5.建議
それから数日たったが、状況はあまり変わらなかった。
養母は励ますように「どーせすぐにみんな飽きるわい」と言ってくれたが、紅児には養父の難しい顔をしている時間が増えたように思えた。
そんなある夜のこと、仕込みも全て終った後養父に「紅児」と呼ばれ手招きされた。戸惑いながらも長板凳(背もたれのない長椅子)に腰掛けると、その横に養母も座った。
養父はしばらく遠くを見るような視線を紅児に向け、おもむろに口を開いた。
「なぁ紅児……王都に行く気はねぇか?」
「え……?」
思いもよらなかったことを言われ、紅児は目をぱちくりさせた。
「王都に行きゃあお前のその髪の色も珍しくないかもしれね。もし……運がよければ同じ髪の色のよしみで花嫁様にお目通りできるかもしれねぇぞ」
「え? え?」
「仮にも四神の花嫁になろうってお方じゃ……もしかしたら……もしかしたらだけんどもな……お前が国に帰る手伝いをしてくれるやも……」
そこまで言うと、養父は首を垂れた。
紅児は目を見開いた。
「……おとっつぁん……」
寝耳に水だったが、養父母が自分のことをとても大切に考えてくれていたということがよくわかった。
紅児は胸が熱くなり、咄嗟に言葉が出なかった。
王都に行く。
それが名案のように思え、「うん」と答えようとしたが紅児ははっとした。
紅児が知る限り養父母が旅行等に出かけたことはない。店を空けられないということもあっただろうが、それを許す経済力がないことも確かだった。
「王都に親戚がいるんじゃ。わしが着いてっちゃるから心配はいらね」
紅児が難しい顔をしたせいか、養父は補足するように言った。紅児は首を振った。
「……お金はどうするの?」
一瞬養父母の顔が曇ったように見えた。養父はとってつけたように笑み、
「子供が金の心配なんぞするもんじゃね!」
大声で言った。
「……でも……」
「でももくそもねぇ。王都に行かねっちゅうなら嫁に行け」
「え……」
先日「いい人」がいないのかと聞かれたがここで蒸し返されるとは思ってもみなかった。
「あんた、そんな言い方はね」
それまで黙っていた養母が苦笑した。そして紅児を優しく見る。
「実はな、お前に縁談が来てるんじゃ」
紅児は息を飲んだ。
来年には15歳になる。想定もしていた。けれど、目の前にそれを付きつけられた今紅児は困惑した。
「……うちゃあ小さい店だし婿入りしてくれるようなもんはいね。紅児が働きもんだちゅうことはみんな知っとる。正直実の娘ならどこかへ嫁に出すんじゃが、紅児は大事な預かりもんじゃからそういうわけにもいかね」
「けどな……ここに残るなら嫁に出さないわけにもいかないんじゃ……」
苦しそうに言う養父母。紅児の頬をつーっと涙が一筋伝った。
小さな村。誰もが顔見知りの暖かい村。それは利点もあるが、少しでも慣習に外れることを許さないという難点もあった。
(やっと受け入れはじめてもらったと思ったのに……)
おそらく、紅児がごねて嫁に行かず店に残りたいと言えば養父母は聞いてくれるだろう。だがそんなことをしたら養父母が村八分にされるかもしれない。何も知らず、少しは役に立てているとすら思っていた己の傲慢さが恥ずかしい。
「すぐに答えを出す必要はねぇ。……けどな……縁談はまた来るかもしれね」
「また明日考えりゃあいい。もう寝るさ」
養母が紅児の顔を軽く拭いて、寝室まで付いてきてくれた。
「ほれ、これで顔拭き」
濡らした布を渡されて紅児は顔を拭いた。足拭きで足を拭き貫頭衣に着替えて床に上がる。
風呂に入れない生活にも慣れた。夏になれば海に入ったり川で髪を洗ったりすることもできるが冬はせいぜい体を拭くのみだ。石鹸なんて高価な物はないから髪の色もすぐにくすんだ。今はもう元の色も思い出せない。
「……おっかさん」
「なんだい?」
布団を被って、寝室を出ていこうとした養母に声をかける。
「……ありがとう……おやすみ」
「なんだい改まって。……おやすみ」
蝋燭は養母が持って行き、部屋は真っ暗になった。
この3年慣れ親しんだ深い闇の中で紅児は目を開いた。
(考えなくちゃ……)
ここは自分が生まれ育った国ではない。
王都に行ったからといって帰国できるとは限らない。
(でも……帰りたい……)
養父母に不満はないけれど、やはり本当の両親にたまらなく会いたかった。
養父母の言葉は方言を表しています。具体的にどこの方言を使っているというのはありません(一応ベースはありますが)
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