6.決意
翌日の夜、紅児は養父母に「王都へ行きたい」と返事をした。
養父母は少し寂しそうな顔をしたが、「それがいい」と言ってくれた。王都へ行ってももし帰れなかったらという仮定は今考えても仕方なかった。それよりも今は何をどう準備していったらいいか考えなくてはいけない。
紅児が国を出る時の準備は主に使用人たちがしていたし、養父母も今まで一度も旅行をしたことがないという。養父はそれもあってか外出することが多くなった。
小さな村だ。いつもと違う行動を取る養父に近所の者たちが気づかないわけがない。
おかげでそれほど準備が整わないうちに、紅児が村を出るということはみなの知るところとなった。
大人たちだけでなく子供たちも何か言いたげに紅児を見るのだが何も言わない。だから紅児は黙殺することで対処した。みな基本的にいい人たちだが、紅児が心を許せるのはやはり養父母だけだった。
そうして準備が整い、王都へ向かう日まであと2日となった。
養母だけでは切り盛りできないので、店は一旦閉めるらしい。養父の実家に行って手伝いをするのだと養母は笑って言ったが、紅児は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「子供がそんな顔するもんでねぇ」
春の大祭が近いせいか往来を歩く人の数も明らかに増えた。王都へ向かう乗合馬車の数も臨時で増えているらしいと聞く。最悪乗れなければかなりの距離を歩いていくようだが紅児に異論はなかった。
その夜店じまいの時間になってふらりと村の少年がやってきた。
この村に住み始めた最初の1年紅児をいじめていた内の1人だった。大柄な彼は2年目になってからはたまにからかうだけで手が出てくることはなくなったが、その姿を見ただけで髪の毛を引っ張られた痛みが思い出された。
「紅児」
「なに? もう閉めるんだけど」
少年は珍しく難しそうな顔をしていた。
「話があるんだ」
「なに?」
「ここではちょっと……」
顔を上げて促すと表に出てほしいという。
「暗いから嫌。ここで話せないなら帰って」
(いつ来たって何も頼まないくせに)
そっけなく言うと少年は困ったような顔をした。そして少しの間そこに立ちつくした。
何がしたいのかさっぱりわからない。
卓を拭き、長板凳以外の椅子を上に上げる。あとは厨房の掃除だ。
「じゃあね」
一応声をかけて厨房の方へ行こうとした時腕を掴まれた。何事かと振り向いた途端きつく抱きしめられる。
「!?」
「……行くな……。王都になんか行くなよ……」
びっくりして少年の体を押しのけようとした時、押し殺したような声が耳に届いた。
(何言ってるの!?)
カッと瞬時に顔が熱を持つほど腹が立ち、紅児は渾身の力を振り絞って少年を突き飛ばした。
「なによ! あんたになんか関係ないじゃないっっ!! 帰ってよ、帰って!!」
茫然として尻もちをついている少年に椅子を振り上げて威嚇する。少年は一瞬呆けたような顔をしたが、すぐに慌てて店を飛び出して行った。
許せなかった。
なんの権利があって紅児が村を出て行くことを阻むのか。
王都に行ったからといって国に帰れるとは限らない。それでもほんの少しの可能性にだって縋りたいのに。
はあはあと荒い息をつき、ようやく紅児は椅子を下ろした。
「なんなのよ……」
目が熱くなり、涙が溢れた。
厨房の中から様子を窺っていた養父母はそっと嘆息した。
紅児には村の少年たちの恋慕を理解できないようだった。それは紅児の心に余裕がないということでもあり、やはり王都に連れて行くのは正解だと思われた。
国に帰ることができるかもしれないという話はしたが、養父母はその可能性は万に一つもないと思っていた。
いくら四神の花嫁が慈愛に満ちたお方であったとしても、そのご尊顔を拝することができるとは思えない。王都で春の大祭を見、親戚の店で働いて帰りの路銀を稼いだらまたこの村に戻ってくるつもりだ。その際に紅児のことを親戚が雇ってくれるというなら王都に残してきてもいい。王都にはいろんな人間がいる。紅児が納得するまで誰かと結婚する必要はないと、逃げ道を用意してあげるつもりだった。
出発の日、まだ暗いうちに養父と紅児は家を出た。
村の大人が何人か見送りにきてくれたのが紅児は嬉しかった。
そして話は冒頭に戻る。
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