35.晴天の下で
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結果として、紅児の養父は再び王城内に足を踏み入れることになった。
さすがにそのままの格好で食品を扱わせるわけにはいかないので、養父はまずしっかり体を洗われたらしい。もちろん使われたのはお湯ではなく水であったが、それこそ長年落としていなかっただろう全身の垢を落とされ、こざっぱりとした服を着せられた養父は目を白黒させていた。
一応馬から説明を受けたそうだが、それでもどうしたらいいのかわからないようだった。
紅児は改めて養父に呼んだ経緯を話してくるようにと言われたので、厨房に来ていた。
花嫁の温情には本当に感謝してもしきれない。本来なら養父への説明は他の誰かがするだけで十分なのにわざわざ紅児に行くように言ってくれた。養父を呼んでくれたのは花嫁の好意。
大事にされすぎて、まるでなかなか醒めない夢を見ているみたいだと思うこともしばしばである。
厨房の外で再会した養父はくしゃっと破顔した。つい先日会ったばかりなのに紅児は泣きそうになる。
「おとっつぁん……」
「よくしてもらってるようじゃな」
紅児は何度も頷く。
「うん、うん……。みんないい人たちだよ!」
「ならええ。わしも安心して村に帰れるっちゅうもんじゃ」
紅児は胸を押さえた。あと何日かで養父は村に帰ってしまうのだ。そう思うといいようのない寂しさが胸に湧き上がってくる。
だが今はそんな感傷に浸っている暇はない。
「おとっつぁん、実はね……」
紅児はできるだけ簡潔に、養父に四神宮に来てもらった経緯を話した。
「あたしが作ってもいいけど、さすがに花嫁様に食べていただけるほどのもんじゃないし……」
「そうじゃなぁ。村のもんならええが、四神の花嫁様に食べていただくにはな」
即答され、紅児はほんの少しへこんだ。事実だが村で少しずつ調理を任せてもらえるようになっていたから余計に堪えた。
(ま、長年店やってるおとっつぁんと比べる方が間違ってるわよね……)
どうにか頭を切り替えて厨房に入ってもらった。
煎餅や茶蛋は馬が用意するが、養父には村で主に作っていた小吃を用意してもらうことになっている。
紅児が秦皇島の村にいたというところから、小吃には海産物を使っていたのかと聞かれたのだ。花嫁は元々この世界の住人ではないというがこの国のことをよく知っていた。元いた世界の、この国とほぼ同じような国からやってきた為だという。
「一応この国の言葉はわかるのだけど、それでもわからないものもあるわ。でも……エリーザの方がたいへんだったわよね。一から言葉を学ばなければいけなかったし、この国のことはほとんど何も知らなかったのでしょう?」
確かにものすごく苦労した。
でも、と思う。
紅児と花嫁の境遇は似ているようで違う。
紅児はいつか身内の誰かが迎えにきてくれるという儚い希望を持ち、どうにかそれに縋って生きてきた。けれど花嫁は……。
そう思うだけで紅児は自分のことではないのに泣きそうになる。
いくらおいしいものがいっぱい食べられても、いくら美しい人々に愛を囁かれても、永久に両親に会えないとわかったら。
紅児はおそらく絶望してしまうだろう。
だから問い合わせをする、と言われた時とても嬉しかったが同時に怖いとも思った。
父は生きていないだろう。だが母は……。
その大事な母がすでに亡くなっているとか、生きていてももし紅児はもういらないと言われたらどうしたらいいのだろう。
紅児は軽く首を振った。今はそんなことを考えている場合ではない。
紅児は部屋付なので基本部屋の外に出ることはないのだが、今回は花嫁に同行することになっていた。
四神宮の庭はそれほど広くはない。石造りの卓子と凳子(背もたれのない椅子)のある場所まで出来たての小吃が次々と運ばれてくることになっていた。花嫁が好きなものを好きなだけ食べられるようにと他に卓子も用意し、麺などを求められた時すぐに出せるよう簡易の調理道具も運んだ(沸騰したお湯と油が入った鍋を用意している)。
白虎に抱かれて庭に出る花嫁の表情はほころんでいる。その後ろには珍しく三神も続いた。ここでゆっくりお昼にすることにしたらしい。
凳子に腰掛けた花嫁が誰かに目くばせする。なんだろうと思った時、後ろからがしっと複数の腕に掴まれ、そのまま建物の中に引き戻されてしまった。
「な、な、な、なにーーーーっっ!?」
紅児を連行していったのは侍女たちだった。花嫁の部屋に連れ戻されて、あれよあれよという間に侍女服を脱がされる。目を白黒させている間に着替えをさせられ髪を整えられ……なんだかわからないうちに、
「はい、完成!」
と言われてまた花嫁の部屋の外に出された。
「え……」
そこで待っていたのは紅夏だった。
「ゆくぞ」
紅夏は満足そうに目を細めた。腰を抱かれ、再び庭に戻る。
「ごめんね、先に始めてるわ」
花嫁が煎餅を両手に持った状態で、にこにこしながら言った。
「あ、いえ……あの?」
「今日は無礼講だそうだ」
紅夏の科白を頭の中で反芻する。よく見れば白雲と侍女頭が一緒にいるし、延と青藍も共にいる。珍しく黒月の姿はなかった。
「黒月さんは?」
「食堂だろう。四神がいれば守護は必要ない」
確かに守護が必要ないならこんなカップルだらけの場所にはいたくないだろう。紅児は黒月に少し同情した。
「何が食べたい? 言ってくるが……」
「あ……ええと」
咄嗟のことで何も思い浮かばない。
「養父殿に聞いて参ろうか」
「あ、いえ……じゃあ私も花嫁様と同じもので……」
「わかった」
給仕をしている侍女に紅夏が声をかけにいく。花嫁の席には揚げた落花生やちょっとした炒め物、春巻等が見えた。そして花嫁の手には煎餅。はふはふとおいしそうに食べている姿を見て紅児も思わず目を細めた。
食べ物でいいのなら、王城では不自由しないだろう。しかも花嫁が食べたい物は市井のなんということもない物ばかり。それぐらい自由に食べる権利はあるはずだと思う。
延はおそるおそる、というかんじでいびつな形の揚げ餃子をつまんでいる。
「これでいいか」
周りを見ていると、紅夏が紙に包んだ煎餅を持ってきてくれた。
「はい、ありがとうございます」
花嫁のようにかぶりつく。役得だ、と素直に思った。




