1話・目覚め。
俺は、目を覚ました。
鳥がさえずっている。
随分と変な夢を見ていた気がする。
それにしても、朝起きたばかりなのかどうかわからないが、意識も記憶も混濁としている。
「やっと、起きた。全くお寝坊です、おにうえ」
おにうえ?
俺の上からロリボイスが聞こえた。この声は、誰のものだ?
そういえば、お腹の上に体重が掛かっているように感じる……って、誰かが、俺の上に乗っかている!?
「まったく、おにうえにも困ったものです」
えっと、俺の上に、少女と幼女の中間辺りの和服を着た女の子が、跨るようにして乗っかっていた。そして、驚くことが、もう一つ。
俺は、その女の子を無意識の内に抱きしめていた。
グッと、ギュッッと。力いっぱい抱きしめていた。
あれ? おかしいな、俺にそんな趣味は無いはずなのにな。
「え、えっと、その、お、おに、おにう、ううう、うえ、あ、あの、その、朝起きたばかりで、その、えっと、催しているのかもしれませんが、元気になっているのかもしれませんが、い、いけまん、じゃなくて、いけません、だ、だって、その、えっと、私たち、兄妹ですし、その、でも、どうしてもっていうなら……」
兄妹? ……ああ、そうか、そうだった。兄妹。そう、俺達は兄妹だった。やっと、目が覚めて来たのか、意識も記憶もはっきりしてきた。昨日は酒でも飲んだか? その記憶はないが、寝起きとは思えないほど、脳がボケてたな。
ああ、俺は、一体何をしているんだ。相手は、俺の妹だ。
「すまない、すまない、冗談だ、寝起きでいきなり目の前にいたからびっくりさせられたんだ。だから、お返しに、びっくりさせてやろうと思って抱き着いてみた」と、言い訳をする。
まぁ、言い訳だろう。実際は無意識の内に抱き着いていたんだし、もしかしたら、内容も覚えていない変な夢の所為かもしれなけど、夢が怖かったとか、そういう感じで抱きついたって言うのもなんか格好悪いし。
「そ、そそそ、そうですよね、お、おにうえ、い、悪戯ですよね、め、目が本気だったような気がしたのも、演技ですもんね」
早口で、何度も噛みつつ、そう言って、ベッドの下に降りた俺の妹は、部屋の扉に向かって行く。
「うん、えっと、そ、その、わ、私、その、料理を作って参りま、ふぎゃ……」
あ、こけた。
こっちを向いて走っていたのがあだとなったのか、自分で、自分の服の裾を踏んで、見事にずっこけた。そして、はだけた。まぁ、うん。
その後、服を着直すこともなく、えっと……まっぱで走り去っていた。
あの、この脱ぎ捨てて行った和服はどうすればいいのだろうか。
まぁ、とりあえず、俺の布団の中に入れておいた。別に意味は無いけど、次に着る時、少しでもあったかいようにな。
少しして、ご飯が出来たと、部屋の扉を開け、頭だけをぴょこっと出して、俺の妹はそう言った。
「いや、お前、服……持って行けよ」
「そ、そうです、は、早く返してください」
「ああ、返すから、とりあえず、こっち来いよ」
「……変態」
………
…………
……………
「いやっ、なんでっ!?」
「そ、その、持って来てください……」
「いや、その前に、さっきの発言はなにっ!?」
「どうでもいいですから、早く持って来てください」
いや、良くないんだけど、全然良くないんだけど。
まぁ、いっか、とりあえず、持っていってあげよう。
「ほいっ……」
和服を持ってドアに近づくと、一瞬、ドアが開き、妹の腕がパッと服を攫い……バタン……ドアを乱雑に閉められた。
……その態度はちょっとないだろう。人が、せっかく服を持って来てやったのに。
文句を言ってやろうと、ドアを開けた……開けなきゃよかった。
「あ、あ、へ……変態っ、やっぱり、変態。今日のおにうえはおかしいですっ!」
俺は、思いっ切り頬をはたかれた。
……裸の妹に……
正確には、エプロンというか……前掛けはしていたので、裸前掛けという状態だったのだが、裸エプロンはともかく裸前掛けは、もはや裸だろう。上の方見えてるし。その、おっぱいとか。というか、それで料理していたのか。危ないだろ。
「着替えますから、部屋に戻っていてくださいおにうえ」
俺は、回れ右させられて、背中を押され、部屋に押し込まれた。そして、バタン……またしても、ドアを乱雑に閉められた。
ずっと裸だったのか……というか、他の服を着るということは思いつかなかったのか。
他の服が無いというわけではないだろうに……ないよな。うん、無いはず、思い出した、他の服を着ている所、思い出したから。大丈夫。今着ているのは、赤いの。昨日来ていたのは朱色の。一昨日は紅色の……赤好きだな、うちの妹。というか、本当に同じってことはないよな。その日その日で微妙に色が違って見えただけとかじゃないよな……。ま、まぁ、そう信じよう。別の服も持っている。全部、和服だけど……
「おにうえ、着替えましたから、出てきてもいいです」
というか、そこで着替える必要もないよな。自分の部屋で着替えるということも思いつかなかったのか。というか、早いな。和服って、そんなちゃちゃっと切れる者じゃないはずなんだけどなぁ……まだ、一分もたっていないはず。本当に早いな。
「では、ご飯にしましょう」
部屋のドアが丁寧に開けられた。
ご飯は普通に美味しかった。
甘い卵焼きは、俺の大好物だ。俺の妹も俺が分かっているのか、毎朝作ってくれる。うん、今日も美味しい。
その他に、ふきの油炒め、きゅうりの浅漬け、肉じゃがに、筑前煮、その他諸々、二人だけで使うには大きすぎる食卓が、きらめく料理で埋まった。
それと、天ぷらがあるが、油が跳ねるから、裸で作るのは危ないと思う。よく作ったな。
「今日も朝から豪勢だな」
卵焼きを箸で挟みつつ、そう言う。朝だろうと夜だろうと、俺の妹が元気な限り、料理はいつも豪勢だ。
「はい、家事と戦いだけが取り柄ですから」
「いや、それを言われると、俺、何も取り柄ないんだけど」
弱いし、家事そんなに出来ないし。
腰に刀を差した妹を見ながら、俺は自分の情けなさに涙しそうになった。ああ、卵焼き美味しい。
「そんなことないよ、おにうえ、おにうえは、優しいです」
「優しいって、別に、そんなの分からないだろ」
優しいも何も、俺達は、俺たち以外を知らない。
何が優しくて、何が厳しいのかも詳しくは知らない。良い人と悪い人というのも知らない。
俺たちは、俺たちだけを知っている。だから、俺達には、判断をするための基準が無い。だから、俺たちは本当の事は何も分かってなかったりする。
「分かりますよ」
俺の妹は言う。確信を持って言っているようであった。
「おにうえは、優しいです。それに、何度も救われました」
「そうか?」
「はい」
元気な声でそう返してくれた。だけど、俺にそんな記憶はない。別に特別何かした記憶はない。その、記憶喪失とかそう言うのじゃなくて、そういうことした覚えがない。別に、救った事なんてない、と思う。
「それより、ご飯を食べましょう、おにうえ」
そう、それ。
その“おにうえ”って言うやつ。なんで、おにうえなんだっけ? そう思い、妹に尋ねてみる。
「え、ま、まだ“兄上”って呼ばせるつもりだったですか? それは、“おにうえ”でいいってことで決まったじゃないですか」
「いや、そうじゃないけど、“おにうえ”って、なんで俺の事そう呼ぶことに決まったんだっけ、って聞いただけじゃないか、というか、俺、“兄上”って呼ばせようとしてたっけ?」
「そうです、そうですよ。兄上と呼べ、兄上と呼べって小さい頃はうるさかったです。私は“お兄ちゃん”って呼びたいって言っていたのに」
そうだっけ? 随分と昔の事に感じる。だって、思い出せないし。それに、小さい頃って、いつだ? 俺は、ともかく妹は、成長が遅いのか未だに小さく感じるから、小さいってどれくらいの時なのか分からん。もう十四歳なはずなのに、もっと幼く感じるんだよな。まぁ、他の人がどれくらいなのか知らないから、俺と比べての話だし、男女差なのかもしれないけど。
「で、それから、なんで“おにうえ”ってなったんだっけ」
「むー、そんなことも忘れたの?」
頬を膨らませて、両手をグーにして頭の上に上げた妹を見つつ、甘い卵焼きを頬張る。ああ、卵焼き美味しい。
「まぁ、しかなたいですから、思い出させてあげます」
そう言って、妹は立ち上がった。俺は、卵焼きを頬張った。ああ、美味い。
「私は“兄上”なんていう堅苦しいのは嫌で、おにうえは“お兄ちゃん”というのは少し子供っぽいから嫌ということで、“兄上”と“お兄ちゃん”をあわせて“おに(いちゃん)(あに)うえ”ってことになったんです。どうですか? 思い出しましたか? 別に、私たちは子供なのですから、子供っぽくてもいいはずなのに、おにうえが、我儘を言うから“おにうえ”ってなったんです、忘れないでください」
ああ、そうだった。そうだったな。そんな気がする。
「まぁ、でも、もう子供じゃないだろ、お互い」
「いーや、まだ子供です。この村では、大人は二十歳からって言われてますから、私たちまだ子供です」
「実際、それも怪しいだろ」
「怪しくないです、子供です」
子供ですって、妹が言うと嘘っぽく聞こえない。その高い声と幼い見た目のせいもあってな。もう十四歳なんだし、実際は子ども扱いされる歳じゃないって聞く年齢なはずなんだけどな。まぁ、家事全てをパーフェクトにこなしているから、やっていることは子供ではないんだろうけど。
「でも、思い出したよ、確かに、そんなことがあった。まぁ、許してくれよ、男は子供っぽいを好まないんだ。多分」
「別にお兄ちゃんって呼ぶのは子供っぽくないです」
「まぁ、そうだな、実際は。まぁ、でも、その時の俺はちょっと格好でも付けたかったんじゃないか? 兄上って呼ばれるのはちょっと格好いいからな」
まぁ、まだ少しそう呼ばれてみたい気もするくらいには格好いいとは思う。
それと、“おにうえ”っていうのは、なんていうか“お兄ちゃん”と呼ばれるより、なんか子供っぽく感じるのは、気のせいではないだろう。
「ちなみに、忘れているでしょうから、これも付け加えて思い出してもらいますけど、おにうえというのは漢字で書くと、“兄上”と言う漢字に“お”とひらがなを上に付けて、“お兄上”と書きます」
宙で空気文字を書きながらそう言ってくる。その空気文字も分かりやすく、反転させて書いてくれている。実に器用な妹だ。
「まぁ、その漢字ってのに関しては大丈夫、ちゃんと覚えている」
「本当ですか?」
「ああ、これは、覚えている。本当だ」
そう言ってから、卵焼きの最後の一切れを頬張った。
今日も程よい甘さだった。ああ、卵焼き美味しかった。
「ごちそうさま」
卵焼きを食べていたら腹いっぱいになった俺は、箸を置き手を合わせた。
「おにうえまたですか」
「ああ? ああ、そうだな」
また、というのは、卵焼きだけ食べて、他の料理は疎かごはんにもほとんど手を付けなかったことだ。せっかく作ってくれたのは分かるし、凄い美味しいんだけども、朝はどうもお腹減らないし、卵焼き美味しいからもぐもぐと食ってるうちに腹が一杯になる。
「もう、次からはこんなに作りませんからね」
と、毎朝言っては、毎朝こんなに料理を作って並べてくれる。ほんとに、こんなに作ってくれなくもいいのに。たとえ卵焼き以外に手を出したとして食べきれる量じゃないだろうに。まぁ、この料理はお昼と夜も引き続き食べるから、無駄にはならないし、昼と夜、楽になるんだろうけど、昼と夜は、昼と夜で、朝の残りとは別に料理作ってくれるからな。正直、食べきれない。嬉しいけど。
「じゃあ、お皿片付けますね」
と、唯一空になった、妹は卵焼きの皿を流し場まで持っていった。
こんな、朝。いつも通りの朝。でも、俺は、そんないつも通りなはずの朝に幸せを感じた。
こんな日が毎日来ればいいのに。そう思った。毎日来るそんな日の今日、そう思った。
今日も、本を読んで、妹と話して、ご飯を食べて、また本を読んで、妹と遊んで、ご飯を食べて、風呂に入って、妹と話して、寝る。そして、また同じような日が来る。それの繰り返しが、何よりも幸せに感じられた。
頬が熱くなる。
ああ、なんでだろう。なんか、泣いているっぽい。
泣いている姿なんて恥ずかしくて見せられないので、急いで背を向け、自分の部屋に戻った。
なんでだろう。分からないけど、ずっと、ずっと、こんな日を待ち望んでいた気がする。毎日、こんな日が来るのに。今日、急にそう思った。
幸せだ、と。
俺は、一冊、本を開き読み始めた。
その時間は流れ、俺の予想通り、妹と話して、ご飯を食べて、また本を読んで、妹と遊んで、ご飯を食べて、本を読んで、風呂に入って、妹と話して、寝た。
そんな日が、また訪れて、時が過ぎゆき、また訪れて、時が過ぎゆき、また訪れる。
幸せは、続いた。何もない。何もないのに、俺は、幸せを感じていたのだ。
ただただ、この幸せが続いてほしい。そう思っていた……
バトルはいつか来る。
やっと投稿に至った新作です。