26.大祭
春の大祭が始まった。
開始当日、花嫁は煌びやかに飾り立てられ、朱雀の腕に抱かれて四神宮を出て行った。
この期間四神宮に勤める者たちも交替で休みを取れるらしい。
いつもより念入りに飾られた花嫁はまるで人形のようにも見えた。人形でない証拠はその匂い立つような色気である。
妖艶な化粧。結い上げられた赤い髪には何本もの簪がさされ、何枚も絹の着物を重ねられた。基本の斉胸襦裙(短めのシャツを着、胸の上まであるスカート姿)の格好にいろんな色の薄絹を重ね、更にその上に長袍を着せられる。耳飾りも大きな物をつけられて、花嫁はすでに疲れたような表情をしていた。
「花嫁様、民の前では……」
「笑顔、ね」
女官の延の科白を花嫁は引きとった。
「百官の前でも笑顔でいなくてはいけないかしら?」
首を傾げて尋ねるさまが愛らしい。延は嘆息した。
「好きになされませ、と言いたいところですが、敵は作らないにこしたことはないかと」
「それもそうね」
花嫁がにっこりと笑む。延はそれに一瞬はっとしたような表情をしたが、急いで顔を引きしめた。
こういう時、花嫁は効果的な表情作りをわかっているのではないかと紅児は思ったりもする。
「ああ、いつもそなたは愛らしいが今日はまた格別だ」
花嫁を迎えに来たのは朱雀だった。紅児はその日まではっきりとは朱雀の姿を見たことがなかったから戸惑った。
だが紅夏と同じ色を持ち、花嫁と全く同じ色の髪を見てなんだか納得してしまった。
白地に赤い糸で伝説上の鳥が縫い付けられた袍の上に黒い長袍を纏った姿は、思わずため息が漏れる程美しい。
「朱雀様」
「日の光の下で見るそなたも、なんと我の心を震わせるものか」
言い回しがよくわからないが、花嫁の頬が赤く染まっているところを見ると口説き文句を言われているらしいということがわかる。その声は紅夏に似たテナーだ。
「……朝まで一緒じゃないですか」
「朝の光と昼の光はまた違うものだ。……早く昼も夜も我の腕の中で過ごしてほしいものを」
「朱雀様!」
延や他の侍女たちも頬を染め、少し困ったような表情をしていた。
「……朱雀様、そろそろお時間かと」
「そうか」
それに助け舟を出したのは扉の表にいた紅夏だった。みな一様にほっとしたような表情になる。
朱雀は花嫁を抱き上げると、部屋を出て行った。
その後に黒月と延が続く。
黒月は花嫁の『守護』という存在で、常に傍らにあるものらしい。延は女官として花嫁の着衣や髪型などが乱れた際直したりする為につき従うのだとか。
後に残された侍女たちはほうっとため息をついた。
「……心臓に悪いわぁ」
誰かがぼそっと呟く。本来ここで声を発すること自体してはいけないことなのだが、紅児は思わず頷いていた。他の侍女たちも同じ気持ちに違いなかった。
これから花嫁はまず王城の一番前方の建物まで移動し、そこから皇帝と四神と共に百官に姿を見せるのだという。
それから輿に乗って天壇というところへ移動し、春の大祭における祭祀を行った後前門で民衆に姿を見せるらしい。
「天壇まで輿で移動とか……なんのいじめなの」
花嫁がうんざりしたように呟いていたのが紅児には印象的だった。もしかして行ったことがあるのだろうか。
今回紅夏は朱雀についていかないらしい。こういう時についていかないでいったい何をしているのだろうかと紅児は疑問に思うのだが、特に四神を世話をする必要はないので青藍がついていくだけだとか。花嫁付きではあるがあと黒月が一緒に行くのだからいいのかもしれない。
前門で民衆に姿を見せた後は一度戻ってくるのだという。だが夜は夜で王城内の晩餐会に出る必要があるのだとか。身分がある方々は本当にたいへんだ。
「紅児さんはどうされます?」
「え?」
花嫁たちを送りだし、一息ついた後部屋にやってきた侍女に聞かれた。なんのことかと聞き返せば、花嫁が戻ってくるまで休んでもいいらしい。
「どうせでしたらお養父様に会いに行かれてもいいですよ」とまで言われて紅児は戸惑った。
曰く、花嫁は基本四神宮にいる為勤めている者たちが気づまりではないかと心配されたとのこと。この機会に花嫁が戻るまでの間、少しでも羽を伸ばしたらどうかと提案されたというのだ。
もちろん侍女の半数以上は四神宮に残るし、武官も休むことはない。厨房の者たちも通常勤務だという。なのに新米の紅児が休みをもらい、あまつさえ王城の外に出るなどとんでもないと答えれば、
「紅児さんには紅夏様がついていらっしゃるでしょう」
と当り前のように言われた。
紅夏が共に行くならば安心だろうということらしい。紅児はなんともいえないような表情をすることしかできなかった。
「でも……」
「紅児、支度せよ」
逡巡していたら花嫁の部屋の扉が開いて、当然のように声をかけられた。
「え……」
声の主は紅夏だった。
「女の支度は時間がかかるのだろう」
腕を引かれ、部屋に戻される。戸惑いながらも紅児はなんとか用意された着物に着替えて大部屋の扉を開けた。
「行くぞ」
紅夏の歩みは飛ぶように早かった。それなのに引かれる腕も痛くなければあまりの早さに足がもつれることもない。不思議に思っている間に王城の外に出ており、何故かすでに用意されていた馬車に乗せられた。
「あの……」
当然のように隣に腰掛け紅児の腰を抱き寄せている紅夏におそるおそる声をかける。
「どうして……」
自分は王城の外に出ているのか。一体これからどこに行くつもりなのか。
「養父殿に会いに行きたいのではないか」
静かな声に紅児は頷いた。確かに会いたい。
「会いたい、です」
「では会いにいこう」
「はい」
春の大祭が終り、養父が戻る頃に1度会えればいいと思っていた。その時に休みを取ることさえ、真面目な紅児は申し訳ないことのように思っていた。
でも本当は、養父ともっといろんなことを話したりしたかった。
だからこうして会わせようとしてくれたことに素直に感謝した。
「紅夏様」
紅夏にそっと寄り添う。
「……ありがとうございます」
なんだか胸がほんの少し、甘く疼いたような気がした。
天壇 紫禁城から東南約数キロのところにある。明清代の皇帝が天に対して祭祀を行った祭壇である。




