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開かずの間

 拝啓 ――――様



 目の前に立つ愛しい人は、悲しみの表情を浮かべていた。

 普段の彼からは想像もつかない苦渋に満ちた顔を、わたしがさせているのかと思うと、やっぱり間違えてしまったんだろう。

 でも、もう戻る事が出来ない所まで来てしまった。

 けど、どうか許して欲しい。あなたをもう一度悲しませる事を。


「お願い、――――。…………わたしを殺して」


 せめて、わたしの魂だけでもあなたへ。



 * * *



 都会を少し離れたその町に、二人の兄妹は降り立った。駅からバスに乗り継ぎ、十分か十五分。住宅街の中の停留所で降りると、兄の大地は手元のメモに記された地図を頼りに歩き出す。その後ろを妹の(いく)がひょこひょこと付いて歩く。

 小学生の生の歩みを気にしながら歩き続ければ、数多く並んでいた家屋はぽつりぽつりと減っていき、前の家を見てから数分。やっと地図に示されたゴールへと辿り着いた。だが、そこにあったものに二人は呆然と顔を見上げた。

 目の前には純和風の大きな木製の門。それに大地は震える手に持つ地図を何度も見返してしまった。

 夏休み間近という頃に母親から唐突に告げられた「引っ越しするから荷造りしといてね」という、まるで今日の夕飯の献立を聞く様な軽いノリで言われた兄妹は、終業式後に友人たちとの別れを惜しむ間もなく荷造りを始めて一週間。業者に頼んだ荷物と一緒に来るという母親より先んじて新たな住居へと参ったのだが、母親が知り合いから安く購入したという家のそれは、家というよりも屋敷の門という方がしっくりとくるものだった。

 特に裕福という訳ではない彼らは、母親が買ったという家にさして期待していないどころか、どんなあばら家だと覚悟してきたというのに、目の前に立派な門があれば口を開けて呆然としてしまうのは仕方がない事だろう。

 本当にここが自分たちの家となる門なのだろうかと思えど、それは数分前に何度となく確認した事である。間違いなく、今日からここが自分たちの家の門であった。

 どのくらいそうしていただろうか、大地がはっとしたように生へ声を掛ける。


「生……は、入るぞ」

「う、うん」


 緊張の面持ちで門戸に手を掛けると、慎重にしかし勢いを付けて開いた。そこには門と同じ様に立派な――。

 大地と生、兄妹はまたしても口を開いて固まった。あまりの衝撃に気を取り直す事も出来ずにいる大地に、今度は生が声を掛ける。


「お兄ちゃん……ここで合ってるの?」

「……門の前で何度も確認しただろ」

「でも、これは……」


 いくらなんでもない、と兄妹は思った。ある意味では予想通りであり、予想外のものが目の前にあった。あの門の様に大きく立派な日本家屋の御屋敷は予想通りである。だがそれも、所々瓦が外れた屋根であったり、雨戸はどこへ行ったと言わんばかりに割れた窓ガラスや雑草が伸び切った庭がなければの話ではあるが。

 確かに一体どんなあばら家だと思ってはいたが、一度期待を上げといて落とされた二人の心境は、この立派なおんぼろ屋敷の様に隙間風が吹き荒んでいた。何故だろう、真夏だというのにとても寒い。

 しかしこの家を購入した母親の子供らしく、ここで突っ立っていても意味はない、と大地は母親から手渡されていた鍵を取り出す。窓ガラスが割れている時点で防犯の役割は果たしていないそれは、もう彼らが住人であることの証明にしかならない。無言でそれを見つめた後、大地は溜息を一つ吐いて鍵を開けた。

 ガラガラと引き戸の玄関を開けると、予想に反して綺麗な廊下が見えた。綺麗といっても廊下は埃まみれで天井には蜘蛛の巣が張っているが、どこにも傷んだ箇所は見当たらなかった。


「これなら掃除をすれば何とかなりそうだな」


 外観に問題はあったが、何とかここで暮らしていけそうだ、と大地はほっと息を吐くと腕時計を見た。時刻は十時過ぎ、母親は昼前までに引っ越し業者と来る予定である。母親が来る前に少し掃除をしておこう、と大地は背負ったリュックから目当てのものを取り出すと生に振り返る。


「生はちょっとこの辺箒で掃いといてくれるか? 俺はちょっと水汲みに行ってくるから」


 本来は家具などを置く前に少し掃いて綺麗にするために持ってきたもので、本格的な掃除には向かない手箒だったが、廊下に積もる埃の山を見れば、掃かないという選択肢はない。

 頷いた生が手箒を受け取ると、大地は同じ様に持ってきていたバケツを手に水場に向かう。正直、このおんぼろ具合から水道が来ているのだろうかと大地は不安に思ったが、問題無く蛇口を捻れば綺麗な水が出てきた事にほっとしながら水を汲む。途中電気の有無も確認したが問題なかった。流石にその辺りはきちんと整備していたらしい。

 重くなったバケツを手に玄関に戻ると、すでに玄関周りの掃き掃除は終わっていた。


「ご苦労様。取り敢えず居間とそこまでの廊下を綺麗にしておこう」

「そうだね。荷物が届くまでに終わらせないと」


 気合いを入れて掃除を始めた二人は、両親が共働きであったこともあって掃除を含む家事には慣れていた。母親が業者と一緒に家に着いた頃には生活するのに問題ないほど綺麗になっていた程に。だからといって二人が母親を責めないわけではなかったが。



 到着早々二人の子供に文句を言われた母親は、そんな事に意に介することもなく、笑顔で「良い家でしょ?」などと年甲斐もなくはしゃぐ彼女に、この人に何を言っても通じない、と兄妹は悟った様に溜息を吐いた。

 若干疲れた様子で掃除は一旦止めて居間で昼休憩をしながら今後の予定を立てていく。母親は荷物を届けてすぐに仕事に向かってしまったので、荷解きも家の掃除も二人でやらなければないない。とはいっても家事能力のない母親は初めから数に入れていなかったが。


「まずは日用品だけでも荷解きしないとな」

「それが終わってからで部屋の掃除間に合うかな?」

「なら分担するか。生、一人で荷解き出来るか?」

「うん。お兄ちゃんこそ一人で大丈夫?」

「あぁ、全部綺麗にしてやるって言いたいところが、この広さだと半分出来れば良い方だな」


 予定が決まればさっそく行動に移していく。生は居間で荷解き、大地は各部屋の掃除に向かった。



 順調に掃除を進めていた大地は次の部屋の掃除へ向かおうと廊下を出る。ついでに廊下も綺麗にしつつ、次の部屋の襖が見えた頃に顔を上げると、大量の札が貼られた襖があった。思わず顔を引き攣らせる大地だが、この家について興奮気味に喋っていた母親が“曰く付き”物件であると話していたのを思い出す。

 この屋敷のどこかの一室が開かずの間である、という話だ。何でも押しても引いてもうんとも言わず、壊そうとしても全く傷一つ付かないという、どこまでが本当か分からない眉唾物の話であった。

 しかし今までそういうものを色々と見てきたが、結局は何も起こらない。今回もどうせイタズラだろうと大地は張り紙でも剥がす様に手を伸ばした。


「いっ!!?」


 バチッと大地の手に静電気が起こったような衝撃の後、目がちかちかとして視界が白ばむ。何が起こったんだと戻ってきた視力で襖を見れば、張られた札がスパッと刃物で切った様に半分に分かれた。直後、今まで感じなかった中に誰かがいるような息遣いに、大地はあの札は本物だったのだろうかと冷や汗を流す。


「いやいや、気の所為だろ」


 タイミングよく静電気が起こっただけだ、札も古かったし、と自分に言い聞かせると大地は襖に手を掛けた。しかしいくら力を入れても襖は開かない。だが大地も諦めない。諦めればこの部屋が開かずの間になってしまう。決してここは開かずの間ではない、ただ建て付けが悪いだけだと言い聞かせながら、最終的に両手を使って襖を引く。もう中に誰かがいるか等どうでもよく、早く襖を開けたかった大地は全体重を掛けて襖を引いた。すると今までびくともしなかった襖が勢いよく開き、体勢を崩した大地は盛大に尻餅をついた。

 痛む尻を押さえながら開いた襖にほっと一息吐くと、襖を開けるに至った目的である人の気配を確認するべく、恐る恐る開かれた襖から顔を出した。そこには他の部屋と違い、以前の部屋の主がそのまま残していったかの様に家具が置かれ、大地の願いに反し、中央に眠っているのか横になった少年がいた。

 大地とそう歳の変わらない高校生くらいの少年だったが、容姿は人間離れした美しさだった。金糸の様な髪に雪のように白く透き通った肌。まるで絵画でも見ているかのようだった。少し残念と言えば、瞼が閉じられていて瞳の色が分からない事だろうか。

 テレビで見る様な芸能人なんて目では無いくらいに綺麗な少年に見惚れていた大地は、誰もいないはずの家に人がいることや貼られたお札のことなどは頭から吹っ飛んでいた。

 しかしそれも少年が身動ぎしたことで、はっとしたように意識が戻る。


「……んっ……、っ!?」


 身動ぎをした後、目を瞬かせた少年は大地と視線が噛み合うと目を見開いて飛び退いた。


「お前、み……いやそれより、どうやってここへ入った?」


 待ち望んでいた瞳の色が金色だったことなど気にも留められないくらい、少年は容姿からは想像できないほどドスの利いた声で言った。それに只者では無い動きをした少年に呆然としていた大地は、はっとして目の前の彼に対して警戒を始めた。


「どうやっても何も、この家のもんがここにいるのはおかしくないだろ」

「そうじゃねぇ、この家じゃなくてこの部屋にだ!」

「ん? そんなの普通に襖を開けてに決まってるだろ」


 はぁ~、と大きな溜息をついて呆れたような目でこちらを見た少年をみるに、どうやら大地の答えは求めていたものではなかったらしい。彼の求めている答えとは何か、と考えようとして大地は頭を振った。何故だか少年には逆らってはいけない、従わなければならないという意識が働く。それは少年の容姿の所為なのか別の何かなのかは分からないが、今大地がしなければならないのは彼が何者かを問うことだ。


「お前、一体何者だ?」

「俺か? 俺は――」


 出来れば人間であってほしいと思うのは、あの大量のお札の所為だろうか。勝手に人の家に入っているのも問題だが、防犯機能が役に立っていなかったこの家では仕方ない。

 どこか歳不相応に老練な雰囲気を醸し出す少年にごくりと生唾を飲み込む。数秒、大地にとっては何十分にも感じられた間を開けて、目を細めてこちらを見据えていた少年は口を開いた。


「――悪魔だ」


 それは驚きなのか、意外だからか、目を見開いた大地に嗤う少年は、その容姿と相まって人外に見えた。いや、彼の言葉を信じるならば人外なのだろう。

 気付けば夏だというのに凍えるような寒さを感じてカタカタと震える。それが少年から発せられた殺気によるものだとは、平和な日常しか送った事のない大地は気付かない。しかし本能が危険だ、殺されると察したのか、体は勝手に彼から離れる様に後退さる。それに面白げに笑ってゆっくりと距離を近づけてくる少年に大地は思う。

 “彼は天使のような姿で悪魔だというように嗤う”と。

 怯えて震える大地に近づいてくる悪魔はあと一歩という所でパタリと倒れた。まるで電池が切れたかのように倒れる様は、本当に突然の事であった。



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