87.三年という月日
少し長めです。
『』内の会話はセレスト王国の言葉によるものです。
叔父との再会は、王城内の謁見室でなされた。
朱雀に抱かれた花嫁、白雲、紅夏は前回と同じく、そこに紅児が加わった形である。
紅児が一歩前へ出る。
少し離れたところで傅いている男性は、今回は髭を剃っていた。紅夏に見せてもらった時よりも若々しく見え、それは記憶の中の叔父と合致する。
「グッテンバーグ殿、彼女はこちらで紅児という名をもらっている。貴殿の姪に相違ないか」
『……はい』
「紅児、彼はそなたの叔父に相違ないか」
「はい……私の、叔父です……」
そう答えながらまだ紅児は実感がわかなかった。
叔父は国にいた頃それほど紅児に関わってきたことはなかった。普通に、ただ兄夫婦の間の子供として紅児がかまってほしいと側に行けばたまに遊んでくれるような人だった。だからわざわざ迎えにきてくれたということが信じられないのかもしれなかった。
『……エリーザ……顔を、よく見せてくれ……』
絞り出すように叔父が言葉を紡ぐ。その表情には紅児にやっと会えたという安堵が浮かんでいるように見えた。
どうしたらいいかわからず紅児は振り返ろうとした。紅夏は斜め後ろに控えていた。
「グッテンバーグ殿、そちらへかけられよ。紅児もかけるがよい」
白雲に言われ、紅夏に促されて壁際に置かれている椅子に腰かける。叔父とは卓を隔てて横向きに腰かけた形だ。紅児の隣には当然のように紅夏が座り、彼女の手を握る。それに叔父が眉をひそめた。
「積もる話もあるだろうから席を外そう。何かあれば紅児の隣にいる朱雀の眷属に声をかけるがよい」
朱雀に抱かれた花嫁が白雲と共に謁見室を出ていく。
叔父は通訳にも席を外させた。本当は紅夏も追い出したかったようだがそれだけは紅児が視線で訴えた。
卓にお茶が置かれ、侍女が退室する。それを待っていたように叔父は紅児に向き直った。
『……エリーザ、その者がお前の……』
『はい、叔父様……こちらは結婚の約束をしております、紅夏様です』
叔父の鋭い眼光に怯みそうになりながらも紅児はきっぱりと答えた。これだけは譲れない、ということは伝えておかなければいけない。
『……だがまだお前は14か15のはずだろう』
『この国では15歳が成人ですから。でも18歳まで待つようにと言われてましても紅夏様と一緒になることは変わりません』
叔父は眉間に皺を寄せ、首を軽く振った。到底受け入れられないという体である。
『……私もこの国に来るにあたって、四神について少しは勉強したのだ。だがその、眷属というものにお前が嫁ぐ理由がわからん』
『叔父様、紅夏様は私が跡取り娘だと知って婿入りしていただけるとおっしゃられています。でも……』
婿入り、という言葉に叔父は弾かれたように紅児を見た。
『……そのことについて話がある』
『はい』
話を遮られたことで紅児は眉根を寄せた。この流れでいくならば……。
紅夏の手をぎゅっと握る。彼はその手を握り返してくれた。
叔父の目が泳ぐ。切り出しづらいという様子に、紅児はその先が想像できた。おそらく叔父夫婦に子供が産まれたのだろう。
それもきっと男の子が。
(それなら、私が跡を継ぐ必要はなくなるわ……)
さみしいとは思うが、それ以上に肩の荷が降りたとも思う。もちろん帰国して母の顔が見たいが、跡取り娘でないならば急いで帰国する必要はない。そうでなくてもまだ紅児は己が船に乗れる自信がなかった。
紅児の想像もそこまでは当たっていた。
だがまさかその想像をはるかに超える事態になっているとは思いもしなかった。
『非常に言いづらいことなのだが……この3年の間に息子が産まれた』
紅児は頷いた。
『では……』
叔父もまた頷く。
『商会の跡取りは私の息子になる』
『それはおめでとうございます』
紅児は自然と笑顔になったが、叔父は何故か難しい顔をしたままだった。
『それでだ……実は妻は……産後の肥立ちが悪くてな……』
その先は聞かなくてもわかる。紅児は信じられない思いで目を見開いた。
『!! そんな、では叔母様は……』
叔父は首を垂れた。だがまた頭を上げる。
その目はひどく真剣で、何かを決意したように見える。紅児はそれに戸惑った。
(いったい……)
『そのことでお前に謝らなければならないことがある。まずは黙って聞いてくれ』
そうして叔父に聞かされた話は、にわかに信じられないものだった。
3年半前、グッテンバーグ商会の会長とその跡取り娘が行方不明になったことで会長の弟であるベンノは途方に暮れていた。
本来なら半年で戻ってくるはずの船はいつまで経っても戻ってこない。船が出港して7か月を過ぎた頃、ベンノは兄と姪、そして船員たちを行方不明者として国に捜索願いを出した。
当時ベンノの妻が待望の第一子を妊娠をしたことで自分で捜索に向かうことはとてもできなかった為だった。それに彼は兄に代わってグッテンバーグ商会の舵取りもしなければならなかった。もちろん商会の業務に携わっていたベンノであったが、兄ほどのカリスマ性があるわけでもなく。国に仮の責任者として登録をしてからの1年は夢中で商会の存続の為に奔走した。
その間に妻が息子を出産したものの、産後の肥立ちが悪かったらしくそれからわずか2か月で他界。兄が行方不明になったことで一旦崩れかけた商会の立て直しで必死だったベンノは、更に乳飲み子まで押し付けられた形になったことでもうどうしたらいいかわからなくなった。
それに手を差し伸べてくれたのは、夫と娘の帰りをただひたすらに祈っていた兄の妻―ベティーナだった。
「私たちは家族でしょう? 残念だけど私には商会のことはわからない。でも子育てならできるわ」
涙に暮れ、悲しそうな顔しかできなかったベティーナは決意を込めた表情でそうベンノに言ってくれたのだ。
何もできないと言いながら、彼女はベンノの息子の面倒を見ながら彼のことを気遣ってくれた。
おそらくベティーナに他意はなかったのだろう。夫と娘のいない寂しさを、ベンノ親子の面倒を見ることで埋めていたに違いない。
だがベンノ自身はそれで済まなかった。実はベンノは幼馴染みだった兄の妻にずっと憧れていたのだ。
2年が経ち、商会が落ち着いてきた頃ベンノは己の気持ちを再確認した。だがまだ兄たちが戻ってくる可能性も否定できなかった。
けれど。
3年が経った今年の春、もうベンノは己の気持ちに嘘をつくことはできなくなってしまった。
3年という月日は残酷なまでに平等に流れ、それは彼らに希望を失わせるのに十分な時間だったのだ。
もちろんベティーナは最初拒絶した。だが彼女ももう待つことに疲れていた。ベンノの息子もまたひどく可愛らしく、彼もベティーナを母と慕っていた。
いろいろな葛藤があった。
2人はお互いを言葉で傷つけあったりもした。
しかし彼らは同志だった。商会を立て直し、子育てをし、この3年は決して短くはなかった。
そしてこの秋、とうとうベンノとベティーナはひっそりと籍を入れた。
『……悪いのは私だ。ずっとベティーナを想っていた。兄が行方不明になり、妻が亡くなったことで我慢ができなくなった。責めるなら私を責めろ。だが……ベティはずっとエリーザ、お前のことを案じていた……お前が見つかったという知らせを受け、迎えに行きたいと泣き崩れるほどに……』
ひどく苦しそうな声。
3年という月日。
決して短くはない。
その間紅児は紅児なりにがんばって生きてきた。
父はどうしたのだろう。母は息災だろうか。
断続的に襲いかかる不安ともしかしたらという希望。
いつか帰国できたら、という思いをずっと小さな胸に抱えながら。
(私は……私は今までいったい……)
紅児は叔父の話を聞きながら目の前が真っ暗になるのをぼんやりと感じていた。
(何のために、がんばってきたの……?)




