もう8時半。いつもより帰りがだいぶ遅くなってしまった。家の鍵を開けて家の中に滑り込むと、一気に汗が出てくる。
「っ、おかえりなさい」
キッチンに立っている真知が驚いたように目を丸くして言う。それに相槌を打つ余裕しかなかった。後ろ手に家の鍵を閉める。
安全靴で長い間走ったせいで脚はガタガタで、運動不足のせいか息が切れた。荒い呼吸を抑えるように腹を擦りながら呼吸を繰り返すけど、中々呼吸と動悸は収まらない。
明日は筋肉痛に悩まされそうだけど仕事が休みだったから良かった。仕事だったら肉体労働だから完全に終わる。
安全靴を脱いで、ビニール袋を床に降ろす。その場にしゃがみこむと、真知が俺の前に正座して肩を擦ってくれた。
「どうされたんですか?大丈夫ですか?」
「っ、いや、……なんでもないっ」
尾行されてると前は言ったけど、これは本格的に尾行され始めている。真知は意外と前の事を覚えていそうだから、言わない。
何度か咳をすると落ち着いてきて、真知の頭を撫でた。
「遅くなってごめんな?待ってな、今飯作ってやるから」
立ち上がろうとすると真知の手に引き留められる。それに首を傾げると、真知は視線を泳がせてから俺を見た。
「……今日は私が作ります」
消えそうな震える声は無理をしているという事が明白だった。料理を作ってくれるのは嬉しいけど、無理は良くない。きっと俺が走って帰ってきたりしたから、真知は俺を気遣ってくれているんだろう。
でも、無理なものは無理でいい。無理矢理頑張ってもらっても、こっちが辛くなる。
「大丈夫、俺ちょっと真知に早く会いたくて走って帰ってきただけだから、」
「いいんです、私が作ります」
俺から手を離した真知の手に、懐かしいものが付いていた。透明のゴム手袋に包まれた手は、あの頃とは違って血が滲んでいないけど俺を心底悲しくさせる。
立ち上がろうとした真知の手を握って引き留める。俺の敵はきっとずっとこのゴム手袋だった。
ずっと真知はまな板の前で突っ立ったまま。まな板にはセラミックの白い包丁が転がっている。よく切れないのに俺がセラミックの包丁を選んだのは、必要以上に刃物を家に置きたくなかったからだ。
真知が腕を切ったら困るから、切れないくらいがちょうどいい。そんな事は真知は分かっていないだろうけど、別にいい。
真知の背中に近付き、シンクに手をついて真知の顔を横から見ると、途端に苦しくなった。異常な程に震える手を見る目が、いつかのように血走っていた。
真知は俺の視線に気付いて手を隠そうとしたのを許さず、その手を握って後ろから抱き締める。どこまでも不気味で馬鹿な女の目を手で覆うと頭に顎を乗せた。
「お前はまず落ち着け」
震え続ける手に指を絡めたら、震えが直に伝わってくる。捲られたパーカーの袖から覗く左腕は見る度に脳に焼き付けられる。感触も見た目も、ふとした瞬間に思い出すだけで嫌な気分になるけど、全部含めて真知だから仕方ない。
目を覆う手が濡れるのは、真知が泣いている事を証明していた。
「っできます、作れますっ、」
「うん」
「でもっ、怖いっから、」
「大丈夫、待ってるから、ここにいるから俺」
俺は真知の事を後ろから抱き締めて、ずっと見ていた。真知の震えの止まらない手が野菜を切り終わるまでに1時間、まだ熱していないフライパンに野菜をいれるまで30分、俺はひたすら抱き締めている事しか出来なかった。
俺とのたった3メートルの距離を縮める為に5時間もかかった女は、俺に野菜炒めを作る事に1時間半以上の時間を使うらしい。
残酷な愛情表現は、どこまでも残酷だった。ひたすら待つ俺の根性もさる事ながら、頑張って作る真知の根性の方がよっぽど凄い。
二人でテーブルを囲んで座って、野菜炒めを口に入れる。真知は俺の表情を泣き腫らした赤い目で見ていて、食べたら、俺は嘘みたいに泣けてきた。
気持ち悪いくらい感極まりすぎて味とか全然分からなかったけど美味かった。滲む視界が煩わしくて思わず瞬きしたら涙が飯に落ちていったけど、もうどうでもいい。
「っ、美味い」
泣きながら真知に笑ったら、真知も泣き始める。どこからどう見ても野菜炒めで泣くなんて気持ち悪すぎる夫婦だったけど、俺らは俺らでいいんだと思う。
涙を拭って真知の頭を撫でてやると、真知が必死に涙を拭いながら口を開いた。
「曽根崎さんがっ、曽根崎さんが、私にできる事をしたら俊喜が喜ぶと仰ったのでっ」
「……悟?」
なんで急に悟の名前が出てきたのかサッパリ意味が分からない。真知は泣きながら呼吸を整えて、俺を見た。
「19歳のお誕生日、おめでとうございます。生まれてきてくれて、ありがとうございます」
呆然として見たテレビの脇にある棚に置かれたデジタル時計の日付は4月10日。頭から忘れ去られていた俺の誕生日だった。
「こんなものしか作れなくてごめんさいっ」
真知が肩を震わせながら言う言葉に、俺の視界はまた滲み始める。俺の誕生日だから、わざわざ悟に聞いたりして、無理なのに料理を作ったんだと、やっと理解した。
今思えば今日の仕事中、朝からずっと時夫と聖にニヤニヤ見られていた気がする。誰も誕生日おめでとうなんて言ってこなかったけど、それは真知が引き留めていたからなのかもしれない。
真知は俯いてボロボロと涙を溢していて、爆発しそうになる感情を堪えるように真知の髪を乱暴に撫でた。馬鹿だ、この女は本当の馬鹿だ。
「馬鹿、」
「ごめんなさい、」
「ありがとう、人生で一番いい誕生日」
去年は何してたとか、一昨年は、とかほとんど記憶に残っていないのは、多分飲んでいたからだと思うけど、今日は飲んでなくて良かった。記憶の中に一生残せるものなら残してやりたい。
俺を見てまた泣く真知の髪をぐしゃぐしゃに撫でながら笑う。
「もう泣くなよ、不細工だから」
「もう不細工でいいです」
「お前本当に泣き虫だよな?サプライズされた本人より泣いてどうすんだよ」
涙も引っ込んで笑う俺に真知は必死で涙を拭う。こいつ馬鹿だなぁと思いながらも、可愛いと思う俺はどうかしてる。
「ずっと、ずっと、申し訳ないと、思っていてっ」
「何が?」
真知が発したそれに疑問を感じて首を傾げると、真知が嗚咽と一緒に溢す。
「貴方はっ毎日肉体労働をして帰ってきてっそれなのにっ私が貴方に料理を作れないからっ、休む暇を与えられずにっ」
「いいよそんなの、」
「なのにっ、作ってもっ、これだしっ、」
自分を猛烈に責めている真知を引き寄せて抱き締めると、真知が俺のTシャツの襟を掴んだ。
「だって私っ、俊喜の妻だも、」
「お前気にしてたの?いいんだよ、人は人、うちはうちだろーが。大丈夫だよ、俺は全然気にしてねーから」
髪を撫でて背中を撫でてやると真知が少し落ち着いた。
妻だから料理作るなんて決まりはないし、ただ俺は料理を作っていただけで洗濯や食器洗いの家事は真知がやっていたから気にしていなかったけど、真知は俺が知らない所で気にしていたらしい。
しゃっくりを繰り返す真知の体を離して涙を拭くと、また真知の目から大粒の涙が音を立てるように溢れる。
「あーあ、真知また泣いた」
「っ、だって、貴方が私に余りにもっ、甘いっ」
「厳しくしてどうすんだよ馬鹿、」
真知の髪の毛を元通りに直して、白目が赤く染まる真知の目を見た。
「また気が向いたら作ってな?いつかは毎日お前の作ったもんが食べたいけど、今は無理しなくていいから」
な?と言うと、真知が頷いた。面倒臭い女だけど、面倒臭くても好きだから俺も頭がおかしい。理解するのはきっと難しいけど、認める事はできる。面倒臭いし不気味だし気持ち悪いけど、それでもそれを超すいい所があるから、好きなんだと思う。
見た目は可愛いけど、面倒臭い真知を本気で好きになるのは俺みたいな馬鹿しかいない。多分、俺が馬鹿だからこの女に引っ掛かったんだ。
別に引っ掛かった事を後悔なんてしてないし、これからもするつもりはないけど。
「冷めるから早く食うか、」
「はい」
真知の手の震えはやっと収まって、真知は飯を食い始めた。それを横目で確認しつつ野菜炒めを食べるけど、俺は相当頭がおかしいらしくてまた視界が滲む。完全に大事な何かが終わっている男だった。
きっちり綺麗に飯を食って、泣きすぎた真知に風呂に入る事を命じた。真知が風呂に入っていってキッチンで食器洗いをしていると、俺のケータイのバイブがひっきりなしに鳴り始める。
それを放置して時計を見ると、時間はいつの間にか日付を越えようとしていた。仕事して尾行されて感動して泣く意味不明な19歳の始まりは意外な程に俺の記憶に焼き付けられる。
食器洗いを終えてケータイを開くと、メールが百件近く来ていて若干引いた。そういえば今日ケータイが鳴っても面倒で見ていなかった事を今更思い出した。
送り主は時夫達、ナミ達、先輩、後輩、八木とかサチコとかの高校連中に中学の頃の同級生、他の中学だったけど仲が良かった奴等、さっきまで一緒にいたイチゴ、何故か沢田と池谷、その上に元カノの名前まである。
真知の計画を知らない元カノ達は4月10日になりたての頃にメールを寄越している。俺がこれを見ていたら真知のサプライズは成功していなかった。見なくて良かった。
その他は4月10日が終わる直前にメールを寄越してきている。どこから俺に話を通さずに情報が回ったのか分からなかったけど、悟達に真知が言った時点で周辺に広がったんだろう。
そして極めつけにお袋。今まで誕生日メールなんて送ってくる事なんてなかった癖にメールを寄越してきた。気持ち悪さに鳥肌が立ちつつ、本文を見る。
『折角お嫁さん貰ったんだからあんまり飲み歩いてないで帰りなさい。面倒な事には首を突っ込んだりしない。まっちに余計な心配をかけたらあたしが月に変わってお仕置きするからね。あと傷害事件とか起こさない。今年は警察沙汰にならない事を祈ります。まっちとこれからも末長く仲良く、あたしはまっちが大好きでもう離れたくないので、まっちと離婚したらあんたを勘当します。そういう事だから誕生日おめでとう』
……最後、脅迫じゃね…?お袋の恐ろしさに苦笑いしながら、了解とメールを返した。それ以外返せる言葉がない。
とりあえず送ってくれた人全員に返信する。考えるのが面倒だったから、友達と後輩には了解で、先輩には了解しましたと返した。もうお袋のメールが頭から離れなくてそんなメールしか送れなかった。
それ以前に先輩からも結婚万歳!みたいな嫌味としか言いようがないメールばかりが届いて、時夫と久人と悟の三人からは熱い夜をお過ごしですか、なんて気持ち悪い上にぶん殴りたくなるメールしか届いていない。
それに了解と返した俺も俺だけど、今更になって時夫達には送らなければ良かったと後悔した。熱い夜を過ごしてない事を証明してしまった事と同じだ。
案の定、時夫達から返信がすぐにきたけど、見なかった。なんか泣きたくなる。電話も来たけど無視する。でも鳴りやまなくてうるさいから電源から切ってやった。
すると真知が風呂から出てきて、俺を見て小さく、あ、と思い出したように声を漏らす。
「誕生日プレゼントをお渡しするのを忘れていました」
「え、あんの?」
「はい、少々お待ちください」
真知は寝室のドアを開いてから俺を見る。
「絶対にお入りにならないでくださいね」
「え、あ、はい」
真知に寝室のドアを閉められて、プレゼントを少し考えた。何だろう。入ってこないでって言われたけど何だ?真知が寝室に入ってこないでと俺に言うのは着替えの時位だよな、と思い出して、俺は思わず寝室のドアを見た。
まさか!思春期の男らしく期待に胸を躍らせたけど、それは呆気なく覆される。ドアから出てきた真知はさっきの部屋着姿のままだったからだ。
心の中で舌打ちしたけど、それよりもっと問題だったのは、真知に抱かれた俺へのプレゼントらしきもの。
ミッフィーのでかいぬいぐるみ。絶句。正座した真知の膝の上に乗ったミッフィーは真知の顔を隠していた。
「何が欲しいのか分からなかったので、姑息な手段ですが曽根崎さんに聞いて頂きました、どうぞ」
「あ、どうも」
真知に手渡されて受け取る。ちょっと待て、なんでミッフィーのぬいぐるみなんだ?19歳の男の誕生日プレゼントにミッフィー?いや、確かに可愛いけども、なんで?
それ以前に、なんで悟は俺がこれが欲しいなんて伝えたんだ、とまで思って、ようやく悟に欲しいものがあるかと聞かれた時に、適当にミッフィーのぬいぐるみと言った事を思い出した。
伝えられて真に受けるしかなかった真知はともかく、俺の冗談を素直に受け取ってしまった悟の頭の足りなさを疑った。あいつ何年俺と一緒にいるんだよ。俺が本気でこれを欲しいとでも思ったのか?おかしい。あいつおかしい。
胡座をかいた俺の足の上に乗るミッフィーと見つめあっていると、真知が何故か顔を赤くして俺を見ていた。なんで照れたの…?
「私もミッフィーちゃん好きです」
「あ、そうなんだ」
「似合います」
なにそれ!いいの!?それって褒め言葉!?心の中で叫んだけど、真知が好きならミッフィーが家にあってもいいかと思った。貰ったしありがたく可愛がろう。俺が持ってても気持ち悪いだけだけど。
しかも真知に私も、と言われてしまったから完全に俺がミッフィー好きだと完全に勘違いされている。違う、断じて違う。そう言おうと思ったけど、真知はミッフィーの耳を嬉しそうに撫でているから弁解なんてしなくていいと思った。
一家に一匹、ミッフィー。ペットが飼えないアパート暮らしにオススメ。頭の中で宣伝文句が流れた。
ミッフィーをずっと見つめていたら、どこか真知に似ている気がした。色白だし、あんまり口数多くないし。ふと真知とミッフィーを見比べていると真知と目が合ったから、笑いながらミッフィーの口に軽くキスした。
「やべ、俺これ浮気だ」
笑うかな、と思いながら真知を見ると、真知は呆然としたように俺を見ている。まさかの冗談が通じなかった。
濡れた髪にタオルをかけただけの真知の髪を拭いながら、ミッフィーの口を真知の口に付ける。
「間接キス」
途端に真知が顔を赤くし始めて、面白くなってきた。からかわれると分かってて真知はそんな反応をするんだろうか。
「お前何照れてんの、いつも直接してんじゃん」
「っ、だ、だってこれっ」
「あ、やっぱり実物の方がいいっすか?」
俺の言葉に真知が視線を泳がせるのは、無言の肯定。無表情だけどずっと見てたら少しくらいは感情が読めるようになってきた。
「実物の方がいいっすか?」
真知の顔を覗きながらもう一度言うと、真知に顔を背けられた。こんな事ばかり思う俺は馬鹿みたいだけど真知が可愛くてしょうがない。
片手にミッフィーを抱いて、真知の肩に腕を乗せる。真知の後頭部を掴んで半ば強引にこっちを向かせた。
「素直になろっか?真知さん」
真知の目は潤んでいた。恥ずかしくても悲しくても痛くても苦しくても嬉しくても泣く女らしい。喜怒哀楽が顔に出ないから、全部涙に変換されるのかもしれない。
小さく揺れながらも俺から目を離さない真知の目を真っ直ぐ見て笑う。
「真知、お前さ、」
「っはい、」
「『プレゼントは私です』とか可愛い事言えねーの?」
訳が分からないとでも言うように真知は首を傾げたけど、頭の中で咀嚼したら意味が分かったのか、更に顔を赤く染めた。それに思わず吹き出すように笑うと、真知が眉間にシワを寄せた。
「また私をからかったんですかっ」
「だってお前面白いんだもん」
「っ、ひどいですっ」
「はいはい、酷い男を引っ掛けたお前が悪いんだからな?あんまり怒んなよ」
頭を撫でると真知が俺の頬を軽く叩かれるという攻撃を受ける。真知は俺から再び顔を背けた。
「真知が俺に攻撃するとか生意気なんだけど」
「わ、私をからかう貴方の方が生意気ですっ」
訳の分からない、終わりの見えない言い合い。真知が俺を叩いた理由をつらつらと述べるけど全く頭に言葉が入って来ないのは、俺の目が動く真知の赤い唇ばかりを追いかけているからだと思う。
隙間から見える舌の味が口の中に戻ってくるような感覚は制御不能だった。俺の視線の先にようやく気付いた真知が口を噤んで、真知の目を見る。
「鈍感、気付くのおせーよ」
俺がそう言うと真知が躊躇いながらも目を閉じたから、唇を重ねた。真知は俺に好き勝手にキスさせてくれるけど、俺に頑張ってついてこようと合わせてくれるけど、最終的な所は許してくれない。
どれだけ進みが遅いのか自分でも不思議になるくらいだけど、我慢の限界も近いけど、自然と焦ってはいなかった。
真知の冷たい手が恐る恐る俺の首に触れてから耳の裏まで撫でる。それに顔の角度を変えて真知の唇を自分のそれで挟みながら舐めると、真知が口を開いてくれた。
キスにも俺にも慣れていない女に、誕生日に体を要求する方が間違っていた。からかっただけだけど若干真に受けたような真知に申し訳ない事をしたと思って、いつもよりも何十倍も優しくキスした。
いつもと同じ温度の口の中に妙な安心感を覚えながら、真知の上顎を舐める。真知は俺の髪を緩く掴んで息が苦しい事を伝えてきた。
もうそろそろ離して真知の髪の毛を乾かさないと風邪引かせるな、と思いつつ欲望はどうする事も出来ない。
あと少し、あと少し。そう思っていると真知に強引に唇を離されてしまった。繋がった唾液の糸が切れると、荒く息をする真知が俺の顎に触る。その様子をじっと見ていると、真知に顎を持たれて口を開かされた。
すると真知が、俺の唇に自主的に唇を重ねてくる。
何、このいい誕生日。もう終わってるけど、寝てないからまだ終わっていないだろう。いつの間にか俺の手からミッフィーは離れていたけど、その代わりに真知を抱き締めた。




