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完璧な私

作者: 横山ヒロト

 私の名前は。二十二才の大学四年生だ。

 華の二十代。希望に満ち溢れ、最も充実している筈の年齢の私は思い描いていた理想像とは遠くかけ離れた、実に残念な女子になってしまった。

 

大学生になって頑張って化粧も覚え、ファッションもいっぱい勉強したのに、結局四年間で彼氏は出来ず……。更には、就職活動も上手くいかず、全てが失敗続き、物事が悪い方へと転がり続けた。

 そして今日も不採用通知メールを削除し、気分転換に街へ繰り出してきたのだが、活気づく街の雰囲気は私をより陰鬱な気分にさせた。イチャイチャしながら楽しそうに歩くカップルも、最高に楽しんでますって感じの男子高校生の集団も、アニメショップから出てくるオタクっぽい女の子二人組も、少し疲れた顔をして歩くサラリーマンでさえも、全てが私にとっては眩しくて――疎ましかった。

 

いっそのことここに爆弾でも落ちてくるか、大災害でも起きて日本中の人が平等に苦しめばいいのに。なんて、サイテーな考えさえ頭を過った。本当に、私は心まで腐ってしまっている。

 

そんな全く建設的ではない不平不満ばかり考えて街を彷徨っていると、気付けば見慣れない小道に入って来ていた。足元のアスファルトはもう何十年も舗装なんかしていませんと言わんばかりに罅割れていたし、ゴミもそこかしこに転がっている。ひとけなんか微塵もない、錆びれた隘路だった。

 

昼間とはいえ、その雰囲気が少し怖くなった私は、すぐにそこから出ていこうと思った――のだが。


《完璧な貴方になりませんか? ―望み通りの、輝かし未来を貴方は手に入れる事が出来るんです。とっても簡単に― 詳しくは ←ニ階『理想の自分製作所』へ。説明・相談無料!》

 

 という怪しげな看板が目に入った。

 見るからに胡散臭い、ネット上に有り触れていそうなその広告。あまりの胡散臭さに私は思わず笑ってしまった。

 

 だけど、画に描いたような胡散臭さが、逆に私の興味を引いた。

 よくよく考えればそこで危険な目に合う可能性も十分にあったのだが、その時の私は、どうせ胡散臭いセミナーなんかが開かれていて、その勧誘でもするつもりなのだろう、そんな展開になったら断って逃げてくればいい、としか考えていなかった。

 でも、言いかえれば、そんなすぐに思い当たるべき危険性に気付けない程、私は老いこまれてしまっていたのかもしれない。

 

 いや、そこまで考えが至っていたとしても、結局そこにあった現実は私の想像の埒外にあるとんでもない現実だったんだけど。

 

 そうして私は鉄の階段を上り、周囲の雰囲気にしては綺麗な白い扉を開いて『理想の自分製作所』に足を踏み入れた。


「いらっしゃいませ。ようこそ『理想の自分製作所』へ」

 

 透き通るようなソプラノで私を出迎えたのは白いスーツを着た綺麗なお姉さんだった。どこか上品でいて、色気もあって、可愛くて綺麗で、スタイルもよくて、同姓の私でも恋に落ちてしまいそうな、本当に素敵な――これが理想の私です! と言いたくなるような雰囲気を持った女性だった。


「あの……看板を見てきたんですけど……説明だけ、聞こうかな、って。大丈夫……ですか?」

 

 不審な場所だと疑っていたのが申し訳なくなるほど、私は挙動不審だった。だから何をやっても駄目なんだろうな。

 でも、受付のお姉さんは天使のような笑顔で「ありがとうございます」と微笑んでくれた。

 

 ああ、もう私、彼死なんていらない。だから私と結婚しませんか?

 なんて、アブナイ思考を表面に出さないように私は出来るだけ自然に微笑み返した。

 そして、お姉さんは心地良い響きの甘い声で続けた。


「説明を聞いていただいて、不満や不安があれば、勿論料金をいただくことはありませんし、説明もすぐに終わりますのでご安心ください」


「はあ、それじゃあ、ちょっとだけ……」


「ふふっ、ありがとうございます。それでは早速こちらへ」


 私はそんな流れでお姉さんに先導されて部屋の奥にあった部屋へと入った。

 するとそこには白衣の男の人がいて、これまたイケメンだった。きっとここは美男美女だけがいて、だからこそ理想の自分になれるかも! と思わせる場所なのかもしれない。格好から推測するにカウンセリングの類でもするのだろうか。確かに、人は心が変われば見た目も変わるなんて話をよく聞く。


「どうぞ、そちらへおかけください」


 男性の声は眉目秀麗な見た目通り、知性を感じさせる素敵なテノールだった。なんだか、お腹に響いて来て、その痺れが指や足の先まで広がって、痺れてしまう。ああ、私の理想は貴方です――なんて、さっきまで同性愛も辞さないと思っていた私の心は揺らぎまくりだった。


「お名前は?」


「は、えっと……葉山薫です」


「葉山さん、ですね。失礼ですが、おいくつですか?」


「二十二才……です」


「そうですか。素敵ですね」


 いいえ、それは貴方です。って言えるような性格なら、私はこんなに苦労してこなかったのかな、なんて思う。

 それから、いくつか簡単な質問をされた後に、また別の質問用紙でいくつかの項目に答え、そのカウンセリング(?)は終了した。

 そして、最後に先生は私に何かのスイッチを差し出した。ちょうどホテルのフロントなんかにある呼び鈴を小さくしたようなものだ。


「これは、理想の貴方を呼び起こす……そうですね、魔法の鈴です」


 先生は冗談めかして言い、くすくすと笑った。その笑顔が少し子供っぽくて、これまた私の心は恋色に染まる。


「まずはお試し、ということで、二時間程しか効果のないものですが、ぜひ使ってみませんか? こちらは千円でご提供できますよ。ただし、効果は一回きり、ですけどね」


 やっぱりか、と思ったが――詐欺にしては随分親切な値段だ。

 本音を言えばとても信じられないけど、今日のこのキュンキュンできた素敵な時間に対してお金を払うと思えば、安いものだ。

 そうして、私はそのベルを買った。

 帰りはまた、あの素敵なお姉さんに満面の笑みで見送られながら。





 私がそのベルを使う事になったのは、その翌日の事だった。


 大学の講義に出席していた私の隣に、ちょっと可愛らしい感じのある年下と思しき男子が座った。大学でこんな素敵な彼なんだから、友達とか、その……彼女とかと一緒に行動していそうなものだが、彼は別に席取りをするわけでもなく、普通に授業を聞いていた。


 ああ、こんな彼がいたら、私の大学生活もバラ色だったんだろうな、と思いながらも、毛k結局こういう人は私みたいなネクラな駄目ダメ女子とは関わる事なんてないんだろうなという、実に私らしい後ろ向きな考えが頭のなかいっぱいに広がった。


 その時、ころん、と鞄のなかから何かが転がり、私はそれを拾った。

 それは昨日買ったベルだった。

 そういえば、これで理想の自分になれる、って言ってたな。確か、お試し版だから二時間とか――と、思い出してみると噴き出してしまいそうになる程に馬鹿馬鹿しい説明を頭のなかで反芻していた。

 これを押そうが、押すまいが変わらないなら、ものの試しに押してみよう、と思った私は実に気軽にそのベルを押した。すると、ベルは本当にごくごく僅かな小さな音を響かせた。

  

 ………………。

 

 何も起こらない。

 ほら、やっぱりね、と私は心のなかでこんなくだらない物に頼ってしまった自分を嘲笑した。

 だけど――――


 どくん、と一度心臓が跳ねた。


 頭がぼーっとしてきて、世界が少し歪んで見えた。

 次の瞬間、私の口は勝手に言葉を紡ぐ。


「それ、素敵な万年筆ですね」


 私は隣の彼が握る万年筆を見て彼の耳元で小さく呟いていた。そして、自分でも不思議なくらいに自然な微笑み。

 もしかして、私は一種の暗示にかかっているのだろうか。


 隣の年下男子は少し驚いた顔をして、私の目を見る。潤ったその瞳が実にキュートだった。

 だけど、急に話し掛けてきた見知らぬ女子。それも、別に可愛いわけでもない私に話しかけられるなんて迷惑なんだろうな、と思い今しがたの自分の行動を後悔した……のだが。


「ありがとうございます!」


 彼は急に声を上げた。


 少し大きな声だったので、周囲の生徒がこちらを見たが、彼自身もすぐにそれが恥ずかしくなったみたいで、頬をほんのり紅潮させて、苦笑いをした。

 そして、周囲の生徒が彼に向けた意識を教授へと戻した瞬間、彼は小さな声で私に反なし掛けてきた。


「これ、お気に入りの万年筆なんです。でも、地味だから、そんな事言ってくれる人なんていなくて、もしかして、万年筆お好き……なんですか?」


 少しモジモジしたところがまたいじらしい。


 だけど、私はそんなまたとないチャンスにどう返答していいかわからなかった。

 しかし。

 また、私の口は勝手に言葉を紡ぐ。


「いいえ、詳しくはないんですけど、なんだか、とても素敵だなって思って。その万年筆が過してきた時間を想うと、なんだか心が温かくなるというか……変、ですかね?」


 私は自然に彼と似た、照れたような笑顔を作っていた。


 同調行動。確か人に好かれる為の基本的な手段のひとつだ、と私は去年受けた心理学の講義内容をぼんやりと思い出していた。

 実際、その通り、彼はとても嬉しそうな顔をして、誇らしげにその万年筆の話をしてきた。

 私はそんな彼の話を、優しい姉のような、ふんわりとした笑顔で、彼が話しやすいような絶妙の相槌を交えながら、その講義中に聞き続けた。


 そして、授業が終り、皆が講義室を後にするなか、私は彼の話を聞き続けた。

 結局、私は――彼と連絡先を交換してから、別れた。


 これ、すごいじゃん!

 私は鞄にしまったベルを取り出し、まじまじと眺めた。

 そしてもう一度ベルを押してみるが、今度はなんの変化も感じられなかった。

 

 ――「効果は一回きり、ですけどね」


 白衣の先生が言っていたことを思い出す。

 そうか、これはお試しだから……。じゃあ――――


 今日受けるべき講義はそれだけだった私は、その足ですぐに『理想の自分製作所』へ向かった。


「いらっしゃいませ――――あ、昨日の」


 受付のお姉さんは今日も変わらず可憐に私を出迎えてくれた。


「あの、昨日買わせていただいたもの、凄くよかったのでまた……」


「ええ、ありがとうございます。では、こちらへ」


 私は促されるまま奥の部屋へ足を踏み入れ、そこで先生にも同じような反応を受けた。


「すみません、昨日のやつお試しではなく、ちゃんとした製品のもの買わせてください」


「効果はどうでした?」


「もう、最高です!」


「それはよかった。それでは製品版ですと……四時間、八時間、十ニ時間、そして一日のものがありますが、どうしますか?」


 私は少し悩んだ。一日完璧でいられれば、確かにいいが、そこまで完璧な自分でいる必要はない。一人でいる時間だってあるし……。


 それならば、と私は念の為、一日のものを一つと、あとはそれぞれの時間を五個ずつ購入する事にした。お試し版の二時間で千円なのだから、製品版はその何倍もの値段を覚悟していたが、まとめ買いの割引とかで、思ったほど出費はかさまなかった。


 最後に先生が私に向けて説明を付け加えた。


「あまり連続して使い続けないように気をつけてくださいね。『本当の自分』でいる時間も大切ですから」


 私はその説明の意味がイマイチよくわからなかったが、とりあえず頷き、意気揚々と家に帰った。




 それから私は要所要所でベルを使って『理想の自分』に成り続けた。

 そのおかげで、内定も取れたし、年下の彼とは――付き合う事になった。


 私はこうして『理想の自分』を手に入れた。


 でも、違和感は拭いきれなかった。確かに、私は理想的な行動をして、理想的な結果を手に入れている。だけどそれは私自身が変わったわけではなくて、あくまでも、ベルを押してから、その効果がある時間だけうまくいっているのだ。


 試しに、ベルを使わず、素の自分で彼氏に会ってみたときは「なんか、いつもと違わない?」と言われ、その日だけで嫌われてしまいそうになった。新しくできた友達もみんな同じような反応だった。

 周りのみんなは『私』ではなくて『理想の私』を必要としていた。

 私はそれがどうしようもなく怖くなった。私は、理想の私でいないと誰からも必要とされないのではないだろうか、と。


 ベルが足りなくなれば、買い足しにいき、私は起きている間は極力『理想の自分』である事に努めた。すると、私の人生は特急列車に引きずられるように、加速度的に好転していった。

 私は学校中に、いや、それすらも飛び出して地域レベルで私を知らない者などいないというほど有名になっていった。


 そういえば、年下の彼とは別れた。完璧な自分である為にはパートナーも完璧である必要がある。交友関係も随分と変わり、それが進むたびに『私』と私は乖離していった。

周りが求める『葉山薫』は最早私ではなかった。

私は、私でいることが恐ろしくなった。『私』が認められていく度に私は必要のない、邪魔な存在に成っていった。それはすごく恐ろしかったが、もう後には戻れない状況になっていた。


 気が付けば私は『理想の自分製作所』へ足を運んでいた。


 その時の私は『私』だったのか私だったのか、その境界線がもう曖昧になっていた。

受付のお姉さんが私を見る目は怯えていた。しかし、私構わず進み、先生の制止すら振り切ってしまいこんでいたベルを引きずり出して、気が狂ったように押し続けた。


「葉山さん……何を……」


「私はもう『私』でいなきゃ駄目なのよ……」


 私の口から吐き出された言葉は、自分でも驚くほどに冷たく響いた。


 それからも私の人生は完璧だった。


 ずっと思い描いていた理想の『私』は完璧に作りあげられていた。

 ただ――――



 完璧な『私』でいるためには私という人格は邪魔なものでしかなかった。自信に満ち溢れる為には臆病な私は必要ないし、嫉妬するような私は『私』にとって必要なかった。


 だから私は、自らの意識を殺した。


 そうして、私は――――



『完璧な私』になった。

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