【SS】 ファンタジーな100のお題 004:霧深い都市
静かに降りしきる雨の中。
コートの襟を耳元まで立ち上げ、冷風を少しでも防ぐために上着の前をきつく閉じた男が、足早に歩いていた。
深い霧が立ち込める街の中では、たくさんの人々が行き交っているが、
誰一人として男に注意を払う者はいない。
憂鬱そうな顔でのろのろと歩く人々はみな、
時折 空を見上げ、いつこの霧が晴れるのか、とため息をついているのだった。
この街は、昼間でも夕方のように薄暗い。
数ヶ月前から突如発生した霧によって、この街だけがすっぽりと覆われてしまったのだ。
海に突き出し、四方を運河に囲まれた、孤島のようなこの街以外では、
この異常な霧は発生していないらしい……。
らしい、というのは、この街の政府が内外との行き来を禁止してしまい、
限られた人間しか外の情報を得られなくなってしまったからだ。
(政府は何か重要なことを隠している……)
男はそう考えていた。
気象予報士である男は、外部調査のために何度も外出許可を政府に掛け合ってきた。
しかし、様々な理由を付けて、要求はことごとく却下された。
痺れを切らした男は、ついに闇のルートに手を出した。
裏世界のボスへ何とか取り入り、役人を買収、偽装した身分証明書も手に入れた。
そして、ついに外部への外出許可を得ることができたのだ。
(俺が、必ずこの霧の謎を解いて見せる……)
男は、そう決意していた。
ふいに、男の足が止まる。
霧の中から現れたのは、白い漆喰の壁。
その正面には、小さな木の扉がついている。
男は扉に続く算段の石段をゆっくりと登ると、
真鍮のドアノッカーを軽快に叩いた。
すぐに、ガチャリ、と音がして内から扉が開く。
「よぉ! 遅かったな! 待ちくたびれたぞ!」
顔を出すなり朗らかな声でそう言う主は、赤ら顔で見るからに上機嫌。
手には琥珀色の飲み物をなみなみと注いだグラスを持っている。
「すまん」
苦笑して謝りつつ家の中に入ると、
家の中には既に先客が何人もいた。
みな主と同じような大きな鼻と大きな耳を持っている。
そして身長は、男の半分ほどしかない。
みな小人族の仲間なのだ。
「よぉみんな! ついに主役の登場だ! こいつは明後日、この街を出るらしいぞ!」
家の主が男を紹介する。
「あの話、本当だったのか!」
「土産に、俺たちの作った地酒を持って行け!外では高く売れるぞ!」
「気を付けて行って来いよ!帰ってきたら、また乾杯だ!」
「心配するな、俺たち一族は口が固い。こうして酒の席で話したことは、絶対に他言しないと約束しよう」
口々に話しかける客人たちの相手を何とかしながら、
男は家主に声をかける。
「本当にあんたには感謝している。あんた達の力がなかったら、こうして俺の外出許可は出なかっただろう」
それを聞いて、家主はニヤリと笑った。
「なぁに、気にするな。俺たちは、お前さんたちよりちょっとばかし寿命が長いんだ。
裏社会のボスと言っても、俺たちから見れば赤子同然。
仲間を通じてちょっと本気を出せば、お茶の子さいさいよ!」
ガハハ、と豪快に笑うと、家主は男に酒を進める。
「さぁ、それより呑め呑め。 今年の酒は、ここ数百年でも一番の出来だぞ!
それに、どこかの大富豪が酒を買い占めちまったみたいで、今年は市場には全く出回っていないんだ。
まさに、レア中のレア! お前のために、少しだけ残しておいたんだぞ!」
恐縮しながらも、男はグラスを受けとる。
「本当にありがとう。この借りは……必ず返す」
ぐい、と琥珀色の液体を一気に喉に流し込む。
芳醇な香りと、爽やかな喉越しに、あまり酒に詳しくない男も思わず唸った。
「うまいな!!」
「だろ?」
満足そうに、家主は笑みを浮かべるのだった。
*
小人達との宴から2日後――。
男は、港から出る外航船に一人乗り込んでいた。
政府の制服を着た役人が、乗客を集めて注意事項を話し出す。
「わかっていると思うが、ここから先、外で何を見ても聞いても、他言無用だ。
もしも破るようなことがあれば、二度とこの街には戻れないと思え。
そのために、機密厳守契約を結んだことを、忘れるなよ」
男は役人の最後の説教を聞き流しがら、街の淀んだ空気とは違う、生暖かい海風を頬に感じていた。
(いよいよだ。この街から出て、外部の気象との違いを研究することができれば、
きっとあの霧の謎を解明することができる……!)
男は、意気込んでいた。
あの街に閉じ込められた住民のためにも、自分が秘密を解き明かし英雄となって街に戻るのだ。
*
ついに船が大海に向かって出航する。
(明かしてみせる……必ず!)
船頭に立ち、深い霧に包まれた海の向こうに、目を凝らす。
(霧が……晴れてきた)
男は驚いた。
街の中ではあれだけ濃く、どれほど風が吹いても晴れなかった霧が、沖に出るにつれて薄くなってきたのだ。
(本当に、あの街だけが霧に包まれているのか……? でもなぜ……)
男は用意してきた荷物から
風向き計、湿度計、その他様々な計測用具を取り出し、調べ始める。
(……なんだ、この違和感は)
男はふと不安を覚えて周りを見渡す。
相変わらず沖から吹く風は暖かく、街の方の空気は冷え切っている。
沖には光が差し、街はどんよりと曇っている。
なぜ街の上にだけ太陽の光が届かないのだ?
疑問に思った男は、ふと、上を見上げる。
そして……
そこに、あるはずのない物を見た。
(あれは……)
雲のように見える、巨大な、巨大なお尻。
その上にぼんやりと、肉付きのよい背中、丸々と太った腕、大きな福耳をもった頭が見え……
街をすっぽり覆い尽くす雲のクッションの上で、
大きな神が、浴びるように酒を飲んで酔っぱらっていた。
「おい! あれ!」
その全貌を確認し、慌てて、船員に詰め寄る。
「あぁ、あなたも『視える人』なんですね。
他の人に言っちゃダメですよ。 そのための機密厳守契約なんだから」
若い船員は、慣れた口調で男を窘めた。
「……?! どういうことだ!」
「『視える』人は、100人に1人くらいらしいです。
僕には何も見えないけど、船長は視えるらしいですよ」
言われてその船長を振り返ると、ピクリとも動じずに、舵を取り続けている。
どうやら、彼らにとってこの光景は、ごく当たり前のことのようだった。
「何をやっても、どかないらしいんですよ、あの神様。
『視える人』の中でも、神様と『話せる』ほどの力を持つのは極わずかで、
総力を上げて説得してもらったんですけどねぇ……。
あの街の地酒が、えらく気に入っちゃったみたいで。
神様にとっては、僕らの数ヶ月なんて一瞬のことですから、大して長居しているとも思ってないんでしょう」
なんとも衝撃の事実を、あっけらかんとした口調で教えてくれた。
「今では政府も諦めて、神様が飽きてどいてくれるまで我慢するしかないって言っています。
でも、それを街の人に教えちゃうと、みんな逃げ出して人がいなくなっちゃうでしょ?
税金が減ったら困るから、秘密にしてるんだそうです。
まぁ、神様のお陰で治安も良くなって、意外と経済も潤ってるし、十分恩恵はあるんですけどね。」
男があっけに取られて聞いていると、
最後に船員は白い歯を見せて言った。
「要するに、Win-Winってやつですよ。」
ニコニコ楽しそうに笑う船員と、
混乱する男を乗せたまま、船はますます軽快に速度を上げ、沖に向かって進んでいくのだった―――。