03 オメガスライム
ダンジョンの総数は、収益面、危険面で閉鎖消去されるものが多いが、新規に開かれるものが上回り、徐々に増えている。
オブラの産業の中には、ダンジョンの資源が無いと成り立たない産業が増えている。
今の時代、ダンジョンは経済活動になくてはならないものになっている。
公式に登録され、レベルE以上に評価されたダンジョンは、このオブラの世界に7504箇所ある。
その他、途中放棄された未登録ダンジョンなど全部含めると10万を越えると言われている。
ダンジョンは生物がいないものが多いが、そのダンジョン固有の動植物が生息しているところもある。
ダンジョンから物品を採取し持ち帰るのは問題ないが、生き物はこちらの世界に持ち込まないのがハンターの約束事だ。
この世界に持ち込む場合は、殺処分するのが原則となっている。
ダンジョンが出来始めた初期の頃は、危険な魔物を捕まえてきて、こちらの世界で見世物にしたり、蒐集家に売ったりする事が普通に行われていた。
展示施設や飼育施設から逃げ出したり、飼育できずに山野に捨てたりして、結構な種類の魔物がこの世界で拡がり増殖した。
オークはどうにか駆除できたが、ゴブリンは赤道地帯の熱帯雨林に定着してしまった。
埋没処理されたはずのスケルトンが、いつの間にか抜け出てツンドラ地帯に入り込み眷族を増やし、もはや駆除は不可能となっている。
タチの悪い異空間生物が、このオブラの世界で増殖し生態系を破壊すれば、人間が滅亡するかもしれないのだ。
現在、一番厄介な生物がアルカナダンジョン「恋人」原産のスライムだ。
過去に低級スライムを家庭で水槽に飼うのが流行り、オブラに大量に持ち込まれた時期があった。
それらのスライムは逃げ出し、棄てられ、現在ではオブラ各地の自然や下水道の中に広がってしまった。
スライムが昆虫や小動物を捕食して生態系が変わったり、巨大化したスライムが池で水遊びをしていた幼児を襲って喰った例もある。
アルカナダンジョン「恋人」はスライムが生態系の頂点に君臨する世界だ。
様々な特殊能力を持つ高等スライムが数多く確認されている。
魔獣の体内に寄生して、その魔獣を完全に乗っ取るオメガスライムが150年前に発見された時は大騒動になった。
オメガスライムが寄生した魔獣の脳を利用して、スライムを超えた思考していることが解った。
オメガスライムは分裂複製体を、魔獣の幼生に植え付け寄生個体を増やす。
そしてとうとう、人間がオメガスライムに寄生支配を受ける事件が起こった。
ダンジョン「恋人」に採取に入ったハンターが行方不明となり、数日後に苔むす森の中に倒れているのを発見された。
オメガスライム寄生に注意するよう通達が出ていたので、念のため、そのハンターを隔離観察していたところ、昏睡状態から急速に回復し人真似を始め、おうむ返しだが言葉も発し始めた。
ハンターが昏睡から回復したようにも見えたが、行動に違和感があったため、雷ショックを与え寄生の有無を確かめることになった。
検査の雷ショックにハンターが苦しむのを見かねて、途中で検査を止めようとした。
ちょうどその時にオメガスライムが皮膚からしみ出してきて、寄生が明らかになった。
寄生されていた人間はスライムが抜け出ると拘直して呼吸が止まり死んだ。
オメガスライムは世間では「憑依スライム」とか「乗っ取りスライム」と呼ばれている。
滅多に分裂しないと言われてはいるがオメガスライムが人間に寄生して拡がれば取り返しがつかないことになる。
オメガスライムが人間レベルの思考を獲得すると、おそらく支配層の人間を中心に憑依していくだろう。
いつの日か人類は密かにオメガスライムに支配されてしまうことになる。
オメガスライムがオブラに入り込まないように、ゲートを消去して「恋人」を消滅させる検討もなされた。
しかし、工業利用のメタルスライム採取を理由にゲート消去は先送りされた。現在ではオメガスライムの危機感は薄れてしまい、ハンターは相変わらず「恋人」に入っている。
オメガスライムが既に人間に寄生して、この世界に入り込んでいる可能性があると思うのだが、不思議と誰も口にしない。
既にオメガスライムに乗っ取られた支配層の誰かが、そういう話が出るとすぐにもみ消しをしているのではと勘繰りたくなる。
異世界の住人が公式にオブラに移住してきたことが過去一回ある。
エルフダンジョンとかエンジェルダンジョンと呼ばれるダンジョンが、北大陸のビジャヤ王国にある。
巨大な砂虫が生息する砂丘が延々と広がるレベルAダンジョンだ。
その砂丘に埋もれ散在する都市遺跡からは金銀財宝が多く発掘される。
300年ほど前に、ゲートから1000kmほど離れた小さな枯れそうなオアシスで、「ロカイ」という友好的で温和従順な人間型の異世界知的生物の家族が発見された。
細めの体に白い肌、銀の髪、やや紫がかった碧眼に、人形のような美しい造形など、身長が人間より5㎝程低めだが、おとぎ話のエルフに外見がぴったりだったために、当時はエルフ発見と大変話題になったそうだ。
ロカイの社会は過去に森林と都市とが共存する強大な魔法文化を持っていたようだ。
ロカイの伝承では金髪で不老の金ロカイ族が神として強力な魔法をあやつり、銀髪で短命の銀ロカイ族を支配していたらしい。
銀ロカイ族の寿命は人間と比べても半分から三分の二程度しかない。
ロカイの世界は1000年以上前に突然現れた巨大な砂虫の影響で、急激に乾燥化に向かい広大な森林が消失した。
不老の薬の原料であったメラへム神聖樹が失われ、もともと数百人もいなかった金ロカイ族は滅亡し魔法文化も失われた。
後に残った銀ロカイ族は大きな魔力を持っているが簡単な生活魔法しか知らず、従順な性格も災いし年々拡がる砂漠に追い詰められていった。
砂丘に呑まれていく都市を捨て、砂丘の各地に分散していった。
過酷すぎる環境で、もしオブラからのゲートが開いてなかったら百年待たずに銀ロカイ族も絶滅していたかもしれない。
これから述べるロカイとは、短命種の銀ロカイの事をさす。
人間とのコミュニケーションが確立すると、ロカイはこちらの世界への移住を強く希望した。
少数なら問題ないが、こちらの世界も土地が有り余っているわけではないし、得体の知れぬ異世界人を丸ごと移住させるにはどこの国も抵抗があった。
一般大衆はロカイの姿形から、おとぎ話の「南の善きエルフ」のイメージを持っていたので、それほど拒否感はなかった。
教会ではロカイが人間か非人間かの宗教論争が起こった。
ロカイは教会の布教を積極的に受け入れ、人間以上に熱心な信者となったので、教会は「ロカイは人間の同胞である」と声明を出すにいたった。
教会のお墨付きが出たのを機会に、ビジャヤ王国はダンジョン内の遺跡発掘の権利と引き換えにロカイの移民を受け入れた。
従順なロカイたちを開拓に使おうという思惑もあり北部辺境の荒涼とした無人地帯を居留地として与えた。
寒冷な厳しい土地でも、ロカイにとっては水無し熱砂の元の世界に比べると楽天地だったらしい。
砂丘の各地に分散して生き残っていたロカイのほぼ全員、およそ2万人がビジャヤ王国に移住してきた。
ロカイたちは居留地でコミュニティー生活を楽しみ、極貧生活も全然苦にしていなかった。
入植当初はたくさんの凍死者も出たが、その後50年程で、ロカイの人口は3倍に増えた。
その後もロカイの人口は増え続け、現在では40万人を超え居留地は過密状態になっている。
人間社会に出て働くロカイも増えてきた。
ロカイはたいへん見栄えが良いので、主に召使、接客などに使われた。
強い魔力を期待してハンターパーティーに加えられることもあったが、温和なロカイはダンジョン攻略には向いていなかった。
ロカイは人間の言うことを素直に信じるので、よく騙され利用された。
居住地を出て人間社会に生活するロカイは、時間が経つと多くが社会の最底辺に位置することになった。
使い捨ての安い労働力として、ロカイ達は騙され使役された。
人間にとってロカイは、極めて美しく勤勉に働く美徳な存在だが、痛い目に合っても怒らずにその境遇を受け入れ、何事もなかったように穏やかに生きられる真似できない存在でもある。
ロカイと向き合い心を洗われ天使だと崇める人間もいれば、ロカイを見ると美しさや清き行動に劣等感を覚え無抵抗をいいことに暴力を振るう人間もいる。
人間とロカイは染色体の数が2本異なるが、遠い祖先が共通なのか交雑が可能だ。
ちょうど、馬とロバから騾馬 (ミュール)が生まれる関係に似ている。
人間とロカイ、どちらが馬でどちらがロバか、とか想像するのは無意味な事だが、人間側は美的なやっかみで、つい自分たちがロバだと想像してしまう。
稀に生まれるハーフロカイは、ロカイの人形的な冷たい無表情さが消え、人間らしい豊かな感情を示す。
ハーフロカイは雑種強勢で、人間の体格と頑強さ、人間並みの寿命、ロカイの飛び抜けた美しさ、ロカイ並みの強い魔力などを合わせ持っている。
ロカイが「エルフ」と呼ばれる時もあるが、ハーフロカイの方が感情表現、身長など、おとぎ話の「エルフ」のイメージに近い。
最近では、ハーフロカイを「エルフ」、ロカイを「天使」と呼ぶ人が増えている。
良い事尽くしのように見えるハーフロカイだが、ミュールと同じように生殖能力がない。
それがありハーフロカイは、男女共、一部の人間上流階級に性的に愛玩された。
特に髪の色が金か銀の神秘的なハーフロカイは、ファンタジーエルフとして淫靡な需要が根強い。
一部の人間貴族の自慢できない行いなのだが、世間ではなぜかハーフロカイの方が悪い存在と見られてしまう。
ロカイは天使みたいに純粋なので悪く言われることはあまりない。
それに対してハーフロカイは人間に近いせいか、競争相手というか、なにかと悪く言われてしまう。
長い間にハーフロカイはズルくてしたたかというイメージができてしまって、距離を置く人間が多い。