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37.涙の理由

(せっかく休みを取ったのに)

 そうは思ったが仕方ない。休みの取り消しをすると侍女頭に言いに行ったら、すぐにそれは花嫁の耳に入ったらしかった。

 その日は物言いたげな視線を向けられたが、何も言われなかった。


 明後日には養父が村に帰ってしまう。

 そう思っただけで紅児(ホンアール)は胸にぽっかりと穴が開いたような気持ちになった。

 つらつらと考える。

 もし国に帰ることができるなら、その前に養父母に挨拶する時間は与えられるだろうか。

 もし国に帰ることができず紅夏(ホンシャー)に嫁いだなら……。

 どちらもひどく現実味がなかった。

 見送りに来るなと言われたからには行くわけにはいかない。けれどもしかしてもうこの先会えなくなるかもしれないと思ったら紅児はひどく狼狽した。

 全く血が繋がってなくても、養父母は紅児にとって本当の両親と言ってもいい存在だったから。

(でも、そういうものなんだから……)

 紅児は無理矢理自分を納得させようとした。

 もしも結婚したら、実家に顔を出すなんてことは稀だ。それこそ秦皇島の村内で誰かに嫁がない限り養父母に会うことはできないだろう。しかもそのタイムリミットはもうとっくに1年を切っている。

(少し早くなっただけ……そう、早くなっただけ……)

 そう自分に言い聞かせなければ仕事中にも関わらず泣いてしまいそうだった。

 その夜、小部屋に戻ってから紅児は涙を流した。

 永遠の別れではない。けれどもしかしたらもう会えないかもしれない。そう思うとひどくつらいのだった。

 小部屋とはいっても大部屋の中を薄い板で仕切っただけである。嗚咽を漏らせば他の侍女たちに気付かれてしまうだろう。紅児はしゃくりあげそうになるのを抑え、布団を頭から被った。

 嗚咽も涙も布団が吸い取ってくれるはずだった。


 泣きすぎたかもしれない。

 翌朝小部屋から出てきた紅児を見て侍女たちが悲鳴を上げた。

「どうしたの?」

「大丈夫!?」

「もしかして紅夏様に何かされた!?」

「夜中に入ってきたとか!?」

「いやー信じられないー!!」

 侍女たちの妄想の逞しさに紅児は笑みを浮かべた。この緊張感のなさにはかなり救われる。

「紅児、貴女ひどい顔をしているわよ?」

 鏡を差し出され見てみると、なるほど瞼は一目で泣いたとわかるほど腫れぼったくなっていた。

 なにか冷やす物、冷やす物! と侍女たちが動きまわり中には大部屋を出ていく者もいた。

「あ、あの……大丈夫ですから……」

 小さくなってどうにか言うと、「全然大丈夫じゃないわよ!」と返された。しかも、

「紅夏様! 紅児に何をなさったんですか!?」

 大部屋の表にちょうど紅夏がいたらしい。

「何も……」

 されていないと弁解しようとしたがその前に紅夏が流れるような所作で中に入ってきた。基本男性が未婚の女性の部屋に入るのは許されていないが、紅夏も気にしてくれていたのだろう。侍女たちから抗議の声はあがらなかった。

「泣いたのか」

 目の前まで来、頬にその大きな手を添えられる。

「あ、はい……ご迷惑を……」

 おかけして、と言おうとしたのに言葉は最後まで出てこなかった。


「きゃーーーー!!」

 侍女たちの悲鳴が上がる。


(な、な、な、ななな何ーーーーーー!!?)


 あろうことか、紅夏は紅児の瞼に口づけたのだった。


 あまりの衝撃に体がかたまってしまい、声を出すこともできない。しかも紅夏は唇をつけるだけではなく、ぞろりと瞼を舐める。ピクン、とその慣れない感触に体が跳ねる。


 ゴクリ

 なんだか唾を飲む音が聞こえたような気がした。

 紅夏は誰からも制止されないのをいいことに丁寧に紅児の瞼を舐めた。片方が終ればもう片方も。紅児はそれにただ体を震わせることしかでない。そして涙が流れたであろう頬を舐め、最後に唇に口づけた。

 舌は差し入れられなかったが、紅児はもう全身がありえないほど熱を持っているのを感じた。

 やがて唇が放され、優しく抱き寄せられる。

 胸がきゅううっとしめつけられるようなかんじがして、紅児はまた泣きたくなる。

 けれど。

「……あ、ああああのっ!!?」

 やっとどうにかして声を出すと、

「腫れが引いたな」

 と言われてきょとんとした。おそるおそる瞼に触れると、確かに腫れぼったさが消えているような気がする。

「あの……?」

 片手で紅夏は鏡を持ち紅児に見せた。

「あ……」

 どういうわけか先程までの瞼の腫れがきれいに引いているではないか。

 紅児は紅夏を見た。

 おそらく先程瞼を舐められたのは治療だったのだろう。しかしこんな魔術のような技は見たことがない。紅児は反応してしまった己がひどく恥ずかしかった。

「あ……ありがとうございます……?」

 やり方はまずかったと思うが腫れを治してくれたのだから礼は言うべきだろう。すると紅夏がニヤリとした。

「我を想って泣いたのだろう? なれば我が治すのは当然のことだ」

(……え)


「きゃーーーーーー!!!」

 それまで固唾を飲んで見守っていた侍女たちから悲鳴が上がる。

「そなたを泣かせてしまい、すまなかった……」

「え、あ、あの……いえ……」

 至近距離で魅力的な瞳に捕らわれる。こんなとんでもない美丈夫に甘いテナーで囁かれ、紅児は熱くなる体をどうしたらいいのかわからなくなった。

「……仕事に……」

 どうにか泣きそうになりながら呟くと、紅夏はふっと笑んだ。

「待っている」

 そっと紅児から身を離すと、紅夏は大部屋の外に出て行った。後に残された紅児ははやる胸をどうにか押さえ、そして侍女たちは問い詰めたい気持ちを抑えながら支度をしたのだった。

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