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 自らを忍びと自称する彼女には、身に着けるもの、身なりを整えるものにも一風変わったこだわりがある。

 目立たないこと。

 居場所を悟らせないこと。

 だけどたまには、冒険してみたい時だってある。


(護衛を休んでいるわけではないぞっ。ただその、今日主君は外に出る予定はないと言っていたし、万一敵襲があったとしても、その時は潜伏ではなく撃退なのだから……)


 それでも居場所を悟られるのは彼女の<職業>がら好ましくはないはずなのだが、忍びモードじゃなく恋する乙女モードの彼女はそれに気づいていない。


(おかしくは、ないはず。元の世界でもずっと使ってたんだし)


 ぷるぷると首をふると、しなやかな黒髪が美しく揺れる。

 自分にあまり自信のないアカツキにとって、黒髪は数少ない「お気に入り」の部分だ。つややかで真っ直ぐで、髪を褒められた時だけは素直にうれしい。


「あれ、アカツキ?」


 廊下で逡巡していた小さな背中に、穏やかで自制の効いた男性の声がかかる。

 途端、アカツキは跳ねるように後ろを振り返り、声の主を見て頬を朱に染め上げた。


(わたしとしたことが、主君に背後を取られるなど……!)


 忍びにあるまじき、と思うと同時に、さすが自分が認めた主だとも思う。

 自分が考えごとに忙しかったせいで、普通に近づいてきたシロエに気づかなかっただけだとは思いもしない。

 鈍いといえば鈍い彼女に輪をかけて鈍い誰かさんは、ふと視線をさ迷わせながら口を開いた。


「ねえ、なんか今日はいい匂いがするね」


 びくん、とアカツキの肩が震えたことにシロエは気が付いたのかどうか。


「なんだか、懐かしい甘さだな。うん。嫌いじゃないな、この香り」


 そう言って優しく両目を細めた彼を見て、アカツキの胸がとくん、とくん、と早歩きを始める。

 気が付いて欲しかった。だけどいつでも抱えた宿題で頭がいっぱいの彼が、こんなに簡単に気付くとは思っていなかった。

 もしかしたら少し、期待をしてもいいのではないか。

 そんな大それた考えがぴょこりと顔を出してきて、自分の思いに自分で大慌てする。


(そんなことはない。そういう期待はよろしくない。たぶん……なんというか、そう、心臓に悪い!)


 だけどそんなアカツキに構わず、シロエはふわりと微笑んで言った。


「いこっか」

「行く……とは、どこへだ、主君?」


 殺しきれなかった期待が言わせた言葉だった。

 シロエの返答など想像もつかなかった。

 実際、彼が口にしたのはあまりに予想外の言葉。


「そりゃ、もちろんキッチンへだよ。この美味しそうな香り……きっと班長が何か作ってくれてるんだと思うな。アカツキだって興味あるでしょ?」


 言われたことをしばらく吟味してから、アカツキはぷい、と背中を向けた。

 後に残ったシロエは目を見開いて「あれ、何か変なこと言ったかな……」などと呟いていたが、彼女がそれに振り向くことはなかった。




「ばか主君!」


 言いながら勢いよく布団に体を投げ出す。それを追いかけるように漂うのは甘く柔らかい杏の香り。

 昨日、街を歩く間に珍しい髪油を扱う店を見つけた。

 小さな瓶に入れられたそれらには、手書きの文字で中身が書き添えてあった。


 椿、丁子、オリーブ──そして杏。


 現実世界で暮らしていた間も、アカツキは髪油を愛用していた。

 水分が多く長い彼女の髪には、市販の整髪料より古式ゆかしい髪油のほうがよく馴染んだからだった。

 懐かしさもあった。同時に、口紅さえつけるのをためらう自分が、臆することなく使える身を飾るものでもあった。


(それを……言うに事欠いて美味しそうな香りだなどと……!)


「ばか主君……っ」


 もう一度呟いてから唇を尖らせる。

 ばかは自分だ、とももちろん思う。

 言えばよかったのだ。キッチンの匂いじゃなく、これは自分の香りなのだと。

 甘い香りであなたの意識を呼びたかったのだと。


「……って、そんなこと言えるわけない……」


 ごろごろと転がってもどこまでも追いかけてくる杏の香り。

 しばらくは引き出しの奥にしまっておこう、と。

 アカツキは深くため息をついた。

あんず油、とってもおなかすく匂いです。

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