01 ダンジョン
出口に向かってしばらくして、背後の坑道の闇に、ただならぬ数の追跡者を探知した。
やはり恐れていたとおり、アンデッドだった。
高位アンデッドの精神攻撃がここまで届いてくるようになった。
怨念の声が頭の中に響いて、恐怖を煽ってくる。
絶望が覆い被さり、目をつぶっても凄惨な幻がちらちら横切る。
圧迫感と焦りで呼吸が苦しい。
一行は暗闇の坑道をひたすら出口を目指して逃げた。
恐怖からの焦りで正常な判断は消え、常に襲い来る死の影に心をすり減らしていった。
一人、バタッと倒れて、そのまま後ろから来るアンデッドの群に飲み込まれた。
誰かが突然、奇声を発して帰り道でない側道に走り込み消えていった。
背後からの怨念の声が大きくなった。
もうすぐ「死」に追いつかれてしまう。
瘴気が流れ押し寄せてくる。
立ち止まったら、自分の最後。
恐怖に押しつぶされる心。
そこで、目が覚めた。
心臓がドッドッと早打ちしている。
そこが自分の部屋と判ると、それが夢であったと安堵できた。
動悸は収まってきたが、眠気が飛んで目が冴えてしまった。
真っ暗な中、ベッドから起き出て、小さな灯りを点ける。
ガウンを羽織りチェアーに身をゆだねる。
グラスに蒸留酒を注ぎ、物想いに沈む。
酒の香りも全然感じられない。
あの時にダンジョンに潜ったパーティー13名のうち、生き残ったのは私一人だけだった。
もう25年経つのに、あの時の記憶が未だに私につきまとってくる。
私の心が希望を失いかけると、不思議とこの悪夢がやってくる。
仕事を辞めてからは、頻繁に悪夢を見るようになった。
意識しない心の底で「ダンジョンに探しに行け」と私に急かしているのだろうか。
老い先短いこの命、今更、惜しんでもしかたがない。
できるならダンジョンの中で死にたい。
若い時に失くし、ずっと探しまわってきた幸福が、見つかるかもしれない。
・・・・・
私はタウランド王国の魔術師ギルドの中級職員をしていたジェームス メリザウェイ。
今年、61歳となり、やっとギルドを退職した。
魔術師ギルドでは、私のような一般職員は55歳が定年だ。
私が61歳まで働き続けたのは、仕事の後継者がいなかったからだ。
私は魔術師ギルドのダンジョン評価部でダンジョン調査員をしていた。
魔術師ギルドのダンジョン調査員は、ダンジョンに潜りダンジョンの魔力特性、空間特性を調査する。
ダンジョン内で魔術が安全に使えるかどうか、そのダンジョンと相性の悪い魔術がないかなどを調べる。
この仕事はダンジョンに潜って実地調査する地味なきつい仕事だ。
各種手当で高めの給料が設定され、福利厚生も優遇されているが、魔術師なら同じ給料で楽で世間体も良い仕事が他にたくさんある。
ダンジョン調査は魔術師にとっては割が合わないので、長く続ける者はまずいない。
それを長年続けた私は、ギルドでは陰で変人扱いをされていた。
そのような評価をされても、別に気にしたことはない。
ダンジョンに潜るのが好きだったから。
ダンジョンに潜って、新しい世界を探検できるのが嬉しい。
そして、私にはダンジョンに潜らないといけない理由があった。
・・・・・
ダンジョンの定期調査は、ハンターギルドと魔術師ギルドが合同で行う。
合同調査の方が情報を共有し協力しあえるし、費用も安くつく。
ハンターギルドは、ダンジョン内の産物や魔物の調査を、魔術師ギルドはダンジョンの魔力関連を担当する。
もし鉱山ダンジョンだったら鉱業ギルドから専門の調査員が、アンデッドがいるダンジョンなら神官も参加する。
魔物で危険なダンジョンなら腕の立つ護衛が同行する。
各担当からの報告が、ダンジョン調査報告書としてまとめられる。
調査報告書はダンジョン評価会議の資料として使われ、一般公表の部分はダンジョンに潜るハンターに提供される。
5年から10年に1回、各ダンジョンごとに開かれるダンジョン評価会議には、国、領主、ダンジョン管理者、各種ギルドからの担当者が集まる。
そのダンジョンの危険度を協議して、ダンジョンレベルを決定する重要な公的会議だ。
ダンジョンレベルは危険度が小さいから大きい方へ、X-E-D-C-B-A-Sの7段階評価だ。
実際には50段階ぐらいに分類されているのだが、表に出てくるのは7段階。
ダンジョンレベルは危険度を表す尺度で、ダンジョン資源の有益性の尺度ではない。
資源が豊富なレベルEダンジョンがあれば、何の資源もないレベルSダンジョンもある。
しかし、合わせて全体の4%ほどのレベルAとSの危険なダンジョンは、特殊で貴重な資源を産するものが多く、有益性も高い傾向がある。
例えば、賢者の石はレベルSのアルカナダンジョン「塔」、オリハルコンは「死神」、単結晶魔精石は「皇帝」の産だし、現代では魔術回路成型に欠かせないメタルスライムはレベルA「恋人」で採取される。
説明にアルカナダンジョンをあげてみたが、この名前は100年ぐらい前に、あるハンターが執筆した「世界百迷宮」というダンジョン案内本から由来している。
この本でオブラの数あるダンジョンのうち特徴ある100のダンジョンが紹介されているが、著者の個人的好みで特に22のダンジョンが詳しく解説された。
特選したレベルS、レベルAのダンジョンに、「愚者」「吊られた男」などと大アルカナの名前をあてはめ、そのダンジョンにまつわる秘話エピソードなども案内した。
その22箇所は大きさ、資源、危険度など、それぞれが群を抜く特徴を持っており、読者の印象に残るネーミングもあり、以後これらはアルカナダンジョンとして広く一般に覚えられるようになった。
アルカナダンジョンは上級ハンターでないと入れないものばかりだが、現在では誰もが知っているダンジョンの代名詞みたいな存在になっている。
ダンジョン調査の話をする前に、ダンジョンの成り立ちを話しておいた方が良いだろう。
800年ぐらい前に、ダンジョンの元になる異空間ゲートの魔術が開発された。
そのきっかけは、ある国の王都の魔術師が魔術触媒ゴミの廃棄費用が払えず、家に山積みになって困っていたことに始まる。
こちらの世界とは次元の違う異空間をゴミ捨て場に使えないかと考えた。
異空間にアクセスする魔術は昔から知られていたが、瞬時に閉じてしまい、開けたままにしておくことはできなかった。
その魔術師は試行錯誤して、開いた異空間を閉じないようにすることに成功した。
異空間が閉じようとする瞬間の時間を停止させ、境界面を固定したのだ。
こちら側の空間と向こう側の異空間を繋ぐのだが、ただ繋ぐのではなくクラインの壺のように捻って繋いだのだ。
それにより、空間の境界面が裏表の区別がなくなる。
こちらの世界と向こうの世界では、時空構造のぶランク時間に僅かな僅かな差があった。
境界面で異なる長さのぶランク時間がせめぎあい、面の時間連続が停止した。
魔術師は時間が進まない境界面をゲートと名付けた。
ゲートと言っても扉のような形ではなく、宙に浮く暗黒の玉の形だった。
魔術師が作った直径10cm程のゲートの向こうに真っ暗な異空間だった。
魔術師は自分の手を突っ込んでみる勇気はなかった。
長い棒を差し込んでみたが、どこまても入っていった。
おそらく、球の表面に差し込まれた棒は、異空間にある同様の球の表面から外に突き出ているのだろう。
魔術師は小鳥を買ってきて、足に紐で結んでゲートに押し込んだ。
鉱山でカナリアを使ってガスの危険を探知していたのを真似してみた。
小鳥は舞戻ってきて、何も変化はなかったので、人間も生存可能と推測された。
魔術師は、魔術師クラブの会員を家に呼んで、自信満々に成果を披露した。
しかし、賞賛の声は少なく非難の声ばかりだった。
何処に繋がるか判らず無暗にゲートを開けるのは危険だと指摘された。
このゲートはゲートに触れたものは全て通過させるので、ゲートが溶岩流の中に開いていれば、向こうの世界からこちらに溶岩がドロドロと溢れてきただろう。
極寒の真空に繋がっていれば、とめどなく吸い込まれていくだろう。
そういう物理的な危険の他に、向こうの世界で何者かが、こちらの世界を観察していて侵入を企んでくるかもと脅された。
魔術師は怖くなって、すぐにゲートを消去した。
この異空間ゲートの魔術は使い道のない危険な魔術と考えられた。
しかし、この魔術に興味を持った空間魔術師たちがコツコツと改良を加えていった。
ゲートが開く前に向こうの空間の安全性を確かめる方法、人間が呼吸できて重力がある異空間を選択的に狙う方法、ゲートを大きくする方法、ゲート通過時の球面歪みを補正する方法などが考えだされた。
常にゲートが開いていると、好ましくないものもゲートを通過する。
人間が通過したい時だけ、ゲートが開くようにする方法がぜひ必要だった。
ゲートを普段は不活性の閉じた状態にしておき、特殊なコインを接触させると通過できる方法が最初考えられた。
しかし、コインを紛失した時に戻れなくなるし、コインを拾った存在がゲートを抜けてくるかもしれないので廃案になった。
結局、閉じたゲート面に触って「開けヤ、タマゴ」と短い呪文を唱えるとゲートが開くという、童話じみた方法に落ち着いた。
長い呪文を設定すると、緊急脱出の時に時間がかかって困るし、焦っている時に呪文が思い出せないこともあるだろう。
おとぎ話の「ある婆と40個の卵」に出てくる「開けヤ、タマゴ」の短い呪文は、誰もが知っていて、焦っている時でも頭に浮かびやすいと採用された。
ゲート面は、閉じている時は光をほぼ反射するので、銀色の鏡の球のように見える。
ゲートを開くと、光が通過して向こうの異空間の様子が覗けるようになる。
向こうの世界が真っ暗闇だとゲートは暗黒の球に見えるし、向こうに光満ちていると光が漏れてきて発光の球になる。
閉じたゲートの鏡面の球の形が、銀鴎鳥の鏡卵に似ているので、「開けヤ、タマゴ」の呪文はそれに引っ掛けたともいう。