第三話―先が不安になるよ―
遅筆過ぎて笑える。いや、笑ってはいけないけれど。
待つこと三十分が経ったけれども、誰かやってくる気配は未だにない。もう既に先行きが不安で仕方ないけれど、葵ちゃんは素知らぬ顔というか、一切不安や動揺のない冷静な様子だ。案外と豪胆なのかもしれない。わたしが気にしすぎということかもしれないけれど。
いや、これから隊長として小隊を任される身としてはやっぱり気になってしまうところだけれど。とは言え慌てたりしたところで、何かが解決するわけでもない。迎えに行こうにもわたしはみんなの部屋や電話の番号を知らないし、それは葵ちゃんも同様のようだし。
ここまで案内してくれた黒服の人に聞こうかと思ったけれど、どうやらあの人の仕事はここまで案内をすることで終わりだったのか気が付けばいなくなっていた。
手持ち無沙汰である。葵ちゃんは無言の空間に苦痛を感じないタイプのようだし、そもそもタブレット端末で何かを読み耽っている。電子書籍だろうか。ちらっと画面が見えたときには文字がびっしりと画面いっぱいに拡がっていた。さすがにたまたま見えただけなのでどんな内容なのかまではわからなかったけれど、カギ括弧の会話分のようなものが見えた気がしたので、小説かも。
わたし自身、そこまで無言に耐えられない人間ではないけれど、しかしこう、何もしないでボウっと時間が過ぎていくのを待つのは、もったいない気はする。
かと言って何かをすると言っても何をすればいいかもわからない。葵ちゃんと喋ろうにもあの様子では話しかけることも迷惑だろうし、結局話しかけられない。
わたしも端末で何かしようかとも思ったが、アンテナ欄には圏外の表記のみ。いや、ユニオン配給端末にのみ搭載された限定通信のできる電波を使えば東京のみんなと会話もできるけれど。
けど、あまり多用はしないほうがいい。施設内で他所施設への連絡をするときは緊急時のみだ。或いは機密性の高いもの。日常会話では使わない。だから遠く離れた人と会話するときはやっぱり地上に出て電波のあるところで一般普及した会話アプリを使うしかないのだ。
仕方なくメモ帳アプリを立ち上げておく。葵ちゃんの特徴、わかったことでもメモしていこう。
雛倉葵。十一歳の小学六年生。冷静、クールな雰囲気ながらサバサバとした物言いと近すぎず遠すぎない、ちょうどいい距離感を築けるタイプであり、親しくできそうだけれど、どこか人の価値を値踏みしながら見ている節あり。世渡り上手、というよりは実質的な実権を握ってしまいたいタイプ、かも。
小隊の隊長となるわたしに対して親しくしつつどこかリードしようとしているあたりからの推測だけれど、そんなに大きく外れてはいないと思う。
大人びた容姿に長い髪がよく似合っている。同年代の平均よりも少し高い身長は羨ましい。わたしは割と小さいほうだから。いや、平均より五センチぐらい低いだけだし、まだ伸びるし、まだ成長するし。わたしたち子供の未来は無限大なのだ。
……追いつく頃にはもっと大きくなっていそうだけど。
それにしても、葵ちゃん、小説を読んでいる割に表情が動かないな。いや、表情豊かに小説を読む人というのも、それはそれで少ないとは思うけれども、眉一つ動かさずに読んでいる割に、読書の世界に入り込んでいる。
一切外の世界に興味を示さないで読書にのめり込んでいる様子だから、きっと今葵ちゃんが読んでいるものがつまらないということはないのだろうけれど。
「あれは恋愛小説だよ。ぼくも読んだことある」
「ヴぇぇあ!?」
「すごい奇声……どこから出してるの?」
耳を抑えてすごく迷惑そうに言われた。自分でもどこから出たのかよくわからない声だったけれど、その原因は迷惑そうにしている女の子だったのでそんな迷惑そうに言われる筋合いはないと思う。
本当、唐突に背後から現れた。だからびっくりしたし変な声も出ちゃったのだけれど。
小さな子だ。もちろん、わたしたちだって大人の人たちから見たら十分に小さいのだけれど、そういう意味ではなくて、わたしたちから見ても小さな、という意味である。同年代の平均身長を下回るわたしよりもさらに五センチほど低く見える。年下、だろうか。
「おまたせしました、ごめんなさい。本を読んでて、つい時間を忘れちゃった。ぼくは上月シノ、十二歳。よろしくね」
「え、あ、うん」
マイペースな子だ。本を読んでいて遅刻したというのもそうだけれど、それだけじゃなくて、なんというか、どこか独特の間を持っている。自分だけの時間を持っている。淡々とした抑揚の少ない喋り方だ。
というか、同い年だったのか。小さいし、同年代と比べても幼い顔立ちをしているので、年下だと思ったのだけれど。とは言っても小学生なんて発育に差はあるし、彼女のようにどこか幼い子はクラスに一人はいるか。
「それにしても葵ちゃんが読んでいたのが恋愛小説だなんて、よくわかったね。読んだことがあるって言っていたけれど、どこから覗き込んでたの?」
「む、失礼な。ぼくは覗いてない。部屋に入るときに画面が少し見えただけ」
「そうだったんだ、ごめんなさい」
ということは、その一瞬だけでわかったのか。本を読み込んでいるからなのか、瞬間的な記憶力、認識能力が凄いのか。どちらも、かもしれない。
「雛倉さんはブスッとしてるから、そんなものには興味ないと思った。意外と可愛い趣味をしてるんだね」
「ふ、喧嘩を売ってるつもりかしら」
「さあ。知らない」
何だかよくない雰囲気じゃないだろうか。上月さん、明らかに葵ちゃんに対して敵意を剥き出しにしている。葵ちゃんは葵ちゃんで、表面上は涼しい顔をしているけれど、タブレットを握る手が震えているし。そんなに強く握ったら画面が割れちゃうんじゃないかなって。
あまり相性が良くないのだろうか。知り合ったのはおそらく昨日のはずなので、そこで何かがあったのかもしれない。どうであったとしても、喧嘩になったらいけない。なんとか和ませなきゃ。
「あ、そうだ。わたしの自己紹介がまだだったね。わたしは御園あかり、上月さんと同じ十二歳なんだ。よろしくね」
「ん、よろしく。あと、上月さんじゃなくて、シノでいいよ。ぼくもあかちゃんと呼ばせてもらうから」
「じゃあ、シノちゃん。というかあかちゃん……?」
「あかちゃん、ちいさくて可愛いから。きゅーと」
「シノちゃんより大きいよね!?」
「それはそれ、これはこれ」
どれなの。まあ、別にいいけれど。悪い意味ではないし、可愛いと言えば可愛いかもしれないあだ名だ。
それに悪意があるわけでもないみたいだし、素直に受け取れば褒められているのだ。ただ突拍子がないというか、赤ん坊みたいな響きだから戸惑いを覚えただけだ。
とにかくよかった。どうやら話は逸らせたようだ。葵ちゃんがしきりにこちらを見ては落ち着きなく指を動かしているのが気になるけれど、少なくともシノちゃんのほうは葵ちゃんから意識が外れたみたいだった。
いつまでも逸らして誤魔化す、というわけにもいかないけれど、とりあえずは。全員揃ってから他の人とも協力しながらどうにかしていこう。
問題の先延ばし、と言われてしまえばそのとおりだけど。
実際問題、何も把握していない現状で動くことなんて出来はしない。
「それにしても、ぼくも遅れたと思ったけれど、他の人はまだなんだ。杜宮さんは入り口でがくがくしながら体操座りしてたけど」
「どういうことなの!?」
「人見知りみたい。ぼくも声をかけようと思ったけれど逃げられそうだったから、やめた」
小動物みたいな扱いだった。人間が声をかけただけで逃げ出すとは思わないけれど……ブリーフィングルームの出入り口を開けてみることにする。扉の前に立つと、カシュンと音を立てて扉がスライドする。入るときと違ってボタン操作はいらないらしい。
ルームの外に出て、左右確認。……確かに、いた。
がくがく震えながら小声で何かを呟き続ける、小動物的な何か。いや、人間だけれど。しかしこれは、小動物としか例えようがない。それも特別臆病な小動物。
シノちゃんも小柄だったが、彼女も同じぐらいに小さく見える。いや、むしろ縮こまって体操座りをしているせいで余計に小さく見える。それがまた彼女から与える小動物のような子だという印象が強くなる。
「じょぶ……だい……じょ……がん……れ……」
何を言っているのだろう……少し、いや、正直かなり不気味だ。怖い。話しかけるのを躊躇う。話しかけたら逃げられそう、という理由ではなくて、関わりたくないという意味で。しかしそういうわけにもいかない。
わたしは隊長なのだ。
大丈夫、ちょっと怖がっているだけだ。少し話してみればきっと彼女も落ち着いて、仲良くなれる。
「あの――」
「ひゃああああああ!?」
「わっ!?」
突如叫ばれて思わず仰け反る。物凄い声だ。耳がキンキンする。
「ひ、ひっ――ごめんなさあああああい!!」
「えっ、えええ!? ちょっ、ちょっとー!?」
「すみませえええええん!!」
えええん……えええん……と、声がドップラー効果をしながら遠ざかっていく。物凄い速さで走り去っていく。
ええええ。本当に話しかけただけで逃げ出された。脱兎の如くとはまさにこのときのためだけに用意された言葉なのではないかと言うぐらいに見事な脱兎だった。まさしく臆病な小動物だ。
置いていかれたわたしはただその場で立ち尽くすことしかできず、数分ほど硬直して彼女が走り去っていった方角を見つめることしかできなかった。
「あれ、なんかあったのー? あ、君が今日から来たっていう御園あかりちゃん? よろしくねー! 私は天音黒羽だよ。気安くしてね」
という、遅刻をしておきながら堂々とした自己紹介も今のわたしの耳には、ちゃんと入ってこなかった。
これで一応全員と顔合わせです。