24.一歩ずつ
四神宮がにわかに忙しくなったある日、紅児は久しぶりに花嫁について『謁見の間』へ足を踏み入れた。
春の大祭まであと一週間という頃である。
衣装を作るのはもっと前から行うものではないかと思っていた通り、衣装に使う布や色は全て決められていたのであとは念の為採寸をするだけだったらしい。
この国の衣装は体にぴったりとしているものではないからできることなのだろうと思っていたら、花嫁の採寸を一番最初に行った店が、その寸法等を他の店に高く売りつけていたらしいと聞いて驚いた。
「どうもおかしいと思ってたのよね」
いくら体にぴったりとしていない漢服でも裾や袖などのちょうどいい長さはわからないはずである。けれどいつのまにか贈られてくる衣装のほとんどが直しを必要としないものだと聞き、花嫁は疑問に思ったらしい。
皇太后のいる慈寧宮に訪れた時、花嫁の寸法を高額で売りつけている業者がいると聞き花嫁は激怒したという。その売り上げを全て没収したというから相当だろう。そして新たに契約を結び、花嫁の寸法の服を手頃な価格で売らせることにしたのだとか。
ちなみに没収したお金は全て寄付したらしい。本当に花嫁は無欲なのだなと紅児は感心した。
紅児の元の家は商家(正確には貿易商)だったから、それなりに裕福ではあってもお金には厳しかったように思う。特に紅児は跡取り娘ということもあり、使うところと締めるところはきっちりするようにと口が酸っぱくなるほど父親に言われていた。そして、お金はないよりはあった方がいいのだと。
それは紅児も同感である。
そのことを紅夏に聞けば、
「使い道がないのだとおっしゃられていたな」
あまり欲しい物もない。しいていえば紙や書物。服や化粧品、装飾品関係は贈物で全てまかなえるし、なにかの行事の際の衣装代などは国庫から出る。そう考えると確かに使い道はないのかもしれない。
ただ、他の侍女たちから言わせても花嫁は無欲だというから、紅児だけの感覚ではないと知ってほっとした。
閑話休題。
部屋付である紅児が『謁見の間』に連れて行かれるとしたら、あの件以外に心当たりはない。紅児は些か緊張した面持ちで、花嫁に付いて足を踏み入れた。
そこでは、趙と王が平伏して待っていた。
「面を上げよ」
白雲の声に二人が顔を上げる。
あれから約二週間が経っていた。一か月と言っていたから、その半分である。
紅児の胸が期待に高まった。けれどどこかで、三年も前の資料だから紛失してしまったのかもしれないという諦めもあった。紛失しないまでも記録はどこにもなかったという回答も想定していなければ、実際そうであった時とても耐えられそうになかったから。
「申し上げます。まず、三年程前の物にエンリークァ・グーテンバーグの記録はございました」
王の言葉に紅児は目を見開いた。
通訳と共に大体の音をこの国の文字に当てはめると、エンリケ・グッテンバーグは「エンリークァ・グーテンバーグ」というような音になる。この国の文字は漢字という大そう複雑な物で、しかも同音異義語がかなりあるのだとも聞いた(養父母のところで使っていたのはほんの一部だったのでよくわからなかった)。その中からこんな短期間に探し当ててくれるとは紅児も思っていなかった。
「ほんのわずかな時間でありましたが、確かに陛下と面会していたようです。出身国もセレスト王国で、彼女の証言と一致します」
花嫁は頷いた。
「グッテンバーグ氏の乗った船がいつどこの港から出航したか、それから数日間の天候などは調べられるかしら」
王は少し難しそうな表情をした。
「……可能な限りお調べする、ということでよろしいでしょうか」
「セレスト王国から行方不明者についての問い合わせはないのかしら。それがあれば話は早いと思うのだけど」
「お調べします」
「忙しいでしょうけどよろしくね」
「承知しました」
そのやりとりの後花嫁は紅児に話しかけようとしたが、すぐに一緒に『謁見の間』に来ていた白虎によって連れ去られてしまった。正確には、白虎が抱きかかえて連れてきているので、そのまま持ち帰られたという形である。
この移動方法も最初は面食らったが、四神が花嫁を抱き上げるのは基本らしい。特に人間の男性が近くにいる場合四神は絶対に花嫁を離さないのだとか。
四神はお互いに嫉妬することはないが、人間の男性が花嫁の側にいるのは耐えられないのだという。これはもう理屈ではないので花嫁も気をつけているようだが、先程のように王と会話をするということすらも嫉妬の対象になるのだと聞いて愕然とした。
だから趙も極力四神宮の中に足を踏み入れないのだという。
おそらく今頃白虎の室に連れ込まれているのだろう花嫁を思うと、紅児は自分のことで申し訳ないことをしたと心の中で謝罪した。
結局その後花嫁が戻ってきたのは夕食の直前だった。
ひどく気だるげで、瞳が潤んでいるのを見て紅児は真っ赤になった。
なんという壮絶な色気だろう。
頬を染めているのは紅児だけではなかった。支度を手伝う侍女たちも赤くなっていることからこれが尋常でないことはわかった。
「花嫁様、本当に大丈夫ですか?」
延に聞かれ、花嫁は「たぶん」と曖昧な答えをした。
「お食事はお部屋に運ばせますか」
花嫁は首を振った。
「黒月、白虎様を呼んできて」
「かしこまりました」
眉を寄せ、少し憮然とした表情をしている花嫁はひどく色っぽかった。ほう……とついたため息にまで色気が溢れている。
確かにこんな状態の花嫁を人間の男性が見たらひとたまりもないだろう。
やがて白虎が訪れた。
「香子」
「食堂まで連れてってください」
不機嫌そうに花嫁が言う。白虎はそれにひどく愛おしい者を見るように笑んだ。
「仰せのままに」
後に残された紅児たちは、やっと安堵のため息をついた。
その気は全くないはずなのに心臓に悪すぎた。




