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07 安息


ふと、空腹を感じて、現在に思いを向ける。

もう窓の外は真っ暗だ。


私は仕事を辞めてからは、タウランド王都の屋敷で暮らしている。

掃除だの料理とかは、昔からの通いの使用人がしてくれる。

使用人とはメモで連絡がとれるので、一日中、言葉を発しないことがある。

天気が悪くて外に出なければ、数日間、誰とも会わないこともあった。


夜遅くに一人で、作り置きの夕食を食べに厨房まで下りて行った。

食後はしばらく居間で異世界空想小説に没頭する。

「世界百迷宮」がブームになって以降、異世界で冒険し勧善懲悪をする空想小説が数多く出されるようになった。

私も、学生時代からのファンで長年この手の小説を読んでいる。

趣味らしいものがない私にとって、空想本と絵日記が息抜きだった。

ダンジョンに潜らなくなってからは、絵日記の方は長くサボっている。



私は書斎に戻り、机の引き出しの魔術ロックをはずし、奥から鍵のかかった小箱を取り出す。

中には、私の思い出の品々が入っている。

一番大切な指輪が入っている袋を取り出そうとしていたが、思い直して小指大の石の入ったガラスの小ビンを取り出した。


これはオリハルコン鉱の鉱石だ。

私は有名ダンジョンに潜った時は記念に綺麗な小石を一つ記念に持ち帰ることにしていた。

「死神」では荷物を捨てて脱出したが、これは服のポケットに入っていたので今ここにある。

これを見ると「死神」での悪夢を思い出すので捨ててしまおうとした時期もあったが、今ではたとえ悪夢を伴っても自分の重要な記念品と思えるようになった。

石を手のひらに握って、当時を振り返る。



・・・・・



25年前、私は「死神」から帰ってから、孤独に耐えれらなくなってしまった。


私は魔術師学校の学生時代に父を失っており、その頃は天涯孤独の身だった。

私は魔術師ギルドでは、ずっと出張勤務だったため職場で親しい友達を作る機会がなかった。

ダンジョン調査では現場でパーティーを組むが一時的な組み合わせなので、長く付き合う仲間になれなかった。

それまでは孤独を感じても、日々のダンジョン探索の期待感の方が大きかった。

感じる不安はもちろんあったが、なるべく意識しないように、新刊の小説でも読んで空想に思いをはせ、不安をうやむやにしていた。



あの頃、友達というほどではないが、比較的親しい話友達と言えるのは、下宿先の家の出戻り娘ぐらいだった。


出張で王都にはほとんどいなかったので部屋を借りて住処としていた。

ある騎士家の屋敷の使われなくなった馬小屋横の馬丁部屋だった。

敷地の門は夜間の出入り禁止だったが、安かったし魔術師ギルドから2分の距離で私は満足していた。


そこに帰るのは年に20日も無く、部屋にはほとんど荷物もなかった。

金は魔術師ギルドに貯金してあるし風呂もギルドで入る。

金目の物はギルドの有料倉庫にずっと放り込んであったし、狭い部屋にあるのはベッドと着替えぐらいだった。


その屋敷の母屋の屋根裏部屋に31歳の娘が住んでいた。

ナディアという娘は実家より格上の騎士団長の家の次男に嫁いだが10年以上子供ができず、義父に追い出され泣く泣く実家に戻ってきていた。


実家の両親は死んでおり、弟が跡を継いで、弟嫁が家内を仕切っていた。

ナディアは近くの商家に手伝いに行っているが、大した稼ぎにはならないだろう。

実家で厄介者扱いらしいナディアは自分から積極的に屋敷内の掃除をしていた。

私は不在時に部屋の掃除や換気をして貰ってるお礼に、時々、土産を渡していた。


私がたまに部屋にいると、ささやかな菓子持参で世間話によくやってきた。

ちょうど、年頃も一緒でけっこう話も弾んだ。

各地のダンジョンの話をしてやると、熱心に耳を傾けてくれた。

ナディアからの話は、王都のとりとめもない噂話から始まり、最後は愚痴へ突入することが多かった。

追い出された嫁ぎ先の両親の悪口やら、商家の老主人から後妻に誘われているなど、聞かされても何も言えない。

ナディアはグラマーな美人で惹かれるところがあるが、性格的には私の好みではなかった。



「死神」からタウランド王都に帰った時、私はふらふらと憔悴がひどく、ギルドから無理やり休暇を取らされた。

私は休暇といっても、何もする気が起こらず、ずっと部屋で伏せっていた。

恐怖の悪夢で眠れない日が多く、鏡に映る自分の顔は、顔色悪く痩せこけアンデッドのようになっていた。

「死神」での真実を皆に話せれば、すこしは気が楽になれただろうが、胸の内に収めて置くしかなかった。

最初は酒に飲まれて寝ようとしていたが、夜中に変に目が覚めて恐怖に沈んだり、二日酔いで余計憔悴してしまうので途中で止めた。

職場の上司が時々様子を見に来たが、私が生きているのを確認するとすぐに帰ってしまう。


魔術師ギルドの食堂に食事に行く気力さえなく、ゴロゴロしていると、ナディアが毎食のように食事を差し入れてくれるようになった。

質素な少ない食事だったが、弱っている私にはありがたかった。


夜眠れない分を、浅い短い昼寝で補い、どうにか生きていた。

ある日、久しぶりに熟睡して昼寝から目を覚ますと、私はベッドに座ったナディアの膝枕に顔をうずめて寝ていた。

昼飯を差し入れに来た時に、私がうなされており、ナディアが落ちた毛布を掛けようとしたところ、私が寝ぼけて毛布ごと腕を抱え込んで離さなかったそうだ。

私は恐縮して謝り、これまでの食事差し入れのお礼もしようと思い、ディナーの外出に誘った。


夜の外出にナディアは胸元の大きく開いた服を着て、初めて見せる赤い口紅が艶かった。

食事中、ナディアが熱い眼差しを送ってきているのが感じられた。

展望のない生活をずっと強いられている女の気分転換の場なのだろう。

私は女体の匂いに脳髄がゾクッときて、胸の谷間に思わず生唾をウグッと呑み込んでしまう。

食後の散歩でも行けば、そのまま連れ込み宿からの朝帰りになりそうだった。

酒に酔った頭でも不味いと判断できたので、そのまま帰宅とした。


毎日の悪夢で憔悴しきっており、部屋に帰ってから鍵をかけるのを忘れたのだろうか。

その夜、久々の酒で朦朧とした眠りの中、人肌の温もりを感じ、芳香に脳が痺れ、溜まっていたもののタガがはずれた。

熱い吐息にぞくぞくして、夢うつつの中で柔肌を貪るのに夢中になった。

充たされ、安心し、久しぶりに夜に熟睡ができた。

そして、朝、一人で寝たはずのベッドに裸の女がいた。


その日から、毎晩のように私は悪夢から逃げたくてナディアを求めるようになっていた。

悪夢で精神が崩壊し始めていた私を救ってくれたナディアに感謝した。



私はそれまで、一生独身だろうと思っていた。

ナディアから子供ができたと告げられた。

ナディアは前の結婚で10年以上子供ができなかったので、てっきり自分は不妊症と思っていたという。

私は子供の事がもちろんあるが、精神が孤独に耐えられなくなっていたので、「結婚しよう」とすぐにナディアを籍に入れた。

私が悪夢の日から立ち直ったのは、ナディアのおかげだ。

心も落ち着きを取り戻し、私は仕事に徐々に復帰出来た。



「死神」に潜った報奨金は口止め料の意味もあるのだろうが、かなりの額だった。

それまでに貯めた貯金もはたいて、王都に築200年程の小さなおんぼろ屋敷を買った。

実はこの屋敷は、昔、メリザウィ家の持ち物で祖父が手放した王都の屋敷だ。

もともと古い屋敷で、ここしばらく住む者がおらずかなり傷んでおり安く買えたが、修繕するのに金がかかった。


私は「死神」の仕事の後に初級職員から中級職員に昇格した。

なり手がいないダンジョン調査員の仕事なので、それを補うように必要経費は満額出るし専門職手当も優遇されている。

国外ギルドからの調査依頼の臨時収入も加われば、上級職員より多い収入になる。

この屋敷で家族を養い、使用人を雇っても十分にやっていけるだろう。



妻への愛情は十分にあったと思う。

しばらくすれば、エルを失ってからの長い心の空隙を、ナディアが埋めてくれただろう。


ある日、事が終わったベッドの中で、ナディアが私にふと「エルって誰?」と聞いてきた。


その一言で、幸福と悲しみの記憶から私の女神エルが戻ってきた。

私はナディアとの安らかな結婚生活で、エルの事を忘れていたのに気がついた。


私はナディアの別れた旦那の事など興味がなく聞いたことはなかった。

そして、私のエルの事もナディアに話したことはなかった。

交わりの最中にでも、エルの名を無意識に口にしたのかもしれない。


この時、私は、エルの事をナディアに話したくない、とふと思った。

私とエルの関係の中には、誰にも割り込んできてもらいたくなかった。


その時、瞬間、ナディアではなくエルを選んだのだった。

私の心の中に、エルが住む聖域が、もう強固に再建されていた。



私とナディアの間を妙な沈黙が漂った。

私の口から「死んだ妹だ」と明らかに嘘だとわかる返事が出てきた。


あの短い問いかけをもって、私のナディアとの甘い結婚生活が終わったのだと思う。

それ以後は、お互い、真の心の繋がりを求めずに形だけの夫婦に満足していくようになったと思う。



私がダンジョンに潜らないといけない理由は、誰にも話したことはない。

これは私の失われたエルに捧げた誓いなのだから、私の心に秘めておくべきことだ。


仕事を減らして休みを取るのも可能であったかもしれないが、私は家でボーとしているのが苦痛だった。

それよりも、その時間で一つでも多くのダンジョンに潜りたかった。


かなり難産だったらしい息子の誕生の日は、私はダンジョンの中だった。

私は子供を持ったが、あい変わらず家には居なかった。

ナディアも私の仕事を知っていて私を選んだのだから、そこは許してほしい。



私のダンジョン調査員の仕事は続いた。

ナディアと結婚して2年が経った頃だったか、ある日、長い出張から家に帰り着くと、ナディアと息子がいなかった。

使用人に事情を聴くと、妻が息子を連れて家を出ていったという。

そして、妻からの置き手紙を渡された。


妻からの手紙は、別れた元の夫と復縁したいので、私に別れてくれという内容だった。

息子は元の夫との間にできた子供だという謝罪と、不義の妻はどうか捨ててくださいというお願いだった。

私はわけが分からなかった。


多少事情を知っていた使用人が話してくれた。

1年前ぐらいに、ナディアの元の嫁ぎ先の騎士団長の家で、事故で当主と後継ぎの長男が死んだ。

この事故は軍が仕組んだ陰謀だと噂されていたのを、私も覚えている。


その後、ナディアの元の夫の次男が家と騎士団長の職を継ぐことになった。

弱小の騎士団だったが、優柔不断な次男はその采配もできず、団長の席は他の騎士に移った。

家では長男の妻や親戚筋に財産をむしり取られ、次男は困って元妻のナディアに相談してきた。


次男はナディアと別れた後に別の婚姻の話が進んでいたようだが、父の死で先方から破談をされた。

ナディアを嫌う父がいなくなり、ナディアへの未練がぶり返してきたのだろう。


ナディアは元夫に捨てられた訳でなく、家長の怖い義父に追い出された形なので、元夫にまだ愛情が残っていたのかもしれない。

たぶん打ちひしがれた様子で相談に来た元夫を、突き放せなかったと思う。

二人は騎士家の将来を共に考えるうちに、気持ちが元の夫婦へと戻っていったと想像できた。


私はその男に妻を寝取られたという怒りは不思議と湧かなかった。

私は結婚したが、仕事優先で妻と子供を顧みなかった。

ナディアとの心の繋がりをどこかで拒絶していたから、なるべくしてこうなったと、すぐに達観してしまった。


私はナディアに裏切られたという悲しみはもちろんあった。

私の心にはエルがいたので、ナディアを責める気持ちになれなかった。



私たち3者は話し合いの場を持った。

妻とその元夫は、私にひらすら頭を下げてきた。

その二人の姿に、二人の間の強い絆を感じてしまった。

その場に息子は連れてきてなかったが、二人の間にできた子供で唯一の後継ぎだと主張した。


妻は金髪、元夫は銀髪、息子は濃い茶色の髪、そして私の髪は濃い茶色。

ナディアは私が出張中に元夫と密通してできた子供と主張しているが、元夫とは10年間も子供ができなかった事実を考えると、無理がある。

息子の生まれた時期、髪の色、顔つきなど、どう考えても私の種だが。

まだ物心つかない息子は、金を使って戸籍を書き換えられ、騎士家の後継ぎとして育てられるようだ。


必死に私にお願いしてくる二人を見ていると可哀そうになってしまった。

そして、二人の間の絆が羨ましかった。


私が許すと言えば、私以外は不幸にはならない。

私にはエルがいるから大丈夫と内心で虚勢を張り、日付を入れずに離婚の書類にサインした。



これから二人や息子がずっと幸福かどうかはわからない。

騎士家の置かれている状況を考えるとかなり厳しい未来が待っている。

昔、イルハ国の滅亡でこの地に流れ着き、国を作る原動力となった大小の開拓騎士団は広大な騎士団領を安堵優遇されたが、戦場での騎士の無用化が進み、今では没落や取り潰しでどんどん消えてきている。

息子が継ぐだろう騎士家も在地化に失敗しているので、すぐに取り潰されてしまうのではないかな。

それは、私が心配しなければならない事ではないが。



私は帰る家があるが、家で待っていてくれる人は居なくなった。

私がナディアとの結婚生活で心を開く努力を続け、素直に愛を深めていれば、笑顔の家族が家で待っていてくれたのではと、ふと後悔の思いが返ってくる。



これまでの人生、どこかで間違えたかなと思う時がある。


しかし、私の境遇ではこうなるしかなかった。

これまで、ずっと真面目に人生を生きてきたつもりだ。

間違いはあっただろうが、その時々を懸命に生きてきた。

もっと生まれた条件が良ければ、より良い人生があったのだろう。


しかし、それは考えても仕方がないこと。

私の条件では、これが精一杯の結果と思う。

そう自分に言い聞かせている。


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