始期01
「母さん。行ってくる。」
一夜は仏壇に手を合わせた。これが日課である。
この、工藤家に一人残された一夜は一人でこの家に暮らしている。
親はどちらも早くに他界した。
一夜は今年で19歳だ。しかし環境がとても特殊だ。
靴を履き外へ出ると、もうそこには理実がいた。
「イチくん。おはよう。」
「ああ。おはよう。」
彼女も特殊な環境の一つの成分だろう。
彼女が隣の家に越してきたのはいつだったろうか。
たしか去年の冬だったはずだ。
越してきた日に家にきて、食事を共にした。
リミの父親とはそこで知り合ったわけではない、以前から仕事の関係で
知ってはいたが、自分と同じような年の娘がいるとは知らなかった。
初めてリミに会ったのはそのときだ。
その娘はとても面倒見のいい性格だった。
そのせいか、今では家の前で待っていて時間通りに出てこないと心配して
家に入ってくる。少々迷惑していた頃もあったが今ではそれが日常となりつつある。
「今日は帰りに、奴賀井さんのとこにいくんでしょ?」
そして、特殊な環境の一番の要因は”仕事”だ。
一夜は、リミの父親が司令官を務める
『特殊事件対策部直属組織ドムネイター』
通称、「ドイター」に非常勤部隊員として参加している。
「そうか、今日だったな」
今日は、一夜がドイターで依頼された任務の最終日だった。
任務は基本的に学校が終わってから行うのでひとまず学校には行かなければならない。
「とりあえず、学校に行こう」
「うん」
一夜の通っている高校は至って普通の公立高校だ。
ユートピアという「檻」の中でもなかなか大きな学校なので、全校生徒の総数が6000と、多い。
この、街にある住宅地の80%はこの地区であり、
学校の学区にここが含まれているので同じ方向に歩いているのは
大抵、同じ制服に身を包んだ生徒だ。
「リミ。親父さんは?」
リミも一夜と父親の関係は知っている。
本当に隣に越してきたときには驚いた。
「今日は本部で会議があるって、早くに出ていっちゃった」
そう言う理実は少し寂しそうだった。
「そうか、最近はあまり顔を会わせていないんだろう?」
「うん。仕事が忙しくて帰ってくるのも3日にいっぺんくらいだよ」
最近、「ドイター」へ来る依頼の数がずいぶんと増えた。
あまり良いことではないのだが、出番が増えるのは良いことだと、一夜は思っている。
学年は一応、2年で、帰国子女ということーー実際のところそんなはずは無いーーになっている。
2年のクラスは3階なのでそこまであがっていく。
その途中でクラスメートと出会った。
「イチー!」
「何だ。」
階段で仁王立ちしている友人を見てとても憂鬱な気分になる。
「おはよう!イチ!おっと、リミちゃんもおはよう!」
「おはようございます。蓮太郎さん。」
階段の上に立っている男子は同じクラスの、御灯 蓮太郎。
知り合ったのはこのこの学校に入学してたらだが、"一応"仲はいい。
「お前、躍起になって担任が探してるぞ。なんかやらかしたのか?」
(またか。)
と、一夜は思った。だが、毎度のことなので慣れつつあるようだ。
担任は、担任ではあるのだが、上司でもある。
「ドイター」では、一夜は特務兵という扱いになっている。
そして、担任をつとめる三島先生は直属の上司で階級は大尉だ。
この学校にいるのは一夜とドイターとの連絡を請け負うためである。
いくら化学の進歩したユートピアでもさすがに完全な秘匿回線を作ったりする事は出来ない。
この時代でも一番秘匿性の高いのは口頭でものを伝える事だ。
任務に関する何かだろう。時々こういう事がある。急務だと困るのでこちらから探さねばならない。
ため息が出る一夜だった。
「はぁ、それで?どっちに走っていった?レン」
さっさと探さないと、予鈴がなってしまう。
先生も職員会議があるはずなので本当に急務だったらどうしようかと思う。
「えと、武道場の方だ」
「そうか、いってみるよ。ありがとうな」
先生が一夜を探しているときは必ず蓮太郎の前を通るようにしているようだ。
朝は必ずこうして階段で一夜と理実を待っているのを知っているのだ。
「リミ。先に行っててくれ、俺は三島先生を探しにいってくる」
「うん。わかった」
そこで、リミとレンとは別れて一人武道場へと向かう。
武道場までほど遠くないところに、先生はいた。
「三島先生。おはようございます」
「あっ!クドウくん!」
かなり若い先生だ。ぱっと見23歳とかそのくらいだろう。背もかなり小さい。
この人が上司には見えないが、そんな事を言ったら何をされるかわからない。
「私を探していたらしいですが、何か御用ですか?」
「ええ」
当たりを見回すと登校してきた生徒の他にも朝練をしていた部活組もこの廊下を行き来している。
さすがにここで任務の話をするのはまずい。人目が多すぎる。
大尉もそのくらいはわかるようで、場所を移そうと提案してきた。
もちろんだ。
ーー今はあまり使われない特別教室へと移動してきた。
「では、大尉。本題をお願いします」
大尉はこちらに向き直って、気をつけの姿勢で話を始めた。
「はい。工藤 一夜特務兵。二つほど大切な話があります。一つ目は、少し本日付けで、あなたの任務を全て特務支援科管理下より、特殊工作科管理科へと移すと共にあなたの配属を、特殊工作科へと移動いたします。この決定は、坂峰司令による絶対的なものです。次に、少々悪い知らせがあります」
ドイターや大尉から聞く悪い知らせは、重要性のかなり高いものばかりだ。
「それで、悪い知らせとは?なんですか?」
「ええ。この町に異物が入ってきました。話は以上です」
"異物"ときいて思いつくのは危ない人々だが、大尉が言っているのは裏社会でよく思われていない連中の事だろう。
「残念ながら今回の異物は少々特異です。今後注意してください」
「了解しました。本日付けで工藤 一夜。特殊工作科への任務に着きます」
素朴な疑問を問いかけた。
「三島大尉。私の配属の理由を聞かせていただけますか?」
「ごめんね、工藤くん。私にもわからないの。でも、うちの上層部が絡んでいることは確かよ」
「そうですか。ありがとうございます」
一夜は頭を下げる。
「いいのよ、それよりこの街に”異物”が入り込んだ事の方が心配だわ。注意してちょうだい。あまり良い感じの気配がしないわ」
三島大尉は特殊能力ではないが、勘がとてもいい。
何度か任務でその勘に助けてもらったことがある。
「了解しました」
そういって敬礼する。
そうこうしているうちに、チャイムが鳴ってしまった。
「おっと、職員会議にいかなきゃ。工藤くんも早く教室に戻るのよ〜」
そういって走り去ってしまった。
「戻るか」
一人でクラスへ戻ると、何か騒がしかった。
「イチ!遅かったじゃねぇか」
「それよりどうしたんだこの騒ぎは?」
いつもはこんなに騒がしくなることはない。
「それが、隣のクラスに転校生が来たらしいんだよ」
「それで?」
「それでって、お前!興味ないのか?」
「興味がないといったら嘘になるが。どうしてまた、この学校に?」
「それが、地上人らしいんだよ」
「何?地上人?」
後ろを向いてそんな会話をしていると先生が入ってきた。
「はーい、静かにしてくださーい!」
クラスが一気に静まる。
みんな三島先生にはなぜか頭が上がらない。
クラス全員が彼女の言ったことを聞いてしまう。
「一校時目が、全校集会になりました。速やかに講堂に移動してください!」
たぶん転校生のことだろうとは思っていたがこんなにも早く”地上人”を拝めるとは思っていなかった。
一夜は、地上人に何度か会ったことがある。
しかしこの街に来てからは初めての地上人だった。
このユートピアに住む人と何の変わりもない地上人。
いつからか、人々は地底人類と自らを呼称するようになった。
元は、地上人だったということを知っている人はもうそんなにいないだろう。
地底人類というもののほうが都合がいい政治家などがいるのだろう。
もう、人類は地上に戻ることは出来ない。
地底人類となってしまったから。