2.王都からの客
話は遡って。。。
『』内の言葉は紅児の元々の言葉です。
1話1話長さがまちまちです。今回は少し長めです。
紅児は元々この国の者ではない。
この大陸から一番近い大陸にあるセレスト王国の出身である。
本当の名はエリーザというが、呼ばれなくなって久しい。
実父は貿易商だった。11歳の時他の大陸へ商売に行くという父に駄々をこねて着いてきた。
1年の内ほぼ半分は家にいない父と、紅児はできるだけ一緒にいたかった。
一番近い大陸まで船で2カ月かかる。その間紅児は貿易先の国の言葉を乗組員に少し教えてもらったりして楽しく過ごした。そしてこの大陸で一番大きいという唐という国に到着し、父が仕事をしている間都の街並みを見たり、買物をしたりと充実した時を過ごしたのだった。
母や友人たちにお土産を買い、都から一番近い港から出航してあとは帰国するだけだったはずなのに、船は嵐に遭った。
頑丈だったはずの船はばらばらになり、目を覚ました時には養父母の家の床の上にいた。気のいい彼らは嵐の翌朝浜辺に打ち上げられた木片や品物、そして紅児を見つけたのだと身ぶり手ぶりで教えてくれた。
紅児はほんの少しだけ唐の言葉が話せたが(せいぜい挨拶や買物ができる程度である)、もちろん意思疎通をはかれるほどではなく、状況を把握するまでかなりかかった。けれど混乱している紅児に彼らは優しかった。
動けるようになって浜辺に連れて行ってもらった時、邪魔にならないところに積まれた木片やごみのようなものの山を見て号泣した。
『パパはどこ? 船はどこ? ママに会いたい!! ママー! パパー! どこなのー? ママぁ……パパぁ……』
意味のわからない言葉を叫びながら泣く紅児に彼らは根気よく付き合ってくれた。そして紅児を実の子供のように可愛がってくれた。
あの悪夢から3年が経ち、養父母の店の手伝いも、この国の言葉も多少はうまくなったと紅児は思う。
養父母は海の近くで小さい飯屋を営んでいた。飯屋と言ってもお客が10人も入るといっぱいになってしまうような小吃店(簡単な料理のみを扱う店)だったからメニューを覚えるのはさほど難しくなかった。紅児は国ではお嬢様と呼ばれる身分だったが、元々好奇心旺盛でいろいろなことを試すことが好きだった。ある程度意志の疎通ができるようになってくると、持ち前の好奇心を発揮し率先して手伝いをするようになった。それはもちろん養父母がとてもいい人たちだったからできたことだと紅児は思う。
この国に来る前、父は「大国だが決して治安はよくない」と言っていた。そして女性の地位がとても低いとも。紅児が王都の店に行く時も屈強なボディーガードをつけてくれた。この国では簡単に女性は人買いに攫われて売られてしまうから、とにかく気をつけるのだよと父はひどく心配そうな顔で紅児に言ったものだった。
だから紅児は自分は運がいいのだと思っている。もちろん今は父が誇張して言ったのだということはわかっているが、自分の国ではないのだし用心はするにこしたことはないとも考えていた。
この3年、正直養父母との暮らしはたいへんだった。
まず季節によって気候が大幅に変わるということが理解できなかった。国では1年中比較的過ごしやすい気候だったからだ。ここの冬はとても厳しい。雪はそれほど降らないが、降ったらすぐに道が凍ってしまい紅児は何度も何度も転んだものだった。だから紅児は雪を初めて見たが、すぐにあまり好きではなくなってしまった。
長い長い冬は食料の確保も難しいし、人の訪れもなくなる。いつまでもやってこない春を毎年待ち続けることしかできない。
けれど今年は春の訪れが例年よりもかなり早かった。
吹きすさぶ風に砂が混じり、大気が柔らかく変化し始める。訪れる者たちが増え、「今年は暖かくなるのが早いな」と言い合った。この土地に生まれた時から暮らしているという年寄りが、
「こんなに春の訪れが早いのは初めてじゃ」
と感慨深そうに言うのが印象的だった。
村の人たちはみんないい人たちで、赤い髪に緑の瞳の紅児を表だって厭ったりはしなかった。もちろん子供たちは紅児をからかったりはしたが、大人たちからするとそれは「好きな子をいじめている」ようにしか見えなかった。だが村に馴染むのに精一杯だった紅児はそんな子供たちの心理を理解できるはずもなく、成人を来年に控えている今も同年代の者たちが苦手だった。
そんなある日、この辺りでは見かけない風体の男がふらりと紅児のいる店にやってきた。
「娘さん、海鮮餃子を1皿! っと……珍しい髪の色だな」
「他にご注文は? ……生まれつきなんです」
たまに来る客の中には紅児をあからさまにじろじろ見まわす者もいるので、あしらいも大分慣れた。
「ほう……お勧めは?」
「魚の唐揚げ、イカとニンニクの芽の炒め物……」
「イカをもらおう」
男はその間もじっと紅児の髪を見ていたが、その視線がそれほど不快に感じられなかったは不思議だった。
小さい村ではそれほど話題がなく、年寄りはいつも同じ話をする。その日も村の老人が酒1杯と小皿1枚の料理で長居していた。
「今年は春が早く来たのぅ……」
「そうですね」
といつも通り相槌を打っていると、男が口を挟んできた。
「そりゃ爺さん、四神の花嫁が降臨されたおかげさ」
(四神? 花嫁? 降臨?)
聞いたことのない言葉に紅児は首を傾げる。途端、ガシャーン! と派手な音がした。老人の手から杯が滑り落ちた音だった。
「爺ちゃん、大丈夫!?」
元々ひびが入ったり縁が欠けているような器だからそれほど惜しくはないが、老人が怪我をしていないかどうか気になった。「動かないでね」と言いながら急いで片付ける。ふと見ると老人の手がぶるぶる震えていた。
「爺ちゃん?」
顔を窺おうとすると、老人は弾かれたように声を上げた。
「そ、そりゃああんた本当かい!?」
男はニヤリとした。
「俺は王都から来たんだ。わざわざ皇太后様まで都入りしてお祭り騒ぎさ。今年の春の大祭は大掛かりなもんになりそうだよ」
「そうか……花嫁様がのぅ……。よかった……本当によかった……」
老人は涙ぐんでいる。紅児は全く話が見えなくて視線を彷徨わせた。厨房の方を見ると養母が手招きしていた。
「あ……片付けてきます」
誰も聞いていないとは思うが一応声をかけて厨房に向かう背中に、
「そういえば花嫁様はあんたみたいな赤い髪をしてるって噂だぜ」
男の声がかかった。
(花嫁様って奥さんのことかしら? 赤い髪って……)
「もしかして血縁か何かかい?」
更にかかる声。
「ま、いくらなんでも花嫁様の血縁だったらこんなところにいるはずはないか……」
男は勝手なことを言って笑った。
紅児が本来こんなところにいるはずのない娘だと、男が知っているわけはなかった。